豊かな魔女
見習いの塔はゴシック様式で飾られていた。
まずは観光がてら城内を見て回りたかったが、休む間も無く報告が必要なのだとマリーベルは言う。
急き立てられ見習いの塔をグルリと囲んだ廻廊を進む。
南向きの廻廊は、日差しと影のコントラストが強く一見何の変哲も無い暗い壁面だが、よく見ると中世ヨーロッパの教会を思わせる天使や聖母のフラスコ画が描かれていた。
白い大理石を敷き詰めた階段を登った突き当たりの厳かな一室に赴くと、すでに室内には目的の女性が陣取っていた。
マリーベルが〝豊かな魔女〝と呼ぶサラアナという名の女性は、まるで聖女の様な真白いドレスに身を包み、にこやかな笑顔で俺たちを迎えてくれた。
サラアナは軽い会釈の後、「あらまあ、まるで仲の良い恋人同士のようね」と言う。
何を見て、そう思ったのだろう。
「心外です。師匠様」
マリーベルは鼻を鳴らすも右手を胸下に当てて傅くように目を伏せて話した。
部屋の窓にはレースのカーテンが引かれ、柔らかな日の光が差し込んでいた。サラアナはその光を正面から受けていっそうに聖女らしく見えた。
「それにしても、あの館の主がサイクロプスだったとは。大声で叫び野蛮な力で追いかけてくるなんて、大変な目に遭いましたね」
サラアナはまるで自分もその場にいたかのように話す。
「どこからか見ていたんですか?」
口を開いてから、その質問は失敗だと気付いた。サラアナもマリーベルも一瞬だけ顔が雲った気がした。俺は巨人の館の寝室にあった化粧台の鏡を思い出した。
そしてこの部屋にも、やはり化粧台かあるのだ。
マリーベルがはぐらかした。
「巨人に囚われてしまい、自分はどうなっちゃうのかと途方にくれたけど、たまたま召喚者が古代魔術を使えるなんて、本当にラッキーでした」
「まあまあ、古代魔術?あの魔術を使ったのね」
サラアナは鼠のフォルムを指で描いた。
「ラクジロウは鼠が大の苦手だったそうだけど、拘束の魔術を解く効果は凄かったわね?」
マリーベルは楽しそうに覗き込んだので、俺は肩をすくめた。
「あなた、あの文字が読めるのね?」
サラアナはとても嬉しそうに俺の手を取った。
「古代魔術の研究はなかなか進まないの。とても有益な魔法なのに、古代文字をちゃんと発音出来る人が居ないからなの」
「どうも読めるみたいですけど、マリーベルが持っていた魔道書の、彼女か開いたページの鼠の呪文だけなので、偶然かも知れませんよ。あの文字しか読めないかもしれない。他の文字は見ていないので」
〝豊かな魔女〝の表情は変わらなかった。だからと言って、足輪の文字か読めたのと巨人が踊った古代魔術を使えたことは、彼女が知る由もないのかどうか?確信は持てないのだろう。もう2度とサラアナの顔が曇ったりはしなかったからだ。
「元の世界とは勝手も違うのだから、しばらくはこの城内で様子を見て下さいな。すぐには帰れないでしょうから」
サラアナはマリーベルに目配せして言った。
「マリーベル、ラクジロウさんのお世話を頼みます。古代魔術の魔道書なら借用を認めます」
「分かりました。しばらくは客間を使います。ラクジロウ。あなたが良ければだけど。召し使いだから私がガイドとなるわ。いいよね?」
「ああ、こちらからもお願いするよ」
サラアナは俺の手を取り、真っ直ぐと目を合わせてきた。
「私は〝豊かな魔女〝と呼ばれています。その意味は人々の生活を豊かにすることを生涯の生業と考えているからです。そして古代魔術をちょっぴり使えるからです」
やはり、サラアナは古代文字が何語なのか気付いているんだ。そして、俺を強制召喚したのはこの女性なのだろう。
「あなたの力を私に貸してくださいね」
俺は頷いて聖女に向き直った。「では、〝豊かな魔女〝さま。お世話になります。古代魔術には興味が有るので、魔道書の借用もとても有難いです」
サラアナは微笑んで「そうして下さい」と言ってマリーベルを見た。
マリーベルは頷いた。安堵の表情をしている。
「客間に案内するわ」
マリーベルはそう言うと、俺の肘を抱えて退室を促した。