兎と迷宮{あるいは:力;} その2
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深渕は棚から一冊、本を取り出した。
表紙にもアルファベットらしき、謎の文字が並んでいる。
中を開いても、見たことない文字の羅列が、横書きで続いていた。
「つまり――ぼくたちは異世界に来たってことですか?」
昨日ティファが言っていた『異界送り』という言葉が、深渕の耳に残っていた。
「だと思いますぅ……」
落ち着きを取り戻してきた松里が、自信なさげに言う。
「でも、図書館にしか見えませんけど?」
蔵書に囲まれている景色は、来たときから何の変化も感じられない。2メートルを超える本棚に挟まれていては、見渡す限り同じ景色なのである。
「平行世界なのでしょうかぁ?」
「言語が違う世界、ってことですか?」
着ている服の色だけが違う世界、使っているコップの柄だけが違う世界……そんな些細なものが違う世界から――自分が生まれなかった世界、戦乱に勝利した世界、他種族が地上を制覇している世界に至るまで……我々の世界と平行して無際限に連なる世界がある、というのが平行世界の概念らしい。
「だとしても――図書館から出られないってのはおかしいですよね? 時間の流れも違うみたいですし……平行という関係ではなさそうですよ?」
「そうですねぇ……」
お互いの携帯を見比べてみると、きっかり3日ずれていた。
その間、松里はこの図書館から一歩も出られなかったそうだ。
ためしに深渕も10分ほど歩いてみたが、右へ曲がっても左へ曲がっても、本の壁が続くばかりでどこにも行き着かなかった。
「困りましたねぇ」
と松里は口では言うが、今は深渕が居てホッとしているようだった。
時間が経ったせいか、捻挫の痛みも治まったらしい。
「お腹も空いたんじゃないですか?」
「それが、不思議と空かないんですぅ」
「じゃあ、トイレは?」
「図書館には、各階にトイレがあるんですぅ」
「でも辿り着けないんじゃ……」
「念じれば叶うんですよぉ」
「んん?」
松里のいうように、トイレに行きたいと思いながら歩くと、不思議とトイレに行き着くのだった。
「都合いいなぁ……」
「おかげで顔を洗ったりはできたんですがぁ……」
目元には疲れが見える松里。
こんなところに3日もひとりでいれば、さぞ心細かったことだろう。
「じゃあ――他の階に行きたいと思ったら?」
「階段が現れますぅ」
これも松里の言う通りになった。
時間だけでなく、距離や空間もねじ曲がっているようである。
今度は階段を降りてみる。
しかしこれも、果てがないように思われた。
階下もまったく同じ作りであったし、蔵書の文字も読むことができない。
その下も、さらにその下も同じであった。
5階建てのはずの図書館だが、螺旋階段はどこまでも続いているようだった。
さすがに深渕も嫌気がさして、階段に座り込む。
深渕がここに迷い込んでから、3時間が経過していた。
「ふう……」
ため息を吐く。深渕はまた、別の異常さにも気づいたのだった。
これだけ歩いたのに、何の疲労もないのだ。出られないという精神的苦痛はあるものの、肉体的疲労や、空腹がない。このままいけば、眠気さえ感じずに何時間でもいられそうなのである。
「このままここから出られなければぁ……何日でも、何か月でも、何年でも、ずーっとここにいるかもしれませんねぇ……」
松里がふと、そんなことをつぶやいた。
「それでもわたしたちはぁ、歳を取ることなく生き続けるんですぅ」
夢のような話であったが、ここでなら本当に実現しそうに思えた。
深渕も気が疲れていたのだろう、つられてこんなことをつぶやいてしまった。
「松里先輩とだったら、それもアリですね」
「ふえっ?」
驚いた松里が顔を上げる。
「優しくて、気が利いて、スタイル良くて――松里先輩だったら、嫌がるやついないでしょ」
「そ、そ、そ、そんなことはぁ……」
じんわりと頬を染める松里。
深渕は頭がクラクラして、自分が何を言っているのか精査できていなかった。
「そうなったら、ぼくも逃げるとか言ってないで、責任取りますよ」
「せ、せ、せ、せ、せ、責任とはぁ」
「こんなところに閉じ込められて、先輩ひとり幸せにしてあげられないと、人としてダメな気がします」
「それは、け、結婚――」
「ま、先輩はぼくみたいなの嫌でしょうけどね。でも時間がかかっていいんだったら、先輩と釣り合うように努力してみようかな――なんて」
「――っ!?」
松里はうつむいて、猫のように両手で顔を覆い隠していた。
「先輩にぼくみたいなのがあてがわれないよう、出る方法を考えないとですね」
深渕はひょいと立ち上がると、松里を振り返った。
松里は身をよじらせて悶えていた。
「あれ? どうしたんです、先輩?」
「い、い、いえ! 何でもないですぅ!」
「なんか象形文字みたいですよ」
見慣れない文字に囲まれているせいか、松里の動きまで文字のように見えてきてしまった深渕。
もう手遅れかもなぁと自嘲気味に考えていると――
記憶に引っかかるものがあった。
深渕はフロアへ飛び出すと、手近な本を開いた。
そして本の中の文字を数えるのだった。
「深渕さん……どうされましたぁ?」
不穏に感じた松里が、あとから着いてきてそっと訊くと、
「もしかすると――この建物は22階建てかもしれません」
と深渕は言った。まだ頬が赤い松里の顔にも「?」が浮かぶ。
ありがとうございます。
引き続き、
その3をご覧いただけると幸いです。




