十一
ニギはあちらこちらを回っていた。一生掛けても消費尽くせぬであろう情報を前にして、くらくらとめまいを起こし、酔ったように歩き回っていた。
「すごい……こんなにも……こんなにもあるんだったら……」
ずっとここに居られる。本を無作為に取り出しては眺め、しまい、次にまた取り出して、眺め、しまい……
しまいには、結構な奥へと迷いこんでしまった。
随分と広い部屋なのに、本の途切れることがないばかりでなく、奥ほど本棚がぎっしりと詰められて、通路は人ひとり通るのがやっとなくらいになって、密集して光も遮られ暗い。
しかしニギは浮かれて、漁りに漁った。奥へ奥へ進む。やがて少しだけ開けた、窓明かりの差し込む空間へと辿り着いた。そこに、ひとり座って本を読み耽る何者かが居た。
どこかで見た気がした。あちらがニギに気づき、目と目が合うまで、それが誰だか分からなかったが、分かった途端に身構えた。
にっこりと、無邪気と言っても差し支えない笑みでニギを迎え入れた。
「やあやあニギ君。こんなところで会うなんて。驚いたよ」
「アァラ……」
アァラは眼鏡を掛けていたため、印象が初対面とは多少違っていた。それを外しニギへとにやにやとした、何を考えているやら分からない瞳を向ける。途端にあの部屋のやりとりが思い出され、嫌な、不快な心持ちになる。
「名前、憶えていてくれたんだね」
「…………」
返す言葉が見つからない。元々何を喋るつもりもなかった、というのもあるが、それよりも自分の言葉をすべて言質に取られてしまいそうで、不用意に言葉を発せなかった。
「気楽にしていてくれれば良いよ? ここは皆に開放してあるからね。特に、満足な教育を受けられなかった者のために。……できれば、フヨウにも来て欲しいのだけど。君たちいつも一緒でしょ? 連れてきてくれない?」
「……別に、一緒に居たくて居るわけじゃない」
ムッとして言い返す。同時に、会話をしてしまったことに対する後悔。アァラの、相手の言葉を引き出すうまさを理解した。
やはり、油断できない。
「何か用かい? 目当てのものがあるなら言ってくれて構わない。寄贈者の一人だからね、助けになるかもしれない」
「……別に、目的があって来たわけじゃない」
「そうか。君は読書家か」
「何を言ってんだ。お前ら全然分からない」
「目的無しに何かをやる、というのは実はものすごく高度なことなんだよ。普通、目的があるからこそ、動く。歩く。走る。考える。見返りがあるからこそ労働をする。……目的もなく居酒屋へ入る。目的もなく本屋へ赴く。目的もなく歩き回る。特に生活を改善する意思もなく、こうして本を読み耽り、時間を潰す……。なかなか難しいことなのさ」
「…………」
言葉の意図が分からず黙り込む。
「ははは、怖がらなくていい。今はぼくも仕事関係を考えたくなくってね」
「怖がってなんか……」
怖がってはいない。事実だ。アァラと対面しても、自分の命が危ういとは感じない。戦いを仕掛けたら、多分一瞬で決着が付くんじゃないか。
でも、この全身を強張らせる感覚は何だ? 分からない。
アァラは本を傍らの机に丁寧に置く。ニギの瞳を射貫くように見つめる。
「ここに来て間がない。こうして会ったのも何かの縁だ。質問に、三つだけ答えてあげよう。好きなことを聞いてくれ。何にだって答えてあげよう」
「……お前、ぼくを試そうとしているのか?」
ニギは反射的に聞いた。アァラはにっこりと笑った。
「そんな意図はないさ。こんな風に露骨に試すことはしない。試されるのは、誰だって嫌だからね。ぼくは嫌われるのが恐い。ただの気まぐれな親切とでも思ってもらえばいい。……今の質問は、カウントしないでおこう」
はは、とアァラは声を出して笑った。無性に恥ずかしくなったが、我慢した。そして、それならば……と考えを巡らせたが、何を聞けばいいかなんてことも分からなかった。
「お前、強いのか?」
《イゾの会》幹部《四高翁》のひとり(ただし、ニギはこの名前を正確に憶えていなかった)。この強大と言っていい会の代表者の一人である。強くなければ成れないだろう。
アァラは大袈裟に肩を竦めて見せた。
「いいや、弱いよ。ぼくはただの〝ニンゲン〟だ。大量に居る種族の中の、平凡な個体に過ぎない。君と勝負なんかしようものなら、一瞬で殺されてしまうよ」
「じゃあ、どうしてそんなお前が……」
「それが二つ目の質問?」
しばしの逡巡ののち、首を振った。
「いや、いい」
「そうかそうか。実の所それは自分でもどう答えて良いか分からない質問だ」相変わらずの笑顔。
「……どうして、ぼくをここに置くことを選んだ?」
アァラは多数決の際ニギを残すことを選んだ。
この、どこの誰だか分からないぼくを、だ。
「ああ、それは簡単。コノハに交換条件を持ちかけられたんだ。仕事手伝うからって。こっちとしては、タダで仕事引き受けて貰うのはありがたいのさ。彼女に仕事を頼もうとすると、大金が要る」
「…………」
「……言っとくけど、相当の守銭奴だよ、彼女。〝銭にゃ名前は付いてない〟って台詞、何度聞いたか知れない」
アァラは遠い目をした。一瞬だけだが彼の本音の部分を見た気がした。
「…………」いったいどう返せば良いのか。
「で、最後の質問は?」
アァラは仕切り直すように、にっこりと笑みを浮かべた。
ニギは話していてひとつの疑問が頭をもたげた。このわけの分からないニンゲンが代表として所属する、わけの分からない集団が、集団たり得る理由だ。
「お前達が《秘宝》に託す祈りとは、何だ」
ニギは力強い視線をアァラに向けた。
《秘宝》を目的として軍隊なりの集まりを成す場合でも、大抵は天辺がひとりと大勢の雇われ、といった形になる。自然とそうなってしまうのだ。ニギが前に居たところだってそうだった。代表格がこうして何人も居て、それぞれが別々の勢力を所有していて、争わずに済んでいるというのは、普通では考えにくいことであった。
多分、答えにくいことだ。そう思った。困惑するだろう。答えられるなら答えてみろ。
しかし存外、アァラの表情は変わらない。それどころか、
「ああ、確かに気になるだろう。ぼくらは、《秘宝》によって〝平等な世界〟を実現しようとしている」
と、こともなげに答えてしまった。ニギの方が困惑して言葉を失った。あまりにも馬鹿げていたし、ふざけていたし、子供じみていた。嘘をついているようには見えなかった。真面目な顔をしていて、それが一層馬鹿馬鹿しさを煽っていたが、それでもニギは笑うことが出来なかった。それほど、今のアァラは真摯な表情をしていた。
「他の《四高翁》が、どんな事情があってそんな世界を望んでいるかは知らない。でも、皆目標を同じくしている。競い合い邁進している」
「…………」
ニギは、やはり何も言えない。真意が計りかねる。いや、はじめからそんなものはないのかも知れない。
「……ねえ、君は平等な世界を、どうすれば実現できると思う?」
答えられない。アァラはにっこりと笑い本を置いて立ち上がった。
「流石に、こんな質問は困ってしまうかな。ははは。考えなくていいよ。我ながら無駄な問いだった。既に言ったけど、もう一度言う。ぼくは君を歓迎する。ゆっくりしていけば良いさ。君は、コノハと仲良くでもしていれば良い」
アァラはにっこり笑って、背を向けて立ち去った。取り残されたニギは、しばしの間じっと押し黙り、はあ、と溜息をついた。自分の肩が緊張していたことに気づいた。
力では、遙かにぼくの方が上だ。なのに……。
威圧されていたのはニギの方だった。頭の中がぐるぐるしている。
こんな状態じゃ、しばらく本も楽しく読めそうにないな。




