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冒険者のミーナ その6

 婚活体験七日目、ライルはエルフの村へと馬車を走らせていた。


「うーん」


 きょうで婚活体験はおしまいだ。七日間の同居生活だったが、どうだろうか。といってもちょくちょく様子を見に行った限り、今回の婚活体験は破談だろう。


 確かに異類婚姻譚はまだまだ多くの問題が残っている。国でも今のところ、積極的に支援をしてくれる様子はない。だが、世界が平和になった今、さまざまな種族間の差別や偏見の芽を取り除いてゆかなければならないのだとライルは考えている。


 ミーナの情熱ならその先駆けになってくれるかと期待をしていたのだが、あの様子ではミーナの意志はともかくとして、結婚をやめたほうがいいだろう。紹介した身としては心苦しい限りだ。


「……でももしかしたら、うまくいっていたりもするのかなあ」


 なんとか彼女があのエルフたちと折り合いをつける方法があるなら。あるいはエルフたちが彼女をヨメと認めたら、万が一。


 そんな幸せな奇跡を想像しながらライルは村の前で馬車を止めた。


 馬車を降りる。さて、どんなことになっているだろうか。少しライルはわくわくしながら顔をあげる。


 村の広場は抉れており、まるで大規模魔法が叩きつけられた跡のようにクレーターができている。その中心に凶暴な殺気を振り撒くミーナがいて、魔法を唱えながら彼女を取り囲む多くのエルフたちがいた。


「えっ、なにごと!?!?!?」


 なんだかとてつもないことになっていた。




 ***




「ちょっとニンゲンさん、お茶煎れてくださらない?」

「はい、ただいま!」

「……ちょっと、なにこのお茶。ぬるすぎるんじゃありませんこと? 飲めたもんじゃありませんわね。まったく、お茶一つまともに淹れることができない無能なアナタは、なんで生きているんですの?」

「す、すみません! すぐ淹れ直します!」



「ねえニンゲンさん、表にある荷物、重いからすべてお部屋に運んでおいてくれる?」

「わかりました! やっておきますね!」

「ちょっと、ニンゲンさん、どうしてそんなに時間かかっているんです? もう、わたくしたちは夕食を食べてきますから、ニンゲンさんはそれまでにやっておいてくださいね。間に合わなかったら夕食はありませんから。どうせ間に合わないでしょうけど」

「は、はい……、がんばります!」



「ニンゲンさん、あなた寝る前にまたローミオンさんの部屋に行ったでしょう? 相手にされていないとご自身でわかっていらっしゃるのに、無駄なことをしますのね」

「はい、すみません!」

「そんな無駄な時間があるんでしたら、きょうから私たちが眠っている時間は徹夜で村の見張りでもしてもらおうかしら。あなた体だけは頑丈なんだものね。なにその目、もちろん冗談よ。つまらないニンゲンだわ、目障りだからしばらく村のお手洗いの掃除をしていてくれる?」

「はい、すみません!」


 ミーナはハキハキとにこやかな笑みを浮かべながら辺りに頭を下げる。しかしその目は笑っていなかった。


 もはや感情を失ってしまったかのようなミーナの頭の中にあるのは『エルフはきれいだなあ』というなんだか子どものような感想だけである。


 とりあえず、うまくやっていくコツとしては『余計なことを言わない・考えない・プライべートをもたない』の三つだな、とミーナは学習した。ミーナおぼえた。


 なんかもう日々の感覚もなくなりつつあった頃(七日目である)に、ミーナはふと立ち聞きをしてしまった。


「そういえば、街から来たあの赤毛の子、なかなかよくやっているみたいですね」

「あら、そう?」


 ドキッとした。ミーナは思わず壁に隠れる。ちらりと見やると、自分を褒めてくれたのは他の家のエルフさんだった。


 思わずミーナは涙が出そうになった。自分のがんばりをどこかで誰かが認めてくれている。それだけでミーナに人間らしい感情が戻ってくる。そう、これがココロ……! 胸が暖かい……! これがヒトのココロなのね……!


「で、実際のところ、ローミオンさんのお嫁さんとしてはどうなんですか?」


 ミーナは目を見開いた。ぴょんと背筋を伸ばす。まるでテストの答えを盗み聞くような気分で、ヒトのココロを取り戻したミーナの胸に罪悪感が去来するも、それよりは好奇心が勝った。息を殺し、気配を殺しながら言葉を待つ。


 自分を褒めてくれたエルフと話しているのは、ローミオンの母、メレスベスだった。彼女は頬に手を当てながら微笑む。


「どう、といいますと?」

「結婚したらこの村で一緒に暮らすことになるんですよね。やっていけそうです?」

「うふふ」


 メレスベスはもったいぶるように笑う。ミーナの心臓はもう口から飛び出そうだ。合格なのか不合格なのか、どっちなんだ。どっちなんだ!


「――ありえませんわ」


 一瞬、ミーナの呼吸が止まった。


「そもそもニンゲンがこの村で一緒に暮らすだなんて、考えただけでゾッとします。ローミオンだってそれを望んではいないでしょう。婚活だなんてしたのは、あの子が所長に恩があったから、義理のようなものですわ。まさかそれを真に受けてやってくる子がいるだなんて、本当に世間知らずも大概にしてほしいですわ」


 そう言うと、相手のエルフも笑う。


「そうですよね、心配していました。メレスベスさんはいったいどうしちゃったんだろうって、村のみんなも言っていたんですよ。あんな醜いニンゲン族を飼って遊ぶだなんて、趣味が悪いですよ」

「ええ、村の景観が乱れますからね。その件については、皆様に心から申し訳なく思っていますわ」


 ミーナはぷるぷると震えていた。


 結局、自分がこの七日間やってきたことについては、なんの意味もなかった。それどころか、ずっとずっと馬鹿にされ続けてきたのだ。なんという屈辱か。なんという、なんという。


 もういい。こんな茶番はうんざりだ。


 せっかくずっといい子にしていたのに。みんなと打ち解けようと必死だったのに。なんの意味もなかった。


 ミーナは固く拳を握る。


 そのとき、ミーナの中で張り詰めていた紐がぷっつりと切れた。


 その紐の名を、堪忍袋の緒と言う。




 ***




「ウオオオオアアアアアアアアアアアアアア!」


 クレーターの中心でミーナは咆哮する。振り乱した髪の隙間から覗くその目は、異形の怪物のように赤く輝いていた。


 ミーナを取り囲むエルフたちは、彼女を心から恐れているようだ。


「ちょ、なんですかあれ!?」

「わかりません! 急に彼女が暴れ出して!」


 ライルは適当な村人を捕まえて事情を聞くが、エルフたちは動転していてなにがなんだかわからないようだった。


「ニンゲンさん、正気に戻って!」

「なんですのこの力! 体の中に邪神を封じ込めていたの!?」

「そんな、これだけの捕縛魔法を束ねても身動きを抑えるのがやっとだなんて!」


 広場には延々と呪文の詠唱が響く。エルフたちは皆、顔を真っ青にして魔法を放っていた。


 そこに、地獄の底から轟くようなミーナの声。


「くそう! くそう! ふざけんなよあんたたち! 人が夜明け前に起きて誰よりも遅く寝ているのに、いちいちつまんない揚げ足取りばっかりしやがって! あたしはあんたたちの奴隷じゃないんだ! 嫁! 嫁のためにやってきたんだぞ! それなのによお!」


 ミーナが荒々しい言葉で叫ぶたびに、彼女の手足に巻きついていた緑色の蔦のような呪縛が弾け飛んでゆく。エルフの集団は大慌てで呪文を輪唱する。


「なんなのあの子! 体が頑丈ってレベルじゃないわよ!」

「フォレストドラゴンだって潰れてしまうほどの負荷がかかっているはずなのに! どうなっているの!?」

「ニンゲンよ、怒りを鎮め給え! 鎮まり給え!」


 エルフの叫び声を気にせずミーナは腕を振るった。その手のひらからなにか衝撃波のようなものが放たれると、集団の一角がまるで枯れ葉のように吹っ飛んだ。「ああっ、エンシェントエルフの大祖母さまが!」と悲鳴があがる。


「あたしだってこんなことはしたくなかったのに! したくなかったのにさあ! あんたたちが悪いんだからね! あたしは真面目にがんばっていたのに! だからあたしは壊すんだ! こんな村、滅んじゃえばいいんだ! この手で! すべてを!」


 ミーナの全身に赤い燐光が宿る。エルフたちの中には泣き叫んで許しを請うものも出てきた。


 もはや捕縛魔法ではどうにもならなくなったからか、エルフたちはいよいよ村の被害にも構わず攻撃呪文をぶっ放した。風の刃や気流の槍、嵐の剣が次々とミーナに襲いかかるが、そのすべてをあの赤髪の女性は両の拳で打ち払っていた。強すぎる。


 S級冒険者ミーナ・レンディ。ライルは彼女の経歴を思い出す。


 十四歳で冒険者となり、それ以来どんな難関クエストも一切の武器を使わずに素手で攻略してきたミーナを示す二つ名は『拳神アポカリプス』。彼女を怒らせるなど、まさに神の怒りに触れる愚かな行為だったのだ。


 いよいよこのままでは村が全滅するしかないのではないかという状況で、エルフたちの間から進み出てきたひとりの青年がいた。彼は恐怖に抗うような表情で、ミーナに向かって手を伸ばす。


 ローミオンであった。その後ろには、怒りに緑色の髪を揺らめかせたメレスベスもいる。


 自らの責任を果たすかのように、ローミオンが叫ぶ。


「ミーナさん! もうこんなことはやめるんだ!」

「――っ」


 ミーナの目にヒトのココロが戻る。


「ろ、ローミオンさん…………」


 押し黙るミーナ。その代わりに、メレスベスが叫ぶ。


「ちょっと、ローミオンさん、どいてください! 村をめちゃくちゃにしたこの女を許すわけにはいきませんわ!」

「母様!?」


 ローミオンを押しのけたメレスベスは両手に魔力の渦を宿す。その力はこれまでのエルフたちと比べても、さらに激しい。


「まったく、私たちがあれほど気にかけてやったというのに、恩を仇で返すだなんて……! これだからニンゲンは恥知らずで野蛮な種族なんですわ!」


 この期に及んでそんな言葉を吐くメレスベスに、ミーナの怒りが再燃した。


「気にかけてやったって……、あれが……? あれが!? あんたたちの世界では、誠意と好意をもってやってきたヨメを奴隷扱いすることを『気にかける』って言うんだ!? 知らなかったなあ!」

「減らず口を! あなたみたいなのは、私が根性叩き直してあげますわ!」


 メレスベスが撃ち出した魔法は竜巻を喚び出す高等呪文だ。並の人間なら抵抗できるはずもなく切り刻まれるだろう。並の人間なら、だが――。


「あらお母様! なんですかこのなまっちょろい魔法は! 恥ずかしいですわね! 根性を叩き直してもらう必要があるのは、あんたのほうみたいですわ!」

「な、なんですって!?」


 エルフの美女はその柳眉を釣り上げた。両手から放たれ続けている魔法は間違いなく効果を発揮しているはずだ。しかし、竜巻の中心であのミーナは平然と立っている。


「馬鹿な、ニンゲンごときが、そんな、私の魔法が……っ!」


 恐怖に怯えたその表情とは裏腹に、メレスベスはさらに膨大な魔力を注ぎ込む。竜巻は徐々にその規模を増してゆくが、それでもミーナはびくともしない。メレスベスは限界を越えて魔力を振り絞る。それがいけなかった。


 やがて、メレスベスの頬がひび割れた。本人は気づかない。息を切らしながら、ひたすらに魔法を維持し続ける。だがその指先や、額、足首など、露出している部分の皮膚がピキピキと剥がれ落ちてゆく。彼女はあまりにも魔力を使いすぎたのだ。


「こ、これは……!? 私の、私の姿が!」


 やがて竜巻が消え去る。ミーナはやはり傷ひとつない。


 それに対し、その場にひざまずいていたのはひとりの老婆だった。髪が白く染まり、そうして全身にかけて、醜く老いてしまっている。メレスベスは絶望をその顔に張りつかせながら、顔面を手で覆った。嗚咽がその喉から漏れる。激情に任せて身に余る魔法を使ってしまった彼女の代償は、あまりにも大きかった。


「………………」


 ミーナはその哀れな姿を見て、固く握っていた拳を少しだけ緩めた。


 そのときだ。メレスベスをかばうようにして、ローミオンがミーナの前に立つ。彼は悲しそうな顔をしていた。


「君がどうして怒ってしまったのか、それは母様から聞いた。確かに母様はやってはいけないことをしてしまっただろう……、でもだからって、こんなことをしてなんになるっていうんだ!」

「…………」

「ミーナさん! 正気に戻ってくれ! ただ闇雲に暴れたって、仕方ない! 君ならそれがわかるはずだ!」

「………………」


 ミーナは拳を握ったまま、顔をあげた。その目は据わっている。


「……うっせーよ」

『えっ!?』


 その暴言に、エルフたちの目が一斉に点になる。ここはローミオンの言葉で改心する場面じゃないの? と。



 ライルの業務日誌:なんなんだもうこれ。

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