情報収集パート
「ライフ・イズ・ビューティフル」
「…………」
受付に頬杖をついたミーナは、さっきからずーーーっとペンダントを眺めていた。
「ラブ・イズ・アメージング」
「…………」
ライルが事務処理をしている間も、独り言をつぶやいている。
不気味だ。
これはひょっとして会話しないと進まない系のイベントなのだろうか、なんて暗い気分でライルは声をかける。
「どうやらうまくいったみたいだね」
「そうなんですよ!!」
「うわあ」
ミーナが瞬間移動のような速さでライルの目の前に立っていた。床板から煙があがっている。瞬間移動なんていう詠唱に時間のかかるチャチな魔法じゃない。超スピードだ。
「ちょっと所長、聞いてくださいよ聞いてくれます? このペンダントねー、帰りに露天で見かけたんですけど『きょうは俺達が付き合って一日目の記念日だからな』って言って、その場であっくんが買ってくれんですよえへへへへへー!」
「あっくん」
「アグラディア先生のことに決まってるじゃないですかぁ。あっくんってば記念日も大切にしてくれるし、とっても優しいんですよえへへへへへ」
「そうか……そうか」
ライル所長はミーナに静かに首を振った。
「騙されてるんだよ、君は」
「!?!?!?」
ところ変わって、
「なんでネポア市議会の市民課に連れてこられてるんですか、わたし」
「こう言うのはなんだけど……ミーナくんがここ最近あまりにも浮かれすぎているから、勝手に調査させてもらったんだ」
市議会の表口は、市民課へと繋がっている。そこは大小様々な種族の市民たちが、苦情や要望を言いにくる窓口であった。
市民課と婚活事務所の関わりは深く、ミーナもお使いで何度か顔を出したことがある。冒険者をやっていた頃は、数々のトロフィーももらったものだ。
「ミーナくんが浮かれてるときって、ほら、ろくなことがないだろう」
「それはちょっとひどくないですか所長!」
歯に衣着せぬ物言いに、ミーナの闘志が膨れ上がる。
「アグラディアさんを今までのミドリムシと一緒にしないでください! そんなことを言うなんて、いくらライル所長とはいえ、怒りますよ!」
その両腕に魔力が集まってゆく。彼女がここで渾身の力でスキルを放てば、市議会は荒野と化すだろう。
ネポアが、水と種籾を争い、力だけが支配する世界になるかどうかは今、ライルの両肩にかかっている。なんなんだこの女は。
しかし、婚活相談所の長として、ライルは堂々と告げた。
「彼のような冒険者は、記述に嘘をつく可能性がある。本来はもうちょっと調べてからマッチング相手を探すんだが、今回は君からの要望も強かったからね……。でも、正直、こんなにトントン拍子で進むとは思わなかった。悪い予感しかしない」
「なんですか悪い予感ってなんですか!? 彼は違うんですよ! あたしのエルフ運が地に落ちる前に出会った、唯一にして至高のエルフさんなんです! むしろ彼と出会ったことがあたしの運勢を使い果たしたってことで!」
「……ともあれだ」
窓口には以前、婚活相手を世話したジョンが立ってた。
「ああ、ライルさん、ミーナさん、お待ちしてました。例の件ですね? もちろん調べ終わってますよ」
「うん、そうなんだ、ありがとう」
スーツ姿で書類を差し出してくる彼から受け取ったライルは、その場で包を開く。
「なんですかこれ、所長」
「戸籍謄本だ。彼が本当に奥さんと別れているかどうかを調べなければと思って」
あはは、とミーナは笑い飛ばした。
「あっくんが別れてるって言ったんですから、別れてるに決まってるじゃないですかー」
「今まで君に嘘をつかなかったエルフがいたか?」
痛いところを突かれ、ミーナは口ごもる。我ながらなんてエルフ運だ。
「どれどれ、と……」
ライルは渋面で、ミーナはおっかなびっくりと書類を眺めて。
…………うん、アグラディアは確かに奥さんと三年前、別れている。
ミーナは安堵のため息をついた。そして首を振る。安堵のため息をついたということは、知らず知らずのうちにアグラディアを疑っていたことに他ならないではないか。これでは真実の愛に程遠い。反省だ。
己の気まずい気持ちをごまかすようにして、ライルの背中をバシバシと叩く。
「ほらほらほらほらほらほら、ほらー! やっぱり先生の言うことに嘘はないんですって! ね、ね、ねー!?」
「次の書類だ。こっちは犯罪歴の調査だ」
「所長!?」
犯罪歴、身元調査、経歴調査、エトセトラエトセトラ……。
どこにも怪しい情報は見つからなかった。
「いやはや、国家公務員がこんなことまでするなんて。まあ、ライル所長にはいつもお世話になっておりますからね」
苦笑いを浮かべるジョンの前、ライルはうなだれていた。
「バカな! ミーナくんと付き合うエルフに黒い話が一個もないなんて! どうかしてる!」
それはそれでものすごい認識だ。ミーナは口元に手を当て、勝ち誇っていた。
「見ましたか、所長! これがわたしの先生、アグラディアさんですよ! 生まれた頃から罪一つ起こしたことはなく、常に生徒たちの正しい規範! 天にあっては天を讃え、地にあっては地に足をつけて生きてきた、アグラディア先生は、まさに真人間中の真人間! 愛と絆と愛を知る、天上天下最高の人格者なんですよ!」
人で賑わう市民課の前でとんでもないことを叫んでいるとだ。
「まったく、誰が騒いでいるのかと思えば、ミーナか」
「ひぇっ」
ミーナは飛び上がった。そこにはアグラディアがいた。
辺りがざわざわする。アレが『拳神』のミーナを射止めた男か、と。
「せ、先生、どうしてこんなところに!」
「家を借りるためには、市民課に顔を出して書類をもらわなければならないからな。根無し草だった俺にとっては、久しぶりの滞在だ」
「ど、どこかに住むんですか?」
ミーナが言うと、アグラディアはわずかに片眉をあげ。
「まったく、ミーナの大雑把さは相変わらずだな。何事も力押しだけで突破するのは難しいと散々言っていたが、しかし力押しだけでなにもかも突破できるまで鍛えたのは、大したものだと言っておこう。この街にはお前がいるからな」
「ひぇっ?」
アグラディアは顎を撫でながら言った。
「結婚を前提に付き合っているのだろう? 俺たちは」
「~~~~~~~~~~~っ!」
ミーナの目の奥に星が弾ける。
自分で言うのも好きだけれど、相手に言われるときの衝撃はやばすぎる。どんな魔神の魔法を直撃されたよりも心に効いた。
その様子を無言で眺めていたライルに、ジョンがぽんと肩を叩く。
「あれは正真正銘の伊達男ですね。よかったじゃないですか所長、いい相手が見つかったみたいで」
「…………うん、そうだね」
しかし幸せそうなミーナを見ていると、なぜだか胸の奥にわだかまりがたまってゆく一方だ。なぜだろう、なぜだろう……。
ライルは自問し、正体を隠しているとはいえ、古エルフの明晰な頭脳は瞬く間に答えを見つけ出す。そうか。そういうことだったのか。
すなわち──。
「今までの戦場は、のどかな村だった……。だが、今回あの男がもしミーナくんの逆鱗に触れることがあれば、ネボア市が壊滅させられる……! 僕は、それを恐れているのだろう……!」
それはそれで、紛れもない真実だった。
その後、婚活事務所に帰ってきて。仕事が終わるまで待ってくれたアグラディアと一緒に、ミーナは帰路を辿る。
隣を歩くアグラディアの歩調はゆっくりで、長身なのに自分に合わせてくれることがわかって、ミーナの胸は自然に暖かくなってゆく。
「きょうはお仕事を探しに行ってたんですね、先生」
「ああ。もしかしたらずっとこの街に滞在するかもしれないからな」
吐く息が白い、夜の帰り道。
「しかし、どうやら門番や傭兵などの人手は足りているようだ。ネボア市は冒険者の力が強い街だからな。仮にもB級冒険者の俺ならば、選ばなければいくらでも仕事はありそうだが」
「大丈夫ですよ先生。ゆっくり探してください。ずっと続けることになるかもしれないお仕事なんですから。あっ、お金のことだって、あたしにはちょっと蓄えがありますから」
「フッ、だがそれはお前の蓄えだろう。俺は俺でなんとかするさ。かつての弟子にたかるような厚顔さは持ち合わせていないんでな」
りょ、良識~~~~~~~~!
胸の中で踊り狂うミニミーナを制して、ミーナは笑顔を浮かべた。
こうしてあのとき憧れた人と、一緒にいられるなんて、それだけでもう胸がいっぱいだ。
だから、さっきからどうしようかと迷っている右手を、ミーナは引っ込めた。そんな、手を繋ぐなんて幸せを望んだら、それはきっともったいないことだ。
アグラディアと一緒にいられる幸せだけで十分なのだ。甘えてばっかりで、彼の優しさを使い果たしたくないから。
「そのペンダント、していてくれるのだな」
「えっ? あっ、はい、もちろんです! 先生からもらったものですもん!」
「露天で見つけただけのものだ。S級冒険者のお前にとっては安物だろう。魔法効果もない。仕事を始めたらもっとちゃんとしたものを買うとするさ」
「い、いいんです、そんな!」
ミーナは慌てて手をパタパタと振る。
「あたし、これがいいんです! これが気に入ってます! どんな迷宮の奥深くから取得した、あらゆる魔法攻撃を弾き返すようなSSS級の財宝よりも、これがいいんです!」
多少言い過ぎな気もしないでもなかったが、しかしアグラディアは口元を緩めた。ミーナの好きな表情だった。
「お前は本当に、変わった娘だな、ミーナ」
ミーナは真っ赤になった顔を隠すように、うつむく。
「せ、先生が……大好きですから……」
その手を、アグラディアが取ってくれた。
「あっ」
アグラディアは手をつなぎ、いつもの寡黙な表情の中に優しさを讃えた瞳で、ミーナを見つめた。
「俺は草原の生まれでな。寒さには弱いんだ。少し、暖を取らせてもらっても構わないか。お前が嫌ならいいが」
「いっ、いやじゃないです! でもあたし、たぶん手がゴツゴツしててあんまり女の子っぽくないからっていうか、恥ずかしいっていうか!」
「そんなことはない。やわらかい手だ」
は~~~~~~~~~~~!
かっこよすぎぃ~~~~~~~~~~!
ミーナは卒倒するかと思ったが、気合で耐えた。これから先ずっとアグラディアと帰るたびに卒倒してては、彼も嫌になるだろうから。気合だ。世の中はなんでも気合だ。
思いつく限りの神様に感謝する。自分が今までハズレばかり引いてきたのはきっと、アグラディアと出会うためだったのだから。
ライル所長ありがとうございます!
あたし、幸せになります!!!!!!!!
翌月、ミーナとアグラディアは一緒に暮らし始めた。
ふたりの仲は進展するかなっていうタイミングでミーナが卒倒したのでほとんど進展しなかったが、それでも十分以上にミーナは幸せだった。
気にかかることなどなにひとつなく、アグラディアはまさしく完璧で最高な運命の人だった。
彼はなかなか仕事を見つけてこなかったけれど、そんなの全然大したことないっていうかむしろミーナのほうが「焦らなくていいですよ」って言ってたんだからミーナのために焦らないでいてくれたんだからそれってつまり愛だからミーナに不満はまったくなかったし。
仕事なんて! 別に! 幸せならどうでもいいよね!!!!!
ライルの業務日誌:ミーナくんが幸せそうなんておかしい……これはなにかがあるに違いない……きっと、とても恐ろしいなにかが……。具体的には二話先ぐらいに……!