第九話 彩芽君、過去を思い出す
桜井さんの部屋は隣なので、間取りはそんなに変わらない。
ただ全体的にパステルカラーで、観葉植物やぬいぐるみが置いてあったりと、いかにも女の子の部屋ですという印象を受けた。
ぬいぐるみも兎だったのは、らしいと思ったけど。
「あの、お茶出しますね」
「頼めるかな?」
「ちょっと待っていてくださいね」
部屋を出る桜井さん。
大人しく待っていようと思い、何となく視線を動かすと、倒れた写真立てが目に映った。
(倒れたままにしているなんて、桜井さんらしくないね)
そう思い、写真立てを起こす。
そこには幼い桜井さんが写っていた。
前髪を伸ばしていないため、子供ながら非常に整った顔立ちがそのまま晒されていた。
(すごく可愛い。あれっ、他にも可愛い子供が写ってるけど、この顔どこかで見たような......?)
その子供は男の子の服を着た女の子だった。
あれっ、よく見ると男の子じゃないかな?
いや、絶対に男の子だ。
だってこの子供は、昔の僕なのだから。
(どうして僕が桜井さんと......うぅ、頭が!!)
記憶を辿ろうとするが頭痛によって阻まれる。
なおも記憶の糸をたぐり寄せるも、思い出されるのは桜井さんとは違う、男の子の幼馴染と仲良く遊んでいる光景だけだった。
それは幸せな想い出で、そしてある日裏切られたのを境に、絶望へと変わった記憶。
「ああ......ああああああああっ!」
「あやくん!」
打ちひしがれ泣き叫ぶ僕を、誰かが抱きしめる。
その人からは心が安らぐような、どこか懐かしい香りがした――。
気がつくと、僕は桜井さんに膝枕されていた。
気持ちよかったのでもう少し味わいたかったけど、謝らないといけないので起き上がる。
「起きられましたか?」
「うん......格好悪いところ見せちゃったね。それと、勝手に写真見てごめん」
「いえ......それより、わたしこそすみませんでした!」
土下座する桜井さん。
どうして君が謝るの?
「写真を見られたから、あや......佐藤さんが苦しんでいたわけですから、わたしが原因ですよね」
「違うよ。確かにああなったのは写真を見てからだけど、桜井さんは何一つ悪くないよ。僕が勝手に過去を思い出して苦しんでただけだから。ちゃんと説明するから、お願いだから聞いて」
そうして僕は、いじめに幼馴染である、烏丸竜堂が加わっていたこと、それにより過去を思い出せなくなり、思い出そうとする度に心が引き裂かれるような痛みに苛まれることを、正直に告白した。
「どうして、ひぐっ、あやく......佐藤さんが、ぐすっ、そんな酷い目に......」
話し終わると桜井さんは肩を振るわせ泣いていた。
その様子は、僕が逆に冷静になれた程だった。
「わからない。もしかしたら理由があったのかもしれない。でも僕がこんなだから聞けてないし、まだ会えないんだ」
僕が不登校だった頃、リン......烏丸竜堂が僕と話をしたいと訊ねてきていたことがあったらしい。
父さんと母さんが追い返したみたいだったけど。
その後復学したあとも、話すことは無かった。
もしかしたら僕のこういう様子を、両親から伝えられていたから、話しかけてこなかったのかもしれない。
なんにせよ、過去の痛みに負けないようにならないと、本当の意味で決着をつけることが出来ない。
「だから、僕は強くなりたい。どんなに傷付いても過去と向き合って、そして彼と決別する。そうすればもう過去は必要ない。前だけ向いていけるから」
「それは、違うと思います......必要ないなんて、言わないでください。あやくん......佐藤さんの過去の行動で、救われた人もいます。だから、捨てたら駄目です」
僕の決意表明に、ようやく泣き止んだ桜井さんが待ったをかけた。
僕が過去、誰かを救った?
まるで見てきたかのように言うけど、何か知ってるの?
「この写真に写ってるの、過去のわたしとあなたですよ? それに、わたしのこの前髪は、あなた......あやくんが伸ばすように言ってくれたんですよ?」
過去、桜井さん、あやくん、前髪......様々な言葉が僕の頭の中で混ざり合い、鍵が開く音がした。
そして、僕の脳裏にとある光景がフラッシュバックする。
時間は夕暮れ、舞台は近所の公園、登場人物は幼い少女二人......いや、少女に見える少年と少女だ。
少女の方が少年に何か相談していた。
『ねえあやくん。何だかわたしよくお顔を見られてるの。どうしたらいい?』
『かえちゃんは可愛いからみんな見ちゃうんだよ。もし見られたくないなら、前髪伸ばしたらいいと思うよ。前が見えないなら、僕が傍にいて目になるから』
『あやくん、どうしてそこまでしてくれるの?』
『かえちゃんのこと、大好きだからだよ。かえちゃんは顔以外もすごく可愛いのに、顔しか見ないような奴には見せたくない』
『はぅぅ、恥ずかしいよぅ』
ああ、これは昔の僕と桜井さんだ。
両親の仕事の都合で離ればなれになったけど、僕達は確かに幼馴染だった。
我ながら馬鹿な回答だと思う。
いくら子供だからって、もう少しマシな解決策はなかったのだろうか?
というか昔の僕、すごいこと言ってるよね。
でも、男らしいとも感じた。
さらに、この場面から繋がる記憶の扉が開いていく。
(そうだ、確かこのあと前髪を伸ばして、前が見えにくくなった桜井さんを、遠くに行くその日までずっとサポートし続けたんだ)
顔を隠した桜井さんの目になって、二人きりの時は前髪を整えてあげて、そばに居続けることで守り続けたんだ。
離ればなれになったその日も、何か大切な約束をしたような気はするけど、どうしてもそれは思い出せない。
(じゃあ桜井さんは、僕との約束をずっと守っていて......)
そう考えた瞬間、過去の映像は途切れ意識が今に戻った。
目の前には成長したけど、相変わらず前髪で顔を隠している桜井さん、いや、かえちゃんの姿がある。
僕のことを思っている幼馴染、こんなところにいたんだね。
過去の心に引き摺られるままに、僕は目の前のかえちゃんを抱きしめる。
「いき、いきなりあやくんがわたしをだきしめ......!?」
「かえちゃん、ごめんね。あとありがとう」
「はぅぅ」
耳元で謝罪とお礼を囁くと、かえちゃんは僕の腕の中で気絶したようだった。
あれ、ここは抱きしめ返すところじゃないの......って、僕は今まで何を!
「というかどうして僕は桜井さんを抱きしめてるの!?」
衝動のままに動くのって、本当に怖いと思った。
今度は僕が桜井さんを膝枕することになったけど、これはこれで悪くなかった。
お読みいただきありがとうございます。
こぼれ話
昔の彩芽ですがこの少し前、親に連れられて結婚式に参加しています。