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マリオネットと現代社会

作者: 道山 神斗

 マリオネットというものはご存知だろうか? 操り人形の1つだ、日本では糸操り人形とも呼ばれている、基本的には糸で人間が人形を操り動かすものだ。

 マリオネットを使った作品で有名なものはピノキオだろ、その他にも1965年の映画「サウンド・オブ・ミュージック」の「ひとりぼっちの羊飼い」に出てくる子供たちが劇にマリオネットを使っているのが私は印象的だ。他にはフランスの劇団「ロワイヤル・ド・リュクス」のスルタンの象と少女という作品に出てくる10m前後の巨大なマリオネットを10人係で動かしている、冗談ではないのかと思うくらいのスケールでした。


 さて私はいつも思うのです、このマリオネット達に意思があったらどう思っているのか、勿論現実ではありえないこと操られるからこそマリオネットは成り立っている、でももし意思というものがあったらと考えてください。

 さてその為にはまず我々がマリオネットにならなければならない、気持ちを知りたければそれに入り込むしかない私はそう思っています。

 私達はマリオネット、今木の小さなテーブルの上に無造作にうつ伏せに置かれている、やがて私を扱う主人が来て操るために糸を引く、うつ伏せだった身体は真っ直ぐに立ち、手や足は私達の意思に関係なく糸をつたり主人の意図によって動かされる、ああ、なんて不自由な人生なんだ、そして糸と糸が絡まり使い物にならなくなれば捨てられる、そして忘れ去られ、主人は次の人形を手に入れてまた使い物にならなくなったら捨てる、輪廻の如く人が死ぬ様に、そして生を手に入れるように、それはまるで丸い車輪が永遠に回り続けているそんな感覚だ。

 この一生に意味があったのか? 自分が生まれてきた意味、必然とされてきた答えのためだけに生きて死んでいく、それ以外のことは何も出来ず、必然性に囚われて生きる人生、なんて窮屈で生きた心地のしない生き方なんだろう、そう思った。

 これは今の現代にも当てはまることなのではないだろうか、馬車馬の如く上に働かされ、マリオネットのように操られ、辞表を出せば入社してくる人がいる、入れ替わり必然とされてきた業務というものを淡々とこなしているだけ、その一生に意味があるのか? 若しかしたら求めてはいけないのかもしれない「窮屈で生きた心地のしない生き方」というもだと私は考えてしまう。

 では逆に「生きた心地のする生き方とは」私が思うに単純に好きな事をして生きる生き方だと思う、でも誰しもがそれを出来るかと言えば否だ、だから私はこう思う、幾千の「生きた心地のしない生き方」の上に「生きた心地のする生き方」というものが成り立っている。


 今日も誰かが生きた心地のしない生き方をしている、マリオネットの糸が絡まり捨てられるように誰かが捨てられていく、その上で生きた心地のする生き方をしている人達がマリオネット達の糸を自分の意図に合わせるように動かして生きている。

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