嵐の前の
一緒に暮らしてから一ヶ月目、アグラディアは働き始めた。
彼が始めたのは意外にも、レストランの店員だった。
「どうしてですか?」とミーナが聞くと、
「なんでも結婚式の二次会に怪物が紛れ込んでおり、店舗を半壊させられてしまったそうなのだ。最近はネポアも物騒になったものだな。というわけで、用心棒兼コックとして、雇ってもらえることになったよ。料理をするのは好きだからな。……ん、どうかしたか、ミーナ」
「いえ、なんでもありません!」
アグラディアの働いている店にはいけないな、とミーナは思った。
とはいえ、ふたりの結婚を前提にしたお付き合いは、これ以上ないほどに順調だった。
「今まで貯金をやりくりしてやってきたが、これからは俺もちゃんと働く。苦労をかけてすまない、ミーナ」
「いえいえ、あたしも先生ならちゃんとするだろうって思ってましたから。大丈夫です、なんにも心配してないです」
胸を張るミーナに、アグラディアは頬を緩める。
「そうか、まったく、俺のような流れ者にミーナみたいな良い女が惚れてくれるだなんて、人生はなにがあるかわからないものだな」
良い女! 良い女って言われた!
先生があたしのことをちゃんと女として見ていてくれるんだ! 嬉しい! 楽しい! 大好き!
「さて、食事にしようじゃないか。疲れて帰ってきただろう。きょうは冷製パスタにサラダだ。リビアベリーでシャーベットも作ってみたが、どうかな。甘すぎるかもしれない」
「いえいえ、あたし甘いの大好きですから! ありがとうございます!」
食卓には色とりどりの料理が並んでいた。疲れて返ってくると、明るい家に温かいごはん。優しい旦那様が待っていてくれる。
なんだったら別にお仕事をしなくても、主夫でいてくれればいいのに……と思わないでもないのだが、さすがにアグラディアもそれは望んでいないだろう。
「ではいただこう」
「はい、いただきまーす!」
アグラディアとの生活は順調そのものだった。
なんせ彼は優しく、さらにマメなので掃除はピカピカ、炊事洗濯も長年の冒険者暮らしでエキスパート級だ。一家にひとりはほしい。ダメだ、アグラディアは自分だけのものだ!
ミーナはニッコニコだった。本当に幸せな一ヶ月間だった。
「しかし、いつまで俺のことを先生と呼ぶんだ。アグラディアでいいというのに」
「え、で、でも、先生は先生ですし……」
「アグラディアさんと、前は言っていただろう」
「そうですけどー……うう、あの」
じっと正面から顔を見つめる。
エルフのアグラディアの顔立ちは端正そのものだ。神樹を削り出して作った芸術品のような彼は、完璧な美男子である。透き通ったようなエメラルドの瞳に見つめられると、胸のときめきをギュッと鷲掴みされたような気分になる。
家に帰れば顔のいい男がいてくれるのだ。それだけで何百年も生きていけるだろう。ミーナの気分では、せいぜい人格破綻者じゃなければいいな、ぐらいの気持ちだったのに。
まさか初恋の人と、今はこうして一緒に暮らせているなんて。
「はあ、幸せ……」
「……ふ、お前は変わってるな、ミーナ」
ミーナは頬杖をついて、食事をとるアグラディアの顔をずっと眺めていた。それだけでおなかいっぱいになりそうだった。
「ミーナ」
「げ、リンダ……」
翌日出勤して、いつもどおり職務に励んでいたミーナ(私生活がうまくいっているので仕事にもハリが出ているのだ!)の下に、顔なじみがやってきた。
顔なじみも顔なじみ。彼女は何年も一緒に冒険をしていたS級冒険者のひとり、リンダだ。
そして結婚式の日、ミーナと激しい大喧嘩を繰り広げた女でもある。
「なによ『げ』って。そういうこと言うミーナの顔、すごくブサイクになっちゃうんだからやめたほうがいいよ」
「誰かのせいでムショに入ったことを忘れられていたら、もうちょっと愛想よくお出迎えできたんだけどねー? それで、本日はどのような御用でししょうか? ああ、別れたんだったら婚活相談所が十分力になれますけどー?」
「ムカつくミーナ!」
リンダがそばに立てかけてあったモップを手にする。ミーナは思わず構えを取った。
前回、ダブルノックアウトをしたときに、リンダは素手だった。さすがにミーナも素手のリンダ相手に全力を出すわけにはいかなかった。しかし彼女が武器を使うというなら話は変わってくる。
リンダの本職は戦士系最上位職のひとつ『ヴァルキュリア』である。長柄を使わせたら右に出るものはいない。それがモップであっても、だ。
今度こそネポア市は壊滅的な打撃を受けることになるかもしれない。そんなときだ。
「君たち、ここで戦うだけはやめてくれ」
暗い顔をしたライルがふたりの間に割り込んできた。
リンダとミーナはしばらく睨み合っていたが、しかし前回ムショに入ったことで旦那さんに『次にやったらさすがに私も君とこれから共に歩んでゆく自身がなくなるかもしれない』と言われたリンダは、舌打ちをしながらモップを置いた。ライルは胸を撫で下ろす。
リンダはふとライルを見て。
「……あれ、ライル所長……? あ、そういえば所長ってエ」
「人間族の僕になにか用かな、リンダさん!」
もちろんこのふたりは面識がある。リンダに今の旦那さんをマッチングしたのはライルだからだ。ライルが声を張るとリンダは事情がよくわからないながらもうなずいて。
「ああいえいえ、いつもミーナがお世話になっています」
ぺこりと頭を下げるリンダ。その所作にもミーナはイラッとする。
「どうしてリンダがそんなこと言うの」
冒険者時代はなにかとリンダがミーナのお姉さんぶっていた。ミーナはそんなリンダのことが……嫌いではなかった、けれど。
「そんなことどうでもいいの。それよりも、アグラディア先生が街に来てるんだって?」
「ええ、そうよ」
ミーナはリンダに比べれば遥かに慎ましい胸を張って、告げる。
「アグラディア先生は、あたしに会いに来てくれたんだから!」
「そうなんだ、そっか……。うん、よかったね、ミーナ」
「……うん、リンダ」
そこでミーナは、リンダから手紙をもらったことを思い出す。
まあ、もし彼女の旦那さんがなにか手を回してくれたというのなら、アグラディアと再会できたのもリンダのおかげとも言えるかもしれない。
癪だが、そっぽを向いて。
「……その件は、お世話になったわよ。あんたのおかげでアグラディア先生と結婚を前提にお付き合いすることもできたし……ありがとね、リンダ」
「……うん、うん、いいんだよ、ミーナ」
リンダはミーナに抱きついて、その背をぽんぽんと撫でる。今ここに怪物ふたりが和解したのだった。歴史的瞬間だった。
「どうなることかと思った」
誰よりもホッとしていたのは、ライルだった。彼女たちふたりが本気で争った場合、太古より生きて膨大な魔力をもっている古エルフの自分でも止められるかどうかはわからない。婚活相談所は粉々になるだろう。
「って、結婚を前提にお付き合い!?」
「え、なに?」
「待って、ミーナ、待って! あなたがずっと前から先生に憧れていたのは知ってたけど、ちょっと展開が早すぎない!?」
「い、いいでしょ! あたしももう二十五歳なんだから、身を固めようと思ってるの! それに相手が先生なんて、最高でしょ!」
リンダは猛獣をあやすようにミーナに両手を向けて。
「まさかそんなハイスピードで進展するとは思わなかった…………。あ、あのね、あれから私も色々と調べていたんだけど……怒らないで聞いてね、ミーナ。……あの、アグラディア先生、あんまりよくない噂があって……」
「……なにそれ」
ミーナのこめかみに怒筋が浮かぶ。
「冒険者なんて人の恨みを買うんだから、生きていてよくない噂の千個や二千個ぐらいあるでしょ!」
「あるけど!」
「あるのかよ」
最後のつぶやきはライルのものだ。S級冒険者の知名度すげえな。リンダの旦那さんなんなんだ。聖人か。
「でも、先生ってそういうのじゃなくて!」
リンダは人の幸せを邪魔するためにウソを付くような人物ではない。ウソを付くのが下手すぎて損した金額はデンゼント金貨一万枚以上にも及ぶだろう。でもミーナはそんな不器用なリンダが嫌いではなかった。
けれど! むしろだからこそ!
「ヤだ、あたし聞きたくない! どうせよくないこと言うんでしょ! そんなのウソ! 信じない!」
「私がウソついたことないでしょ、ミーナ!」
「じゃあ誤解だよ! 先生はそういう人じゃないもん! 真実はいつもひとつとは限らないんだから!」
「耳塞いでアーアーってしないでよ!」
「やっと掴んだ幸せなの! あたしにはアグラディア先生しかいないの! お願いだから邪魔しないで、リンダ! 邪魔するぐらいならここでリンダを殺して先生とふたりでファロス王国とかに亡命するんだから!」
「やめてあげて」
元婚約者であるマルグリットの顔を思い出しながら、ライルは首を横に振る。災禍を他国に持ち出すべきではない。
リンダはミーナに詰め寄る。
「あのね! ミーナ! よく聞いて! あのねー!!!」
「やめて! お願い! やめて! やめ、やめろー! やめろって言ってんだろー!」
「アグラディア先生はねー!!!」
リンダはめちゃくちゃ大声で叫んだ。
「────なのー!!!!」
「やめてええええええええええええええええ!!!!」
ミーナの大声で、ライルには全然なんにも聞こえなかった。
ライルの業務日誌:うるせえ。外でやれ。




