十三
ニギは暗い部屋でベッドに突っ伏していた。今は、先ほどのような苦しみは薄れたものの、ふとした拍子に彼の心臓をきゅるきゅると締め付けた。逃れようとしても、不安が、恐怖が、頭の中に居座り続けている。
ぼくは、ぼくは……
今までどれだけのひとの命を奪ってきただろうか。ずっと考えずにきた。考えないように努めてきた。考えずに居ることができた。あっちが殺しに来る。だからぼくも殺しに行ける。ぼくが殺しに行く。あちらも殺しに来る。成立していた。
その瞬間だけは。
頭が冷めると、それが身勝手な妄想だと気づく。恐怖にさいなまれそうになる。それでも、次の出撃機会が近づくと、そんなことを考えてばかりも居られなくなるものだから、また不安を紛らわすことができた。
まさに麻薬だ。しかし今はどうだ。
〝殺すな〟――。
紛らわす切っ掛けがない。紛らわすために殺すわけにもいかない。そんな身勝手は許されない。
じゃあ、とその先を考えてしまうぼくがいる。考えられるぼくがいる。
ぼくが今まで、自分の不安を紛らわせるために殺していなかったか。今まで、身勝手に殺していないと、言い切れないだろうか?
答えなんて分かっている。だからこうして苦しんでいる。
生きるために仕方が無かった? 言い訳だ。ぼくには罪がないと、ぼくが苦しまないための言い訳だ。
あのときコノハに言われるまでもなく分かっていた。
分かっていた。分かっていた。
苛まれる。呵まれる。
苦しめているのはぼく自身。ぼくに手を上げているのはぼく自身。ぼくの心臓を握り締めるのはぼく自身。ぼくの脳内をがんがんと叩き続けるのはぼく自身。有能な検事であるぼくと、無能な弁護士であるぼく。判決は? 下すのはぼく自身の筈だ。そうだ、裁判長もぼく自身だ。
死のう。やっぱり死ぬしかない。この苦しみは一生のものだ。それでしか、ぼくは救われないんだ。
ナイフを手に取る。
〝生きろ〟――。
とくん――。コノハの言葉に踏み止まる。
生きろ。その言葉は優しさだった。彼を絆し締め付ける優しさだった。生きろ。その言葉を言われたとき、確かに嬉しかった。その感情は自縛の鎖だった。
「ニギ」
フヨウが真っ暗な部屋へと入ってきた。みしみし。畳が踏みしめられる音。ニギは反応する余裕などなかった。傍らに座った。
「ねえ、ニギ。ひとつだけお願いがある。言うね」
ニギの気持ちや事情など関係なくフヨウは続ける。
「コノハさんと、一緒に居て欲しい」
静寂に、その言葉はしっかりとニギの耳に入る。意味は飲み込めなかった。
ぼくに? コノハと? 一緒に居て欲しい?
ずさ。雪が屋根から落ちる音。
あまりに唐突で、あまりに突拍子もない頼みで、苦しみがどこかへ行ってしまった。つい先程までぼくをさいなんでいた恐怖は、いったいどこへ行ってしまったのだろうか?
「……コノハさん自身、いろいろ迷っている。君に、適切なときに適切なことを言ってあげられないかも知れない。でも、少しだけ我慢して一緒に居てあげられないかな。……今は寝ちゃえばいいよ。また、起きたらでいいから。起きたら一緒にご飯でも食べよう」
フヨウはニギの頭をそっと撫でて、部屋を出て行った。
静かだった。何千というひとがここにいるとは思えないほどに。
うとうと。だんだんと眠たくなってきた。からだがぐったりと疲れていたことに、今気づいた。
静かな呼吸で目を瞑った。フヨウの言うとおり、寝てしまおうと思った。あいつの言うことを聞くなんて癪だ……と、いつものぼくなら思ってもいいはずなのに、なんだか、どうでも良くなった。
寝てしまおう。
寝て起きたら……もう一度、コノハと話してみようか。
それを思うと、なんだか明日が楽しみになってきた。
彼が静かな寝息を立てるのに、多くの時間はかからなかった――。




