十
ニギは部屋で燻っていた。コノハの、寂しそうな声を思い出すと、何もできなかった。コノハの為に、と思い立った結果が、コノハを悲しませてしまった、という事実は、ある種、彼を縛める鎖だった。
しかし同時に、コノハにあんな風に心配されたという事実は、彼の心を楽しくした。大切にされている。コノハに、少し痛いくらい抱き締められた感触を思い出すと、頬が自然と緩んでしまう。
複雑だった、ように思えた。そんな思いがない交ぜになって、彼のからだを重くした。
コノハは、居てくれるだけで良いと言ってくれた。でも、ぼくはもっともっとコノハの為に何かがしたい。コノハの役に立ちたい。
思考は家の前に辿り着いたオートバイの音にかき消された。何事かと表へ出ると、
「ニギ、乗って」
と、フヨウがニギにヘルメットを投げ寄越した。
「フヨウ!?」
別れて以来会っていなかった。突然の訪問に驚いたが、とにかくフヨウの後ろに乗った。
「えっと……」
「ランダさんが、《イゾの会》を去る。遠くへ行く。もう会えないかも知れない」
「え?」
バイクは迷いを置き去りにして走り出した。
カンカン帽を被ったランダはプラットホームで煙草片手に白い息を吐いていた。
一応カタがついた。心配事は多々あれど、自分が出来ることはもう残っちゃいない。《イゾの会》に居る理由がない。ようやく《秘宝》からも離れることが出来そうだ。成し遂げた達成感を胸に携えて、去れる。
心に思い描くのは、紫頭の男の子だった。強がって意地っ張りで大人ぶって……まったく面倒臭いヤツだった。
これじゃいけない、どうにかしなきゃ。と、積極的に話しかけたりしたものの、埒が明かない。精一杯尻尾振ってアピールしているくせに、いざ近づくと突っぱねられる。
んで……そうこうしているうちに、結局はあのコノハってねーちゃんが現れて、いとも簡単に、水槽で溺れるあいつを掬っちまった(浚っていったようなモンだが)。
オレは何も出来なかったなァ……。
ランダは苦笑して、煙草を灰皿で潰し、瞳を閉じる。今頃あいつはどうしているだろうか。コノハとうまくやっているだろうか。
「ランダ!」
突然自分を呼ぶ声に、驚いて顔を上げる。自分の許へ向かって走る、紫頭の男の子に、驚いて腰を上げる。
「ニギ! どうしてここに!」
「フヨウに教えてもらった。どこか、遠くへ行っちゃうって……」
フヨウはニギの後ろについていて、ランダと目が合うといつも通りの眠たげな瞳のままVサインを出した。
「フヨウ? お前、どうして……」
「きっと、後悔すると思ったから」
ランダは意味が飲み込めなかったが、フヨウは十分な説明をしたという風に、視線をランダから外した。主役はニギとランダだ。
「ちゃんと……言ってなかったから……」
ニギは切実な表情で、ランダを見上げている。
「言ってないって、何を?」
「ぼく、ランダに〝ありがとう〟って、ちゃんと言えてなかった」
驚いた。まさかの言葉だった。
「今まで、ランダに心配掛けて、いろいろとぼくのためにしてくれて、それなのに……何も返せなくって……」
ニギは恥ずかしそうに頬を紅潮させて俯く。
……ただの、お節介だと思っていた。何もできていなかったと、そう思っていた。それが、言葉ひとつで報われた気がした。泣きそうになったが、どうにか我慢して、ニギの頭に手を乗せた。
「まったく……そんなかわいげのあること言えるようになりやがって」
鼻声を誤魔化すように、やや乱暴にニギの頭を撫でた。
「……あのねーちゃんと、うまくやってるか?」
と聞くと、ニギの顔に陰が出来た。
「どうした?」
「……コノハはぼくのためにいろいろしてくれている。けど……ぼくは、コノハの為に、何もできない」
俯くニギに、ランダは苦笑。
「まったく、案外変わってないモンだな。お前、ちょっとは甘えることを憶えたらどうだよ」
「でも……」
「うん、確かに、お前はそーゆー性格じゃないことは分かってっけどよ……なァ、ニギ。焦るな。お前自身、自分が子供だってこと、厭になるくらい自覚してるだろう」
「……うん」
「……今は、いいんだよ。どうしようもねえんだ。五年後、六年後、ちゃんと、あのねーちゃんの隣に並べるようになれば、それでいいんだよ。焦ってコトをし損じたら元も子もない」
「ぼくは……」
「ああ、時間だ」
列車がやって来た。お別れの時間だ。ランダは帽子を目深に被って列車に向かった。
「ランダ!」ニギはランダの後ろ姿に叫んだ。「ぼくは結局、アンタに何も返せなかった! 何もできなかった! 嫌なんだ、こんな風に終わっちゃうのは!」
「ニギ!」振り返ったランダは、今生の別れになるとは思えないほど、軽快に、小粋に笑った。「オレは、お前のありがとうってその言葉ひとつで、十分だ。本当だ。報われた。きっと、これからもうまくやっていけるだろうって、そんな気分になった。ニギ、オレもまた、お前に救われたんだ。少し前のお前じゃ到底出来なかった芸当だ。お前は成長した。自信を持て、ニギ!」
ランダは列車の中へ入ると、二度とは姿を現さなかった。ニギとフヨウのふたり、じっと、過ぎ去る列車を見送った。
「ニギ」ニギはフヨウを見た。「本当言うと、二度と会わない方が良いって、そう思ってた」
「フヨウ……」
「……うん、今回は、正解だったかな。ランダさんのためにも、君のためにも」
「フヨウ……。君も、本当に今までありがとう。いろいろと。気づけなかった」
「うん、その言葉が聞けただけで、十分」
フヨウはにっこりと笑った。
「ニギ、ランダさんも言ってたけど、焦らなくって大丈夫だから。っていうか、あんまり先に進みすぎてコノハさんを置いていかないであげて。あのひと、君が思ってるよりもまったくしっかりしていないから」
「えっと……」
「ふたりで、進んでいけば良いんだよ。……帰ろうか」
「……うん」




