冒険者のミーナ その3
相談所のドアが開いた瞬間、部屋の中にはまるで森の中のような清涼な空気が立ち込める。応接間で待っていたミーナは電撃を浴びたような顔で固まった。
立ち木のようにすっくりと背筋を伸ばした本物のエルフがそこにいた。深き森のエメラルドのような、マジモンのエルフだ。目が潰れそうな美貌を前に、ミーナはわなわなと震える。口の端からよだれが垂れそうになるのを必死に自制した。
そんなミーナの限界ギリギリの顔を見て、ライルは『こりゃ無理かもな……』と眉根を寄せる。慰めのセリフを何パターンか考えていたときだった。
ローミオンはソファーに座るミーナを一目見るなり、うなずいた。
「では、この人でお願いします。結婚を前提にお付き合いさせていただきたい」
「!?!?!?!?」
ミーナの頭から湯気が噴き出た。
『え、マジで?』という顔をするライルに構わず、ローミオンは小さく頭を下げた。
「では失礼いたします」
滞在時間わずか五秒。部屋の中にすら入らない、たったそれだけの顔合わせだった。さすがにライルはなにか妙な胸騒ぎを覚える。
中身はともかく、ミーナはスペックレベルではそれなりに高いのだけども……。だからといって、あの気難しいエルフという種族が、ミーナを一撃で気に入るだなんて。そんな奇跡のような出来事があるのだろうか。
しかし――。
「あ、あたしが、エルフさまに見初められた……! これこそが、運命の出会い……!」
――両手を組み合わせるミーナは、天にも昇る気持ちだった。天使がラッパを吹き鳴らしているのが聞こえる。コツコツと善行を積んでいてよかった。生んでくれてありがとう、育ててくれてありがとうご両親。ミーナの人生はここから新たに始まるのだ。
「ミーナさん、大丈夫ですか? もしかしたら保険金をかけられて殺される可能性もありますが……、やめておきますか?」
「どんだけ信じられないんですか!? 会員が成婚しようとしているのに釘を刺すとか、ここの所長さんなに考えているんですか!?」
***
水の街ネポアから馬車で半日、鬱蒼と茂ったボレンシアの森を西にいったところにエルフの集落はあった。
人口百人にも満たないような小さな村であり、地図にも表記されていない。長く冒険者を続けていたミーナ(近々寿引退予定だ!)だったが、こんなに近くにエルフの村があるだなんて知らなかった。
「知っていたら週七で通ったのに……!」
「あなたみたいな人がいるから、隠れ住んでいるんじゃないでしょうかね」
拳を握り締めるミーナに、ツッコミを入れるライル。こんなところにまでついてきたのは、ローミオンの態度が気になったからだ。
会員と会員の橋渡しをする役目のライルは、普通ここまで首を突っ込んだりはしない。けれど、今回の案件に関してはなにか妙な予感がするのだ。そういうことを散々忠告したのに、ミーナは聞く耳を持っていなかった。まあ仕方ない。彼女にとってはまたとない機会だ。
村の前で馬車が止まる。意気揚々と馬車を出たミーナの後ろから、普段着の上に白いローブを羽織ったライルがのっそりと降りる。木々の隙間から漏れる光が、優しく暖かい。
ちなみにミーナはライルの勧めで、ごく当たり障りのない街娘のような恰好をしている。あまり飾り立てた格好だと村の中で浮いてしまうだろうという話に、ミーナも納得した。「けっこう物知りですね!」とにこやかに言われたので、ライルは自分が婚活相談所の所長であることを一瞬忘れそうになってしまったのだがそれはともかく。
柵で囲まれた村を前にして、ミーナは「ほわー」と声を漏らす。
「すごいですね! エルフの、エルフさまのかぐわしい香りがここまで漂って来るようです! はー! エルフエルフしい! あっ、エルフの村の空気を瓶詰めにして売るってどうですかね!? 新しいビジネスチャンスじゃないですか!?」
「それ中に入ったら言っちゃだめだよ。クソ変態だって思われるからね」
「わかりました! クソ変態じゃないので言いません!」
数日間、ミーナに婚活のなんたるかを教育してゆくに当たって、彼女の扱い方が上手になったライルである。多少厳しい口調になってしまうのは申し訳ないと思いつつも、改める気はあまりない。
村の入口前で佇んでいると、馬車に気づいた村人たちが集まってきた。
当然だが、右を見てもエルフ、左を見てもエルフ。さまざまな格好をしたエルフだらけのエルフ祭りである。ミーナの頭の中にエルフ音頭が響き渡る。ここがヘヴンか。
「あっ、ああっ、ああああぁぁぁぁ~~~!」
頬を押さえながら恍惚の声を漏らすミーナ。とてもじゃないが人前に晒せない顔をしている彼女の前にサッと立ち、こめかみから冷や汗を流しながらもライルがにこやかに挨拶をする。
「どうも、婚活相談所のライルです。ローミオンさんはいらっしゃいますか?」
「私です」
すると奥から端正な顔立ち――といってもみんなエルフは端正だが――の男が歩み出てきた。一団の中でもひときわ理知的な目をしている。ローミオンだ。
ライルは片手を広げながら、彼に確認を取る。
「一応規約では、本交際に入ったあなた方は、これから『婚活体験』……、すなわち、七日間彼女と結婚後と同様の生活をしてもらい、その上で改めて彼女とやっていけるかどうかを判断していただくわけですが」
「ええ、承知しております」
ライルはちらりと後ろを確認する。ミーナはいまだトロットロの表情でトリップしていた。もう少し時間を稼ぐ必要がありそうだ。
「ご結婚が成立した場合……、つまり成婚となった場合は、当相談所からご祝儀をお送りさせていただきます。他にも、この相談所のことを口コミで広めてもらえると助かるのですが」
「そういえば成立しても追加の料金は取らないんでしたね。手間をかけてもらったのに、それだけでいいんですか?」
「ええ、もちろんです。そのための婚活相談所ですから」
ライルは大きくうなずいた。ローミオンはわかったようなわからないような顔をしている。
「ではそろそろ、彼女を私の家族に紹介したいのですが、よろしいですかね」
「え? ええ、それはもちろん」
ライルがおそるおそる後ろを窺うと、ミーナが前に進み出てきた。貴婦人のような微笑を浮かべている。ライルはひそかに胸を撫で下ろした。
「きょうからよろしくお願いします、ローミオンさん」
「ええ、よろしく。ミーナさん」
そこで初めてローミオンも唇を少しだけ緩めた。
彼のセクシーな笑顔を見たミーナがぷるぷる震える。必死に指で自分のふとももをつねっているのを見て、ライルひとりだけが彼女の心中を察し、『好きすぎるのってたいへんだなあ』と他人事のような感想を抱いていたのだった。
だがミーナが本当に大変なのは、これからだった……。
ライルの業務日誌:好きすぎるのってたいへんだなあ……。