パン屋のトロールさん 前編
メガネをかけた金髪の青年と長い赤髪の女性は、向かい合うようにしてソファに腰かけていた。
「はぁぁ…………」
「……」
谷よりも深いため息を、ライルは完全に聞いていないフリをしている。ミーナはあてつけというわけではないが、もう一度ため息をついた。
ライル婚活相談所は、応接間、受付、資料倉庫室に謎の部屋を加えた、四部屋で構成されている。ここはそのうちのひとつ、応接間だ。お客さんが来ないため、ほぼ職員――といってもふたりだけだが――の休憩室と化している。
テーブルに頬杖をついて遠い目をしているミーナに、ライルが申し訳なさそうに口を開く。
「……あの、暇なようだったら、受付のほうのお掃除をお願いしても」
「もう終わりましたよ」
「じゃあ、この部屋とか」
「立入禁止の謎の部屋以外はもう全てお掃除しました。毎日毎日お掃除しかやることがありませんからね。お客さんが来ない来ないとは聞いてましたけど、どうしてここまで来ないんですか。客除けの結界でも張っているんですか?」
「あいにく僕は契約魔法には疎いんだ。というか、この相談所は前々からこんな感じだよ。きょう明日で客が来るようになるものでもない」
ミーナはライルにジト目を向ける。お客さんが来てくれないということは、エルフの結婚志願者も現れないということで、それはミーナにとってはあまり面白くない展開だ。
「お客さんが来ない一日は、あたしの独身歴が伸びる一日なんですよ」
「お見合い相手ならストックがあるよ。君が結婚してくれれば我が所としても成婚事例がひとつ増えて大助かりだ」
「エルフなんですか?」
「心の目で見ればエルフに見えないこともないかもしれない。試してみるかい?」
「あたしそこまで徳が高くありませんから……」
そんなことを話していると、受付の方から「あのー……」という小さな声がしてきた。
ミーナはがたっと席を立つ。
「お客さんですよ! ライル所長!」
一週間ぶりの客だった。
「どうも、ロック=ドロムと言います」
応接間のソファにちょこんと座った彼をミーナは見上げていた。互いに自己紹介を済ませた後、ほえー、とミーナはマヌケに口を開く。
「体、おっきいですねえー」
「ええ、まあ、ぼくトロールなんで」
硬質的な肌をもつ彼は、紛れもなくトロールであった。ゆったりとしたシャツを着ていて、頭頂部はつるりと禿げ上がっている。身長はミーナの二倍あり、腕の太さはミーナの胴体以上だ。こんな狭い地下にやってくるのは、ずいぶんと窮屈だったに違いない。
トロール族はかつて人間族と争った時期もあったが、今ではおおむね友好的な種族として知られている。その大半は山岳地帯に住んでいるが、中にはこうして街に定住する者もいる。
ロック=ドロムは年齢四十二だと言ったが、人間族に当てはめると恐らくミーナと同じぐらいだろう。
「あなた珍しいですね。ぼくみたいなトロールを怖がらない人間族の女性って」
「あたし冒険者上がりなんで気にしないですよ。オーガさんとかオークさんとかとパーティー組んだこともありますし」
「め、女神……!」
「えっ!?」
トロール――ロックの目がキラキラした。彼はライルに向き直ると、大きくうなずく。
「この人で! お願いします! この人こそがぼくの運命の人だ!」
「だそうですが、ミーナくん」
「すみません、あたしエルフ専門なんで……」
ロックはその場に崩れ落ちた。俯きながら悔しさに声をにじませる。
「くそう、あんな立ち木みたいな連中ばっかりがモテやがって……! なんなんだよこの世界は、あまりにも不公平じゃないか……! ニンゲン族はいっつもそうだよ! だからぼくは一生結婚できないんだ! エルフなんて滅亡しちまえ! 森は全部鍛冶場にしろ! 鍛冶場にエルフをくべろ!」
「ミーナくん、のっけからお客さんのモチベーション奪わないでくれる?」
「今のあたしが悪いんですか!?」
釈然としないミーナはさておき、ロックが落ち着いてからとりあえず話を聞くことにした。
「実はぼく、テムス通りでパン屋を営んでまして」
「え!?」
部屋の隅っこに移動した(させられた)ミーナは慌てて口を閉じる。女に裏切られたばかりのロックは半眼でミーナを見やる。
「……もともと、鍛冶場の炊事係だったんですよぼく。みんなにうまいうまいって褒めてもらっているうちに、じゃあそっちの道に進もうかな、って。パンも鍛冶も火を扱うという意味では、だいたい同じようなものですよね。いつだって全力です」
ミーナはそうかなあと思った。ロックが生地をこねている図を想像する。なんだか微笑ましい。割と似合っている気もした。
話を聞きながら、ライルは紙に記入をする。ロックの店の経営状況などを尋ねてゆくと、優しいトロールの顔が曇っていった。
「……なるほど、けっこう危ない感じなんですね」
「ええ、まあ……」
借家の家賃や市への税金、さらには設備投資にかけたお金の利息で、徐々に首が回らなくなってきたのだという。
水の都ネポアは亜人(※この場合、都市主要民族である人間族以外の住人を指す)の割合が比較的多いものの、銀行はまだまだ彼らを信用してはいない。貸し渋りか、そうではなくても高額の利息をふっかける。店を構えるのは大変なのだ。
ロックはそんな状況でもパン屋を開店させるところまでこぎつけたガッツのある人物だ。彼はトロール族特有の下顎に生えた鋭い犬歯をのぞかせながら、顔をあげる。
「だから、こんな状況だからこそ、ぼくは結婚しようと思うんです」
「ほほう」
「退路を断ち、家族のためにがんばろう、って。そう思ったからこそ、友達にこの婚活相談所の場所を聞いてやってきたんです。ぼくに足りないのは覚悟だと思うんです。パン屋がなくなったって故郷に帰ればいいやって、そんな気持ちじゃだめなんです! ぼくが! 妻と子どもを養うんだ!」
ロックは熱弁した。『熱が入ると回りが見えなくなる悪癖があり(?)』とライルが手元の紙に記入するのを、ミーナは見てしまった。
絶たれる退路に立たされることになる奥さんを思うと、ミーナは首を傾げざるをえない。だがロックの人間性(トロール性)は嫌いではなかった。妻と子どものためにがんばるパン屋の店主だなんて責任感もあるし、ロマンチックじゃないか。
それに、そんな逆境だからこそ燃えるという女性がいるかもしれない。好みは千差万別だ。とてつもないトロール萌えの女性の実在だって無視はできない。ミーナは強くうなずいた。
「わかりました、ロックさんの理想のパートナー、お探しします!」
胸を張るミーナの隣で、ライルは難しそうな顔をしていたのだった。
ロックが帰った後だ。
「ミーナくん、あれはたぶん相当時間がかかるよ」
「え、そうなんですか? どうしてですか?」
ライルが頭をかきながらつぶやいた。
「うちには、トロール女性の登録がない。君も経験しただろう? 異類婚姻で文化の差を埋めるのは大変なんだ。何人か、種族にこだわりのない人を紹介してみようとは思うけれど……、あのパン屋がそれまで存続しているかどうかわからない。ちょっと厳しい案件だなあ」
心配そうに顔を曇らせるライルに向けて、ミーナはあっけらかんと言った。
「あたしはそんなことないと思いますよ」
「え?」
「明日からあたし、この登録されている女性たちのところに直接伺ってきます。だってロックさん、いい人そうでしたもん。ああいう人は冒険者でも信頼できます。成婚にまで至らなくても、お付き合いする人ぐらいは見つけてみせますよ。そう言っちゃいましたし」
「……そうか」
ライルはメガネの奥の目を細めて、小さく唇を緩めた。
「その結果、うちの評判が広まって登録者がバンバンやってきてエルフの冒険者がよりどりみどりなんてことになるかもしれないもんね」
「ですね!!!」
ミーナは満面の笑みでうなずいた。
ライルの業務日誌:ミーナくんの謎の自信はいったいなんなんだろうか。
後半は21時更新予定です。