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彼女の場合。



 夕陽の光が家々の隙間に吸い込まれていくのを目で追いながら、いつもの如く玉石造りの階段を降りて開店準備を始める。手始めにドアベルに簡単な魔法をかけ、お客様の要注意度を計る仕掛けを作動させた。


 カウンター席が七席と、ボックス席が一席だけのわたしの小さなお城【魔法使いの酒瓶】。立地としては街の盛り場の外れにあるので、素行のおかしなお客様がいらしたとしても他店舗の人手は借りられない。だからこそ先に自衛手段として元来得意な魔法を使ってお城の強化にあたる。


 自衛といっても最初から呪文を介して発動させる攻撃魔法の類ではなく、幼い頃からわたしを守ってくれる小さな友人達の手を借りたささやかなもので。


 しつこく口説こうとした途端に突然お酒の回りがよくなって昏倒したり、カウンターから身を乗り出して触ろうとすれば失神するほどの静電気を流したり、そんな状態で狭い店内を占拠する身体の周辺に、転移魔法の一種であるチェンジリングを作ったりする程度。


 昔は魔法を極めたくて《冒険者》をやっていたから、本当はこんな風に大人しく街に居着いたりせずに冒険をしたいのだけれど、わたしには生まれつき魅了(チャーム)の魔法が付加されているせいで、普通にパーティーに加わるだけで和を乱す。


 望んでもない贈り物は重荷でしかなく、生家では《妖精つき》と呼ばれてろくな扱いを受けなかった。けれどあれは今から十三年前――。


 十五歳の頃に爵位のために六十歳の男性の元へ嫁がされそうになった時、ついにそれまでの我慢が限界に達したわたしは、屋敷を半壊させるほどの魔法を放って家を飛び出した。以来家には帰らず終いの不良娘だけれど、そのことを後悔したことは一度もない。


 節度ある小さな友人達のお陰で店内は日々ちょうど良い治安を保たれている。けれど店のドアベルには一つだけ【特別な音】があって、その音がした日は夜がいつもより長ければ良いのにと思うのだわ。


 でもその【特別な音】を鳴らしてくれる人は多忙な方で、あまり頻繁に店を訪れてはくれない。だからわたしは毎晩ドアベルが【ロン】と鳴るたびに少しだけ残念な気分になりながら笑顔を作るのだけれど――……。


 今夜は半年ぶりに【シャン】とドアベルが鳴ったのを聞きつけて、胸が躍った。背後を振り返るまでの数秒間を、お酒の瓶に映った自分の外見確認に使う。


 前髪の乱れを一瞬で整えてから、抑えきれない嬉しさそのままに振り向いて……気が付けば“あら、まだ早いのに誰かと思ったら……お久しぶりね先生?”と、事前に用意しておいた言葉とは似ても似つかない再会の言葉を発していた。


 でも半年ぶりに会う先生はツンとしたわたしの言葉に気を悪くした様子もなく、ちょっとだけ困ったように微笑んだだけで。眼鏡の奥で少しだけ細められた深みのある緑の目は優しくて、いつもの気難しくて近寄りがたそうな気配が薄れる。


 ダークブラウンの髪は眼鏡に当たらないようにきっちりと撫でつけられ、形のいい額と彫りの深い顔立ちが際立つから、わたしは頬が緩まないように必死で表情を引き締めなければならない。


 以前それとない風を装って歳を訊いたら、十二歳も上だったから。少しでも子供っぽいと思われたくないがために無理をするせいで、どうしてもツンとした可愛気のない物言いになるのだわ。


 《先生》はわたしが勝手に尊敬を込めてそう呼んでいるだけの愛称で、本当のお名前はランハート様という。だけど勇気が出せないまま教えてもらってから今日まで、一度も呼べずにいるのよね……。


 そんな意気地のないわたしが先生と初めて出逢ったのは、三年前。


 当時のわたしは冒険に出られず、街での生活では放出することが出来ない蓄積された魔力に苦しんでいた。そこを偶然この街でパーティーメンバーを探していた先生が見出して、採取に連れ出してくれたのがきっかけで親しくなった。


 先生とパーティーを組んだのはたった二度だけだけれど、それでも先生が如何に素晴らしい魔導師か分かったわ。卓越した魔術の構築は絵画を描くように繊細で、なのに大胆で、艶やか。


 先生が古代魔術を再構築して放った魔法は、危険種の地竜を塵一つ残さず消し飛ばすほどの威力を持っていた。


 街で声をかけられた時は穏やかで理知的な佇まいに安心し、いざ魔法を行使する際の豪胆さに痺れが走ったのを今でも鮮明に憶えている。その瞬間今までどんな男性にも感じなかった感情に、全身を支配されるほど強く焦がれた。


 内心で久々の再会を可愛らしく決めることに失敗したことを反省しつつ、この貴重な時間を最大限に楽しもうと意識を切り替えて、先生の注文を待たずにおつまみのナッツをカウンターに置き、愛用のシェイカーを手にカクテルの準備を始める。


 シャカシャカと小気味の良い音を立てるシェイカーと、先生がおつまみのナッツをポリポリと噛み砕く音が店内に響く。


 ――シャカシャカ、


 ――ポリポリ、


 そんな胸が高鳴る音の共演に、目の前に座っていた先生がフッと笑った。そのあまりに素敵な不意打ちに、カクテルをグラスに注ぐふりをして魅入ってしまう。


 思わず手を止めて“先生は、いつもそんな表情をしていたら良いのに”と口にしてしまってから、急にそんなことを言われても気持ち悪いだけだったのではないかと考え、慌てて誤魔化すように笑って見せる。


 でも先生は二、三度瞬きをしてから“そんな表情と言われても、今の自分が浮かべている表情など分かりようがない”と真顔で言ったわ。


 素直すぎる返答に不整脈を起こしそうになる胸を押さえ“あ、残念。もう元に戻っちゃったわ”と軽口を叩けば、あろうことか先生は「いつもの君の笑顔も良いが、今のように気を抜いた笑顔も魅力的だ」と――……思ってもみなかった言葉をくれた。


 今までの人生でそんな風に称する人は、大勢いたけれど。今夜先生がくれたこの言葉ほど下心も何もない綺麗な響きはなかった。そのせいでほんの一瞬だけ涙腺が緩んで、それを知られたくなくて視線を彷徨わせる。


 嬉しくて嬉しくて仕方がないのに、また“先生は、女性に対してサラッとそういうことを言うのね?”と素直でない言葉が口をついて零れた。


 でも十二歳下のわたしの強がりを見透かしたように、先生は「せっかく隙のある表情を見られたのに残念だ」と笑ってグラスのカクテルを一口飲む。


 子供っぽいと思われたくないうえに、重い女だと思われたくないから教えないけれど、実は先生の飲んでいるカクテルは彼だけの特別製。魔力を大量に消費する先生が少しでも疲れを癒せるように、小さな友人達の魔力と自分の魔力を流し込んで作っているから。


 あっという間に一杯目を飲み干してしまった姿が嬉しくて、早速次のカクテルの準備に取りかかる。


 先生に背中を向けたまま“今回の発掘調査では、どんな呪文の欠片を見つけたのかしら?”と訊ねたのを皮切りに、彼は新しく見つけた石版の欠片をカウンターの上に並べ、少年のように目を輝かせて講義を始めてくれた。


 博学な彼の口から紡がれる魔導の講義はどれもとても興味深くて、時間がいくらあっても足りないくらいだわ。


 そんな幸せを噛み締めるわたしに気を利かせてくれた小さな友人達が、表にかかった札を裏返して【準備中】にしてくれる。けれどカタンと小さな物音がしたのを聞きつけて先生が入口を振り返るものだから、慌てて“先生ったら、よそ見しないで”と怒ったふりをしてしまった。


 小さな友人達のお陰でその日の晩はお客様が訪れることはなく、いつの間にか閉店の時間になっていた。それに気付いた先生が帰ろうと席を立つ姿に、何か印象に残るような言葉を――と、意気込んだのはいいけれど……。


 結局あまり思い切ったことを言うのは躊躇われて“今回も楽しかったわ先生。でも次回はもっと早く訪ねて来てくれると嬉しいわ”と無難に纏めてしまった。内心で意気地のない自分を詰っていると、どこまでもこちらのことを生徒か何かだと思っている先生は「今日は開店時間の直後に来店したと思うんだが……」と答える始末で。


 こうなってくると半ば呆れと自棄が入り混じり、つい“前回の来店からは半年ぶりなのよ?”と、先生の恋人でもないのに責めるような言葉を返してしまう。


 だけど今夜の先生は本当に、嬉しくなる返事しか持っていないのかしらと思うほどあっさり「次回は三ヶ月後に訪ねられるようにしよう」と、見送ろうとカウンターを出たわたしに約束してくれた。


 それは先生にしてみれば、教え子をあやす程度の些末なことなのだろうけれど。こちらにとっては、今すぐにでも三ヶ月が経過すれば良いのにと思わせる価値があるのよ?


 そんなことを考えながらだらしなく緩みそうになる頬を押さえ、先生の広い背中について店を出たところで、不意に先に表に出た彼が振り返って苦笑する。


 どうしたのか分からずに小首を傾げると「今夜が貸し切り状態だった理由が分かったよ」と声をかけ、わたしの肩越しに裏返って【準備中】になっていたプレートをトン、とつついた。


 突然の心臓破りな先生の行動に“あら、本当ね。風かしら?”と、全身の集中力と演技力をかき集めて答えてから、ふと今更なけなしの素直さが湧き上がってきて。


 顔から火炎系の魔法が放てるのではないかと思うぐらい緊張したけれど、思い切って“だけど、そのお陰で先生と長くお話出来たから良いわ”と言ってみる。すると先生はまたさっき店内で見せてくれたような、寛いだ微笑みを向けてくれた。


 そんな表情を見せる相手がわたしのような小娘で良いのかしらと思う一方で、ほんの僅かに。先生にこの笑みを向けられる相手が現れる未来が、少しでも先であることを願う自分がいるわ。


 ねえ先生わたしはね、どんなに難解な魔法の呪文でも完璧に唱えられる自信があるわ。


 ――だけどね、先生?


 貴男に“好きです”と唱えられる勇気は、きっとまだあと三ヶ月分足りないの。

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