『机上の時空論』 ~もう一つのエピローグ~
本話は『机上の時空論』(御法 度)のネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。
「では、今日は話題のSF作家・星埜苺さんへインタビューしたいと思います! よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「この3月に発売されます、こちらの新作『机上の時空論』は、星埜先生ご自身の体験を基にしたものだとか?」
「そうです。もう何年も前の話ですが、高校生だった時に、机の上で文通をしていたんです。見知らぬ相手と」
「ロマンチックですね。で、その人とはこうして会うこともできたんだよね」
「こらこら、お兄ちゃん。今日は編集者さんとして私に会っているんじゃなかったの?」
そこで、幻覚でない、私の本当のお兄ちゃん――星埜新は、悪戯っぽく微笑んだ。
「いいじゃないか。久しぶりなんだから。売れっ子作家さんに作ってもらった、大切な時間だ」
「お兄ちゃんに言われると恥ずかしいな」
「僕はもう作家でもなんでもないよ。言っただろ。君には才能がある。僕はそれを見られて嬉しいよ」
私は、あの日のことをそっと思い起こした。十数年前、私が高校2年生だった時。第4講義室に立て籠もったあの日。あんな冒険をしたのは人生で初めてだ。
結局私は自分を終わらせる言葉を書ききることが出来なかった。
目に涙を浮かべる弥生の顔を見たら。どうしても鉛筆を走らせることはできなかった。震えながら机に突っ伏した私を、彼女は優しく抱きしめてくれた。
『全てを話して。もう大丈夫だから』
落ち着いた私は、物事を前向きに考えられるようになっていた。弥生と二人なら。私は前を向いて生きることができたのだ。
「でも、まだ変な感じだよ。この世界は元いた世界とは違うんだよね」
「そう。苺が事故に遭わず、僕も身代わりにならなかった世界線。あの日、2020年3月7日の苺の行動で、過去が変わったんだ。僕が死ななかった過去へと」
色々な人に叱られて、へとへとで家に帰った私は、驚くべき光景を目の当たりにした。そこには、兄がいたのだ。23歳になった兄が。
呆然とする私は、その時思い出した。2014年のあの日、兄は特急列車に乗って、早く帰ってきたことを。だから私たちは事故に巻き込まれずに済んだことを。もう一つの過去を思い出したのだ。
「平行世界への分岐は、多くの人にとっては感知されなかっただろうね。誰もがそんな過去があったことすら覚えていない。でも当事者である苺は、記憶が残っていたんだ。僕ですら、苺が泣いて抱きついてくるまでは思い出さなかったくらいなのに」
「もう、そのことは忘れて」
次の日から、兄が死ななかった世界線での日常が始まった。といっても、大きな変化があったわけではなかった。当然誰もパラレルワールドのことには気付いていなかったし、私の周りの状況も大して変わらなかった。でも私は、ちょっとだけ明るい女の子になっていた。
不思議な気持ちだった。あの頃の私は、地獄のような6年間を過ごした私であると同時に、兄のいる幸せな日常を過ごした私でもあったのだ。両方の記憶が、矛盾なく存在していた。
ブー、ブー。
お兄ちゃんのスマホが鳴り、私は物思いから引き戻された。ごめん、と言ってメールを確認する。
「お仕事の人?」
「ううん、弥生。今からこっち来るってさ」
「嬉しいね。……僕に言ってくれないのは複雑だけど」
「愛情より友情よ」
私は高校を卒業してから、小説家としての道を歩み始めた。当時23歳だった兄は、すでに小説を書くのは辞め、出版社に勤めていた。それが歴史を変えたからなのか、あるいはもともとそうなる運命だったのかは、誰にも分からない。
ただその頃から、私たち兄妹には、一つの夢があった。いつか二人で、最高のSFを作るのだと。
それは、ついに叶ったのだった。
「苺も小松君と仲良くやっているの?」
「もう、私の話はいいでしょ……お兄ちゃんこそ、式は再来月だっけ。とっても楽しみだわ」
「スピーチは、お手柔らかにね」
『机上の時空論』 完
そんな ゆめをみていたのさ




