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兎と迷宮{あるいは:力;} その2

  *


 深渕は棚から一冊、本を取り出した。

 表紙にもアルファベットらしき、謎の文字が並んでいる。

 中を開いても、見たことない文字の羅列が、横書きで続いていた。


「つまり――ぼくたちは異世界に来たってことですか?」


 昨日ティファが言っていた『異界送り』という言葉が、深渕の耳に残っていた。


「だと思いますぅ……」


 落ち着きを取り戻してきた松里が、自信なさげに言う。


「でも、図書館にしか見えませんけど?」


 蔵書に囲まれている景色は、来たときから何の変化も感じられない。2メートルを超える本棚に挟まれていては、見渡す限り同じ景色なのである。


平行世界パラレルワールドなのでしょうかぁ?」

「言語が違う世界、ってことですか?」


 着ている服の色だけが違う世界、使っているコップの柄だけが違う世界……そんな些細なものが違う世界から――自分が生まれなかった世界、戦乱に勝利した世界、他種族が地上を制覇している世界に至るまで……我々の世界と平行して無際限に連なる世界がある、というのが平行世界の概念らしい。


「だとしても――図書館から出られないってのはおかしいですよね? 時間の流れも違うみたいですし……平行という関係ではなさそうですよ?」

「そうですねぇ……」


 お互いの携帯を見比べてみると、きっかり3日ずれていた。

 その間、松里はこの図書館から一歩も出られなかったそうだ。

 ためしに深渕も10分ほど歩いてみたが、右へ曲がっても左へ曲がっても、本の壁が続くばかりでどこにも行き着かなかった。


「困りましたねぇ」


 と松里は口では言うが、今は深渕が居てホッとしているようだった。

 時間が経ったせいか、捻挫の痛みも治まったらしい。


「お腹も空いたんじゃないですか?」

「それが、不思議と空かないんですぅ」

「じゃあ、トイレは?」

「図書館には、各階にトイレがあるんですぅ」

「でも辿り着けないんじゃ……」

「念じれば叶うんですよぉ」

「んん?」


 松里のいうように、トイレに行きたいと思いながら歩くと、不思議とトイレに行き着くのだった。


「都合いいなぁ……」

「おかげで顔を洗ったりはできたんですがぁ……」


 目元には疲れが見える松里。

 こんなところに3日もひとりでいれば、さぞ心細かったことだろう。


「じゃあ――他の階に行きたいと思ったら?」

「階段が現れますぅ」


 これも松里の言う通りになった。

 時間だけでなく、距離や空間もねじ曲がっているようである。

 今度は階段を降りてみる。

 しかしこれも、果てがないように思われた。

 階下もまったく同じ作りであったし、蔵書の文字も読むことができない。

 その下も、さらにその下も同じであった。

 5階建てのはずの図書館だが、螺旋階段はどこまでも続いているようだった。

 さすがに深渕も嫌気がさして、階段に座り込む。

 深渕がここに迷い込んでから、3時間が経過していた。


「ふう……」


 ため息を吐く。深渕はまた、別の異常さにも気づいたのだった。

 これだけ歩いたのに、何の疲労もないのだ。出られないという精神的苦痛はあるものの、肉体的疲労や、空腹がない。このままいけば、眠気さえ感じずに何時間でもいられそうなのである。


「このままここから出られなければぁ……何日でも、何か月でも、何年でも、ずーっとここにいるかもしれませんねぇ……」


 松里がふと、そんなことをつぶやいた。


「それでもわたしたちはぁ、歳を取ることなく生き続けるんですぅ」


 夢のような話であったが、ここでなら本当に実現しそうに思えた。

 深渕も気が疲れていたのだろう、つられてこんなことをつぶやいてしまった。


「松里先輩とだったら、それもアリですね」

「ふえっ?」


 驚いた松里が顔を上げる。


「優しくて、気が利いて、スタイル良くて――松里先輩だったら、嫌がるやついないでしょ」

「そ、そ、そ、そんなことはぁ……」


 じんわりと頬を染める松里。

 深渕は頭がクラクラして、自分が何を言っているのか精査できていなかった。


「そうなったら、ぼくも逃げるとか言ってないで、責任取りますよ」

「せ、せ、せ、せ、せ、責任とはぁ」

「こんなところに閉じ込められて、先輩ひとり幸せにしてあげられないと、人としてダメな気がします」

「それは、け、結婚――」

「ま、先輩はぼくみたいなの嫌でしょうけどね。でも時間がかかっていいんだったら、先輩と釣り合うように努力してみようかな――なんて」

「――っ!?」


 松里はうつむいて、猫のように両手で顔を覆い隠していた。


「先輩にぼくみたいなのがあてがわれないよう、出る方法を考えないとですね」


 深渕はひょいと立ち上がると、松里を振り返った。

 松里は身をよじらせて悶えていた。


「あれ? どうしたんです、先輩?」

「い、い、いえ! 何でもないですぅ!」

「なんか象形文字みたいですよ」


 見慣れない文字に囲まれているせいか、松里の動きまで文字のように見えてきてしまった深渕。

 もう手遅れかもなぁと自嘲気味に考えていると――

 記憶に引っかかるものがあった。


 深渕はフロアへ飛び出すと、手近な本を開いた。

 そして本の中の文字を数えるのだった。


「深渕さん……どうされましたぁ?」


 不穏に感じた松里が、あとから着いてきてそっと訊くと、


「もしかすると――この建物は22階建てかもしれません」


 と深渕は言った。まだ頬が赤い松里の顔にも「?」が浮かぶ。


ありがとうございます。

引き続き、

その3をご覧いただけると幸いです。

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