兎と羽{あるいは:戦車;} その4
*
一週間前のことである。
テニス部の練習を終えた羽津明は、寮までの道をひとり歩いていた。
まっすぐに帰りたくない気分だった。
中間テストの結果が悪かったのは仕方がないにしても、部活の試合でも連敗。
ダブルスを組んでいた先輩とは口喧嘩になった。
先輩の指示を無視して飛び出したことは悪かったが……もう一呼吸はやく動けていれば、確実に得点できた。
失敗したが、あのときの判断は間違っていなかったと思う。
それなのに先輩は、指示を無視したことに腹を立てたのだ。
勝つことが目的の試合で、先輩は自分を従わせることに固執していて、羽津も腹が立った。
ついには「謝る」「謝らない」の話になってしまい、自分が悪いと思えない羽津は、絶対に頭を下げなかった。
そうしたら部内の空気はすっかり悪くなってしまった。
悔しくて、歯痒くて、羽津はくさくさしていた。
「あーもうっ!」
ああすればよかった、こうすればよかったと、堂々巡りして自分でも嫌になる。
こんなときは身体を動かすのに限る!
羽津は自慢の脚力でもって、駆け出すが――
小道の畝に足をとられて盛大に転んでしまった。
「ってー! くっそぉー!」
不甲斐ない自分に思わず声を上げる。
ここまでくると、あまりに情けなくて、逆に吹っ切れてもくる。
「まあしゃーないよな、明日、明日!」
羽津は仰向けに寝転んだ。
すると、夜空に蛍のようなものがふらふらと飛んでいるのがみえた。
ん? と羽津が不思議に思ったのは、それが蛍よりも大きく、ドッジボールくらいのサイズがあったからである。
「なんだ、あれ――?」
光は木々の梢を避けながら、右に左に力なく泳いでいた。
羽津が頭を上げると、向こうも羽津に気づいたらしく――近寄ってきた。
光の球は、羽津の膝元にすがるように降り立った。
フワフワとした柔らかい感触がある。
「どうした――迷子か?」
それが何かはよくわからなかったが、悪いものには思えなかった。
元気がないのか、放つ光が少しずつ弱くなっているようだった。
羽津がそっと撫でると、そいつはよろよろと浮きあがり、羽津に頬ずりをした。
「か、か――」
可愛い……それは羽津の荒んだ心をすっかり癒してしまった。
「腹が減ってるんだったら――うちに来ない?」
羽津はそういうと――光の球を抱えて、部屋まで大急ぎで帰った。
何を食べるのかわからないので、夕飯用に取っておいたコロッケを温める。
そいつはコロッケに着地すると……体内に取り込み――吐き出した。
コロッケには何も変化がなかったが、球は光が増して、少し元気になったようだった。
吐き出したコロッケを羽津が食べてみると、味が抜けていた。
「何でも食べるのかな――」
缶詰を開けたり、カップ麺にお湯を注いだりして、できる限りのもてなしをする。そいつはみるみる元気になってゆき、すっかり明るくなった。
こうなると可愛くて可愛くて仕方がない。
一緒に風呂に入り――一緒の布団で眠る――
「おやすみぃ……UFO」
羽津はUFOを抱いて眠った。
翌朝になると、UFOは3つになっていた。
「わ、増えた!?」
3体にあまり差異はなかった。
少し大きさが違うくらいで、どの子も愛くるしさは変わらない。
またしても羽津は、もてなした。
もう手放すことは考えられなかった。
部屋にUFOを閉じ込めて、羽津は学校へ出かけた。
UFOのおかげか、その日はとても調子が良かった。
授業中、先生に当てられることもなかったし、昼寝もバレなかった。
購買では、前々から狙っていたクイニーアマンが買えた。
養護の伏良先生に診てもらったら、UFOを視る力に覚醒したということもわかった。
能力らしい能力がなかった羽津にとって、これは大きな成長だった。
部活のほうも連敗が止まった。
部内トーナメント中であったが、敗者復活戦で生き繋ぐことができたのだ。
お互いに謝ることはしなかったが、先輩とも和解できた。
だから、気分は晴れ晴れとしていた。
学校から帰ると、UFOは18体になっていた。
「また増えてる!?」
いくつもの光の球が、ふわふわと縦横無尽に浮かんでいる。
思わずUFOにダイブすると、柔らかに受け止めてくれるのだった。
「たまんねぇ~」
すっかり蕩けた羽津は、こうしてUFOにのめり込んでいった。
それから1週間が経って、UFOは増えに増えた――
もう数えるのは諦めていた。
とても部屋で飼うことはできない数だった。
そこで羽津は、屋内テニス場へとUFOを移動させることにした。
なるべく目立たないように、明け方に大移動させた。
部内にはUFOを視ることができる人はいないと、調査済みだった。
部活も順調に勝ち進み、トーナメント戦は優勝。
1年生で、優勝したのは羽津が初めてだという。
さらに特別試合として、コーチとの対決が組まれたのだった。
勝った場合は、道具一式を新調してもらえる。
だから――グリップを握る羽津の手にも、汗が滲んでいた。
5セットマッチの試合は、ゲームカウント3-5で羽津が優勢であった。
(あと少し……しゃぁーっ!)
羽津は心で気合いを入れ、サーブ用のボールを要求した。
同級生のテニス部員がボールを投げてくれる。
緩やかな放物線を描いて飛んできたボールは――
しかし羽津の前でぴたりと止まった。
「――!?」
ぎょっとする羽津だったが、よく見ればそれはボールがひとりでに止まったわけではなく、人がつかんでいただけだった。
その人物は、突然目の前に現れた気がしたが、思い返してみれば入ってくる姿も、そこに歩いてくる姿も、ちゃんと見えていたような気もする。
ただ――そいつは妙な恰好をしていた。
裸に白布を1枚巻きつけているだけだった。
「えっと――神様?」
「違う違う、ぼくは2年の深渕脱兎」
「人間なんすか? どうみても神様でしょ」
「恰好は気にしないで――それより、あのUFOは羽津さんのだよね?」
というと深渕と名乗った男は天井を指さした。
「うっ――そうだけど……」
たじろぐ羽津。
テニス部にはUFO視の人がいなかったからバレずに済んでいたが、さすがにこれだけの人数が応援にやってくると、視える人もいたのだろう。
「やっぱ、問題ありました?」
「そのUFOを探しに、親が来てるんだよね――」
「は? 親?」
羽津がUFOたちを観察すると、天井の隅に身を寄せ、縮こまっている。
何かに怯えているようだった。
と、天井が軋んで亀裂が走った。
ぱらぱらと破片が振ってくる。
そしてそのまま、天井の一部が崩落した。
コーチはすぐ異変に気づき、避難したから良かったが――
相手コートは、瓦礫と粉塵で、埋まってしまった。
「ど、どうなってんすか?」
焦る羽津に、深渕はやれやれという諦めにも似た顔を見せる。
天井に穿たれた穴から、巨大な化け物が頭を出した。
「げっ、何だありゃ――」
「あれが、親。ん? 羽津さんにも視えてる?」
「いや、視えるもなにも――」
そいつは肉体的であった。
肉眼ではっきり見える。
霊のように不確かなものではない。
巨大な化け物は、天井や壁を砕きながら、場内に降り立った。
観客の誰もがその姿を認め、逃げ惑っている。
「深渕さま、お逃げください。顕現されました――」
とどこかで女の子が叫んでいる声が聞こえた。
「顕現ってことは――怪我もするし、危険だってことね……」
そういう深渕は、恐怖を感じるというよりも、むしろ面倒臭そうだった。
化け物は、壁の穴から2体、4体、6体と次々に降りそそぐ。
その眼玉は、どうみても羽津を睨んでいた。
「これ、絶対絶命のピンチ……?」
相手コートに、無数の化け物がうずたかく積み上がっている。
化け物の群れににじり寄られて、後ずさりしかできない羽津。
そこへ――あの神様みたいな先輩が、また一歩踏み出したのだった。
「あっちが目に見えるなら、こっちも見えるよね……」
とかよくわからないことをいうと、深渕は膝を曲げ――土下座したのだった。
「申し訳ありません、UFOはお返しいたします。どうかお引き取りください」
「へっ?」
呆気にとられる羽津。
「ほら、羽津さんも――」
「え、それって――うちにも謝れってこと?」
「謝るなら、今のうちだよ」
羽津は顔をしかめた。
羽津にはできなかった。
頭を下げるのが大の苦手なのだ。
勝利を愛する羽津からすると、それは負けを意味することである。
そんな屈辱的なことは、羽津にはできない相談であった。
「向こうは子供をさらわれたんだけど――」
「う、うちは、元気になるまで育てただけで――悪いことはしてない」
「そう? ならあいつに食べられてもいい?」
「う――」
だが、どうしても非を認められない。
もしかしたら悪い部分もあるかもしれないが、悪意はないのだから謝る理由がないのである。
「羽津さんは、曲げられない人?」
「ごめん先輩、本当に悪気はないんだ――だから、うちは謝れない」
「ぼくにはすぐ謝るのに?」
「いや、これは自然に出たというか――」
すると縮こまっていたUFOの数体が、化け物とのあいだに割って入った。
それはまるで、UFOがかばってくれているようだった。
「お、おまえたち」
だがそんなUFOも、化け物の足に軽々と薙ぎ払われてしまう。
化け物は怒り冷めやらず、といった感じである。
「――やるしかないか……」
そういうと深渕は渋々と立ち上がって、自分の背に羽津をかばうのだった。
「え、まさか、先輩ってめっちゃ強い?」
ヒーロー展開を期待する羽津だったが、
「兎が闘うわけないじゃん」
深渕は肩から羽織っていた一枚布を引っぺがすと……天高く頬り投げた。
ふわりと布が開いて、深渕たちを覆い隠す。
それと同時に突進してくる化け物たち。
羽津は、目の前が真っ白な布で覆われて一瞬目をつむった。
だから――何が起こったのか、羽津にはよくわからなかった。
ありがとうございます。
引き続き、
その5をご覧いただけると幸いです。




