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宵の文目  作者: けら をばな
第二話 「よかったら、わたしと居てくれないか?」
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十二

 ニギは図書室を出た。そこには膨れっ面のフヨウが待ち構えていた。

「君、結構酷いひとなんだね」

「……本当に入れないのか」

「無理。本が並んでいるの見ただけで吐きそうになる」

「よっぽどだな、お前」

 コノハの言葉に半信半疑だったニギは、目の前で本心から恨めしそうな彼を前にして、驚いて良いのだか呆れて良いのか、ポケットに手を突っ込んで歩いた。フヨウはそれに続く。

 フヨウの前に出たものの、どこへ行ったら良いのか分からなかった。

「ああ、もしかしてコノハさん捜してる?」

 とうに機嫌を直したフヨウが聞く。まさにその通りだったが、はっきり言って癪だ。ニギはぶすっとした顔でフヨウを見た。フヨウは「分かってるよ」とでも言うように、こくりと頷いた。癪だ。

「コノハさん、今の時間ならきっとあそこに居ると思う。ついてきて」

 ニギはぶすっとした顔のままフヨウの後に続いた。


 フヨウは屋敷からどんどん離れてゆく。人気が少ない場所へと向かってゆく。

「随分寂しいところに居るんだな」

「実際に、寂しいところだからね」

「……」

 言葉の意味を計りかねて、黙ったままにフヨウの背中を追う。ニギは未だにここの敷地の構造が分かっていないが、裏手裏手へ入っているのであろうことは分かった。木立が点々と伸びていた。雪に反射した木漏れ日は明るいばかりで冷たく、暖かみが感じられない整備のされていない道を歩く。この先に何があるんだ? コノハはこんなところになんの用があるんだ?

 その疑問には案外早く答えられた。開けた場所に出た。真っ白な雪が、ぽつんぽつんと、点在する膝高さほどの岩に積もっている。

 岩のひとつひとつには丁寧に花が添えられている。花の添えられた岩は、雪が綺麗に落とされていた。

 コノハの後ろ姿。着物を着こなし、髪は纏めて左肩から垂らして、下駄でざっざと雪を踏みしめる。岩の間を縫って、ひとつひとつに線香を上げて、手を合わせる。ざっ。ニギとコノハ、ふたりの雪を踏みしめる音が合わさっ(シンクロし)た。

 コノハが振り向いた。

「来たのか」

 眼鏡の奥の、凜とした真っ黒な瞳。紅の差された唇。先ほど会ったときよりも身なりを整えられていたその姿に、どきりとしてしまった。

「フヨウが連れてきたのか? 楽しいところでもないだろうに」

 コノハは今一度岩に向かって、線香を手向け手を合わせた。真摯に祈りを捧げていた。それが済むと、手桶を持って、ふたりの許へと足を進めた。ざっざっざっ。コノハの雪を踏みしめる音は、あまりにも軽いような気がした。まるで半分浮いているようだった。

「……ここは?」

 解りきっていることだが、聞かずにはいられない。

「墓だ。《秘宝》に身を捧げたものたちの。わたしが殺したものたちも、ここにいる」

「…………」

 ニギは黙った。〝わたしが殺したものたちもここにいる〟。その言葉までは予想できなかった。いや、解ってはいた。しかしコノハの口からこれほど簡単に流れ出るとは思わなかった。

 にわかにからだが震え始める。ガチガチと歯が擦れ合う。えずく。全身の体温が奪われて、悪寒にさいなまれる。

 恐怖だ。彼のからだは恐怖に捕らえられていた。しかしその理由が分からなかった。

 答えを縋るようにコノハへ視線を向ける。しかしコノハはじっと押し黙ったままこちらを見るばかりだ。ニギの瞳に恨みが込められる。しかし込めれば込めるほどに、嘲笑うように彼の心臓の中で恐怖は大きくなって行く。我慢できないほどの震えに、片膝をついた。

「……ニギ」

 コノハはじっとニギの瞳を捉えたまま歩む。ざっざっざっ。意味ありげなほどに軽い足音が近づいてくる。寒気と脂汗。がんじがらめに縛り上げられて、熱湯と氷風呂とを行き来されているような心地でじっと耐えるしかないニギを、彼女は温度のない、冷たくも温かくもない、感情も意味も持ち合わせていない瞳で見下ろしている。

「はっきり言おう。その苦しみは一生のものだ。逃げ場はない」

 手は差しのばされなかった。その言葉に、がつんと頭上から木槌でも打ち下ろされたような衝撃を浴びても、尚、彼はコノハの瞳によって正気で居させられている。気を失ってしまえたらどんなに楽か、狂ってしまえたらどんなに楽か、それを許されずに、耐えて、耐えて、耐え抜くしか方法がない。

「コノハさん」

「黙っていろ、フヨウ」

 フヨウの批難を瞳で殺す。仕方なく言うとおり黙る。コノハは視線をニギへ移す。

「ニギ。お前がもしも狂人であったならこんなに苦しむ必要も無かったろう。お前自身、それを分かっていただろう。そして何よりお前自身、自分が狂人だと勘違いしていたのだろう。だが違った。しかしどこかで気づいていたはずだ。お前は、わたしに会ったとき、嬉しそうに笑っていた。しかしあれは狂人の所作じゃなかった。苦しみから逃げられる、そして罪が償える、そんなごく一般的な感情がそうさせたのだ」

「ぼくは……ぼくは……」

 むせび泣くニギに、それでもコノハは瞳で圧し続ける。

「ニギ、わたしがお前に求めるものは、ふたつだ。わたしの目が黒いうちは、そのふたつだけをお前に強いる。

 生きろ。

 殺すな。

 そのふたつだ。それ以外は求めない。それだけを守るのならば……どうか好きにしていてくれ」

「……何の意味があって、お前の言葉を守る!」

 精一杯の強がり。当然のように、軽くいなされる。

「殺せば、一時的に楽になるだろう。しかし恐怖がまた、お前をより一層お前を苦しめる。まるで麻薬のようにな。死ねば……もしも死んだら、わたしにはどうにもできない。どうにもならない。ただ、生きていて欲しいという、わたしの我が儘だ。それだけだ」

 コノハは目を瞑って瞳を逸らし、手桶を持って、その場を離れた。

「コノハさん」

「……後は頼んだ」

 やるせないような表情のコノハは、小声で、しかし切羽詰まった声で、フヨウに言った。

「……不器用ですね、相変わらず」

「すまない。いつもいつも迷惑を掛ける」

 ざっざっざっ。嘘みたいに軽い足音は、ふたりの鼓膜からどんどんと遠ざかって行く。

「……あなた自身、いつまでも救われていないじゃないか」

 フヨウは溜息交じりに、どこか呆れたように呟いた。


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