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家族が異世界エンジョイ勢でつらい

作者: 久賀寿和子

(※大体現代パートでファンタジー要素は添え物程度です)

 仕事を、辞めた。自分の使えなさや不甲斐なさに打ちのめされ、毎日のように上司から怒鳴られ、同期と比べられ馬鹿にされ。もう限界だった。人の目が怖い、話し声が嫌でしょうがない、電話の着信音を聞くだけで気が狂いそうだった。いっそ死んでしまえば楽になるかしらん、とすら思ったし、気がついたら線路の脇に立っていた時もあった。

 しかし、天啓の如く私の頭に一つの考えが浮かんだ。

 ――そうだ、異世界へ行こう。

 今となっては何を言っているんだお前は、と我ながら言いたくなるが致し方ない。当時はまともな精神状態ではなかったのである。

 ともあれ、私は早々に退職願を上司に叩きつけてやった。その時の私の顔は、さぞ薄気味悪い笑み浮かべていただろう。幸運にもつつがなく受理され、引継ぎやら何やらの期間を経て職場を去った。正直言って退職願を出してから辞めるまでの一月程の記憶がない。

 幸い仕事を辞めた事について、家族は何も言わなかった。毎日毎日泣きながら帰ってくる娘に対し、思う所があったのだろう。叱る言葉も慰めの言葉も言わず、ただ黙って傍に居てくれた。それが何より私には有難かった。

 心に余裕が出てきた私は、異世界へ行った時に何が必要かを考えた。それは体力だ。どんな環境であろうと、最後の最後に物を言うのは己の体力である、というのは古今東西言われ続けている事だ。次いで必要な物は“武器”だ。勿論そのままの意味ではない。知識であったり戦闘能力であったり、私が異世界で生きる為の術だ。結局の所、この世界だって異世界だって同じである。持たない者は淘汰される。だが一つ大きな違いがある。モチベーションだ。断固として異世界へと行き、ドラゴンに乗ったり魔法を使ったり、山奥に住まう汚れを知らない妖精たちと交流したりするのだ。――この時の私は本当に頭がおかしかったとしか言えない。

 次に、どうやって行くか、である。これが大きな壁であった。そんなほいほい行けるようであれば誰も苦労はしない。物語であれば気がついたら迷い込んでいただとか、謎のアイテムを拾った途端にだとか、はたまた召喚されようとしている他人に巻き込まれる、というパターンだってある。最悪、不慮の事故などで命を落とし転生する、というのもある。が、なるべくなら、俗に言う異世界転移の方が良い。転生してしまったらいつ記憶を取り戻すか分からない上に、どんな人物あるいは生物に生まれるか選べやしない。運が良ければリターンは大きいものの、リスクも大きい。となれば、無駄かも知れないが善行で徳を積もう。そして毎日異世界へ行けるよう強く願おう。どうやってもこれくらいしか私に出来る事が思いつかない。

 まずは体力作りに専念しよう。

 こうして私は、人目を避ける為に夜の散歩を始めた。夜の住宅街は静かで良い。しかし不審者に出くわしたり、逆に不審者に間違えられたりすると大変だと両親に止められた。しかたがないので室内で筋トレを始めた。人は裏切るが筋肉は裏切らないのだ。多分。

 徳の積み方については具体的な案が思いつかないので、近所のゴミ拾いをしてみた。ご近所さんの目が少ないであろう昼にゴミ袋を持ってうろついてみたが、誰がどう見ても危険人物極まりなかったので直ぐにやめた。

 だが日中に外へ出た事によって、何となく外での行動に抵抗が少なくなった。庭の草むしりや家庭菜園の手伝いをするようになった。植物の知識もついて一石二鳥だ。たまに公園へウォーキングにも出かけた。

 この頃になると、多少ではあるが人の目も気にならなくなってきていた。私に必要だったのは心の休養だったのだろうな、と思う。あんなにも人が怖かったのに。深夜シフトとは言えコンビニのバイトに入った。休みの日はネットや本で必要になるであろう知識を付けたり、ジョギングや筋トレをしたり、異世界へ行った時の準備を続けた。

 ――本当は、そろそろ異世界への準備なんてやめようと思っていた。両親や、結婚して家を出た姉、都会で就職してあまり帰ってこなくなった兄ですら、私の将来についてそれとなく話を振るようになってきた。そうか、仕事を辞めてもう二年以上経つもんな。今は良くても、これからを思えばいい加減考えなくてはいけない。

 そんな、矢先だった。

 昨日はバイトだったから寝ていたかったのに、騒がしさに目が覚めてしまった。一体何だろうとカーテンを開けると。

 城が見えた。

 RPGに出てくるような、白い壁の立派な城。勿論こんな絵に描いたような西洋の城なんて、家の近所には存在していない。というか、日本の平均的な住宅街にノイシュバンシュタイン城があってたまるか。

 ようやく、現実と向き合おうと思っていたのに。どうしてこんなタイミングで。

「起きてる?」

 床に座り込んでいると、ドアの向こうから母がいつもの調子で声を掛けてきた。何でこんなにも訳の分からない状況で、いつもと変わらずにいられるのだろう。そう思いつつ、部屋を出る。母がどこまで把握しているのかは分からないが、情報を整理しなければ――。


 混乱しすぎて頭が痛い。理解出来ない。脳が拒否している。

 両親が言うにはここは異世界であり、我が家はとある国の城の敷地内に転移してしまったらしい。稀にこちらの世界へやってくる者がいる為、そういった迷い人たちに対する保障制度は出来ているとの事。やってくる事は出来ても帰る事は出来ない為、らしい。この国、というかこの世界は平和あり、政治・経済は安定しているので心配ない。家丸ごとやってきたのは前例がないが、今後の生活について手厚いケアを約束してくれた。以上、私が眠っている間に、この国の大臣だか何だかの役職の人と会話した大まかな内容だそうだ。

 何だそのぬるゲーは。優しい世界にも程があるんじゃないか。

「だからね、お母さんはここで料理教室を開こうと思って」

 憧れていたのよね、だなんて母は笑って、じゃあ俺は営業部長をするか、などと言いつつ父がお茶を飲んで。今後の展望を楽しげに話す両親を置いて、私は自室へ戻った。ベッドにダイブして、うつぶせの格好のままに手足を思い切りばたつかせる。

 ひとしきり暴れると、どっと疲れが出てきた。もう動きたくないし、考えたくない。ただ一つ、思う事は。

 ――異世界なんて、来たくなかった。


次回「~mama's kitchenとトマト革命前夜~」(※続きません)

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― 新着の感想 ―
[一言] 気持わかるわ~~。 何度柴犬も同じこと思ったか。
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