兎の眼{あるいは:女教皇;} その1
ここから第3章です。
〈生命の樹〉の図を片手にご覧いただけると、
尚わかりやすいかと思います。
#3 兎の眼{あるいは:女教皇;}
教室の騒動を鎮めたのは、クラス委員長の水真羊だったらしい。
ティファと深渕について憶測が飛び交い、収集がつかなくなった教室を、水真が黒板を叩きつけて黙らせたそうだ。
「明日わたしが直接聞くから、みんなは黙って帰りなさい!」
鬼気迫る水真に、怖気づいたクラスメイトはようやく教室から出ていったとか。
今日、深渕が登校してから、ずっと衆目を集めているのに誰も話しかけてこなかったのは、そういう理由があったのだった。
「さて、深渕くん。……えっと、深渕くんでよかったよね?」
放課後の教室で、水真は深渕の前の席に座ると、親し気に話しかけた。
話しかけておきながら、名前に自信がなさそうなのは、これまで深渕が影を潜めていたからだろう。
そんな深渕が、太陽によって白日の下にさらされたのだ。
当のティファは仕事で一日欠席なので、深渕だけが教室に残ることになってしまった。
面倒からは「逃げる」深渕だが、今回は正直に話して、すみやかに誤解を解かなければならない。
水真の一瞥でクラスメイトは退室しているので、残っているのは水真と深渕、それから水真と幼馴染の大安行雲、襟蓮冷児である。
「あれは生徒会長からの呼び出しだったんだよ」
口火を切ったのは深渕である。
水真の隣の席に座っている大安は面食らって、
「あん? そりゃあどうゆうこった?」
「何ていうか、生徒会長に目をつけられたみたいで……ティファは生徒会長から、ぼくを連れて来るように言われてたんだ」
そういって昨日のあらましを説明すると、深渕も少し清々した。
あの後、ティファは仕事の呼び出しで急きょ帰宅。
宮家も校内放送で呼び出されてしまったので、残された深渕は仕方なく宗堂に学校を案内した。
人間関係は面倒だが、宗堂とは程よい距離感で会話ができたように思う。
恰好は奇抜なものの、性格はしとやかで好感が持てた。
そういえば宮家は去り際に、宗堂にも部活の勧誘をしていた。
こういうところを見ると、手当たり次第に声をかけているのかとも思えてくる。
「じゃあ深渕くんは、ティファと付き合ってるわけじゃないのね?」
「もちろん」
「なら良かった。ほら、ティファって有名人だから、恋愛事ってうるさいのよ」
「ティファなら、そうなるのもわかるよ」
「人の恋愛について、とやかく言いたくないんだけど、ティファの場合ちょっと事情が違うっていうか、他の人たちの目もあるから……ごめんね気を使わせちゃって」
「ぼくも誤解を解きたかったから、水真さんが話してくれて良かったよ」
と、ふたりが和やかになってきたところで、大安と襟蓮が口をはさんだ。
「生徒会長の勧誘ってことは――やっぱあれだよな?」
「ああ。現魔部だな」
「えと、その、げんまぶ、って何なの?」
「現代魔法研究部、略して現魔部。CCCに基づいた、〈生命の樹〉の再生を目指してる――ってちゃんと活動してたんだな」
「現代、魔法……ふむ……」
昨日も宮家の口から聞いた怪しげな単語に、深渕はふたたび眉をひそめた。
「あのさ――深渕くんってここに来てから3ヵ月くらい経ったけど、この学校のことどれくらい知ってるのかな?」
それは頭の速い水真らしく、二重の意味をもった聞き方だった。
普通に聞けば、学校にどれくらい慣れたかということになるが、今の深渕にとっては、この学校がどういう学校で、どういった人たちが集まっているか、知っているのかということだった。
「霊感の強い人が集まってるってことは、昨日ネットで調べたよ」
「やっぱりそうなんだ! もしかすると気づいてないのかなって思ってたのよ。ほら、この学校って校内に向けてはあんまりアナウンスしないのよね。あえて普通にしているっていうかさ」
「あ、そうなんだ。どうりで――」
「生徒の中には、気づいていない人もいてね。そういう人には無理に説明したりしないってのが、暗黙のルールになってるの。とはいっても、ネットには出ちゃってるんだけど」
「ずっと知らないままでいたかったな……」
昨日以来遠のいている平穏の面影を、深渕は寂しげに眺めていた。
「深渕くんはどうなの? 何か視えたりとか、感じたりとかする人?」
「ぼくは全然――視えるどころか、感じたこともないよ……」
これは事実である。
これまでの人生で、不思議な体験をしたことも、九死に一生を得たことも、深渕にはなかった。
今さら霊感がどうのと言われても、深渕にはピンと来ないのである。
強いて言えば、昨日ティファが「ガッデム」を言い放ったあの瞬間に、何かが起きた気がしたが……直近すぎて、まだ経験として消化されていない。
「霊感って、視える・感じるだけじゃないからな」
「書いたり、踊ったりするやつもいるし、聞こえるだけってやつもいる。自分で気づいてないやつもいるから、一概に言えないんだ」
のんびりしている大安と襟蓮とは裏腹に、水真は水を得た魚のようにはしゃいでいた。
「そうなのね、そうなのね、深渕くん! わかった、わたしに任せて!」
水真は目を輝かせながら深渕の手を握ると、黒板の前の席まで連れて行った――
ありがとうございます!
引き続き、
その2をご覧いただけると幸いです。