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宵の文目  作者: けら をばな
第二話 「よかったら、わたしと居てくれないか?」
27/51

十五

「なあニギ、今日は本屋へ行ってみないか?」

「行く」

 しばらく本も楽しく読めそうにない。などと思ったのもほんの束の間、コノハの誘いに二つ返事で返してしまった。

 そう言えば、外行きの服って持ってない。こんな黒スーツで行くのってどうなんだろう。

「そこは、大丈夫」

「何がだよ。何も言ってないよ」

 フヨウの手には、そこまで派手ではなく、地味ではない、いかにも外行きの普段着然とした服があった。どうして分かったのか。別段拒否する理由も足りないので袖を通す。大きさはぴったりだった。厚めのデニムのズボンに、シックな色のTシャツとジャケットと、そして明るい色のマフラー。

「うん、似合う似合う」

「ふーん?」

 ニギは興味なさげに鏡を見て首を傾げる。似合う似合わないの基準がよく分からない。いつもと然程変わらない自分が映っているだけだ。

「ま、なんだっていいんだけど」

「良くないよ、デートなんだから」

「何がだよ。わけ分かんない」

「半ズボンの方がコノハさん好みなんだけど、流石に寒いし」

「何がだよ。言ってる意味不明だよ。……っていうか、お前こそどうしたんだよ。まるでデート行くみたいな」

 ニギはフヨウをじろじろと見た。フヨウはくすんだ赤のワイシャツに黒のズボン、黒のベストに、首許にはストールという〝気合いが入った〟という表現がぴったりの出で立ちをしている。

「デートだよ、サクラと。最近構ってあげられてないから」

 いつも通りの眠たげな瞳で、当然のように爆弾的な発言が繰り出された。いや、ぼくが知らないだけで、姉と弟で出掛けるってあんまり珍しくないのか? それをデートと称するのも普通なのでは?

「フヨウー! 準備できたー?」

 にっこにこのサクラが部屋へと入ってきてフヨウに抱きついた。

「ねーねー、今日は何処行くー? 楽しみだわー。当然、最後は二人っきりでホテルだけどね! あたしはー、道具とか使いたくない気分なんだけど、フヨウはどう思う? 最近全然してくれないんだから、今日は一晩中絡みつい……て……」

 サクラのだらしない笑顔は、ニギを見て固まってしまった。

「……ぼく、何も見てないから」

 ニギは目を伏せぎくしゃくとしながら部屋を出た。背後で「にぎゃー!」と、恐らく頭を抱えて叫ぶサクラの声を聞きながら、足早にコノハの許へ駆けた。


 広い邸宅を道なりに進む。少しずつだが地図も頭の中に入ってきた。中心に位置する(と聞く)噴水の前に来た。コノハは傍らのベンチに腰掛けることなく、じっとニギを待っていた。いつも通りの和服だ。しかし長い紫の髪は結われて簪で留められていた。

 どきりとした。声を掛けるのも憚られた。

「……ん? ニギ、来たのか」

 コノハは彼に気づき振り向いた。

「あ、う、うん……」

 どぎまぎしながら、頭にハテナマークの乗っかったコノハの隣に立った。

 ほのかに香水の匂いがした。冷たく静かな雪のにおいのなかに、コノハが凛と存在していた。何だか、もう少し近づきたくなって、一歩足を前に進め、はっとして後退りした。いったい何をやっているのか。恥ずかしくなってそっぽを向く。コノハはそんな、勝手に一人相撲をやっている彼の心の挙動が理解できずに首を傾がせる。そうこうしているうちに、一台の大きめ普通車が二人の前に止まって、ぴぴーっという遠慮がちな警告音と共に扉が開いた。

「……もしかして乗るの?」

「ああ、この便は東側出口直行だ。ここの敷地はあまりにも広いからな。こうでもしないとやっていられないらしい」

「……ちょっとした村じゃないか」

「人口が八百人程度の村なんて珍しくないから、規模で言えばそれ以上だと思ってくれた方が理解が易い」

「……」ニギは、ただただ呆れるばかりだ。

「ま、そんな話、今日はいいさ。これといった意味はない」

 コノハが車へ乗るのを見て、ニギもそれに続いた。


 車から降りて敷地から出ると、がやがやと人通りが多い賑やかな街並みが広がっていた。初めてここが都会のど真ん中であると知った。

「……嘘でしょ」

「嘘みたいに思えるだろうな。人口が多くて土地が嘘みたいに高いこの都市で、《イゾの会》は実に二十パーセントの土地を占有している。そして政治、裏社会と上下左右問わずさまざまな繋がりを持って、嘘みたいな資金/資産を運用している……なんてこと、今日の目的はそんなことをお前に教えるために外に出たんじゃない。力を抜いてくれてもいいのだぞ」

 コノハは、どこか自分に言い聞かせるように言って、ニギの手を引いた。

「え?」急だったのでニギは驚いた。

「……ああ、すまん。人通りが多いから、はぐれちゃ大変だと思って」

「……なんか、ものすっごくこども扱いされてる気がする」

 ニギはぶすっと不機嫌になった。

「別にそういう意味じゃないぞ。お前、ここ初めてで道なんて全然知らなくて、……」

〝こども扱い〟。コノハはサクラの言葉を思い出して、言葉が終わらないうちに、くすりと笑った。

「……何だよ」

「案ずるな。わたしも、お前に負けない程度にこどもらしい」

「……? なにそれ」

「さあ、自分でも分からん」

 急にご機嫌になったコノハに、ニギは頭にハテナマークを乗っけながら手を引かれた。


 その本屋は、なかなかに壮観だった。五階建ての建物には、本屋以外の施設は併設されておらず、純粋な本屋であった。ニギは駆けだして早速中へと入った。

「お、おい!」

 コノハの手は離さず、無意識にぎゅっと強く握られたものだから、彼女もまた引き摺られるようにして中へ這入った。中には彼女の顔馴染みの客と店員が幾人かいた。いつも通りの来店客であるコノハを見て、一度は興味なさげに本の物色へと戻ったが、見たことのない紫髪を、しかもコノハの手を引いた少年を見て、今一度、ぎょっとして向き直った。

 ……あ、これ結構恥ずかしいことだな。

 ようやくそのことに気づいたコノハは頬を染めて眉根を寄せて、曖昧に笑った。

「コノハ、凄いよコノハ! ここ全部本屋さん? あそこの図書室以上だよ!」

「ああ、まあな……。まあ、静かにな」

「あ、ご、ごめん」

 ニギは柄になく興奮して大声を出してしまった自分を自覚して顔を赤くした。

 ……あ、やばい。かわいい。

 もじもじする彼を見て、コノハも鼻血を我慢して目を逸らす。どうした、今日はいつもより十倍増しでかわいいぞ? いや、いかんいかん。今日は、こどもなわたしを棚に上げてお姉さん的な役割をするって決めたんだ。その為に気合い入れておめかししたんじゃないか。しっかりしろ、コノハ! この寒椿の帯だって、選ぶのに二時間はかかったのだぞ。……もうちょっと、なにか言ってくれてもいいのになぁ。それは高望みだろうか。

 ニギを恨めしそうに見る。……ん?

「お前、その服って……?」

 彼の、いつもと風味の異なる恰好に、今更ながら気づいた。そんなことでひとのことなど言えるはずがない。いつもよりかわいいのはそれが原因か?

「あ、うん。フヨウから借りた。流石に、あの黒スーツはどうかと思って」

「そうかそうか」

 本当にあいつは気が利くなー。その能力、羨ましい限りだよ。あんなところに居なくたって出世できるんじゃないか?

「……コノハも、似合ってると思うよ」

 ニギはコノハから目を逸らして、背中越しに小さな声で言った。

「……え?」

「何でもない! ぼく、ちょっと見て回ってくるから!」

 ニギは振り返らずに駆けだした。

 かくして、その声はコノハにしっかりと聞こえていて、硬直した彼女の頬をだんだんと紅に染めていった。

 顔馴染みの、エプロン姿の女性店員が、ハタキを片手に、そんな彼女へ近づいた。

「あんた……ついに……」

「ついにって何だ、ついにって!」

「あんな小さなこどもに……。実際に手は出さないって思ってたけど、読みが甘かったわね」

「手なんて出してない! っていうか、歳だってそこまで……」

 ……あれ、ニギって幾つなんだろう? わたしと、十以上は離れていない……と思うけど自信ないなぁ。店員は呆れたように……と言うか諦めたように溜息をついた。

「……ま、いいわ。見なかったことにしてあげるから、ゆっくりしていきなさい。そしてお金を落としていきなさい。あと、あの子のこと、あんま目を離さない方が良いんじゃないの? ここだいぶ広いわよ」

「言われなくったって分かってるって!」

 火照った顔を隠すように、ニギを追った。


 そして今……ニギはコノハの対面に悠長に座っている。この本屋には、机と椅子が無理矢理作ったようなスペースにちらほらと置かれていた。

 ふたりとも、まるで先日の墓の一件のことなど無かったように座っている。コノハは気の抜けた顔でいるし、ニギは黙々と本に集中している。

「お前、相当の本読みだな。こっちがびっくりだよ」

 ニギの周りには本がたくさん積まれており、何時間もこうして本の世界に浸っている。

「そっちだって、本読みだって話じゃないか。あそこの図書室、アンタが買った本がいっぱいあるんだろう。ここのひとたちだって顔馴染みのようだったし」

 コノハは苦笑。「まあ、そうなのだが……。最近では、その、買うだけ買って読まないなんてことも多々……」

 誤魔化すように瞳を逸らし眼鏡を掛け直して、再度ニギに視線をやると、軽蔑したような瞳を向けられていた。

「……そんな目をするな。流石に傷つくぞ」

「守銭奴の無駄遣い」

「ちょっと待て! 守銭奴って、守銭奴って? 守銭奴って! 誰かに会ったか? 誰かに何か吹き込まれたか!」

「別に。そんな顔してるもん」

「そんな顔してるのかわたしは! その、違うんだ。確かにお金は好きだが。いや、あの、その……」

 コノハの言い訳を無視して、ニギは視線を本に落とした。コノハは自分の頬をむにむにと揉んでみて、はあ、と溜息をついた。

 コノハの周りにも数冊の本が置かれている。そちらに視線をやらずに、頬杖をついて、ニギを興味深げに観察していた。目をキラキラさせて夢中になるその姿は、やはり子供っぽさが強かった。

 幼い――。

 第一印象からそうだった。

 しかし彼がむさぼっている本は、高等科学、歴史、人文学、世界各地の文化、大人だろうが大半のものが理解できないであろう代物だった。そのアンバランスさに、苦笑が漏れたと同時に、コノハを心配にもさせた。

 コノハは初めて会ったときの彼と、今の彼を重ねる。

 第一印象、ニギは、生きづらそうだった。一挙手一投足から、まるで高らかに主張するように、その思いが溢れていた。

 対して目の前の彼は、生き生きしている。楽しそうだ。

 年相応の体験をなおざりにして。体験する機会を、一生奪われたままに――。

 そう、アンバランスだ。生きづらさの原因は、このアンバランスさにあるかも知れない。これは一生続いてしまうような性質のものだろうか? それとも、大人になれば彼の性癖が年齢に追い付いて自然解決しうるものだろうか?

 わたしには分からない。

 そんな不安を誤魔化すように口を開いた。

「買って行ってしまっても構わないぞ?」

「そう? でも、居心地良いし、ここも嫌いじゃないよ。ずっとここに居たって良い」

 ニギは上機嫌だった。

 コノハは不安を拭うことに失敗した。ニギが、いつまでも《イゾの(ここ)》に居るとは思えなかった。居ることが良いとも思えなかった。

 しかし彼がどうすればいいかという、具体的な未来を描くことはできなかった。

 わたしも、同じだ。

 わたしもまた、年相応の体験をしないままに大人になって……体験する機会を奪われて、こうして自分でも分からない立ち位置に居て、そして愚かにも、説教じみた言葉を年少者に向けている。

 わたしはニギに何も示せない。

 初めてニギに会ったとき、このままじゃ駄目だと思った。だからここへ連れてきた。逆に言えば、彼を救い出せると思ったから、ここへ連れてきた。決して手後れではない。やり直せる。

 しかし……

 ここに居たとして、本当に彼は変われるのだろうか?

 いや……

 ここに居て、わたしは変われたのだろうか?

 そんなわたしが彼を変えられるだろうか?

「……難儀なものだ」

 コノハは自嘲気味に笑った。ニギがそれに気づいて一瞥するが、すぐに本へ戻した。そして本の項をぴらぴらとめくりながら、

「図書館で、アァラに会ったよ」

 と言った。にわかにコノハが殺気立つ。本屋の静寂がざわざわと狼狽える。勿論その空気はニギにも伝わっている。それでも彼はぴらぴらと本の項をめくっている。

「……それで、何か話したか?」

 あいつは、興味の無いフリをしてニギに近づいた?

「……出来れば、その殺気を鞘にしまってくれるといいのだけど」

「……すまない」腹で大きく呼吸して落ち着かせる。「何か話したのか? まあ……言いたくなければいいけど」

「……あの会の、目的を聞いた。《秘宝》に何を祈るかを」

「ああ……」コノハは苦笑した。「驚いたろう。大の大人が、しかも実力者が勢揃いして、願うことが平等な世の中だ」

「……あれは、信じていいの?」

「多分、間違いない。お前を納得させる根拠はないが」

「そう……」

 ニギは本から目を離してコノハを見た。

「ねえ、コノハはその願いをどう思う?」

「……さあな」

 コノハは溜息をついて、椅子にぐったりと凭れた。

「平等な世界。そもそもそれをどうやったら実現できるのか、わたしには到底分からないんだ。それに、実現したとして本当にそれがわたしたちの幸せになるか……」

「ねえ。コノハがあの会に居るのは、お金だけのため?」

 ニギは身を乗り出した。

「……」

「正直に言って」

 ニギの瞳は真摯だった。だから、わたしも真摯に答えなければならない。

「……生きながらえるための(すべ)、だった」

 考えながら、慎重に言葉を選びゆっくりと言葉を紡いだ。

「あそこ以外にわたしを必要とするところはなかった。必要とされなければ、生きてはいけない。わたしは強すぎたのだ。……今でもそれは同じだ。《イゾの(あそこ)》を出て行ったとして、他にわたしを必要とするところはあるだろうか? 出て行く理由によるだろうが。あそこを出て行ったとして、今より良くなる確証はない。だから、あそこに居る。が、……」

「……」

「……確かに、期待している部分もあるんだ。もしかしたら、あいつらの祈りによって、今よりも世の中がずっと良くなるのかも知れないって」

 コノハは観念したように告白した。ニギは背凭れに、ギシッと身を預けた。

「ねえコノハ、弱い〝紫鬼〟って居ると思う?」

 立て続けの質問に戸惑う。内容も良く飲み込めなかった。ニギはコノハが答えないうちに言葉を続ける。

「ぼくとコノハでも、悔しいけれど、実力差がある。……ぼくはいつも考えていた。弱い種族、強い種族、器用な種族、頭の良い種族……そうやって種族の差ばかり注目されがちだけど、個体差って言うのは、もっと絶望的なんじゃないかって。器用な種族で不器用に生まれたとして、生きて行く(すべ)はあるのかって……」

「……」コノハは何も答えられない。

「どうすれば皆が平等になれるだろうか。一番手っ取り早い答えが、世の中の皆が、同じ種族になってしまうことだろ思う。でも、だからと言って……平等に同じ種族になったとしても、生まれ持った資産の差や、能力の差によって、平等に幸せになることは出来ないんじゃないかって思うんだ。もしかしたら、肌の色だとか思想だとか、そういう詰まらないことで、誰も彼もがお互いを縛り合っているかも知れない。だからぼくは、あのひとたちの祈りを、言葉の通りに素直に肯定することが出来ない」

 コノハはまたも驚かされた。ニギの言葉は彼女がまったく発想できないものであった。

 今でこそ諦めることができたが、しかしわたしはかつて、力それ故に孤独であり続けなければならない、己の種族を、血を、呪っていた。ニギもわたしと同じであろうと、高を括っていたが、彼の悩みはどうやらその何歩も先を行っていたようだ。

上「おうおうコノハさんよ、泣く子も黙る最強の〝紫鬼〟が、こどもひとりにどうにも狼狽えているたぁ、まったくみっともねえと思わねえかい」

下「そうは言ったって仕方あるめえ。泣く子と地頭にゃ勝てねえと昔っから決まってらあ」

上「情けねえことに変わりはねえさ。決まってらあよ。それに相手は泣いてねえこどもじゃねえか」

下「泣いてなかろうがコドモはコドモさ。オトナはどうしたってコドモに勝てねえものなのさ」

上「カタカナで言ったって情けねえのは変わらねえ。それもおめえはコイツが話の分からねえコドモだから狼狽えてるんじゃねえんだろう? 逆さ。おめえの考えの及ばねえほど頭が良いから狼狽えてるんじゃあねえか」

下「ああそうさ。コドモに狼狽えてんじゃねえ、オトナだからどうにもこうにもできねえのさ」

上「何ともまあ、余計情けねえ。それでよくぞコイツを導こうだなんて思ったもんだ」

「知るか馬鹿どもが。ぶち殺すぞ」

 コノハは大きく息を吸って吐いて、ニギを見た。ニギはきょとんとしている。

「わたしは自分を棚に上げないといけないらしい」

「……何の話?」

「さあな。……ニギ、お前は、願えるとしたら《秘宝》に何を願う?」

「……」

 ニギは戸惑いを見せた。

「別に、お前を試す意図はない。気楽に答えて貰えば良い」

「……何だって叶えられるなら……ぼくは……」

 ニギの瞳が陰った。俯いて誤魔化すように、本に視線を落とす。ページをめくる仕草は、頭に文字が入っていないようだった。

「……ねえ、コノハにも……」

 ニギは口を噤んだ。か細い声で何かを懸命に訴えようとした彼を見て、コノハは考えた。そこに何かしらの彼を救う手立てが隠されているような気がしたのだ。

〝コノハにも〟――。

 つまりはわたしたち〝紫鬼〟の共通した話題なのだろう。しかし口に出すのを憚られるような……

 コノハは案外早く答えに辿り着いた。

「……《拾い主》のことか」

「…………」ニギは顔を上げなかったし答えなかったが、それは肯定の沈黙だった。

下「何ですかね、その《拾い主》とか言うやつは」

上「なんだなんだ、てめえはそんなことも知らねえのか」

下「ほうほう、常識ですかね。いつ習いましたかね」

上「常識の常識さ。常識だからって、習うとは限らねえ。〝紫鬼〟と言ったらその強さと《拾い主》で有名さ」

下「へいへ」

上「へいへ、じゃないよ。ちゃんと分かってんのかい」

下「へい」

上「分かったもんじゃないね、まったく。いいかい、〝紫鬼〟って言うのは、親が在って産まれてくるもんじゃないんだよ」

下「親がないのに産まれてきますか?」

上「産まれてくるんだからしかたがねえ。誰も彼もが、母親の乳を飲んで育つとは限らねえ」

下「へい」

上「分かってねえようだなァ。いいかい、〝紫鬼〟っていうのは、少しばかり変わった産まれ方をしてくる」

下「親がないんですものねえ。ひとりでに沸いて出てくるもんなんでしょうかね」

上「馬鹿言っちゃいけねえ。ひとりでに沸いて出てくるもんか。冗談もほどほどにしてくれってんだ」

下「しかし親がないのに産まれてくるんだったら、ひとりでに沸いて出てくるしか方法がございません」

上「ございませんって言ったって、他に方法があるんだから仕方がねえだろうよ」

下「へい」

上「いいかい? あいつら〝紫鬼〟の産まれ方って言うのは、マ、確かなことは分かっちゃ居ないんだがよ」

下「というと、やっぱり沸いて出てきますか」

上「何が、やっぱり、なんだよ。沸いちゃこねえって何度も何度も言ってんじゃねえか。いいかい、〝紫鬼〟っていうのは、花から産まれてくるんだ」

下「へい」

上「おう、てめえちゃんと分かってんのかい?」

下「花に沸いて出るってことですかね」

上「分かって無いねえまったく。仕方がねえ野郎だまったく。いいかい、マ、さっき言ったとおり確かなことは分かっちゃいねえ。花のつぼみに宿るだとか、朝露が花弁に触れたときにできるだとか、いろいろ言われちゃいるが、みんな憶測でしかねえ。ただひとつ、〝紫鬼〟は花と一緒に咲いて産まれてくるって言う、ただそれだけさ」

下「へえ。それは沸いて出るのとどう違うんでございましょうか」

上「てめえは本当に分かってねえなあ!」

下「いやあ、ダンナの仰ることは難しくってあっしにゃ分からねえですよ。して、その《拾い主》とかいうやつはいつ沸いて出てきますかね」

上「《拾い主》も沸いちゃ出てこねえって言ってんだ」

下「仰いました?」

上「分かった分かった、オレが悪かった。《拾い主》も沸いちゃこねえ。えっと何だっけ。そうだそうだ、〝紫鬼〟が花から沸いて出たときには」

下「え、やっぱり沸いて出てくるんでございますか」

上「違う違う、〝紫鬼〟は花と一緒に咲いて出てくる。ああ、悪かった悪かった、そんな目をすんなってんだ」

下「どんな目でございましょうか」

上「うるさいうるさい。てめえと話してたんじゃ一向に進まねえ。いいかい、最強の〝紫鬼〟と言ったって、産まれたばかりの時は、それはもう、小さな小さな、豆ッこぐれえの小さな弱々しい生き物でしかねえってんだ」

下「へえー、それはそれは」

上「それはそれは、ひとりじゃ到底生きちゃいけねえってんで、どういうわけか、産まれて出てきた〝紫鬼〟の側にゃ、誰かしらが居て、そいつが〝紫鬼〟を拾って育てるって、そういうわけさ。それが《拾い主》ってわけさ」

下「へえ」

上「分かってんのかい」

下「いえ、しかしまあ、そんなに運良く誰かしらさんが居て、誰かしらさんとやらは、育てる気になるんでございましょうかね」

上「運良く見つかって育てる気になるんだから、仕方がねえじゃねえか。本人が言うんだから」

下「本人とは?」

上「分からねえやつだねえ。〝紫鬼〟本人に決まってんじゃねえか」

下「しかしダンナ、その〝紫鬼〟本人っていうのは、ひょっとすると、運良く誰かしらさんに見つかって運良く誰かしらさんに育てられただけの、運の良い輩ではないでしょうか」

 お後がよろしいようで。

「しかしわたしはそうは思わない。いや、思えない。〝紫鬼〟にはきっと《拾い主》が……いや、わたしは、〝紫鬼〟が、《拾い主》となるべき人の許へと咲いて出てくるのではないかと、そう思ってさえいるが……それは、あまりに都合の良い願望だと思うか?」

 ニギはふるふるとかわいらしく首を横に振った。肯定されたことが嬉しかった。

「わたしも……わたしの《拾い主》には、それなりに特別な思いがある」

「……そう」ニギは視線だけを本に向けていた。先程から一ページも進んでいない。

「そうだな、いつか……」コノハは柔らかに微笑んだ。「いつか、その話も出来たら良いな」

 今はまだできない。わたしにとってそれだけ特別で、大切な人だったから。簡単には話すことはできない。わたし自身も、未だに、どう整理を付ければ良いか迷っている部分もある。

 でも、いつか……


 朝。コノハはいつもの通り線香と水を持って墓へと足を運んだ。先客がいた。黒スーツの彼はじっとコノハを待ち続けていた。

「平気か?」

 コノハは聞いた。彼は左腕を右手でぎゅっと掴んだ。

「平気とは言えない。でも……」

 コノハは頷いた。

「ま、いいさ。ゆっくりやっていけば良い」

 ニギはコノハの後ろへ続いた。


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