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パン屋のトロールさん 後編

「うーん……」


 住所をメモした紙に目を落としながら、ミーナはうなる。


 きょうは朝から婚活相談所に登録している女性たちの家を回っていたのだが、その大半はトロールのミアイシャシンを見せただけで断られた。無理無理ゼッタイ無理ですありえない、といった調子で、ひどい有り様であった。


「本人には、言えないなあ……」


 このご時世、雇われ労働者ではなく、一国一城の主たる店長なのだから、もっともっと良い評価を受けてもいいと思うのだが。


 しかしというか、やはりというか、トロールという種族は彼女たちにとっても敷居が高いようだ。なんといっても、なにもかもがデカい。下世話な話になるが、将来子作りをする際にもものすごく障害となり得ることだ。ミーナ自身想像してしまって、うっ……という顔になった。


 ミーナの住むネポアは、水の都と言われている。水源たるバーリー川に面しており、そのため潤沢な水資源を惜しげもなく使いながら発展を遂げた街だ。その恵みを奪おうと一定周期で大型のモンスターが現れるため、冒険者ギルドの力が強いのも特徴のひとつである。


 上流には貴族区や行政区があり、下流に商業区がある。上から順番に数字が割り振られ、今ミーナがいるのは第五区のテムス通りであった。


 テムス通りは第四区の商業区に比べると亜人が多いことで知られている。そのため、この近辺に人間族の女性がひとりで近づくことはまずない。もっとも、ここからひとつ外れた通りに冒険者ギルドの支部があるため、ミーナにとっては馴染みの景色であった。


「あ、ここ」


 ちょうど前を通りすがる。曇った硝子の向こうに、たくさんのパンが陳列されていた。顔を近づけて目を凝らすと、カウンターの奥でちらちらと巨大な人影が行ったり来たりしているのがわかる。ここがどうやらロックのパン屋であることが間違いないようだ。


 ゆっくりとドアを開くと呼び鈴が鳴った。それとともに、中から焼きたてのパンの香りが漂ってきて、ミーナは自分がお昼をまだ食べていなかったことを否応もなく思い出させられた。


 中に入ると、カウンターには誰もいなかった。ミーナはひとりで昼食のパンを物色すると、奥に声をかけた。


「すみません、パンひとついただけますかー?」


 一瞬の沈黙。その直後、奥から「あいよー!!」という威勢のいい声が聞こえてきた。しばし待つ。すると現れたのは目を血走らせて牙を剥きながらフシュ-!と鼻息の荒いひとりのトロールだった。


 言うまでもない。ロック=ドロムその人である。なのだが、ちょっと鬼気迫りすぎている。手に持った巨大なめんぼうは、一撃で人の頭蓋骨を砕いてしまえそうだ。


 彼は言った。パン作りは鍛冶と同じだと。いつだって全力だと。それがこういうことなのだろうか。ちょっとよくわからない。


「あれ、ミーナさん? なんでファイティングポーズとっているんですか?」

「い、いや、なんとなく身の危険を感じまして」


 ミーナは肩幅に開いた足を閉じ、握っていた拳を緩める。危ない。なにもされていないのに反撃してしまうところだった。


「あの、ここのお店って繁盛していないんですか?」

「そうなんですよ。なんかみんな、パンを買う前に出てっちゃったりで。毎日廃棄するのもつらいです。食べてもらったら、絶対おいしいパンだと思うんだけどなー……」


 深く考え込むミーナ。落ち込んだようにうつむくロックを見上げ、彼女はつぶやいた。


「ちょっと根本的な問題点が見つかりました」

「ええっ!? それはひょっとして……、ぼくをエルフの姿に変えるポーションかなにかのことかい!?」

「違います。けど、もっと大事なことだと思います」


 ミーナは手元のメモに目を落とした。いるではないか、うってつけの人物が――。





 翌日、ミーナはライルを連れ立って、再びロックの店を訪れていた。


「ねえ、本当に大丈夫かな」

「あたしに任せてくださいって! これ以上の適任はいませんよ!」

「そうかなあ」


 ライルは首を傾げる。彼は大きな台車を押していた。そこにはなみなみと水の入った水槽がある。


 ミーナはごきげんな調子でパン屋のドアを開く。どうもー、と声をかけると、昨日と同じように完全戦闘態勢のトロールが現れる。口の端から炎の息をも吹き出しそうな形相だ。ライルは顔を曇らせた。客商売でそんな態度を取っていたのでは、売れるものも売れないのではないだろうか……。


 しかしミーナは慣れた態度で手を挙げる。もはや行きつけのようだ。


「こんにちは、ロックさん! 昨日のパンすっごくおいしかったよ!」

「本当かい!? お口にあってすごくよかった! ぼくパン作りの腕だけは自信があるんだ、ヨメに来る?」

「いかないけど、きょうはロックさんにお探しの相手を見つけてきたんだよ」

「本当かい!?!?」


 ロックは思いっきり食いついてきた。めんぼうを振りかぶりながら、ウオオオー!と吠える。ちょっと感情が高ぶってしまったようだ。ライルの運んできた水槽の水がぽちゃりと波打つ。うーむ。


「それで、相手っていうのは!?」

「ふふふ、ほら、そこにいるでしょ」

「え?」


 ミーナが手のひらで指し示すそこには、水槽があり。


 その中には、ウェーブのかかった青い髪の女性が収まっていた。上半身は水着で、その上からシャツをはおり、そして下半身は貝の腰飾りの他ほとんどなにも身につけていない。おっかなびっくりとした瞳には、好奇心の色が輝いている。


 そう、彼女は――。


人魚族マーメイドの、アリスタ=パープリッシュさんです!」

「え、ええええ!?」


 トロールはその半人半魚のマーメイドを一飲みできそうな大口を開けて驚いていた。



 ふたりは見つめ合いながらも、固まっている。


 こうなる予想はしていた。ライルは顔に手を当てる。トロールとマーメイドのカップルだなんて、聞いたこともない。ひとりは山に、ひとりは海に住む種族だ。ひとつ屋根の下に住むことが……。


「つまり、ぼくの相手って……」

「はい、そこのアリスタさんです!」


 ミーナは意気揚々と腕を広げる。


「アリスタさんは、レーゼホルン海から川を上ってネポアまでやってきたぐらい、好奇心旺盛でたくましい方なんですよ。ロックさんの求める女性像にぴったりと当てはまるはずです!」

「いやいや、でも、実際にマーメイドを見るのは初めてで……」

「大丈夫です、アリスタさんもトロールを見るのは初めてですから」


 それは大丈夫じゃなくて、倍やばいのではなかろうか。ライルは思わず遠くを見つめてしまう。


 そもそもアリスタは世間知らずのお嬢様であり、相手を選ぶのにライルがもっとも慎重さを心がけていた女性だ。彼女はなんといってもこの街の通貨すらもっておらず、普段は川でサハギンやギルマンに食べ物を分けてもらいながら過ごしている。街の常識に馴染めるとは到底思えない。


「あの、その、マーメイドの方はずっと水槽に入ってらっしゃるんですか?」

「いえ、そういうわけではありません。ちょっとの間なら尾を足に変えて陸を歩くこともできますよ。ただその間は一切喋れなくなっちゃいますけど」

「ええっ!? だ、大丈夫なんですか? そんな感じでうちで生活してもらうっていうのは、大丈夫なんですか!?」


 大丈夫なはずがない。そろそろ割って入る頃だろうかと、ライルはゆっくりと自分のメガネを外して、胸ポケットに収める。


 するとそのときだ。


「……すごい、やっぱり陸ってすごいー……!」

『えっ!?」


 ライルとロックが同時に声をあげた。水槽の中に収まっていたアリスタが、両手を組み合わせながら憧れの眼差しでロックを見つめていたのだ。


「……あんな深くて暗い海の底から、出てきてよかったー……! すごい、牙の生えた巨人ー! こんな生き物に会えるなんてー! しかもそれが大型魚やイカやタコも食べずに、パンを焼くなんてー! すごい、すごい! 面白すぎー!」


 え、えー……? と驚く男性陣の横で、ミーナは腰に手を当てたままドヤ顔をしている。


「ミーナさーん! 紹介してくれてありがとうー! わたしこの人と一緒に暮らしますねー!」


 ハッ、とライルは我に返った。アリスタ嬢の面接したのは彼だが、そのときは彼女がこういうキャラクターだなんてわからなかった。行動力があるタイプだとは思っていたが、まさかこんなノリだけでなにもかも決めてしまう系の女性だったなんて。


「ちょ、ちょっと待って、アリスタさん。もう少しよく考えて」


 なぜ婚活相談所所長の自分が止める立場になっているのだろうか、という疑念が一瞬だけ頭をよぎったが。それはそうとして、ライルは口を出す。


「君、陸地でずっと暮らすことになるんだよ。近くには川も流れているけど、それにしたってパン屋でお手伝いをするとなったら……」


 なぜかミーナが含み笑いをした。


「大丈夫です、ちゃんと考えていますよ。アリスタさんにはカウンターの中で店番をやってもらう予定なんです」

「え、ええ?」

「それだったら水槽に入ったまま動く必要もないじゃないですか! このパン屋はこんなにかわいらしい看板娘が誕生して万々歳! アリスタさんも念願だった陸の街で働くことができて万々歳! どうですかこのプラン!」

「そんなことって……」


 ライルの前、ロックとアリスタは見つめ合っている。しかし彼らの目には先ほどのような戸惑いではなく、今度ははっきりと互いを意識し合っているのがわかった。


「あ、あのわたしー、セッキャクギョーとか初めてですけど、ギョってついているし、なんかうまくやれそうな気がしますから、雇ってもらえますかー? ロックさんー」

「う、うん……、あの、店主と授業員から初めてもらえるなら……」

「するするー! やるやるー! アリスタがんばりますー!」


 ロックとアリスタの共通点といえば、ただひとつ。彼らはともに『婚活相談所』を利用したこと。つまり、生涯の伴侶を探し求めていたことに他ならない。


 想いさえあれば種族の壁など乗り越えられる――だなんて、ライルがもっとも信じたいと願いながらも、信じられずにいた綺麗事ではないか。


 なのに――。


「そんなことって……、ありなの?」

「ありに決まっているじゃないですかー!」


 超絶勝ち誇るミーナの横で、ライルはぽかんとマヌケのように大口を開いていたのだった。




 *** 




 その後の顛末である。


 とりあえずロックとアリスタは一週間の婚活体験を終えた。ロックはその鍛冶の腕で、家の一部を巨大な水槽に改造したらしく、アリスタはそんな優しいロックに首ったけのようだ。彼らに子どもができるのかどうか――生物学的に――はともかく、今のところは結婚に向かって着々とステップアップをしているらしい。


「……なにが起きるわかんないもんだな、人生って」

「ですねー。紹介した立場でこんなこと言うのもなんですけど、まさかこんなにうまくいくなんて」


 ミーナはネポア印刷組合の発行した新聞を読んでいた。そこには『彗星のように現れた美少女! マーメイドが接客するパン屋の絶品トースト!』なる見出しがついていた。パンの味は変わっていないのだが、店の印象が大きく変わったからだろう。これで無事ロックは借金を返済できそうだ。


 ロックとアリスタは、終始ミーナに感謝していた。『本当にありがとうございます! あなたはぼくの恩人だ!』やら『あなたはわたしたちのエンジェルですー! ミーナさんさいこー!』やら。


 ミーナは照れ笑いを返すのがやっとだった。でも悪い気はしない。というか、人から感謝されるのは正直嬉しい。


 と。それがこないだまでの出来事である。


「ミーナくん」

「はーい?」


 顔をあげた彼女は、こちらをじっと見つめるライルの眼差しに、思わず開いていた口を閉じる。


「な、なんですか? 真面目な話ですか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」


 ライルはなにやら難しいことを考えるような顔で。


「君のその柔軟な発想力は、たぶん冒険者だったからなんだろうね。僕は意外と、大した拾いものをしたのかもしれない」

「へ……?」


 なにを言われたのかわからないミーナはしばらく目を瞬かせていた。ライルは一瞬だけくすりと微笑むと、再び手元の本に目を落とした。


 近々、新聞には大きなトロールと小さなマーメイドの異類婚姻譚の一幕が載るかもしれない。その大きな力となったのは間違いなく、ライル婚活相談所の若きエース、ミーナ=レンディであった。



ライルの業務日誌:彼女は、エルフが絡まなければいい人なのかもしれない。エルフが絡まなければ。



次回、金貨百枚のドラゴニュート、12時更新予定です。

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