さらばアグラディア
短剣で刺す。ボウガンを撃つ。炎で焼く。
ダメージは確かに通っている。
そのたびに血が吹き出し、ミーナは苦しそうに顔を歪める。
だが──すべての傷が瞬く間に治ってゆくのだ。
まるで時間が巻き戻るかのように、跡形もなく。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
なんだこれは。
アグラディアの頭の中はパニック状態だった。
ヒュドラなど、非常に強い再生能力をもっている敵とパーティーでやりあったこともあった。修復機能を上回るほどの大打撃を一気に与え、息の根を止めるのが有効な戦術だと理解もしている。
だが、今戦っているのはそんな常識が通用する相手ではない。怪物よりもよほど恐ろしい化物だ。
圧倒的だ。圧倒的な戦力差を痛感する。
目の前に立つただの女性が、山よりも遥か巨大な黄金竜のようにすら思えてくる。体力はまさしく底なしで、まるで大海の水をスプーンでかき出しているような徒労感がアグラディアの精神を圧迫した。
「ミーナ、お前は、ここまで!」
これがS級冒険者の力。見くびっていたわけでも、甘く見ていたわけでもない。ただ、想像が及ばなかったのだ。人の身がこの領域に至るということが。
「傍から見てると、ゾンビみたいで気持ち悪いね……」
そのミーナの体力を一撃で半分奪うことのできるリンダがつぶやく。
自然回復倍増など、S級冒険者同士の戦いでは誤差のようなものだが──格下相手には、うんざりするほど有効なスキルだ。
これがゾンビだと? とアグラディアは内心で毒づく。そんな生易しいものか。これではもはや不死王だ。
ミーナは大きく踏み込んだ。地面が砕け、舞い上がる砂利の中、鋭くも美しい赤い閃光がアグラディアに迫る。
「くっ──」
無論、言うまでもないことだが、ミーナの攻撃はそのすべてが一撃必殺。外皮はおろか、魂魄まで圧壊するほどの火力を擁している。
夜の帰り道、ふたりで繋いだはずのあの少しひんやりした小さな手は、あらゆる生命を刈り取る死神の鎌だったのだ!
一分一秒ごとに集中力が摩耗してゆく中、今度の攻撃もアグラディアは寸前でかわした。かすっただけでも消し飛ぶ。そんな死の恐怖と相対しながらもアグラディアはよく自らを律している。さすがは熟練の冒険者だ。
「……また避けられた」
数度目の攻撃を避けられたことで、ミーナが苛立った声をあげた。
いいぞ。アグラディアは自分に言い聞かせる。
たとえ絶望的なまでの戦力差があっても、精神面で上回っているのなら、やりようがある。
アグラディアの本質は、前向きな楽観主義者だ。
彼はどんなときでも諦めない。暗い未来を考えない。冒険者としては美徳といってもいいその信条は、こと女性関係において致命的なエラーを引き起こしていた。
すなわち、アグラディアは自分に都合のいいことばかりを考える。
長く生きて女性の扱い方がわかっている気でいるし、そもそもモテるので、疑問に思うこともない。反省の余地もない。相手を傷つけたつもりもない。
女性を振り回し、自分は好きに生きる。まさにこの男は、粛清されるべき女性の敵だ。
「……どうだ、俺はお前を倒せない。お前は俺に攻撃が当たらない。このままでは千日手になるだろう。ここらで休戦というのは」
内心の不安を隠しながら、アグラディアは譲歩する。
ミーナは構えを変えた。
「……一段階? 二段階、速度をあげたほうがいいか。……威力は多少落ちるけれど、仕方ない。……思いっきり、ブン殴りたかったんだけど」
なんだ。
「なにをブツブツと言っている!」
先ほどまで拳に輝いていて光が、ミーナの足先に集まってゆく。
「それはいったいなにを──!」
しっかりと目に捉えていたはずのミーナが、視界から消えた。
眼前に現れる。
「──」
瞬きすらしておらず、叫び声をあげる暇もない。
『拳神』が握り固めた鉄槌を振り上げ、撃ち放つ。
突き出された拳がアグラディアの腹に深々と突き刺さり、背中から抜けた衝撃が流れる川を割った。
甘かったのだ。
B級冒険者がどんなに特化したところで、S級冒険者のパラメータにひとつでも勝るなど──ありえない話だったのだから。
リンダが「ここまで」と告げた。
戦いは終わったのだった。
アグラディアは、河原に大の字になって倒れていた。
指一本動かせないが、意識は残っている。手加減されたのは間違いない。これもS級冒険者の技量か。
「先生」
ミーナが頭の近くに立つ。
その顔は、憑き物が落ちたようだった。
「先生には、いろいろなことを教わりました。感謝はしているんですよ、本当に」
「……ああ」
グッと拳を握るミーナ。
「ここで先生の顔をオークと見間違うようなほどボコボコにして、もう二度と顔面でモテたりしないようにしてやってもいいんですけど」
「……えっ」
ミーナは薄く微笑んでいる。こわい。
「でも、先生には恩義がありますから。サクッとち○こをもぐだけで勘弁してあげますね」
「えっ!?!?!?」
黒革の手袋をはめたミーナは、再び笑う。
「冗談ですよ」
「は、はい」
「でも、もしそれも冗談だとしたら?」
「え……勘弁してください」
「ふふふ」
なぜ笑う。
こわい。生殺与奪権を握られている状況、めっちゃこわい!
「今までありがとうございました、アグラディア先生。とっとと荷物をまとめて、うちから出ていってくださいね。次、またあたしの前に姿を現したら、そのときは無事じゃすみませんから」
ミーナは頭を下げた。
「……わかった」
その言葉をアグラディアは、重く受け止める。
「いこう、リンダ」
「う、うん。もういいの?」
「うん。一発殴ったら、スッとしたから」
歩き出したところで、ミーナは振り返り。
「ちなみに先生、あと十四日十四晩は体が動かせないと思いますけど」
「えっ」
「エルフなんだから、それぐらいじゃ死にませんよね?」
「えっ、ちょっ」
そうなるとちょっと話が変わってくるのでは、とアグラディアは血相を変える。
「そこで反省してください。仕事先にはあたしから連絡しておきます。あとここらへん、たまに狼が出るらしいです」
「ま、待ってくれミーナ! 俺を置き去りにするというのか!」
叫ぶアグラディアに、微笑む。
「大丈夫ですよ、本当に愛されているんだったら、きっと誰かが探しに来てくれるはずですから。先生がS級冒険者に狙われてると聞いても、きっと誰かが命を投げ打つような覚悟で助けに来てくれますよ。愛されてるんだったら。ねえ?」
リンダととも歩いてゆくと、背後からアグラディアの助けを呼ぶ叫び声が響いてきたが、しかしそれもやがて小さくなっていった。
あと二週間は声も出せないはずだ。
「さって、と」
すべてが終わった。
ミーナは大きく伸びをした。
パーッと騒ぎたい気分だった。
「ねえ、飲みに行かない? リンダ」
先ほどとは打って変わって爽やかに笑うミーナを見て。
リンダもニッコリと笑った。
「ごめん、旦那が私の帰りを待っててくれてるから、おうち帰るね。ごめんね」
「はー!」
ミーナはリンダの首を絞めながら叫ぶ。
「この裏切り者があああああああああああ!」
「あははははははははははははははははは!」
夜の河原に女ふたり、笑い声が響いていた。
ライルの業務日誌:その後、アグラディアの姿を見たものはいなかったという──。




