第十話 彩芽君、少し前を向く
気絶した桜井さんを膝枕して、数分間頭を撫で続けていた。
(改めて見ると、すごい可愛いよね)
何度も撫で続けているうちに前髪のカーテンは自然と開かれ、桜井さんの極めて整った顔が露わになっていた。
悪いと思いながらも、つい引き込まれてしまう。
目を閉じていてこれなら、起きた時はどうなるのだろうか?
少なくとも子供好きとロリコンの視線はくぎ付けになるだろう。
本人には可哀想だから言えないけど。
馬鹿なことを考えていたら、膝の上の桜井さんがもぞもぞと動き始めた。
そのため、起きる前に前髪で顔を隠して証拠を隠滅しておく。
(起きたときのは、桜井さんが自分から見せてくれるまでお預けだよ)
いつかそんな日が来ることを楽しみにしながら、桜井さんが起きるのを待つ。
すると程なくしてゆっくりと前髪の奥に秘められた瞳が開かれた。
「んっ......あれ、わたし......」
「気がついたかな?」
「はぅぅ、あやくんの膝枕......! すみませんすみません! 重かったですよね?」
瞬時に顔どころか全身が真っ赤になり、僕の膝から飛び起きて何度も頭を下げる。
「迷惑じゃないし軽かったし、何よりさっき桜井さんもしてくれたからおあいこだよ。それより、ずいぶん安らかな寝顔だったけど、いい夢でも見たの?」
「はい! とても幸せな夢を見ていました。あやくんが抱きしめて、わたしをかえちゃんって呼んでくれる......」
そう語る桜井さんは本当に幸せそうだった。
喜んでくれたならよかったかな?
でも、夢扱いされると羞恥に悶えた自分が馬鹿みたいなので、ここは道連れになって貰おうかな?
「夢じゃなくて現実だよ。まあ、衝動的な行動だったから、またしてくれと頼まれたら困るけど」
「はぅぅ、恥ずかしくて言えませんよ~」
困る桜井さんも可愛かったので、このくらいにしておく。
真面目な話もしたいので。
向き直って話をする体勢になると、桜井さんも真似してくる。
「ねえ、桜井さんはいつから僕が......幼馴染のあやくんってわかってたの?」
「えっと、実は最初からわかっていました。ずっと覚えていましたから......てっきりお父さんやお母さんが連れてくるものと思っていて、いきなり来るとは思いませんでした」
昨日ドアの前に置き去りにされたのは、準備も無いまま僕と再会したから、動揺してしまったかららしい。
「ですけど会ってみて、何か悲しいことがあったんだとわかりましたから、余計なこと考えさせちゃわないように、気を付けていました」
「気を遣わせちゃってごめんね桜井さん!」
「いえ、気を付けていてもついあやくんって何度も呼んじゃいましたし......」
それで変な呼び方になっていたんだね。
確かに、あやくんって呼ばれてたら記憶を探って深く思い出そうとしただろうし、そうすればさっきみたいになるのは確実だろう。
「でも、こうやってちょっとは自覚したんだから、別にあやくんって呼んでも大丈夫だよ、桜井さん」
「あの、かえちゃんって呼んではくれないんですか?」
「なんかしっくりこなくて。多分朧気な記憶しか無いからだと思う」
せめてもう少し、昔のことを思い出せれば自分の中で納得できそうではある。
でも、それだけじゃ多分駄目だ。
「それに、かえちゃんって呼び方は幼馴染としてのものだと思うから。今はまだ幼馴染というと......」
今の僕にとって、幼馴染といえば烏丸竜堂だ。
彼のことを思い出すと心が痛む。
だからまだ、桜井さんを幼馴染と思えないのだ。
「わかりました。あやくんの、佐藤さんの心が癒えるまで待ちますから。呼び方も、佐藤さんって呼ぶように頑張ります。わたしは桜井さんなのに、佐藤さんをあやくんって呼ぶのは不公平ですし」
「大分無理させてごめんね。何でもするから許して」
何でもするの部分でちょっと赤くなった桜井さんだけど、すぐに答えを返してきた。
「あの、ご無理を承知でいいますけど、もう一度だけわたしのこと、かえちゃんって呼んでください」
「......一度だけならいいよ。かえちゃん」
「はぅぅ///」
口から出た昔の呼び名は、桜井さんを照れさせるのと共に、僕の心にある傷を少しだけ癒やした。
ただ、傷が癒えたことよりも羞恥心が勝ったので、今はこれ以上呼べない。
「これでいいかな?」
「はい///」
やっぱり違和感は拭えないけど、真っ赤になって照れる桜井さんを見られるなら、たまに呼んでもいいと思えたのだった。
「そういえば佐藤さん、わたしたちの関係って結局なんでしょうか?」
顔の赤みが引いた桜井さんから、僕達の関係について疑問を投げかけられた。
これから学校も始まるし他人と関わる機会も増え、もしかしたら友達が出来るかもしれない。
その友達を家に招いたとして、バッタリ僕や桜井さんと鉢合わせしたら、どう説明すればいい?
そういう意味でも、ハッキリさせておく必要があった。
(そういえばなんだろう? 同じ家に住んでるから余計にわからない)
一番事実として近いのは同じ家に住む幼馴染だろうけど、僕の事情が解決するまでは心情的に幼馴染とは言えないのでパス。
次に同居人だけど、シェアハウスをする他人同士よりは近い関係だと思うのでこれも違う。
あとは家族だけど、これは流石に違うと思う。
対外的には似てない兄妹と説明するかもしれないけど。
えっ、姉妹じゃないのって?
見た目上はそうなるだろうけど、自分の口からは言いたくない。
そうなると、現実的にあり得ないであろうこの例えが、一番わかりやすい。
「僕達の関係? 一緒に住んでる異性の友達、かな?」
「はぅぅ、友達」
友達発言に桜井さんは喜びながら落ち込むという、器用な反応を見せてくれた。
「僕と友達はいやかな?」
「いえ......嬉しいんですけどなんというか」
「複雑なんだね。ごめん、僕頑張るから」
もっと桜井さんとのことを思い出して、烏丸竜堂とのことに何らかの決着をつけると、僕を信じて想いつづけてくれた少女に誓う。
この日この瞬間から、僕と桜井さんの関係は、同居する他人から同居する友達へと変化したのだった。
お読みいただきありがとうございます。この話で同居人編は終わりです。まだ続きますので、お付き合いいただけるとありがたいです。
こぼれ話
約束のことですが、お互いの両親は知ってたりします。