八
ニギは薄暗い回廊を歩いていた。視線の先から、闇が甘い香りを出して彼を招いていた。彼は誘いに乗るわけでもなく進み続けた。それ以外に選択肢を見出せず、見出す努力も既に放棄していた。
足許にはいつもの通り死体が転がっていた。褐色の肌にターバンを巻いて、あまり彼には馴染みのない格好だったが、一様に転がっていては面白味もない。
扉の前に行き着いた。何の躊躇もなく開けた。危険で素敵な罠があるかも知れないのに、むしろそれに間抜けに引っ掛かることを望んでいるかのように。
「やあやあ、ようこそお越し下さった」
ニギの前には大きな食卓と、ずらりと並べられた椅子。左右には一列に、目隠しと手錠と足枷と猿轡までされ自由を完全に奪われたメイドが直立不動に侍していて、ニギの対面、食卓の向こう側にはターバンを巻いた凜々しい褐色の青年が、微笑を浮かべ堂として座っていた。
「世に聞く恐ろしき獣・紫鬼よ。こうして相見え得たことを我が主に感謝申し上げよう」
「……何処の神様に祈りを捧げているんだ? 信心深いようには見えないけど」
ニギは青年をぼうっとした瞳で見ていた。
「さてさて、人は見た目じゃ分からないものさ。座りたまえ、食事にしよう」
青年は彼を促した。食卓の上には豪勢な料理が敷き詰められている。ニギはその料理が何なのか分からない。いや、知識はあるはずだ。しかし、とにかく豪華な料理だということ以外、はじめから認識しようとはしていない。
ニギは椅子に座ってナイフとフォークを持って迷いなく口に運び咀嚼し飲み込んだ。毒が入っているかどうか、なんてはじめから考えていない。
「名乗っていなかったな、わたしの名はアドナ」
アドナは親しげに微笑みかけた。ニギは表情を変えず食べ続けた。
「いったいどれだけ殺してきたんだい? そのあどけないかわいらしい顔の内に、どれ程の凶暴性を備えているのだか。まったく魅力的だね」
「生きるのに必要なだけを殺したまで」
「その割りに、死にたがりにように見えるね」
アドナは肩をすくめた。ニギは表情を変えず食べ続けた。
「しかしそれは正しい。生きとし生けるもの、なべて死んでこそのものだ。死、それ以外に生を輝かせることなどできない」
ニギは表情を変えず食べ続けた。アドナも口を開くのをやめた。しばらく沈黙のまま、ニギだけが食事を続けていた。
不意に手を止めて、両手のナイフとフォークをそれぞれ右と左に投げた。
その両方は左右それぞれのメイドの喉元に突き刺さり、声も漏らさず同時、床に崩れ落ちた。ニギは虚ろな瞳でアドナを見た。その瞳は意図的に思考を拒否していた。
「始めよう」
ニギは袖で口許を拭き、ナイフを両手に持ち替えた。
「ああ、本当に好いな。美しい。それじゃなきゃ駄目なんだよ、本来生き物というものは」
アドナはゾクゾクと己の身を両の腕できつく抱き締めて、嬉しそうに口角を上げた。
ニギが硬く重たい食卓を蹴り上げると、左の一角のメイドは容赦なくその下敷きとなった。
それが闘いの合図だとでも言うように、アドナは腰に引っ提げた曲刀を引き抜いた。
「「いざッ――!」」
アドナは体勢を低くして這うように床ぎりぎりを走った。
速い。曲刀はニギの足許を狙って横薙ぎに払われた。
跳ねたら、やられる――。
反射的に理解。後ろに下がる。二撃目、曲刀はニギの中心線を真っ二つにすべく跳ね上がった。右足で床を叩き、さッと左に跳んで避けた。メイドの後ろ側に回った。
アドナは曲刀を振り回しながらニギを追った。メイドはばさばさとアドナの剣に膾となった。
進撃は止まない。ニギはメイドをアドナ目掛けドカドカと蹴り飛ばしたが、アドナは迷いなく斬り捨てて道を遮らせなかった。
アドナの曲刀がニギを捉える。頭上から真っ直ぐに振り下ろされたそれは、ニギに避けるいとまを与えなかった。
ガギンッ。ミシミシ。金属同士のこすれる嫌な音。次いで床が軋む音。
「へえ、このわたしの一撃を受け止めるとはねえ。神殺しと呼ばれる由縁か」
ニギはアドナの一撃を両手の交差したナイフで受け止めていた。
「なんだそれ。まるで自分が神様みたいな言いぐさじゃないか」
ニギを支える床が悲鳴を上げる。彼はぎゅっと食い縛り曲刀を押し返す。純粋な力比べ。アドナも歯茎から血が出るほど食い縛る。その瞳は見開かれて歓喜に燃えている。対してニギの瞳はどこか眠たげで、虚ろで、間抜けで脳天気だった。
「好い、善い、良いッ! 絶望した、冷めきった、諦めきった眼だッ! それでこそ生まれてきた甲斐があるというものだッ! その瞳でいったいどれ程の瞳を射竦めてきたことかッ!」
「………………」
ニギは何も応えない。
「かッかッかッ! 良い、それで善いッ。思考など吹き飛ばしてやる。考えることなど捨てさせてやる。ともに快楽の宴へ身を投じようではないかッ」
アドナはニギを蹴り飛ばす。壁に激突し衝撃が走るはずだったニギの体だが、うまくメイドをクッション代わりにしてその身を守った。メイドが次々犠牲になってゆくが特にこれといった問題は無い。
アドナもメイドを足場にして水平に飛んだ。繰り出された曲刀の突きをナイフで逸らし懐に這入り込む。右手のナイフをアドナの心臓に突き立てる。
「かッ……」
アドナは血を吐く。ニギは手を止めず左のナイフを喉に突き立てる。アドナはしかし、にぃっと笑い曲刀を高く掲げ振り下ろす。ニギは表情一つ変えずすかさずバックステップで距離を取る。曲刀は空を切ったが手負いでありながらその勢いに鈍りはない。
なんて奴だ……。
ニギはふうっと呆れたように溜息を一つついて、ギンと瞳を尖らせて、アドナ向かって走った。腹部を狙いナイフを伸ばす。
今度はアドナは避ける気配を見せない。ぐさりと二本の根元までナイフが深く突き刺さったが、そんなもの何処吹く風と曲刀を横一線に薙いだ。
ニギは突き刺さったナイフをそのままに背面に跳んだ。アドナはナイフを突き刺したままそれを追って跳んだ。ニギはベルトに携えていたナイフを二本もう一度両手に取って応戦した。空中にて、連打連打。空の乱打戦。きんきんきらきら火花を散らす。
ニギは藪から棒にナイフを二本投げつけた。勝負を焦ったようにアドナの目には映った。
「愚かなッ!」
アドナは血を吐き出しながら曲刀を大きく振りかざした。突如沸いた好機に振りが大きくなった。
それがニギの狙いだった。がら空きの懐に飛び込んで、ベルト背中部分に隠し持っていたナイフで、アドナの腹部にバツ印を刻んだ、のみならず、勢いそのままアドナの首を見事斬り落としてしまった。
「流石に、動けないようだけど」
胴と首が離れたアドナはようやく動きを止めて重力に引き寄せられた。ニギはたんっと華麗に着地する。
ぐちゃりと床へ叩きつけられた体。道端に転がる小石でも見るような、興味なさげな目つきでそれを眺めるニギ。興味なさげだが、じっと見つめている。まるで起き上がり動き這い回ることを確信しているかのように。
辺り一面に塗りたくられた鮮血が、突如一瞬にして蒸発する。アドナの体が真っ白に脱色され、そして肌が肉が骨が〝ほつれ〟て糸状になった。それは各自うなうなと蛇のように蠢き動き回り、ぐちゃぐちゃ押し合い圧し合いを繰り返し、最終的には純白で巨大な、鱗のない蛇へと変化した。
それは、ニギを見下ろしながら、紅い、先が二叉に分かれた舌をチロチロと動かした。
「ふーん。まさか神様だったとはね。神様も秘宝が欲しいんだ?」
『くはははははははッ! 小童ッ! この姿を見た者は誰一人として生きながらえることは出来ぬっ! 小童め、汝も例外ではないぞッ! さあ、覚悟しろ小童ッ!』
ニギはその言葉を嘲笑した。傲岸不遜唯我独尊を絵に描いたような嗤いだった。
「ハッ! 知らないのか、〝紫鬼の通り道に生者なし〟。自分ばかり特別か? 神様だって同じさ。覚悟すべきはアンタだ、白蛇め」
『何と、増長するな小童がッ!』
アドナは逆上して、体を起こしピンと真っ直ぐに伸ばし、大口を開けてニギへ向かった。
「呆れるくらいに陳腐な反応だね」
ニギはナイフを一度に六本引き抜いて左右それぞれ四つの指に挟んだ。




