表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/44

兎と迷宮{あるいは:力;} その1

ここから第4章です。

#4 兎と迷宮{あるいは:力;}


 これまでは集団に紛れて、他者との会話を最小限に抑えていた深渕だが――

 宮家照美ぐうけてるみに踏まれてから、フェイス・トゥ・フェイスの会話が続いていた。その上、興味もない世界の知識を滔滔とうとうと植えつけられて、深渕の脳は疲弊していた。

 小さな穴倉の奥で慎ましやかに生きていた希少動物が、ハンターに捕えられ、サーカスの見世物にされているような気分であった。


 深渕は裏通りを遠回りして帰っていた。

 表通りは道幅も広く、人目につきやすい。

 今の深渕は、ティファが告白した男として学内ヒエラルキーを駆け上がった状態なので、目立つのはご法度はっとだった。

 裏通りは、木々の茂りが目隠しにもなるし、空気も清浄で心も落ち着いてくる。

 これぞ、学内緑地の恩恵だった。

 図書館へ行くよう薦められたが、とてもそんな気にはなれない。

 早く帰って休みたい。そればかりを考えていた。

 しかし〈運命の輪〉は、深渕を巻き込んだまま回り続けるのだった。


 裏通りを抜けると――人が倒れていた。

 本が散乱している。段ボールに入れた書籍を台車で運搬している途中に、倒れてしまったようである。


「――深渕さん」


 果たして倒れているのは、松里雛まつりひなであった。

 倒れているといっても、地べたに座り込んで、途方に暮れているといった様子である。


「えっと……大丈夫ですか?」


 戸惑いながら声をかける深渕に、


「……足を挫いてしまいましたぁ。お手伝い願えませんかぁ?」


 上目遣いで申し訳なさそうな松里。

 お断りします、と出かかった言葉を深渕は呑み込むと、精一杯の作り笑顔で、


「よころんで」


 とこたえた。


「良かったぁ。ここは人も通らないのでぇ、どうしようかと思っていましたぁ」


 ぎこちない深渕の笑顔とは違い、松里の笑顔は心底ほっとしていた。


 *


 世啓戸学園、図書館。

 近代建築ひしめく学園内で、ここは唯一、旧時代的であった。

 ただしそれは、バロック建築とよばれる荘厳なもので、微に入り細を穿った彫刻が施されていた。概観もさることながら、屋内も中世の教会さながらの装飾である。中央は吹き抜けになっており、天井には聖人や天使の絵画が広がっている。

 さらに、壁という壁が書籍で埋め尽くされている光景は、圧巻の一言。

 古今東西のありとあらゆる書籍が収集されているのだという。


「理事長の趣味でもあるんですぅ。ここにもよくいらっしゃるんですよぉ」


 司書室の椅子に座る松里の足に、救急箱に入っていたシップを貼って、医療テープで固定する深渕。


「ちゃんと病院で診てもらったほうがいいですよ」

「歩くことはできますから、大丈夫ですぅ」


 松里はゆっくりと立ち上がって、足の具合を確かめる。


「しばらくは歩きにくそうですねぇ」


 何が楽しいのかわかならないが、ニコニコと微笑む松里。

 司書室まで戻ってくるのにも深渕が肩を貸していたし、散乱した書籍も深渕が段ボールに詰め直して台車で運んできたのだった。


「ありがとうございますぅ」

「いえ、気にしないでください」


 面倒ではあったが、司書室の天使と謳われる松里から礼を言われれば、悪い気はしない。明るい巻き毛、笑顔の絶えない優しい顔つき、豊かな胸、愛くるしい声、どれをとっても天使の名に恥じないものである。そんな松里と話していると、深渕の気も次第に晴れてゆくのだった。

 この図書館は近隣の大学や研究室にも貸出を行っているそうで、その返却が今日に限って何件も重なったのだそうだ。そのうえ、当番の図書委員にも病欠が出て、松里がひとりで運んでいたらしい。

 じゃあ、ぼくはこれで――と帰ろうかとも思ったが、図書館まで来てしまったからには、〈生命の樹〉に関する本を借りるのも悪くはない。

 館内は薄暗いうえに、利用している生徒は机や本に齧りついているので、誰が歩いていても気にならないようである。人目につく心配もなさそうだった。


「松里先輩――生命の……あ、いえ、何でもないです」

「どうかされましたぁ?」


 〈生命の樹〉についての本がどこにあるのか聞こうとしたが、これを松里に聞いてしまっては、自分が宮家照美の部活に興味を持っていると勘違いされかねない。


「せっかく来たので、ぼくは館内を観て回ろうかと思います」

「どうぞ、ゆっくりしていってください。あ、ですが――」


 松里は時計を見やった。


「あと30分ほどで閉館ですので、あまり時間はないかもですぅ」

「それだけあれば、十分ですよ」


 そういうと深渕は、悠然と司書室から出て行った。


 *


 螺旋階段を昇っていく深渕。

 図書館は5階建てで、各階を螺旋階段が結んでいる。

 案内板と睨めっこしながら〈生命の樹〉についての書籍がありそうな棚へ向かうのだが、どれも難しそうな本ばかりであった。ぺらぺらめくってみても、あまり本を読まない深渕には、ハードルが高かった。人疲れしていた上に、こうして文字に囲まれていると、いよいよ頭がクラクラしてくる。

 気がつけば洋書コーナーに居るらしい。

 背表紙の文字まで読めなくなっている。


「しかたない……帰るか」


 そう思って、本棚に挟まれた通路を引き返していると――

 またしても、松里が座り込んでいた。


「あれ? 松里先輩、どうしたんですか?」


 あの足でこの階まで上がったのだろうか、エレベーターでもあるのかしら、そんなことを考えていると、松里ははっと顔を上げ――

 タックルをする勢いで深渕に抱き着いてきた。


「深渕さぁぁぁぁん!」


 松里は泣き崩れた。


「えええっ?! ど、ど、ど、ど、どうしたんですか!?」


 動揺する深渕に、松里はぐいぐい身体を押しつける。


「このままぁ……」

「はい?」

「このまま誰も来なかったらぁ、どうしようかと思ってましたぁ……!」


 極度の興奮状態で、呼吸もままならない松里。


「大袈裟ですよ先輩。まだ20分も経ってないですよ?」


 となだめる深渕だったが――


「3日ですぅ」

「はい?」

「わたしぃ……3日間もここを彷徨さまよっていましたぁ……!」


 松里は泣きあえぎながら、叫んでいた。


ありがとうございます。

引き続き、

その2をご覧いただけると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ