九
外へ出るとコノハは「あー、疲れたー、肩こったー」と伸びをして、大きく口を開けて欠伸をして、開放感に浸りながら歩き続けた。
「……ちょっとコノハ」
サクラに呼び止められて、振り返ると、ニギが立ち止まって俯いていた。肩が震えていた。
「……ニギ?」
コノハは怪訝な表情でニギに二歩基づくと、ニギは握られていたフヨウの手を振り払って、目にも留まらぬ速さで逃げ出してしまった。
「んな、ニギ!」
コノハはすぐにそれを追おうとしたが、
「待って」
とサクラに腕を掴まれ止められた。代わりにフヨウがニギを追った。
「サクラ! フヨウじゃニギには、――」
「平気、今のあの子はどこへも行けない。フヨウは何処にだって行ける」
「でも!」
サクラはコノハの腕を掴む力を強めて、表情をきつくした。
「コノハじゃダメ。ニギの涙の意味が分かってないから」
「えっと……」
逃げる瞬間のニギは涙を湛えていた。サクラの言うとおり、彼女にはその意味まではよく解せなかった。
「堪えきれなかったんでしょうね。あんな、モノみたいな扱いされたら、そりゃあ泣きたくなるわよ。ニギの意思なんてまったく関係無しなんだから」
サクラは批難するような瞳でコノハを覗き込んだ。
「あ、えーっと……」
コノハは目を泳がせて己の態度を顧みる。「あー、確かにあいつにゃ悪かったよ。悪かったけどさ、そうは言っても、仕方なかったろ? あの状況じゃ。他にやり用なかったよ」
「でしょうね。分かってる。あの場じゃ甘さを見せられなかった。みんな、何を考えているか分かったもんじゃなかった。コノハは最善を尽くした。でもあなたには会いたくないと思うわ。みんなして自分をいじめているように感じたんじゃないかしら、あなたを含めて」
「そうは言っても……あいつ、お前達と同じくらいの歳じゃないか? あれくらい耐えてもらわないと……」
「それがコノハの悪い癖よ。……わたしやフヨウなら確かに耐えられる。それくらいのこと、とっくに慣れてしまったから。でも、あの子には無理だった」
「うーん……そうか……」
コノハは腕を組んで眉をひそめた。反省っぽい態度を見せると、サクラは表情を緩めた。
「嫌われたかなぁ……」
「平気よ、きっと。フヨウがうまくやってくれると思う」
「……はぁ。できた弟で羨ましいねまったく」
コノハはとぼとぼと歩き出した。
「心配しないで。フヨウを信じてあげて」
サクラはにっこり笑ってコノハに寄り添って歩いた。
「後で、ちゃんと謝っておく」
「よろしい」
「……どっちが年上なんだか」
コノハは苦笑して、もう一度溜息をついて、仕切り直したようにぴんと背筋を伸ばし歩いた。
ニギは誰も来そうにない木立にひとり隠れて、地面に座り込んで肩を震わせていた。泣いていた。抑えきれない情動がニギから溢れ出ていた。悲しかった。悔しかった。そして行き場なくこうして敷地内に丸まっているしかない自分が、情けなかった。
ぼくの生活が変わることを心のどこかで期待してしまった。裏切られた。裏切られた、と思ってしまったぼく自身が嫌だった。憐れだった。
雪がニギの頬に当たった。ちらちらと、牡丹雪が地上を真っ白に染めようと意気込んでいた。その中に埋もれたかった。
ぼくが生まれたのはこんな雪の日だった。お爺さんの言葉を思い出した。何度でも、お爺さんの口から聞きたくて、ぼくは何度でも聞いた。
彼の着るスーツは、冷たい雪の中じっとしているには、あまりに頼りない。からだが、感情以外から震える。心では埋もれたいと思っても、からだは、しっかりと生への意思を見せていた。
どうすれば良いのかなんて、分からない。次々と、ぼくの意思とは別にぼくの生活が決まって行く。ずっとそうだった。それが変わると思っていた。淡い期待は運命に押し潰された。
「……寒いのは、嫌い」
ぼそり呟いた。昔のことを思い出してしまうから。つらいつらい、雪の日の思い出。楽しい思い出もあったはずなのに、あの日、全部が悲しい思い出に上書きされてしまった。
「そう。なら、戻ろうよ」
声に驚いた。声の主がすぐ側まで近づいているのにまったく気づかなかった己の無防備さにも驚いた。恐る恐るといった風に顔を上げると、眠たげな瞳がニギを覗いていた。
俯いて目を逸らす。わけもなく心臓がとくとくと早まった。フヨウはニギの隣に座り寄り添った。
「コノハさんのことは、許してあげて。頭は悪くないんだけど、直情的で周りが見えなくなることがよくある」
ニギは戸惑った。そして顔が熱くなった。無性に恥ずかしかった。あまりにみっともなかった。
どうすれば良いか分からなくなった。否。あまりに明白で、却って戸惑った。ニギは意地を張っているに過ぎなかった。
生きたって、生きたって……
懸命に、留まる理由を見つけ出そうとした。肌からどんどんどんどん熱が奪われてゆく。生きたって意味は無い。でも……こんな風に自分から進んで苦しむ必要だってどこにもなかった。あまりに無意味だった。
「……意味も無く生きたっていいじゃないか」
フヨウはぼそりと呟いた。まるで自分に言い聞かせるように。しんしんと降り積もる雪。フヨウの体は小刻みに震えていた。ニギとフヨウは同じ恰好だった。寒くないわけがない。
俯きながら迷っていた。何故だか焦る。早いとこ、コイツをどうにかしなきゃならない。
……コイツのために?
なんの義理があって、コイツのために、なんてことを考えなきゃならないんだ。
でも……
「……ねえ、ニギ」
「……」
「ここに、居てよ。もっと、君とお話とかしてみたい」
「……」
「寒いのは嫌だから温かいお風呂に入ろう。お腹が空くのはつらいから、おいしいご飯を食べよう。……いいんだよ、その程度のことで」
「……」
「さ、帰ろう」
フヨウの温かい手が触れた。ぼくには、それを振り払う力なんて残ってなかった。フヨウは立ち上がりぼくを引っ張った。涙を見せたくなかったから、ぼくは俯いていた。だからその時フヨウがどんな顔していたか知らない。




