兎の眼{あるいは:女教皇;} その2
*
水真はよく顔をしかめる。
これは水真が近眼なのに眼鏡を掛けたがらないからだと以前聞いたことがある。
はっきり見たいときには、目を細めて睨んだような顔をするか、顔を近づけるのだった。
「ふぅむ……」
水真は目を凝らして、深渕をまじまじと見つめていた。
「羊は勉強を教えるの好きだからな。こうなったら最後まで付き合うしかないぞ」
「試験前は助かるんだけど、わかるまで離してくれないんだ」
「そうなんだよなぁ。熱心ってゆーか、融通か利かないってゆーか」
「大安も冷児も黙ってて。ていうか、あんたたち暇ならこれ書いて」
駄弁るふたりに、水真は手にした教科書の、あるページを差し出すのだった。
「ああこれか」
「ま、現魔部を語るにはこれがないとな――」
ふたりは納得したのか、黒板に向かい板書をはじめた。人使いは荒いが、水真の言うことはいつも理に適っているので、誰も逆らおうとはしない。
「さて、深渕くん」
水真が清らかに微笑んだので、深渕は少し狼狽した。
「深渕くんは転入試験を受けたと思うんだけど――『面接のみ』って不思議に思わなかった?」
「そりゃ思ったけど、そうゆう学校なのかなって。人柄を大切にするとか」
「それも正解。でも半分間違い。あれはね――霊視をしていたの」
事もなげに言う水真。
「霊視って……オーラとか前世を視るっていう、あれ?」
「それ! ただ、視えるのはオーラや前世だけじゃなくて、他にもたくさんあるの。未来予知とか、透視もそうよね。面接の先生も何人か居たでしょう?」
「そうだね、7人だったかな……」
中には、入学してから校内で見かける先生もいた。
「ひとによって、視えるもの感じるものが違うの。得意分野があるって感じかしら。例えば――UFOを視る人もいれば、幽霊が視える人もいる、みたいな」
「UFOと幽霊は別でしょ?」
「もちろん違うわ。じゃあ――天使とか悪魔とか、ドラゴンとか妖怪とか、そうしたうわさとか伝説って何だと思う? 何がどう違うのかしら?」
「えっと、それは――よくわかりません……」
見える見えないの流れで、視力検査のようにこたえてしまう深渕。
それこそ視力検査みたいに、思考がぼやけてゆき、わからなくなるのだ。
イメージは、頭のなかで渾然一体となり、つかみどころがなくなっていく。
「そこで、CCCよ。これは『チャネル・チャンネル・チャネリング』といって、それぞれの頭文字を取って、CCC」
水真は右手で「C」のマークを作ると、小首を傾げてみせた。
深渕にはこれが視力検査のマークにみえて、少しゾッとした。
「チャネルっていうのは『経路』のこと。道を表しているのね。チャンネルはテレビでいう『周波数帯』のこと。チャネリングは、その周波数帯に合わせること――から転じて、神霊や高次存在と『交信する』ことを言うの。つまり! 視えるものによって、周波数帯が違うって考え方。1チャンネルは神様、2チャンネルは宇宙人、3チャンネルは天使……みたいなね」
はじめて出会う考え方に、深渕も当惑するが――
それでも自分なりに解釈を試みる。
「えと、じゃあ、ごちゃ混ぜになっているんじゃなくて、住み分けされてるってこと?」
「その通り。人によって、視えるチャンネルが違うの」
「逆に、どのチャンネルも視えるやつもいるし――どこかひとつだけ飛び抜けて視えるやつもいる」
黒板に円を描きながら、補足する大安。
ふたりは、何か図を描かされているようだった。
「じゃあみんな、そんな超能力を持っているってことか」
「いや、超能力っつーか……」
大安は深渕に振り向くと、不機嫌そうな顔をした。
すかさず水真がフォローを入れる。
「超能力っていうよりは、持って生まれた個性みたいなものよ。絵を描くのが上手とか、歌が上手いとか、足が速いとか――そういうもの」
「おれたちはべつに超人でもヒーローでもないんだ」
「そうそう。ちょっと予知夢を見たり、ちょっと透視ができたり、ちょっと相手の気持ちがわかったりする、普通の高校生さ。そうだろ、大安」
襟蓮は、大安をなだめるように背中で語る。
まだ気色ばんでいたが、大安も作業に戻った。
「霊感が強い人って、社会適合力の低い人が多いの。繊細で傷つきやすかったり、落ち着きがなかったり、時間にルーズだったり――」
「理解がねーと、視ている世界を否定されたり、親が叱ることもある」
「学校でも、生徒や先生からいじめに会ったり、自閉症やサヴァン症候群って診断されて、精神病院に送られることもある。酷いのになれば、自殺ってのもな」
大安も経験があるのか、忌々しげに吐き捨てた。
襟蓮もやりきれない様子で、力なくうなずいている。
ここで水真は、大きく息を吸って、
「だから、ここ、世啓戸学園なの!」
充溢した重たい空気を払拭するように言った。
「この学園の理事長は、そんな人たちの『保護・育成』のため、私財を注ぎ込んで『世啓戸学園』を創立したのよ!」
「う、うん……」
感極まって、目を潤ませる水真。
「わたしそれ聞いて感動しちゃった! 世の中にはそんなに心の優しい人間がいるんだなって、はじめて思ったのよ!」
しかし、深渕は曖昧な返事になってしまう。自分が「霊感の強い人たち」に分類されている実感がないからである。虐げられた記憶もなく、これまでも安穏とやってこれたので、この学校で自由を獲得した気にもなれない。むしろ深渕には、自分の平穏な時間が生徒会長に侵害されようとしている危機感のほうが強かった。
「やっぱりぼくは、間違えて入学しちゃったんじゃないのかな――」
深渕はぽつりとつぶやいた。
「いいえ、それはないわ」
水真は断言した。
「なんでさ、ぼくにはここにいる資格とか能力とか、ある気がしないんだけど」
「深渕くんってたぶん、わたしたち以上に特殊よ」
「えっ? どこが?」
「だって深渕くん――オーラが視えないんだもん」
「はへっ!?」
驚いて気の抜けた声が漏れる深渕。
「わたしオーラを視るのは、自信あるんだけど――何にも視えない人って初めて」
水真はまたしてもじっと見つめた。それはさっきと同じ視線、焦点をどことも合わさないその目は、ぼんやりと物思いに耽っているときの目に似ていた。
「ちょ、ちょっと待って。それってぼくには、オーラがないってこと?」
覇気がない、存在感がない、影が薄いのは深渕も望むところだが――オーラがないというのは考えたことがなかった。
「オーラがない人なんて存在しないの。いるはずがないわ――ねえ冷児、あんたも深渕くんを視てくれる?」
「はい、はい」
言われるまま襟蓮はくるりと向き直ると、深渕をぼんやり見つめた。
「冷児は前世を視るんだけど――どう?」
「んー…………オレにも視えないな…………」
襟蓮も驚いたような顔をしている。
「お互いに定評ある霊視ができないってことは、これが深渕くんの個性かもしれないわね」
「オーラや前世が見えないのが、個性? 何それ、全然わかんない……」
「生徒会長が目をつけたのも、そこかもな」
大安も深渕を眺めながら言うのだった。
「わたしクラス委員長だから、クラスみんなのことは気かけているつもりだったんだけど――深渕くんのことは名前も忘れかけてた。これも関係あるのかしら」
「それは、ぼくが目立たないってだけで」
「にしたって、限度があるぜ」
「じゃあ、深渕は透明人間だな」
大安が軽口を叩いたので、水真が腹が立てた。
「ちょっと大安! あんた、がさつ! 本当にデリカシーないのね」
「ちょっとした冗談じゃねーか」
「『能力』っていわれて嫌な顔してたのお前だろ?」
襟蓮も同じく、水真の肩を持つ。
「だってよ、おれは不死身のせいでみんなからめちゃくちゃ気味悪がられてたんだぞ」
「不死身じゃないわ、大安の不死身は死ににくいってだけでしょ?」
「不死身だからって、お前が言っていいことになるかよ」
「そうよ。それ言ったら、自分がやられたことを他人にもやる最低野郎になっちゃうよ」
「おいおい、そんな言い方ないだろ。何だよ冗談も言えねえのか」
「不謹慎なことは冗談にしちゃいけないの」
「んだよ、解せねーな」
いつの間にか、大安と襟蓮もすっかり会話に参加してしまっている。
深渕が黒板を見上げると、そこには妙な図が描き上がっていた。
10個の円と、それを結ぶいくつもの線が描いてあり、円の中にはそれぞれ文字が書かれていた。
「えっと――これは?」
深渕が聞くと、水真もはっとして、
「そうね、これの説明をしなくっちゃ」
といって黒板に近づき、近眼の目を皿のようにして図の完成度をチェックするのだった。
「これは1年の授業のときに出てきたから、深渕くんは知らないと思うんだけど、魔法学では基礎中の基礎みたいなものだから、覚えておいて損はないわ――よし」
チェックし終えると、有閑な素振りで深渕に向き直り、
「これがあの――」
ともったいぶってから、こう続けた。
「〈生命の樹〉よ」
ありがとうございます!
引き続き、
その3をご覧いただけると幸いです。




