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続・先生の場合。



 ――崩れ落ちた天井から、零れ落ちんばかりの満天の星空が見える。


 昼間に採取した石版の欠片を膝の上に広げて眺めながら、一片ずつ摘まんでは焚き火の光にあてて呪文の一部を読み解いていく。今回の調査に入った廃城で採取できたものの大半は、戦場の状況を変えるような強力な攻撃系魔術がほとんどだ。


 崩れ落ちた場内は未だに古代魔術を施されたゴーレム達が、国が滅びた今もガーディアンとして彷徨っている。そのせいで同業者に荒らされず、ほぼ手つかずなまま貴重な資料が転がっているのはとても喜ばしい。


 私はそんな職業倫理の傀儡(くぐつ)である彼等に向かって魔術を放ち、知的好奇心のために石版と同じ古代魔術文字を綴られた欠片へと変えるのだ。宙を腕で掻き毟るように崩れ落ちる様はまるで人を葬る時にも似て、一種奇妙な錯覚に陥る。


 魔術によって栄え、魔術に傲って滅んだ国に相応しい。歴史的観点からの資料としても、古代魔術の魔導的資料としても実に興味深い場所だ。本来なら年単位での調査をするためにも、まずは半年ほど滞在したいところなのだが……すでに街を経ってから二ヶ月が経過している。


 前回ドロテア嬢と交わした約束を守るには、遅くとも四日後にはここを発たねばならないだろう。実に名残惜しくはあるが、同時にたまにはこうした約束に縛られるのも悪くはないと思う自分がいる。


 そんな時ちょうど焚き火の明かりに翳していた石版の欠片の中に、攻撃系の魔術に紛れて数片だけ芸術関係の呪文が混じっていた。どうやら宮廷魔導師達がこの城に施した美術系の魔術らしい。


 欠片の数が少なすぎてこれだけでは大した情報は読みとれないが、それでも壁に施した絵画の一部くらいならば模倣出来そうだ。焚き火に翳した石版の欠片を膝の上に並べ、足りない部分を自分なりに解釈しながら繋ぎ合わせてみる。


 一通りの仮説が立ったところで試しに呪文を唱えてみると、純白の羽根の鳩が飛び出してきて、私の周囲をぐるりと飛び回って消えた。白い鳩は平和と繁栄の象徴。そこから察するに城で行われた舞踏会か何か、祝いの席を盛り上げるような前座だったのかもしれない。


 美しい幻影の余韻が辺りに光の粒子を残して漂うのを眺めながら、不意に。ここにはいない彼女に、この幻影魔術のもう少し規模が大きなものを見せてみたくなった。それにもしも彼女さえよければだが、この幻影魔術を彼女がどう解釈して表現するのかを見てみたい。


 どうしても芸術的な方面での感受性が疎い私では、この欠片に綴られた呪文を活かしきれない気がするのだ。こんなにも手の込んだ呪文で、視覚的に美しい以外は特に何の役にも立たない魔術は、残念なことに近年ではほぼ失われてしまった。


 元より戦争に役立つ魔術が持て囃される中で、芸術的な魔術はその存在を追いやられて歴史の中に消えていったのだろうと思うと、俄然私の学者魂にも熱が入るというものだ。

 

 約束の日まで残された時間が少ないことがやや不安ではあるものの、この魔術を持ち帰れば彼女がどんな反応をするか知りたい。……もっと単純に言えば、きっと私はドロテア嬢が喜ぶ顔を見たいのだ。


 今の幻影魔術に顕れた鳩に紛れて舞い散る多種多様な花弁が見えた。だとすれば足りない破片のどこかに、当時この辺りに咲いていた花の種類を割り出すのに有力な手がかりもあるだろう。そう考えて翌日からは幻影魔術の石版の欠片を優先的に集めてみたのだが――……。


 集めてみればみるほど私はこの幻影魔術を残した人物の過去を、まさにすぐ傍に感じているような錯覚を憶えた。それほど彼の魔術師の残した石版の欠片は細部まで動植物を造り込み、触れられるのではないかと思う生命力を感じさせる。


 ――――すぐに私は夢中になった。


 一つ失われていた欠片が手許に戻るたび、自分の構築した術の解釈の甘さに舌打ちし、新たな仮説を組み立て直す。上手く構築されるとそれまで朧気だった部分が段々と鮮明になっていく。


 そうするうちに一日目、二日目、三日目と日が経ち、いよいよ明日には出立しなければならないところまで迫っていた。


 案内をするように最初に見た白い鳩や、幸せを呼ぶと言われているルリツグミ、花弁かと見紛う美しい蝶が周囲を舞い、みな明確にこの廃城のどこかを目指している。一瞬罠かと勘ぐったものの嫌な魔力の気配を感じるわけでもないので、ギリギリ引き返す時間を計算しつつその誘いに乗って城の奥へと進んで行く。


 だが前日の探索で目的地付近まで来ていたようで、ここまで案内してくれた幻術達が役目を終えたとばかりに霧散した場所は……かつては見事な庭園だったのだと思う。当然今ではもう当時の賑わいを感じさせるものは何もない。


 けれど崩れ落ちた石造りの四阿に、まるで一カ所に集められたように大きな石版の欠片がいくつも転がっていた。不審に思いながらもこれだけ纏まっていれば、一気に大がかりな幻影魔術が展開できる。


 逸る気持ちを抑えてその場に座り込み、膝の上で石版を組み立てて詠唱を始めると精緻な幻影魔術が何もない周囲を覆い隠し、空気の香りまで当時の花で溢れる庭園を再現したのではないかと思わせるほどだった。


 視界を一杯に覆うのは淡い青色をした花と、楚々とした白い鈴状の小花。確か青い方が勿忘草で、白い方が鈴蘭だったと記憶している。そしてそんな両者の花言葉は【私を忘れないで】と【乙女の涙】。


 ここはこの幻影魔術を残した人物が遺した哀しいまでに美しい、枯れることのない秘密の花園だったのだろうと。そう理解した私は、ここまで集めてきた石版の欠片を全てこの場所に埋めることにした。


 ――……ここで花盗人を働くのは、流石に無粋すぎるだろう。


 結局ほとんどの時間をその石版の欠片集めに使ってしまった私は、僅かな攻撃系魔術の石版の欠片と、幻影魔術の構築方法だけを持っての帰還をする羽目に。しかし持ち出しの方が多い採取ではあったものの、あまり悪い気はしない。


 何故なら私はまだ生きていて、彼女のためにこの手で花を贈ることが出来ると気付かせてくれたのだから。今はただ少しでも早く、生き生きと微笑む彼女の姿が見たかった。



***



 道中余計な寄り道をせずに大急ぎで戻ったお陰で、ほぼ予定通りに彼女のいる街に帰ってくることが出来たまでは良かったのだが、予想外だったのはすぐにでも花を購入したかったのに、ほとんどの花屋が営業を終えてしまっていたことか。


 幻術の花と違い生花は日が陰れば花色を正確に判別出来ず、売り上げが落ちるだけでなく、暗くなると萎んでしまう。だが無理に長く人工光を当て続けるとストレスで弱り、寿命が短くなるのだと。


 以上のことを《本日閉店》の札がかかっていた花屋のドアを叩き、無理を言う私を中に入れてくれた店主が教えてくれた。店内に揃えられた季節の花々はどれも美しく、何を選べば良いのか迷っていた私に親切な店主は用途を訊ねてくれ、花言葉とそれに合った本数まで指示をしてくれる。

 

 しかし結局のところ「相手がその花言葉の意味と本数に隠された意味を知ってなきゃ、自分の口で伝えるしかないよ!」と背中を叩かれ、苦笑しながら頷いて礼を述べた。


 彼女の店に向かう道を歩きながら、こんなに緊張するのは若い頃に初めて学会発表に出向いて以来だ。当時はまだ若かったからこの緊張感も悪くはないと強がっていたが、今になるとただただ心臓に悪い。


 私よりも十二歳も若い彼女は、こんな男からこんなものをもらって気分を害さないだろうか? もしも受け取ってくれないどころか、軽蔑の眼差しを向けられたらどうすればいい?


 何度も半地下に続く玉石造りの階段の前を右へ左へと彷徨く不審者のような真似をしてから、湿った香りをさせる階段を一段一段ゆっくりと降りていく。そして降りきった先にある、魔法灯の青白い明かりに照らし出された黒光りする木製の扉にある【魔法使いの酒瓶】の文字を見て、深呼吸を一つ。


 意を決して扉を押し開けると、中には見慣れたカウンター席が七席と、ボックス席が一席だけの小さな店内が広がる。


 時間帯的に四名の先客がいたものの、ボックス席に通されていることからどうやら若手の男女混合パーティーのようだ。景気よくボトルを開けていることから、何かのお祝いをしているのかもしれない。


 魔法をかけられたドアベルが【シャン】と一度鳴れば、一名の来客。その音を聞きつけたカウンターの中の彼女が、こちらを振り返っていつものように艶やかに微笑んでくれる。


 彼等の方もドアベルの音が聞こえたのか、ボックス席からこちらを窺って軽く会釈をしてくれた。


 しかし内訳が女性と男性が半々のバランスが取れたそのパーティーの中で、花に詳しい様子の女性が一人、私がカウンター内の彼女に見えないように背後に隠し持っていた花を見て、グッと親指を立てる。気恥ずかしさから苦笑していると、その女性は何やら他のメンバーに声をかけて、会計の準備を整え始めた。


 こちらが気を使うなと止める間もなく、あっという間にボトルを一本開けた彼等が、カウンター内の彼女に声をかけて会計を済ませてしまう。


 カウンター内から出てきた彼女はそんな彼等に一気呑みをしないように窘め、生返事をしつつ会計を終えた彼等は、見送りのために先にドアを開けた彼女に見えないよう、全員がこちらに向かい親指を立てて店を出て行った。


 見送りから戻ってきた彼女に“せっかく盛り上がっていたのに、気を遣わせてしまったようだ”と言うと、彼女は「ふふ、大丈夫よ先生。あのお客さん達はうちの常連さんだけれど、もう三時間は呑んでいたもの」と笑う。


 つい今まで彼等を追い出したことに良心が痛んでいたのに、現金なもので、その柔らかな声音と雰囲気だけでここまでの疲れが軽減された気になる。


「それに……先生がわたしとの約束を守って、こんなに短期間で調査から戻ってきてくれたことが嬉しいわ」


 そうドロテア嬢が微笑んだ瞬間、薄明るい店内がパッと華やいだ。まるであの幻影魔術のようだと。場違いにもそんな感動にも似た感想が胸中を過ぎった。


「ほら先生、今回は強行軍でお疲れでしょう? 早く席について一杯呑んで。それから収穫を教えて頂戴」


 常であれば持ち帰っている魔術の石版を楽しみにしている彼女の言葉に、一瞬だけ心苦しくなったものの“ああ、そうだな”と答え、勧められるままにカウンター席へと移動した。


 先にカウンター内に戻っていた彼女がカクテルの準備をしてくれる間、この三ヶ月にあった面白い話を聞かせてくれるも私は半分上の空で。言葉少なに“そうか”や“それは良いな”といった、当たり障りのない返答を重ねた。


 カウンターテーブルの下、膝の上に隠すように置いた花は、彼女と交わす会話の間に少しだけ萎れたように見える。当然だ。緊張から常より高い体温の手の中に握られていては弱りもする。


 そろそろ本当に差し出さないと渡す前に枯れてしまう。しかしそうは思えどなかなか実行に移すことが出来ずに曖昧な返事をしていた私に、彼女が少しだけ翳りのある微笑みを向けたかと思うと――……。


「ごめんなさい先生。やっぱりわたしが無理を言っていつもと違う日程で採取に行ったから無理が出たんだわ。今夜はもう宿に泊まって、ここを出立する前日にでもまた来て?」


 そんな風にこちらを気遣って微笑む彼女を見た直後、迷いは消える。私は儚げな幻影ではないこの花で、彼女に伝えたいことがあるのだ。


“自分でも柄ではないと分かっているんだが……どうしてもこれを君に贈りたかった。もしも迷惑でなければ受け取ってもらえるだろうか?”


 柄にもなく緊張で掠れる声でそう告げて彼女に差し出したのは、いきなり赤を購入する勇気が出せずに手に取った、ピンク色のチューリップが三本。


 頬を染めて受け取ってくれた彼女が、この意味に気付いてくれたかどうかを確認するのは、この後の私の頑張り次第だろうか。

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