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冒険者のミーナ その1

 ミーナは目の前の建物を眺めて「うわあ」という顔をした。


 大通りを一本外れた路地裏にある寂れた建物。


 その扉には一言『ライル婚活相談所』とだけ書かれている。書かれていなければ地下奴隷市への入口と見間違えたかもしれない。


 言っちゃあなんだが怪しすぎる。


 ミーナは扉の前で躊躇したように立ちすくんでいた。赤毛を後ろで縛っている彼女は、革のベストをまとい、刺繍の施されたスカートの裾をぎゅっと握っている。愛嬌のある大きな鳶色の瞳をわずかにしかめ、思いつめた表情であった。


 しかし、せっかく来たのだから、入らなければ意味がない。


 ミーナはけっこう度胸のある娘だ。彼女は生唾を飲み込みながら扉に手をかける。油の差していないドアがギィ……と不穏な音を立てて開いてゆく。そこはいきなり下へと階段が続いていた。ますます不穏だ。


 暗がりを降りてゆくと、やがてロウソクに照らされた小さな空間に出た。正面にある『受付』とかかれたカウンターの中には誰の姿もなく、寒々しい。


 やっぱり帰ろうか、という気持ちがムクムクと大きくなってゆく中。


 後ろから声をかけられた。


「おや、いらっしゃい」

「――っ!」


 ミーナは思わず叫んだ。ゴーストの強襲かと思った。




 顔を赤らめたミーナの前には、ひとりの優男が座っていた。


 金色の髪を後ろで縛った男だ。ひょうひょうとした笑顔を浮かべているからか、妙に軽薄な印象をもってしまった。このへんでは高価な眼鏡を身につけているので、そこそこ羽振りはいいのかもしれない。生まれは商人の次男辺りだろうか、とミーナは当たりをつけた。


 ランタンの明かりに照らされたそこは、応接間のようだった。ソファーやテーブルの材質はいいものに間違いないのだろうか、寂れた壁の質感に引っ張られるようにしてみすぼらしく見える。


 ミーナはとりあえず差し出された紅茶を一口飲んで喉を潤すと、目の前の男性からの言葉を待った。


「いやあ、お客さんかな。来てくれるなんて嬉しいな。七日ぶりだよ」


 やっぱりやばいんじゃないだろうか、ここ。


「自己紹介させてもらいましょうか。僕がこの『ライル婚活相談所』の所長兼受付兼事務兼雑用兼アドバイザーの、ライルといいます」


 それってひとりしかいないってことなんじゃないだろうか。


 この紅茶を飲んだら帰ろうかな、という思いがミーナの胸中を支配してゆく。紅茶はそこそこおいしいけれど、それで回復できる信頼感などもはやなかった。


「ここは誰からの紹介で来たんですか?」


 目の前の青年はいかにも仕事ができなさそうな、のほほんとした口調で尋ねてくる。


 適当にごまかしておいとましようかとも思ったのだが、ミーナはカップをテーブルに置いて背筋を伸ばした。


 せっかくここまでやってきたのだから、あと少しぐらい踏み込んでみたい。ミーナは潜ったダンジョンでは、せめて骨の一本でも持って帰りたい主義だった。


「その七日前にやってきたっていう子の、紹介です」


 勇気を出すんだミーナ。


 そうしなければ、いつまでたっても自分は、結婚できないままだろうから――。





 ミーナがこの怪しげな施設についての情報を得たのは、三日前のことであった。


 冒険者である彼女――ミーナ・レンディは今年で二十五歳。人間族の結婚適齢期が十五歳から二十歳と言われているこの世界では、そろそろ行き遅れとささやかれ始める頃である。


 同時期に冒険者になった多くの娘たちは寿引退をキメていて、同世代の女性冒険者の数は極端に少なかった。


 ミーナはそれでもよかった。冒険者ギルドでほとんどの女性冒険者から先輩呼ばわりされようとも、それはミーナがこの厳しい環境の中で長年生き延びてきたことを意味するのだ。誇り高い称号だった。自分を騙してないよ、ホントに。


 そんな折である。


「……え゛っ!?」

「あははー、ごめんねー、ミーナー」


 中流冒険者のたむろする美味しいツマミを出すことで有名な酒場にて、ミーナな衝撃の事実を告げられた。


 幼馴染でずっと一緒に冒険者を組んでいて、『うちら死ぬまで一生冒険者やろうね! いつまでもズッ友だよ!』と約束したはずのリンダに、男ができたのだという。


 リンダは照れ笑いしながら『結婚情報誌デュクシィ』なる本をミーナに見せてくる。


「それって、あ、あの」

「うんー、今度結婚する予定なんだー」

「え゛!?」


 ミーナはぷるぷると震える。視界が真っ白に染まる。食べ物の味が口の中から一瞬で消え失せた。嘘だろう。


「じゃあ、あの、冒険者、って」

「うんー、そのまま引退しようかと思ってー、あははー」

「はああああああ!?」


 寝耳に水どころではない、寝耳にダイアモンドダストである。


「実は式場も押さえてて。ね、ズッ友のミーナには絶対、式に来てほしいんだ。どうかな?」

「あばばばばばばばばば」

「ミーナ!? なんで口から泡吹いているの!?」


 リンダはある意味、ミーナにとっての最後の砦であった。このままずっとミーナ&リンダとして冒険を続けてゆくものだと思っていたのに。最後の砦は瓦解した。木っ端微塵だった。


 ミーナは深酒をあおった。この世のすべての女性が信用できない気持ちになり、どうせ自分は一生孤独であり、ひとりで死ぬのだとやさぐれた。


 どうせ寿命で孤独死するぐらいだったら、高難易度で危険なクエストにでも手を出して、一花咲かせてやろうかしら……、と闇堕ちしたミーナが良からぬ想いを巡らせている最中、さすがに幼馴染のことを心配したリンダが声をかけてきたのだ。


『実は私、とある場所の噂を聞いて、それで試してみたんだ。良かったらミーナも――』


 あぁん? どの面下げて言ってんだてめえ、抜け駆けしたことには変わりねぇかんなあ? とチンピラ丸出しのポーズを取ることも考えたのだが、リンダがまだ自分と友達でいようとしてくれるのでミーナはちゃんと大人らしく話を聞くことにした。


 こうしてミーナはここ『婚活相談所』なる施設を教えてもらったというわけだ。




 そんな話を聞いて、ライルは手元の用紙になにかを書き込みながらうなずいた。


「ははあ、そういうことでしたか」

「はい。そこまで結婚願望が強いわけではないんですが、リンダの目が明らかに『お前は一生結婚できなくて可哀想ね、プッ』って失笑していたので、なるべく早く結婚してリンダを見返したいです」

「たぶん被害妄想かと思いますが」


 ライルはペンで額をかく。


 ミーナは応接間のソファーに座りながら、辺りを見回す。


「それにしても、『婚活相談所』ってなんですか? 結婚相手を売ってくれるお店なんですか?」

「あいにくうちは人身売買には縁がなくてですね」

「じゃあ理想の相手を作ってくれる!?」

「人体錬成もやっていません」


 ソファーから腰を浮かせたミーナを手で押しとどめるライル。


「斡旋業です。結婚したい男性と結婚したい女性を登録し、その出会いをサポートする事業ですね」

「へえー、初めて聞きました」

「恐らく結婚を専門で行なっているのは、世界でここだけだと思いますよ。それではまず登録手数料をいただきたいのですが、よろしいですか?」

「わかりました」


 ミーナは財布からデンゼント銀貨を三枚出す。じゃっかん高いような気もしないでもないが、これぐらい敷居が高いほうが逆に冷やかしなど少なくていいのかもしれない。


「頂戴いたしました。しかしアレですねえ」

「なんですか?」

「いや、ミーナさんは収入も申し分ありませんし、まだまだお若い。ここに来なくても、相手はたくさんいたのでは?」


 褒められてミーナは少しいい気分になった。このライルさんいい人かもしれない。


 ふっ、と後ろでまとめた赤い髪を払う。


「ええまあ、冒険者たちに声をかけられることは多かったんですけど……、あの人たちって基本的に定職がありませんからね。怪我をしたらそのぶんの収入が途絶えちゃいますし、夫婦で冒険者というのも安定しませんし。まあ別に切羽詰まっているわけではないんですが。本当ゼンゼン、そんなんじゃないんですが」

「といっても、うちに来る時点でもう切羽詰まっているわけなんですけどね」

「うぐ」


 図星を突かれて、ミーナは口をつぐんだ。そもそも普通に出会いがあって普通に結婚しているならこんなところには来ないのだ。


「それと、ミーナさんが冒険者という職業に対して思っていることは、定職についている男性方がミーナさんに思うことでもありますので。そのことはご留意ください」

「うぐぐ」


 確かにそうだ。好き好んで冒険者の嫁をもらいたがる物好きは、冒険者の男ぐらいかもしれない。ミーナは思わず胸を押さえた。


 優男の雰囲気に似合わず意外とハッキリ言ってくるライルは、手元の紙に記入を終え、顔をあげた。


「といっても、人の好みはさまざまですからね。ミーナさんを気に入る方もきっといらっしゃいますよ。それでは、好みのタイプなどをお聞かせ願いたいのですが」


 来た。


 ミーナの心臓の鼓動が跳ね上がる。頬が紅潮してゆくのが自分でもわかる。過呼吸を引き起こしそうになりつつ、ミーナは精神力でこらえた。今の自分は結婚相手を求めるひとりの淑女なのだ。


「あ、相手は――」


 淑女たらんと心がけるミーナは思いっきり拳を握っていた。血管の浮いた拳を目の前に掲げながら、彼女はモンスターを威圧するように力強く叫ぶ。


「――え、エルフの男性で! お願いします!」



「エルフ」


 ライルは改めて言い直した。ミーナは赤髪を振るようにぶんぶんとうなずく。


「エルフの方です!」

「ええと」


 こめかみをかくライル。


「他にはどんな方がよろしいですか? エルフの方は基本的に森に住んでいるので、人間族の街には出てきませんからね。なかなかマッチングが難しいというか、端的に言えばほとんど出会うことができないというか……。えと、人間族ではどういった方をご所望ですか?」

「エルフの方ならなんでもいいです!」


 ミーナは恋する乙女の瞳で言い切った。ライルの眼鏡の奥の目が少しだけ濁る。


「身長とか年収とか」

「エルフの方なら気にしません!」

「飲酒や煙草の有無など」

「エルフの方ならすべてを受け入れます!」

「結婚歴、ご趣味など」

「エルフ(以下略)」


 ライルはそのときテーブルを手のひらでバンと叩いた。


「寝ぼけているのか! 目を覚ませよ!」

「えっ!?」

「いいですか、ミーナさん」


 こほんと咳払いをして、ライルはミーナの目を見ながら告げる。


「しっかりとお考えください。あなたの前には今、ふたつの道が伸びています」

「はあ」

「ひとつはこのままエルフの方だけを求め続ける道。それはミーナさんにとっては理想的な結末かもしれませんが、何十年かかるかわかりません。いいですか? 何十年ですよ。人間族はエルフ族と違って老いてゆくんです。失った時間は二度と取り戻せません」


 ライルは丁寧に説く。


「もうひとつは、もっと広くこの世界に目を向ける道です。たとえエルフ族ではなくても、ミーナさんにとって理想のパートナー、あるいはミーナさんを心から幸せにしてくれる男性が現れるかもしれません。そのチャンスを潰すことになってしまうんですよ。後悔ないように、ミーナさんにはしっかりと考えてほしいと思います。どうですか?」


 真摯に気持ちを伝えたライルに対し、ミーナは微笑みながら言った。


「はい、あたしエルフがいいです! エルフの道で!」

「…………………………わかりました、僕も全力を尽くしましょう」




 後に――。


 ミーナが自分の第一印象をライルに聞いた際、ライルは遠い目をしながらこう言った。


『こいつ死ぬまで独身だわ、って思った』


 これがふたりの出逢いだった。


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