裏切られた英雄は異形に出会う
真っ暗な夜の中に真っ黒な小さな何かがまるで人のように歩きます。小さな手足に体に反して大きめの頭。真っ黒な体に浮かぶ二つの眼は月のように美しい。
トボトボと歩くそれはいつも何かに脅え夜の森の中を歩きます。何かを食べずとも生きれるその人の形を真似た人ならざるヒトは、近くに何かが通るとその美しい目を閉じて闇の中に体を溶かします。
「…、で」
『…?』
そんなヒトがまた森の中を灯りを持たずに歩いていると小さな人の声が聞こえてきます。小さなヒトはその小さな声の人へと怯えながらも近づきます。
───森の開けた広場。そこで息絶えそうになっている人がいました。美しい金髪に、金の瞳。黄金のような美しさを持つその人は、美しい色に似合わずこの世への恨みをひたすらに口にしていました。
その体は森の台地へと剣を深く刺され止められていて逃げ出すことさえ叶わないのだと小さな影のヒトは気付きました。
人には近寄らない。他の何者にも近づいてはならない、私達の仕事にそういった必要は無いのだから。と、昔小さな影のヒトを生み出した存在はいつも言っていました。
小さな影もその事は覚えていましたが。真っ暗な森の中で唯一月明かりを浴びれる広場で黄金の彼がこのまま恨みを口にし息絶えさせてしまうのは、なんだか決まり事を破るよりも駄目なような気がしたのです。
恐る恐る小さな影は大きな森の影から体を乗り出して月明かりの下にその姿を表します。
生気の薄れた死にかけた黄金の彼は小さな影を見ると、恨めしそうに呻きました。
「小鬼か、自由の身であったなら一瞬ともかからずに殺せるというものを…」
小鬼と呼ばれても恐ろしい事を言われても小さな影は言葉に脅える様子もなく男に歩み寄ります。
「まさかこんな小鬼に命を取られる日が来ようとは…何度恨み言を垂れても呪っても足りん」
『〜〜〜』
小さな影が男に辿り着きます。男はもう抵抗する気力もない様だが、最後の抵抗として小さな影の頭にその手を置きました。冷たく、軽く手を握れば潰れてしまいそうな柔い頭に男は少し驚きつつもそうすることはしませんでした。
「気味の悪いやつだ」
『…〜。』
「喰らえば良い、運はお前に味方したのだから」
『〜〜、〜』
小さな影は怯えながらも頭に置かれた手を自分の小さな手で触れます。初めて触れた人はとても熱く固く、そして───。
ふにゃりと目を細め小さな影は彼の額に口付けをこぼします。口なんてない小さな影にとってそれは口付けとは言えないのかもしれないが動作の名前を付けるなら、やはりそれは口付けをしたという以外に浮かびはしない。
「なん、だ」
途端。
森から影が伸びてきて黄金の男を包み込んでゆき。ふわふわと黄金の男の体は心地よい闇の中に放り出され、地面に縫い付けていた忌々しい剣は彼の前で脆く朽ちて行きました。
「なにが、どうなって」
彼の腹に空いていた穴も闇が優しく手を差し伸べる様な仕草で触れて行くと、そこから治っていってしまいます。
小さな影はその様子を闇の中に溶けながら眺めていました。闇は優しく黄金の男を癒すと男を残し月の光を元に戻し森の中へと帰っていきます。
恨みや呪いを口にしていた彼は突然施された助けに唖然とするしかありませんでした。そして少し戸惑いながらも彼は自覚するのです。
小鬼と呼んだ存在がまるで神のように助けてくれたのだと。
「どこにいる…、いるんだろ!?」
元気になった黄金の目を辺りに向けて月明かりを受けながら男が吠えると、闇の中にランタンの光が見える。彼にとってその光は敵を意味するもので、身構えたが、すぐにその警戒も解けていく。
小さな影がランタンを手にして歩いている。小さな影を隠す大きな影の中でもいつも震えていたというのにランタンを手にし黄金の男にそのランタンをさしだした。
「わざわざこれを取りに行ってくれたのか?」
『ーーー』
「小鬼と呼んで悪かった、助けてくれてありがとう…すまん、なんと礼を言ったらいいのか分からないんだ」
同族にすら助けて貰えなかったのにまさか人ならざるものに助けてもらう事になるなんて思いもしなかった彼は、困ったように笑うことしか出来なかった。
「ありがとう、本当に…」
『ーーーー』
「すまない、俺は貴方の言葉は理解できないんだ」
小さな影は戸惑う様子の男に首を傾げるとランタンを置いて森の中へと帰ろうとする。彼は慌ててその体を抱き上げた。真っ暗な森の中、真っ黒な恩人を見つけるのはきっと世界に名を轟かせた彼でも無理だといえた。
何せこの小さな影には気配が少しもないのだ。
「礼がしたい、どうすればいい?」
『~、…~~。』
小さな影は少しも反応をせず、ただ目を柔らかく細める。小さな影を生み出した存在は優しく厳しく人には関わらないことを小さな影に告げていました。その事を小さな影は忘れてはいません。
それでも助けると決めたのは小さな影で、なにか見返りが欲しいと思ってした訳ではなかったのです。
男に抱き上げられた小さな影が黒い霧のように溶け、地面にその姿を再び形どります。
『 〜 』
「…どうやって…いや、それよりもっどうすれば」
どうすれば救ってくれた恩に報えるのかと黄金の男は膝をつき小さな影の瞳を覗き込みます。
まるで真っ暗な水に映る月のように揺らぐ瞳に、男も同じように瞳を揺らがせました。
男の口にゆっくりと小さな影の手が触れた感覚は少しもありませんでしたが男は擽ったそうに身動ぎ、やがて意味が分かったのか口を開いた。
「俺は…シルズという」
言葉にしてみれば小さな影はそれを嬉しげに目を細め受け取りシルズにとってその反応に少し泣いてしまいそうになってしまう。
「本当に感謝しているんだ、だからどうか俺にできることはないだろうか」
『ーーー』
「言葉は…すまん、分かることは出来ないが…あのな、これでも剣で負けたことはなく…いや、串刺しになっている所助けられてなんだがなっ本当に負けたことなど一度もないの…」
言い訳を口にしようとしたシルズは丸い瞳を向けてくる小さな影に気づき口を濁す。
「だ、と言ってもな説得力がないよな、まぁ剣以外にできることは…ない、んだが」
恩に報いることすら出来ないのかと自分を責め始めるシルズに小さな影は首を横に振りました。
「やはり、役立たずか…?」
小さな影は首を再度横に振ります。
「違う…?なら、なぜ」
小さな影はシルズの口に優しく手を当てた後自分の胸とシルズの胸を叩き目を細めます。
「…名が、礼になるはずないだろう っ」
小さな影にとってそれは礼になりうるのでしょう。小さな頭はまた左右に振られ、目が笑うように細められます。
もうシルズは何も言えません。小さな影が何も望んでないと分かってしまうから。礼をさせて欲しいというシルズの願いを押し付けては意味が無いからと。
「…ありがとう」
だから礼を告げるのです。素直に。
小さな影は目を細める。満足した様子で再び闇に溶け消える。思わずシルズは手を伸ばし掴もうとしたがもう既に小さな存在はどこにも居なくなっていた。
しばらく静かな闇を見つめた後シルズは立ち上がる。そして何度も振り返りながらも森から出ていくのだ。
『泣かないで、一人じゃないから、僕らはそばに居るから』
たどたどしい幼い子供のような声で紡がれた言葉に弾かれたようにシルズは走り出す。
「っなんで」
シルズは剣聖として名を馳せた。それは剣の才能があっただけではなく人の盾としても剣を振る清い心を持つ騎士だったからだ。
見返りは求めなかった。ただ恐怖に震える者が一人でも減ればいいと剣を振った。剣しかシルズには無かった。
「…なんで」
駆け出した足が自然と重くなる。泣きたくなるような気持ちを見透かされたからか。共にいようとした事を拒否られたからか。
───シルズを串刺しにしたのは守るべき仲間だった。
話があると告げられ、嵌められた。
魔法により作り出された剣に刺され、血を流し、唖然と狼狽えるシルズに対し、志しを同じにしていたと思っていた仲間は嘲り見下した。
簡単な話だ。シルズと彼らは違った。それだけの話で。
シルズは裏切られ、殺されるところだった。長く愛用してた剣まで取られ無惨に絶望しながら息絶える寸前だった。
人に裏切られた。
殺されかけた。
孤独と絶望がただ残った。
それを小さな影が救ったのだ。それを小さな影が変えたのだ。
そしてシルズは初めて縋ってしまった。傷付いたからと言い訳し、自分より小さな罵った相手である影に。
「……ありゃ、剣聖様じゃないか!?」
小さな影に持たされたランタンの灯りを見つけたのか村人達が駆け寄ってくる。ぐっと涙を浮かべていた目元を拭い顔を向けると、心配そうな表情がまず目に入った。
「剣聖様、無事でよかった!」
「ほらやっぱり剣聖様が死ぬはずねぇべ!」
「やっぱりアイツらは盗人だ!」
訳が分からず目を白黒させるシルズに村人達は柔らかく出迎えた。
「剣聖様の剣を持ってお連れ様が帰ってきて、剣聖様は死んだと抜かすからの、ちと縛り付けて蔵に閉じ込めて置いたんだ」
「……なぜ森へ?」
「剣聖様を探しにだよ、死んだとは信じられなかったからな!」
信じた者には裏切られたが、シルズの行いは決して間違いではなかった。ぼろぼろの彼を労うように村人達は肩を叩き温かく微笑む。
「それにしてもその灯り、影子に出会ったんかい?」
「影子?」
「そうさね、闇の精霊の使いさ、夜を運び眠りを誘い、安息を与えてくれる」
「精霊の……そうだ、とおもう。恐らく影子が私を助けてくれた、傷も治してくれて」
その言葉に村人達が顔を見合せ頷き合う。
「影子の役目はさっき言った通りなんだがな?影子達には決まりがある」
「決まり?」
「人前に出ないこと。命に干渉しないこと。命を殺めないこと。これらを破ると親である精霊に消されちまう」
その言葉に唖然とシルズは驚き、森の闇を見つめる。
どこを見ても精霊がいるとは思えない。
けれど。
「剣は、持っているか?」
「剣聖様の剣は、一応持ってきてはいるが…どうするおつもりで?」
「……救われたのだ、影子に」
報われたいとは思ったことは無い。助けて笑顔を浮かべて貰えるだけでシルズの心は満たされた。影子もそうであったのだろう。たとえ自分が消えたとしても確かに満足いく終わりなのだろう。
だが。
シルズはそれを聞いてどうしても仕方ないと片付ける考えは浮かばなかった。
「影子に会いたいならその灯りは持っていった方がいい」
村人の一人がそう告げる。シルズは、それに礼を言うと剣を受け取りすぐに駆けだした。
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小さな影はポツンと座っていた。闇の中で座っているから同族しか分かりはしない。
『約束を破ったね?』
『ーー』
『愚かな子だ、君の仕事は何度も何度も教えたというのに』
小さな影はただ目を細めそこに座っている。それを見て大きな影は深くため息をついた。
『君達は本当にどうしてそう』
『ーー?』
『悪いことではない、けれど約束は守らねばならないだろう?』
小さな影はゆっくりと頷く。
大きな影が小さな影の頭に手をやりその存在を再び無に戻す所で──。
見慣れたランタンを持った眩しい金の髪のシルズがそこに立っていた。
『おや、人間がここまで来たのかい』
『ーー!』
『ほう、君が助けた子がこの人間か、道理でランタンを持ってるわけだ…君があげたんだね?』
こくんと小さな影が頷くと再び大きな影は深くため息をこぼした。
『それで、君は何しにここへ来た?』
シルズに大きな影が月のような瞳を向ける。緊張から肩を強ばらせる彼を月の瞳が見透かすように細められる。
「その影子を…消さないでくれ」
『おかしな事を言うね? 元々この子は私の子だ。私でもある存在だよ、それに君が口を出すのかい?』
「小鬼と罵った私をその子は助けてくれた!」
『小鬼か、随分と可愛くないものに例えたものだけど、それはこの子の責任であり別に君を責めようとは思ってはいないよ』
柔らかな大きな影の言葉にシルズは少し視線を下げる。そしてその場に片足膝を着くと頭を垂れた。
騎士として最大の礼だった。
『……なんのつもりだい?』
「影子を消さないでくれ!」
『だからねぇ、君は本当に話を…』
「影子が私を助けたのが原因ならば今この場で本来の通り命を絶ったっていい!」
その言葉に小さな影がぴくりと肩を跳ねさせ丸い瞳をさらに丸くする。
『……なに、を戯けたことを』
「私を助けたからという理由でこの子が死ぬのならその覚悟は出来ている!元より死ぬ予定だったんだ!」
その発言に大きな影が形を変える。それは美しい女性だった。真っ黒な地面に着き波打つ髪に月の瞳が憎々しげに細められ眉がつり上がっている。
「私の子は自分の存在よりも君を助けることを選んだんだ、私の子は優しいだろう? そしてかっこいいだろう?」
「っ」
「私は自分の子供達を大切に思っているからこそ規則を作り、再三言い聞かせた! ただの意地悪だと思っているようだが、この子はもう消えなくてはらないんだよ!」
君が死ぬ覚悟があったならこの子にそんな姿を見せるべきではなかったと黒の女性は吐き捨てる。
女性の真っ黒なドレスを小さな影は申し訳なさそうにつまみ女性は小さな影を抱き上げた。
「どういう、ことなんだ?」
「命ない身なこの子達が他の命に干渉するとね、体に穢れが残る。私の力を勝手に使ったんだ、そうにもなるけど、みんな献身的な性格だから自分が汚れ魔物に落ちるまでそれをずっと繰り返してしまうんだよ」
「……」
「そうなればこの子はもう私の中には戻れない、私が一度存在を無かったことにして穢れを取り除いた後にうみ出せば再びこの子は魂を取り戻す過程に戻れる」
「どういう…こと、だ」
シルズの声が震える。取り返しのつかないことをしているのではと心のそこが冷えていた。
「この子達は、お前達人間が影子と呼ぶ子は、お前達が口減らしと称してこの森にはるか昔に捨てた子達の魂を元にしている! 憎み、妬み、荒み、憧れ壊れた魂は形を取り戻さねば次の生を得られない!」
小さな影がビクリと肩を跳ねさせシルズは唖然と目を見開く。細かく降り出した雨がまるで泣けない彼女の涙のように頬を伝う。
「この子は私の子だ。私が魂の欠片を食らって私から生み出した子だ」
「…」
「少しの記憶が消えるだけで、この子の本質は変わらない、だから人間。お前が恩があるというのなら、この子を救いたいと思うならこの森に人を入れるな!」
「それ以外にお前に出来ることなどない」
シルズに手を伸ばす小さな影の手をとり彼女はそう言いきった。シルズは剣しかない。剣しか振ってこなかった。
「……分かりました」
だが、剣しか取れない訳じゃない。
「私はこの森に人を立ち入らせないようにしよう、この森を守ろう。影子が安心して生まれる準備をするために」
その日剣聖という存在は死んだとされた。美しい黄金の髪の彼は死んだと。
だが同時に辺境の村外れにある森の入口に一人の男が家を建て、住み着いたという話も聞こえてきた。
彼は森に一切の人間を入れなかったという。
それから何十年も流れた今でも彼はその森を守り続けている。まるで何かを待つかのように。
彼は森に入ろうとするもの達に飯を振る舞いそして決まって話をする。
「闇は、影は、けして冷たいだけじゃない、彼らは優しく温かいんだ」
彼の元には沢山の人が訪れた。この森を離れ別の仕事をさせようとしていた。だが死ぬまで彼はこの土地を離れることはなく、人の足が絶えたあとも変わらず森を守り続けた。
そして、森を守るようになって四十年が経った頃、彼は息を引き取った。
『馬鹿な人間もいたもんだよ』
骸となった男のそばに大きな影が経つ。その傍には寂しそうにしている小さな影。
『もう君も充分だろう?』
小さな影はとたとたとその骸に駆け寄りいつかしたように額に口付けをこぼす。
小さく美しい金の光が骸から出て、小さな影の手にだかれ嬉しそうに煌めく。
大きな影は呆れたように『好きにしな』と吐き捨てて。
小さな影と小さな光はゆっくりと薄れていく。
『なんだか、寂しくなるなぁ』
大きな影に見送られるその二つの存在はゆっくりと薄くなり掻き消える。
『もう、来ちゃいけないよ』
大きな影は再び森の中に帰っていく。
それを見届けるものは誰もいない。