最後の戦い
からんころん、と婚活相談所のベルの音が鳴る。
「ん」
一部始終を見届けた後、先に帰っていたライルが顔をあげると、そこには紙袋を抱えたミーナが立っていた。
「ミーナくん、どうしたんだい、こんな夜分に」
「いやあ……」
ミーナは受付に大量の酒瓶が入った紙袋を置くと、情けない顔で笑う。
「リンダにフラれたので……。でも、ひとりで飲むのもなんかイヤだったので……ここにきたら、所長がいるかなって」
「だからといって職場で酒盛りは、感心しないな……。有名人の君なら、どこでも付き合ってくれる人ぐらいいるんじゃないのかい?」
「なんか、あんまり。そういう気分でもなかったんで……」
歯切れ悪く言うミーナに、ライルはため息をついた。
ここで彼女を突っぱねることもできるけれど、まあ、今回の件は自分にも多少の責任があるしな……。
「酒だけじゃ体に悪いだろう。なにか食べるものを用意するよ。備蓄が多少あったはずだ」
「え、いいんですか、ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、あたしの自然回復倍増を起動すれば、アルコールは一瞬で消し飛びますから」
「さすが化物だ」
「なんか今失礼なことを思いませんでした?」
「いや特には」
ミーナは小首を傾げ、まあいいかと楽しそうにコップを準備する。
「そういえばリンダから聞いたんですけどー」
「ん」
奥の棚からチーズやクラッカーを持ってきたライルに、ミーナは言う。
こともなく、その言葉を。
「所長って、エルフなんですか?」
思考が止まった。
「え?」
ミーナはふたり分のコップに酒を注いで、ライルの向かいに座った。
「リンダが教えてくれたんですよ。所長はエルフだ、って」
「……」
ライルは静かにコップに口をつけた。
確かに彼女は、出会った当初からライルのことを知っていた。昔から英雄譚などを読むのが好きで、世界各地の伝承にも造形が深かった。
そんな彼女は、ライルが古の魔法使い──ライルフィードであることを早々に看破し、彼を大いに慌てさせた。
ともあれ、リンダもS級冒険者であり、大小の差はあれど探られることを好ましく思っていなかったので、彼女は単に興味を満足させただけで終わったのだが……。
だが、だがしかし、である。
ミーナが知ってしまったとなると、それは大問題なのではないか。
まるで猛獣の前にぶらされた生肉になったような気分だ。
本気でなりふり構わず戦えば、おそらく勝てるとは思うが……しかし、そうなると色々と面倒なことになる……。
よし、ここはやり過ごすのが一番だ。
素知らぬ素振りで、ライルはクラッカーをつまむ。
「君がいったいなにを言っているのかわからないな。僕は見ての通り人間族だよ」
「てかそもそも、イズレンウェさんの農場であたしの前に現れたエルフの人、ライルって呼ばれてましたよね……。それなのにどうして隠し通せると思ってるんですか……。所長、そんな浅い考えでお店とか経営して大丈夫ですか? 一職員として心配になります」
「君が気づかなかったからだろうが!」
怒鳴る。
もう最初からバレバレだったのだ。そりゃそうだ。
ライルは髪をかきむしる。
伊達の眼鏡を外し、ポケットにしまいながら。
「ああもう……別にこれは君だから隠していたわけじゃないぞ。僕は少し有名すぎて、人里で生きるのが面倒だから姿を装っているんだ。悪意があってやっていたことじゃない」
「えっと……じゃあ、ホントにエルフってことですか?」
ミーナはいまだ半信半疑だ。あんなに探し求めていたエルフがこんなにずっと近くにいたのだから、仕方ない話だろう。
この件を放っておくのも気持ち悪いので、ライルは覚悟した。説明するより見せたほうが早い。
ライルが変幻の魔法を解くと、部屋の中には香気のような光が漂い出す。
寂れた地下の相談所に、至上の美が舞い降りた。ライルの髪は透き通るような金髪に変わり、長い耳があらわとなる。
ほあー……とミーナの口から変な声が漏れた。
「そうさ、僕は古エルフだ。太古より星と寄り添い生きる民だよ」
「どうしてあのとき、あたしを助けるときに、わざわざその姿になったんですか?」
「婚活相談所の所長として、個人に深く関わることは好ましいことではないと思っていたからだ。だからせめて姿を変えておこうと……まあ、無駄なことだったな」
「そうですか……」
ライルは苦々しく顎をさする。
「まったく……ついに君にバレてしまうとは」
いつかこの日が来るかもしれないと思っていたが、存外に早かった。
まあ、運命というのはいつも唐突にやってくるものだ……。ライルはコップに残っていた酒を飲み干した。
妙に静かなミーナに目を向ける。エルフ好きすぎて気絶でもしていたらどうしようと思っていると……。
「そうですかー……」
ミーナは引いていた。
当初この婚活相談所に来たばかりの頃の、目を輝かせていた彼女とはまるで違う。
え?
「まだ一年にも満たない付き合いですけど、所長はそれなりにまともな人だと思っていたんですよね……。仕事してるし、ニートじゃないし、派手な女遊びをしてるようにも見えないし……」
「え? ちょっとまって」
話が見えない。
「でも、エルフだったんですねー……そうですかー……、あー、そうなんですかー……」
「それはどういう反応なんだ」
「だって、エルフでしょ……? それって、そういうことでしょ……?」
「だからどういう」
ハッとした。
「まさか君」
「え?」
コップに口をつけながら精一杯ライルから距離を取っていたミーナに、ライルは前のめりになって問う。
「まさかとは思うが、エルフだからってなにか、偏見の目で僕を見ているわけじゃないだろうね?」
「偏見なんてもってませんよ。ただ、所長が人格破綻者だったんだ……という事実を、厳粛に受け止めているだけです」
「待て!」
さすがにライルも声を荒げた。
「なんだそれは! 君がこれまで出会ったエルフがたまたまそうだったっていうだけで、種族全体に不信感を覚えるのはいきすぎじゃないか!」
「ああー……そうですよねー……。エルフの方から見れば、そうおっしゃいますよねー……」
「理不尽なクレームを受けてどうすればいいかわからないからとりあえず笑っていよう、みたいな顔をするんじゃないよ!」
「いいんですよ、あたしは。エルフって一緒にいるものじゃなくて、ちょっと離れたところからその顔面の綺麗さを楽しむものだって理解しましたから」
「僕の話を聞け!」
ライルは顔を手で覆う。
「あのな……。これは本当に本当のことだけど、エルフにはまだ君の知らないたくさんのまともな人たちがいるんだよ。思い出してみてくれ。例えばこないだ成婚したばかりのアイナノアさんとか」
「あー……」
ミーナは細い声をあげる。
「ちなみにライル所長は、ご結婚はされているんですか?」
「……してないけど」
「独身のエルフ男性」
ミーナは己のデータベースと照合した。独身のエルフ男性がこれまでまともであった確率……ピピ、ピピピ、出ました。
「ゼロパーセントです。いつまでも上司と部下として、それ以上は決してかかわらないように生きていきましょう。なるべく会話も少なめで」
「いい加減にしろよ君」
自分個人が嫌われるのはまだいい。
今までのエルフがダメなやつらだった、というのはライルも認めるところだ。
だが。
異類婚姻を推奨し、そのために婚活相談所を立ち上げたライルにとって。
自分がマッチングに失敗し続けたせいで──ミーナがあれほど好きだったエルフそのものに拒否反応を示すようになるなんて、認める訳にはいかない。
かつての親友になんて謝ればいいかわかったものではないのだ。
ならば──。
「わかった、ミーナくん。こうしようじゃないか」
「はあ」
「僕が証明しよう」
ライルは胸に手を当て、立ち上がった。
「エルフの独身男性にだって、良識をもった人物はいるのだと。僕自身が証明しよう。その代わり約束してくれ。僕がまともな人物であると確証を得たそのときは、エルフをもう一度信じてみてくれることを」
「……所長」
ミーナは顔のいい男を見上げながら、コップをテーブルに置き。
そうして、微笑んだ。
「いいんですよ、所長……。人には誰にでも長所と短所があります。自制心の備わっていないエルフの独身男性として生まれ落ちてしまった人たちは、壊滅的なまでに男女交際に向いていないだけで、それはもう、そういうものとして受け止めて生きていきますから。そう、ただシステムが合ってなかっただけなんですよ。『結婚』というシステム自体が、エルフの独身男性にはもう、どうしようもなく相性の悪いものだったんです。ああ、どうして世界はこんなにも残酷な仕打ちをエルフの独身男性にしてしまったのか。ああ、あたしようやくわかりました。今すべてが理解できました。所長たちはむしろ被害者だったんですね……」
「絶対にわからせてやるからな! 君に! 覚悟しろよ!」
ライルの業務日誌:僕の本気を思い知らせてやるよ。




