ライルとミーナの共同生活:破壊
ミーナはライルとの共同生活を、なんとなくのんびりと楽しんでいた。
もともと、冒険者として見知らぬ男性と一緒にその場でパーティーを組み、状況によっては狭いテントの中で身を寄せ合いながら眠ることがあったミーナだ。
そういう意味ではライルと一緒に暮らすのは、特になんのストレスもなかった。ライルの顔面はめちゃくちゃかっこいいし。
むしろアグラディア相手に気を遣って気を遣って気を遣っていたあの頃の五千倍は穏やかに暮らせているといっても過言ではない。
「ただいま」
役所に寄ってきたライルが家に帰ってきた。ソファーに座っていたミーナは読んでいた雑誌から顔をあげる。
「おかえりなさい」
「この頃はもう寒くなってきているね」
「エルフも寒さを感じるんですか?」
「人間よりは平気な方だよ。なにを読んでいたの?」
コートを脱いだライルに、ミーナは雑誌の表紙を見せる。
「ネポア市のグルメガイドです。きょう担当していた人が『女性をどこにエスコートすればいいかわからない!』って嘆いていたので、一応お店だけでも覚えておこうかなって……。でも、こういうお店ってひとりじゃ行きにくいんですよね」
「ああ、じゃあきょうは外食にしようか。それぐらいはご馳走するよ。業務の一環ということで」
脱いだコートを再びはおるライルに、ミーナはいやいやと手を振った。
「ちゃんとお給料もらってますから、割り勘にしましょう。あ、その代わりお店はあたしが選んでもいいですか!」
「はいはい」
ふたり連れ立って食事に向かう。グルメで評判のオークが腕によりをかけた肉料理は、値段とお店の雰囲気よりもだいぶ割高な満足度を手に入れることができた。
これならお客さんにも自信をもって勧めることができるだろう。
お互い寒いねーと言い合いながらポケットに手を入れ、のんびりと歩く帰り道。
なんとなくミーナは、並んで歩く顔のいい男を眺めながら、ああ、と思った。
「結婚したら毎日って、こんな感じなんですかねえ」
「僕も誰かと結婚したことはないから、知らないけれど、たぶんそうなんじゃないかな」
「なんでそんな調子で婚活相談所なんて開こうと思ったんですか」
「うるさいな。友達との約束だからだよ。それよりどうだい、僕の社会性の高さをそろそろ理解してきたんじゃないのかい」
「そうですね……。思ったよりフツーっていうのと、なかなかボロを出さないなーってところですね……」
「君は……」
ライルは深いため息をつく。
「まあいい、古エルフは時間だけは余っているからね……。気の済むまで僕を、もといエルフを観察するがいい」
「いっそ極限状態に追い込んでやったほうが、本性を見せるのかもしれません」
「やめてくれ」
ミーナは「冗談ですよ」と付け加えた。もしかしたら、本当にやりかねないと思われているのではないかと感じたのだ。
『絶対に入ってはいけません』とライルの字で書かれたドアがある。
まあ、ライルがどんなにド外道な特殊性癖の持ち主だからといって、見ないでくれと言われた部屋に無断で立ち入るような性格ではない。
掃除もその部屋以外をしていたし、好奇心がわいてもそれは大人の理性で押しとどめていた。
のだが、婚活相談所がおやすみのこの日、ミーナがお昼寝から起きてくるとリビングにライルの姿はなかった。
「あれ、お出かけしたんですかね」
相談所の倉庫で、怪しげなアーティファクトでも弄っているのだろうか。さして気にも止めず、ミーナはリビングで最近ハマっている包丁研ぎでもやっていようかと思って。
ガタン! という大きな音がした。
「……うん?」
見やる。それは、あの謎の部屋から聞こえてきたものだった。
「……」
なんだろうか。ふとしたときに、冒険者だった頃の記憶が蘇る。頭痛いとうなっていたリンダを宿屋の部屋で寝かせていた時のことだった。
そのときのリンダは前日に暴飲暴食をしていたので、どうせ二日酔いにでもなったんだろうと思い、放置する気だったのだけど、全身から発汗して震える様はとても尋常ではなく、慌てて神官に診せにいったのだ。
結局、そのときに食べたものに毒が入っていて巨人族も秒で死ぬほどの猛毒だったらしいのだけど、リンダの一命は取り留められた。あと少し神官に診せるのが遅かったら、今頃はどうなっていたかもわからない。
「……いや、でも、大丈夫ですよね?」
誰にともなく問いかける。
ただ、なんだろう。
ライルは普段けっこうぼーっとしているところもあったりするし、細身だから、あんまり長生きするようなタイプには見えないし(いや、めちゃくちゃ長生きしているんだけど)
「むむう……」
開けるなとは言われているけれど……。でも、人の生死がかかっているかもしれないのだ。ミーナはドンドンとドアをノックした。
「所長? 中にいるんですか? 大丈夫ですか?」
声はしない。
「えーと、もしかしたら声も出せない状況ですか? なんか大丈夫っていう合図出せたりしますか?」
物音もない。
ただ、ドアの向こう側になんらかの気配があるような気も……するようなしないような。ミーナの感覚がうまく機能しない。
「……すみません、所長。開けますね?」
一応そう言ってから、ドアノブを握るけれど──固い。
カギがかかっているのだ。
「えい」
力を込めると、ドアノブがあっけなく外れた。だが、ドア自体は微動だにしない。
「なにゆえ」
しょうがない。ミーナは拳に軽く力を込め、ドアに裏拳を御見舞した。
だが、開かない!
「なんですかこのドア! オリハルコンかなにかでできているんですか!」
はぁぁぁぁぁ、と拳に力を込める。腰だめに構え、20%程度の力で扉に伸びやかなストレートを叩き込む。
金属同士が打ち合わされるような硬質的な音が響き渡り、しかしドアはなんの影響もなかった。
「……ああもう! こんなところで手間取っている場合じゃないんですけど! スキル全開放でいきますよ!!」
ミーナの全身が赤いオーラを纏いだす。目が赤く光り、拳には凝縮した光が宿った。
全職業のうち、最強の火力を叩き出すことができるゴッドハンドの実力は、相手の防御力に影響されない貫通ダメージ──内功を操ることができることに起因する。
拳さえ撃ち込むことができれば、実質ミーナに破壊できないものは存在しない。
ミーナは構え、目をつむり、魔力を開放させる呼気とともに開眼し、拳を叩きつける。
「拳神掌──!」
ドアは真っ二つに割れ、室内に吹っ飛んでいった。
冒険者を引退して以来、本当に久しぶりに本気を出したミーナは息を切らし、中を覗き込む。室内は暗かった。
「はぁ、はぁ……ら、ライル所長? 生きてますー?」
しかし、そこにはなにもない。ただ暗闇と、石造りの壁。他の部屋とはまったく様相が違う。目が慣れてくると床には紫色の魔法陣が敷かれているのがわかった。
いったいこの部屋はなんだろうか。
魔法陣は特徴的な図で、それはリンダほど伝説・伝承に詳しくないミーナですら、目にしたことがあるものだった。
見ているだけで肌がひりつくような強大な魔力を感じる。それはS級冒険者ですら肌寒さを覚えるほどの、凄まじい禍々しさだった。
「……これって、もしかして」
「ミーナくん」
振り返る。そこには険しい顔をしていたライルが立っていた。
「ドアにかけられた封印が解かれた場合、すぐにわかるようになっていてね。開けるなとは言ったけれど、まさか本当に君がこのドアを破壊できるとは思わなかったよ」
「いや、あたしはあの、もしかしたら所長が中で倒れているのかもって思って」
弁解するミーナの言葉にも、ライルは耳を貸さない。
その顔は、なにもかも諦めているようだった。
「……いいさ、見られてしまったからには、僕はきっとこの街にはいられない。君が生きている以上は」
これほどに怖い声を出すライルを見るのは、初めてだった。
ミーナは拳を握りながら、ライルに問う。
「どうして所長が、ザルボア大洞窟の最奥にある封印と同じ魔法陣を、守っていたんですか!?」
ライルはしばらくの沈黙の後、重々しく口を開いた。
「……そうだな、君たち『人』には知る権利があるだろう」
「……」
「今まで黙っていて悪かった。最後に語るとしよう。常闇公ナハトムジークと僕たち古エルフにまつわる、伝説の時代から続く戦いの歴史を」
「……」
「僕たちの宿命と、すべての罪が始まったあの日のことを。なぜ異種族同士が争うことになってしまったのか。偏見や誤解、諍いが広まってしまったのか。愚かな賢人どもの業を、今こそ人に伝えようではないか──」
「いや、それはいいんですけど」
ミーナは手をパタパタと横に振る。
めっちゃシリアスな顔をしていたライルは「…………ん?」という顔をした。
「これ、危険なものなんですか? 所長はやっぱり、悪い人だったんですか? やばい性癖の持ち主なんですか?」
「え? いや…………僕が封印している限りは、大丈夫だと思うけど……」
「ああー、そうなんですねー、よかったー」
ホッとミーナは胸を撫で下ろす。
「所長も無事でよかったです。そういえばきょうの夜なんですけど、また行きたい店があるんで、所長もお暇だったら付き合ってもらってもいいですか?」
ライルはそんなミーナを呆然と見て。
魂の抜けたような声を出した。
「え?」
ライルの業務日誌:こいつマ?