冒険者のミーナ その5
三日目。
起こされるなり、ミーナは台所でいきなり釘を刺された。
「アナタ、昨夜ローミオンさんの書斎にいたそうですね」
「えっ!?」
なんで知っているんだろう。こわい。
「嫁入り前の男女が同室にいるなんて、少しふしだらでありませんか?」
「えっ、で、でも、一応婚約っていうか、そのためにこのおうちに来ているわけですし……」
すると他のエルフの美人たちも次々と賛同する。
「そうですね、いけないと思いますわ」
「慎んでくださいまし」
「ニンゲンってば、本当にはしたないんですのね」
「なんでも、年中発情期らしいじゃないですか。気を付けたほうがいいわよ、メレスベスさん」
どっと笑いが巻き起こる。メレスベスは肩を竦めた。彼女がローミオンの母親である。見た目は明らかにミーナと同じぐらい……いや、むしろミーナより若く見えるのに……。
「大丈夫よ、ミーナさんもいくらニンゲンだからって、そこまで恥知らずではないでしょう。ねえ、ミーナさん?」
「は、はい……。気をつけます……」
またさらに笑い声が広がった。彼女たちが唯一の男子であるローミオンのことを大好きなんだろうな、というのはわかる。
だが、根なし草として自由な冒険者業を続けていたミーナにとって、こんな風に扱われるのは初めてのことで、なんだか心の奥に鬱屈としたものがたまってゆくのを感じた。
こいつらみんな顔面はみんなすごい綺麗なのに……! 顔面だけは!
「――という感じなんですよ! ひどくないですか!?」
その日の夜、ちゃっかり再びローミオンの書斎にやってきたミーナは、ヒートアップしながら心情を吐露していた。声を潜めてはいるが誰かには聞かれているかもしれない。エルフは耳がいいと言うし。
だがそれがなんだというのだ! 自分とローミオンは夫婦になるためにこの婚活体験をしているんだから! 正当性があるんだよ!
ローミオンは本から目を離さずにウンウンと聞いていたが、そこでふと顔をあげた。
「でも、母様たちがそう言ったんだろ?」
「え? そ、そうですけど」
非難するような視線を浴びて、ミーナの語気が急速にしぼんでゆく。
「じゃあ母様たちに従ったほうがいい」
「えっ、で、でも……、あたしとローミオンさんは……」
「我が家のあらゆる決定権を握っているのは彼女たちだ。彼女たちがそう言うなら、彼女たちのほうが正しいんだろう。むしろ問題を起こしているのは、君のほうなんじゃないか?」
「えっ、違いますよ! あたしはこの家に馴染もうと必死で……」
「だったらきっと努力が足りないんだろう。僕には仕事があるんだ。君たちの問題は君たちで解決してくれ」
「そ、そんなぁ……!」
ミーナは思いっきり困った顔をした。ローミオンが味方をしてくれないというのなら、ミーナの味方はひとりもいないということではないか!
「で、でもあたし、なんかニンゲンニンゲンって言われて、バカにされたりしているんですよ! きょうなんて『ミーナさん』じゃなくて『ニンゲンさん』ってわざと呼ばれたり! なんかやたらと水汲みを頼まれるし! 疲れているからってちょっと返事をためらったら『あら、そのたくましさでこの大陸の全土に繁殖したニンゲンさんのくせに、そのぐらいのこともできないんですね?』ってすごい嫌味言われたり! あたしは害虫かって話ですよ!」
ローミオンは生返事をしながらも、本から目を離さずにつぶやいた。
「仕事があると言っただろう。話ならまた今度聞く」
「ううううううううう」
ミーナはその場に突っ伏しながら思いきり唇を噛み締めた。なんか思ったより主体性のない人だけど、でも顔は綺麗だから! いつまでも老いない美貌があるのなら! 少しぐらいの欠点は我慢しないと!
そうよミーナ! あなたこれが最後のチャンスなのよ! この機会を逃したらもう永遠にエルフとは結婚できないのよ! 昔からの夢だったんでしょう!? 根性を! 根性を見せるのミーナ!
四日目にライルが訪ねてきた。
「こんにちはミーナさん、調子はどうですか? って、あれ、なんか痩せてません?」
村の広場だ。両手に荷物を抱えたミーナは、半眼でライルを見やる。
「そりゃ三日間延々と草しか食べていませんからね! エルフは菜食主義者だとは聞いていましたけど、あたしが冒険で会ったエルフさんたちはお肉も食べるしお酒も飲んでましたよ!」
「う、うん、僕に言われても困りますが。そりゃ人間の社会に染まったエルフだからじゃないかな。本来のエルフとしてはこの村の人々のほうが正しい生活をしていると思いますよ」
「ううううううううう」
ミーナの赤毛は乱れていて、なんだかこの村のエルフたちに精気を吸い取られているかのような気持ちだった。
ライルは「えと」と頬をかきながら。
「あんまり我慢しすぎるのはよくないですよ。ダメなら次いきましょう、次。結婚生活は忍耐と言いますが、結婚する前から我慢していたらもたないですよ。断りづらいなら、僕の方からお断りしてきますが」
「お心遣いありがとうございます! でも、いいんです! あの人たち、顔面はすっごく綺麗なんですから!!」
「そ、そうですね」
小柄なミーナに下から詰め寄られて、ライルはこくこくとうなずいた。彼が小さく「重症だ」とつぶやく。放っておいてほしい。
そうこうしていると、遠くから「ミーナさーん」と呼ぶ声がした。ミーナはびしりと背筋を正す。
「あっ、そうだ、これから寄り合いがあるので、その準備をしないと……。すみませんライルさん、失礼します」
「ほ、本当に大丈夫ですか? なんだかすごく無理しているように見えますけど……」
「そうなんですよ、あたしに常識がないから……。いけないのは全部あたしなんですよ……。もっとちゃんと花嫁修業とかしていたら、もうちょっと気に入られたんですけど、あたしががさつだから……へへへ」
「うちを尋ねてきたときはあんなに元気いっぱいだったのに、自分を卑下するようになっちゃって! 卑屈な笑顔を浮かべなきゃやっていられないような扱いされているんですよね!? 本当に大丈夫ですか!?」
よれた笑顔を見せるミーナの肩を掴んで、ライルががくがくと揺する。ミーナは呪詛のように大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫とつぶやき続けた。
だが不慣れな土地で単身がんばるミーナは実際、大丈夫でもなんでもなかった。
十二人のイカれた姑に囲まれたミーナの神経は日々すり減ってゆく。なんといっても相手はアラウンドハンドレットやアラウンドツーハンドレットの猛者だ。しかも人間族に好意的ではなく、気難しくて偏屈な連中ぞろいと来ている。二十五歳のミーナが単身でどうにかできるはずもない相手だったのだ。
だからといって、彼女たちはミーナを追い詰めすぎた。
ミーナを『ただの頑丈な人間』程度にしか思っていなかったことが、エルフ女性たちの致命的なミスであった。
そんなミーナがこの村にとてつもない災いをもたらすことになるのは、三日後。すなわち婚活体験最終日のことであった――。
ライルの業務日誌:ミーナさんの目がやばいので、しばらくエルフの村に通わないと……。