兎と月{あるいは:節制;} その2
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ティファ・麓・トグサというクォーターの同級生がいることは知っていた。
ティーン雑誌のモデルをやっているとかで、写真の撮影やテレビの収録でしょっちゅう学校を遅刻・早退していることも、同じクラスなので知っていた。
日本人離れした金髪美人で、底抜けに明るい笑顔は太陽の如く。
影の薄い深渕は近寄るだけでかき消されてしまう気になる。
だからこそ、細心の注意を払って関わらないようにしていた。
けれどどこかに、驕りがあったのかもしれない。
太陽からすればその他の人間は、光合成するプランクトンにしか見えていないだろうと高をくくっていたのだ。
とにかく、学園きっての有名人であるティファが、ホームルームが終わった直後に深渕の席までやってきて、
「あなたがブッチーですね、ワタシと付き合ってください!」
とカタコトの日本語を使ったのである。
ぽかんと口を開ける深渕の腕を、ティファはぐいと引っ張って、教室を出た。
騒然となる教室の気配を背後に感じ、深渕ははたと我に返った。
ティファは深渕を、どこかへ連れて行こうとしているようだった。
深渕のことなどお構いなしで、楽し気な雰囲気を醸している。
「どうして腕を組むのかね?」
「だって部活ですよ! 部活は青春です! 青春は堪能せねばです!」
鼻息荒く、意気揚々と答えるティファ。
肘に柔らかいものが当っている感触があるが、気のせいだと自分に言い聞かせる深渕。
「おかしいな、ぼくは何の部活にも入ってないハズだけど」
「テルミンから、ブッチーを連れてくるように言われたんです!」
といってティファが見せてくれた携帯には、『深渕脱兎を捕獲して』と宮家からのメッセージが届いていた。テルミンというのは、宮家照美のことで、ブッチーというのは深渕のことらしい。
これは宮家の差し金ということだ。
そうなるとティファもあの怪しい部活に入っているのだろうか。
しかしあれだけ人のことを見つからない見つけられないと言っておきながら、メールひとつで捕まえようとしているのだから、やはり生徒会長の悪戯に付き合わされているとしか思えない。
その上、こんなに目立ってしまっては、明日以降の生活にも絶対に支障が出る。
今後どうやって平穏を取り戻せばいいのかを考えると、深渕は頭が痛かった。
鞄だけは持ってきていたので、教室に戻らなくてもいいのがせめてもの救いだった。
何にせよ、これ以上の面倒は避けなくてはならない。
「ティファ、ぼくこれから用事があるんだよね」
「あ~ルンルンですね~」
「ティファ聞いてる? 放課後だし、もう帰りたいって言ってるんだけど」
「今日はお昼から来たんです。お仕事もないので、ワタシは学校にいたいです!」
「うん、ティファ。でもそれ、ティファの都合だよね?」
「あ~ルンルンですね~」
「ティファ、ちょっと腕を離してくれないかな」
「ダメですよ~、離すと逃げるってテルミンから聞いてます」
「そりゃ逃げるよね。だってこれ、誘拐とか拉致だもん」
「むずかしい日本語ワカリマセン」
「おやおや? ティファはずっと日本暮らしって聞いてたけど」
「あ~ルンルンですね~」
「おい、ティファ~……」
屈託ないティファは、聞く耳持たずという顔で、ぐいぐい進んでいく。
深渕はもう、ティファの恩情に訴えるしかなかった。
「ティファさん! ティファさま! ティファくん! ティファちゃん! ティファ! おい、ティファ! ティファ! ティファァァァァァ!」
深渕が絶叫したところで、
「あ~もううるさいですねぇ、どうしたですかブッチー」
ようやくティファも立ち止まってくれた。
「正直に言うよティファ。ぼくは面倒事が嫌いだからさ、部活に入る気はないし、生徒会長とも関わりたくないんだ。そうゆうことだから、もう放してくれない?」
深渕が真剣にそういうと、ティファも深刻そうな顔をして二、三度深くうなずくのだった。
「なるほどです、ブッチーの気持ちは伝わりました。すみませんです」
といって頭を下げるティファ。
そうしてまた、深渕の腕をぐいと引いた。
「でも、テルミンのお願いは絶対です」
もはや抱き着く勢いで、深渕を連行する。
「ねえ、聞いてた? 人権侵害ですよこれは」
「おまえのものは、おれのものです」
「やっぱり生粋の日本人でしょ!」
「ヤダネー、夫婦喧嘩は犬もワンワンですよ」
「この職業外国人っ」
「ワタシは部活で、汗を流しているだけですっ!」
深渕は必死に抵抗するのだが、傍からみると、仲良くふざけ合っているように見えなくもない。現にすれ違う生徒たちが、みな硬直している。
学園が誇る美少女モデルと、何だかよくわからないトコロテンみたいな男が腕を組んで楽し気に歩いているとなれば、衝撃も大きかろう。
「これ以上ぼくと一緒にいたら、変なうわさが立つぞ」
「何ですか、うわさって」
「付き合ってるとか思われたら、モデルの仕事にも響くんじゃないか?」
「ブッチーとワタシがですか? それはないですよ~」
「う……それはどうだけど」
軽くあしらわれて、自分で言っておきながら、何とも惨めな気持ちになる深渕。
「思いたい人には思わせておくしかないです。それに、恋も仕事も経験が大事です! 失敗も成功も、生きる糧です!」
「すごく良いこと言ってるように聞こえるけど……これ、拉致だからね、犯罪だからね」
「今はオープンな時代ですよ、隠さず堂々としていればいいんです。ファンのひとたちも笑顔が一番だって言ってくれます!」
「それ恋愛のことだよね? オープンでもクローズでも、犯罪はアウトだからっ!」
そう叫ぶ深渕の声が、ふと廊下にこだました。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、ここだけはなぜか閑散としている。
校舎に残る人も少なくなってくる時間帯なのだろうか。今日はコマ数も多かったので、すでに日も暮れかかっている。放課後の校舎をあまり知らない深渕は、夕焼けに染まる人気のない廊下を初めて見た。
「黄昏時ですね……」
「いつもなら部屋で夕日を眺めている時間だ」
「知ってるですか、ブッチー……この時間は黄泉へ繋がる時間です……ひとならざるものが、横切るかもです」
急に闊達さが、鳴りを潜めるティファ。
そろそろ暗くなるというのに、ここの廊下にだけ明かりもついていなかった。
「お化けが見えたら、霊能者にでもなるよ」
深渕が減らず口を叩くと――廊下奥の闇の中から、かっぽ、かっぽ、と妙な音が聞こえてきた。
ドキリとしてふたりが目をやると、誰かがこちらに歩いてきていた。
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その3をご覧いただけると幸いです。