十二
さてさて。その日のことを話さなければならないようですね。
そんなニギ様の運命を変えた、出会いの日でございます。変えさせられた、と申した方が適当ではあるかと存じますが、とにもかくにもその日、ニギ様の人生はその日を境にまったく異なるものへと相成ってしまいました。
陽の光が厚い雲の向こう側に追いやられた、ひどく寒い日でありましたが、雪は降っていなかったと思います。ニギ様はいつもの通り自室で待機――いえ、より正確を期した言い方をすれば――ニギ様は部屋で暇をもて余しておりました。
けたたましい警報音が鳴り響くと、のっそり億劫そうに起き上がり黒服に着替えました。侵入者でございますが、そんなもの、最早珍しいものではありません。そして大抵は、手練れの隠密でも居ない限りは、ニギ様が出る幕もなく、屋敷の尋常な警備によって排除されてしまいます。
今回もそうだといいな良いな、と淡い期待を胸に、最早慣れた仕種でナイフを服の中に何本も隠します。ニギ様が守護するのは、秘宝の間の一歩手前の部屋でございます。がらんとした、コンクリートと蛍光灯だけの殺風景極まりない、広いだけの部屋でございます。
この屋敷を護るのは、ニギ様以外にも手練れは相当数ございましたから、いつも、ニギ様はただただ部屋の真ん中に独り佇んで、他人の状況報告と撃破報告を聞くだけで終わってしまいます。
さて、その日も、いつも通り索敵方からの報告が入りました。が、……それがいつもと様子が違います。
「ヒト族が二人と、狼型の妖魔が一体、西方より来たり」
ニギ様は、先ず呆れてしまいました。一個師団が赴いても、この屋敷の警備は破られなかったのです。それが、二人と一匹でどうにかなるなど考えられません。無謀にも程がある。溜め息をついて、ひたすら報告を待ち続けました。
さてさて……待てども待てでも、期待した報告は届いて参りません。どこかで情報伝達が滞っているのか、と思いましたが、丁度その時、報告が、怒号と共にニギ様のもとへやって来ました。
「守護方第一陣全滅ッ! 第二陣も壊滅的打撃を受け、先行投入した第三陣も最早戦える状態では――」
通信は途絶えました。その時のニギ様は、もう、驚いたなんてものじゃありません。口をあんぐりと開け、やや上を向いたまま、ぽかんと立ち尽くしてしまいました。
二人と一匹で? まさか。どうやって? 情報に誤りがあったのか?
脳裏に浮かぶ疑念は、ここへ強敵がやって来ることへの恐怖ではなく、ほとんど好奇心から起こったものでした。次の報告を期待して待ちました。その時は、すぐにやって来ました。
「護衛隊以外、ほぼ壊滅! 逃走兵多数! 近衛兵団の瓦解も時間の問題で――」
またも途中で途絶えしまったそれは、ほとんど悲鳴でございました。近衛兵が全滅、ということは、自分のもとへやって来るのも時間の問題でございます。とくとくと早まる鼓動。続けざまにこんな報告が入ります。
「逃げろッ! 一人は〝紫鬼〟だッ!」
またも驚かされてしまいました。そんなことがありうるとは……。
いえ、考えてみれば、今までニギ様が同じ〝紫鬼〟と巡り会わなかった方が不思議なのかもしれません。何せ当時ニギ様がその屋敷で秘宝を守り、秘宝を奪い回っていたのは有名な話でしたから。〝紫鬼〟はそれだけ恐れられていました。
ニギ様は〝紫鬼〟の登場を心待にしておりました。
皆、さっさと逃げてくれ。心の底から願いました。 それは皆の命を気遣うからではなく、誰にも邪魔されたくないという心からでした。
早く、早く。
ニギ様の呼吸は仔犬のように早まりました。熱っぽい、真っ白な吐息でした。
向こうから、カツカツカツカツ、革靴の音が聞こえて参りました。経験から、それが自分と同じくらいの背の者だと分かりました。じっと待ち続けます。
すると、青白い蛍光灯に照らさた、墨色の頭をご覧になりました。二人居るヒト族の内の、もう一人の方でした。褐色の肌で、眠たげな瞳をこちらに向けています。
このニギ様と同じくらいの少年は、後にニギ様の大切なご友人となられるフヨウ様なのですが、勿論この時のニギ様に知る由もなく、失望の後、ふんだんに敵意を込めた瞳で睨み付けられました。
フヨウ様の手には銃が握られていました。リボルバー式の古い銃でございます。ピースメイカーと呼ぶのが一般的に通りがよろしいでしょう。フヨウ様がその生涯をまっとうする迄、ずっと使い続けたものであります。
フヨウ様は眠たげな二重の瞳でニギ様をご覧になりました。フヨウ様は後にこの時の印象を、「寂しがり屋のかわいい針鼠が精一杯威嚇しているようだった」と仰っていました。
フヨウ様は立ち止まりました。そして突然、
「ぼくの名はフヨウ。君は?」
と聞きました。
ニギ様は大層驚かれました。ニギ様からすれば、フヨウ様は秘宝を奪いに来た不届きな狼藉者でございます。そんな者に名乗られたのは初めてのことでございます。ニギ様もまた、狼藉者として各地へ派遣された際に名乗ったことなど一度もございませんでした。
さて、先制攻撃の機会をものの見事に奪われてしまったニギ様は、面食らってしばし立ち尽くしてしまいました。
驚いたのも束の間、これは油断させるための作戦だと思ってナイフを十字に構えます。しかしフヨウ様は、ぼうっとした顔のままで突っ立っておりました。
「えっと……」ニギ様は戸惑ってしまいました。「君は、何なの?」
「ぼくは、フヨウ。君は?」
「いや、それさっき聞いたから」溜息の後、ニギ様はフヨウ様を今一度激しく睨みつけました。「何の意味があってそんなことを聞く?」
「もう、勝負は決している」フヨウ様は眠たげな瞳で、しっかりと言い放ちました。「何の意味があって君はぼくに刃を向ける?」
闘う意味など無い。フヨウ様の言葉はまったく正しいものでありました。ニギ様の側は、壊滅的状況でございます。建て直すには多額のお金が必要でございます。もう《秘宝》を守るすべなどございません。ニギ様がフヨウ様を退かしたとしても、もう、秘宝を守り続けることなど出来ないのです。逃げ出してしまうのが、一番賢明な選択でございます。
ニギ様はフヨウ様を睨みつけました。殺すための瞳でございます。
「ふざけるな……」
ニギ様は、生き残ることなど望んでおりませんでした。
ニギ様は、死に場所を求めておりました。
邪魔をされたくなどありません。
「理由があって闘うものかッ! 理由があって殺すものかッ! ぼくは止まらない。お前に刃を向けるッ! 生きたければ全力で抵抗しろッ! 死ぬために、死ぬためだけに、生きろッ!」
ニギ様はフヨウ様目掛けて一直線に走りました。
「そんじゃあ、理由なく生きたっていいじゃないか」
「黙れガキがッ!」
「そっちだって同じようなものさ」
フヨウ様は銃の引き金を、六度立て続けに、無鉄砲に引きました。ニギ様へ向けて射出された弾丸は、空中で蛇を描きました。自由自在、フヨウ様の思うとおりにあちらこちらへと飛び回り、ニギ様を翻弄しました。
「できるじゃないか、できるじゃないかッ!」
ニギ様は本当に嬉しそうでした。負ける気などしなかったのですが、前哨戦としては丁度良い、といった風でした。
フヨウ様はいつもの通りの眠たげな瞳でしたが、自分とニギ様との実力差は重々承知でした。
すぐさまバッグから銃弾を多数取り出して、バラバラと宙に投げ出しました。弾丸は一度宙で静止して、フヨウ様がリボルバーを外し薬莢を落とすと、宙に浮かぶ弾はカチャカチャ自ずからリボルバーに入って行き、次々引き金を引き、銃弾の群れを増やしてゆきます。弾丸が空を気って走る姿は、まるでスズメバチの恐ろしい集団でございました。
「ははははッ! 面白いことをするもんだ」
ニギ様は悪魔のように笑っておりました。いえ、実力差の大きなニギ様を相手に、眠たげな表情で居続けるフヨウ様の方が、遙かに悪魔でありましょうか。
「だがッ! この程度でぼくをどうにかできると思うなッ!」
ニギ様は蜂の群れをナイフで以てものの見事に叩き落とし続けています。フヨウ様も手を止めませんが、遙かにニギ様の手数の方が多い。宙を飛ぶ弾丸が減って行き、ニギ様にも大分余裕が出てきます。ニギ様は弾丸の群れを相手しながら、フヨウ様へ狙いを定めます。
「死ねッ! ガキッ!」
ニギ様はビュッとフヨウ様へ一直線に向かいます。
「だから、同じようなもんだって」
フヨウ様はピースメイカーを投げ上げて、そして腰、ポケット、内ポケット、その他諸々のところに隠し持っていたピースメイカー計十二丁を投げ上げました。フヨウ様が生涯を共にする十二丁のピースメイカーでございます。
ニギ様の油断、二人の距離、さまざま計算の上での判断でした。フヨウ様がニギ様を指差すと、ピースメイカーは一斉に火を噴きました。薬莢がバラバラと地に落ちます。次々弾丸が補填されてゆきます。
「んな!?」
ニギ様に迫り来るのはまさに銃弾の〝壁〟でした。ニギ様は、しかし、恐れるどころか、歓喜に全身の毛を逆立てました。両手のナイフでバチリバチリと銃弾を微塵にしてゆきました。
ニギ様はゆっくりじわじわと、フヨウ様に近づきます。ゆっくりゆっくり、コツコツコツと高々と足音を鳴らしながら。
距離が詰まる度にニギ様の頬が緩み続けます。随分悪魔的でしたが、微動だにせず眠たげな表情を浮かべ続けるフヨウ様の方が、悪魔的だったかも知れません。
弾丸の壁がみるみる薄くなって参りますと、ニギ様の歩みも、恐怖を煽るように速くなります。
ニギ様とフヨウ様の距離は、もう五歩もございません。ニギ様はもう、フヨウ様の頸を掻き切ることしか頭にございません。
しかし、どうやらフヨウ様もまた、自分が殺されるとは露ほども考えておりませんでした。
ニギ様は、襲い来る弾をすべて落としました。もう二人を遮るものは何もございません。
その時でございます。
「……来たみたい」
フヨウ様が先ず気付きました。ニギ様もすぐさま察知して、歩みを止め、後ろへ飛び退いて距離をとります。
でかいのが来る――。
本能が告げました。
フヨウ様が三歩下がりました。その立っていた場所の、コンクリートの天井が、ゴムのように変形しぐにゃりと重力に負け垂れ下がりました。床まで垂れ下がりますと、突如パリンと硝子のように割れました。
中から一人と一匹が現れました。
一匹の方は、白と青の縞模様の大きな狼、妖魔ルベロス。そして一人の方は、茶の着物に不釣り合いな太刀を携えた女。
長い紫髪の、〝紫鬼〟コノハでございます。
ニギ様ははじめ意外に思いました。この要塞とも言える屋敷を制圧しつつあるのが、女であったのですから。(紫鬼は、男女の性差がほぼない種族でありますが、ヒト族は基本的に戦闘能力においては男優位である場合が多いのです)
しかしながら、その刃の如く鋭い瞳と、迸る威圧感に、すぐさまその考えを捨てました。
実の所、フヨウ様の無駄話などは、すべてこのためでありました。
コノハはルベロスの背にちょこんと乗っていました。ニギ様と目を合わせて、地に立ちました。あまり背は高くないようでした。長い太刀が不釣り合いでした。
「……フヨウ、ルベロス、先へ行け」
女にしては、少し低い声でした。ルベロスは表情豊かに眉を顰めます。
「噂の〝紫鬼〟相手か……。確かに我々では荷が重い。しかしコノハ、先へ行けと簡単に言われてもな」
ルベロスは当然のように喋りました。低く渋い声です。
「案ずるな。アイツはわたしにしか眼中にない」
「いや、そう言われても」
「んじゃ、コノハさん、この子を頼みました」
「そう。やはり全部コノハに任せて……っておいフヨウ!?」
フヨウ様はコノハの言うとおりにして、すたこらさっさとニギ様のすぐ横を通って奥へ行ってしまいました。ニギ様は微動だにしませんでした。ルベロスも、それを見て渋々奥へと参りました。
この場には、ニギ様とコノハだけになりました。
「……随分嬉しそうな顔をしているな」
コノハは呆れたように笑いました。
「……すまないな。こうして同じ〝紫鬼〟に相見えたことは初めてなんだ」
「そうか。わたしも、こうして〝紫鬼〟を相手にすることは……あー……いや、まあ、少なくはないな。忘れてくれ」
コノハは下駄をぽくぽくと鳴らしニギ様へ近づきました。ニギ様も嬉しそうにカツカツと靴を快活に鳴らしました。
さて、先に仕掛けたのはニギ様でした。
タッと地を蹴りコノハへと向かい、ナイフを両手に構え、始まりから全力で襲いかかりました。
コノハは依然ぽくぽくと歩き続けます。
コノハの間合いに入る直前、ようやく太刀に手をかけました。
――突如ニギ様の全身に鳥肌が立ちました。
キュッと体を止めました。ニギ様の靴から煙が上がってゴムの焼けるにおいがします。
コノハの太刀が、いつの間にかニギ様の首許にございました。あのまま止まらずにいれば、ニギ様の首と体は離れていたことでしょう。
居合い。抜刀術。
見事でした。刀が突然生えたように見えました。
ニギ様はビュッと、すかさず距離を取りました。一瞬のことだというのに、全身に疲労感を感じました。全身から汗が噴き出します。肩で息をします。
達人の域です。こんな手合いには会ったことがございません。
強い。
一瞬で思い知らされます。分かっていたことでございますが、驚きを隠せません。
コノハが一歩進みます。ニギ様は動けません。コノハが二歩進みます。ニギ様は一歩下がります。
コノハの口が、にぃっと、生意気に歪みます。
「どうした。さっきまであんなに楽しげだったのに、今は随分余裕がない。臆したか?」
ニギ様はギンと目を見開きました。
「ナメるなッ!」
ナイフを持ち直し走りました。さっきよりも速く。
しかし、また全身に鳥肌が立ちます。さっきよりも強く、ニギ様自身を引き止めます。電流が走ったような感覚に見舞われます。
コノハの剣先はニギ様の首の皮を一枚切り裂きました。そして続けざまに頭上から真っ直ぐに、ニギ様へ刀を叩きつけました。
ニギ様はナイフを交差させ、両腕でそれを受け止めました。
小型爆弾でも投下されたかのような衝撃がニギ様を襲います。
みしみしとコンクリートの地面が音を上げて、次いでニギ様の体がびぃんびぃんと軋みます。
「ぐッ……あッ……!」
ニギ様は歯をギュッと噛み締めて全身に力を入れ耐えました。ボゴンとコンクリートの床が沈みます。
「とっとっと……」
その所為でコノハがバランスを崩しました。その隙にニギ様は急いで距離を取りました。
逃げた、と言う方がより真実に近いでしょう。
ニギ様が感じていらっしゃったのは、確かに死の恐怖でした。それは、果たして今まで感じたことのないものでした。
(……何、ビビってんだッ! 今までだって何度でも強敵を相手にしてきたじゃないかッ!)
それは真実でありました。しかしながらニギ様は自分と同等かそれ以上の相手と戦ったことなどございません。ニギ様自身が、最強と称される〝紫鬼〟でございます。
神殺しの〝紫鬼〟でございます。
ぽくぽくぽくぽく。抜き身の刀身そのままに、コノハはニギ様に近づきます。
「死を心臓で感じたのは初めてか?」
コノハはニギ様に聞きました。ニギ様は悔しそうに、唇を噛みました。体が震えておりました。それは、同時に意外なことでもありました。ご自分が、死を恐れていることが。
「そんなものだろう」
まるでニギ様の心を読んでいるかのような物言いでございます。コノハは続けます。
「諦めている、と自分では思っていたのだろう。自分には未来がない。生きていたって意味が無い。……それは一つの真実だろう。だが、本能がそれを拒否してしまうものだ。殺意を向けられるとは、そういうものだ」
「…………」
反論しようにも、心臓がどきどきどきどきと、それを許しません。
「ニギ、といったか」
意外でした。驚きました。何故か? と問うまでもなくコノハは答えました。
「ここへ来る前に、トカゲの姿をした妖魔に会ってな」
びくっと体が反応しました。(本来彼はヒト族でありましたが)ランダのことであることは自明です。
「そいつが言っていたのだ。このわたしに向かって、『ここにはお前と同じ〝紫鬼〟の子供が居る。そいつのことを頼む』とな」
「そいつを……どうした……?」
ニギ様は声を絞り出しました。それを聞かねばならないと思ったからです。
コノハは、性根悪く笑いました。
「わたしと、……ふふ、このわたしと戦った。それだけで分かるだろう? 戦闘員ではなかったのかな? あまり強い奴ではなかったよ」
全身の血が逆流したように熱くなりました。
「愚かな奴だと思わないか。敵に対して、敵のことを頼むだなんて。無様に命乞いをする奴らの方が、よっぽど賢明だったさ。……ま、今となれば、どうでもいいことだが」
「黙れ」
コノハはニギ様の精一杯の凄みを小馬鹿にするように笑いました。
「どうした。怒ったか。もしかして、そいつはお前のお友だちだったのか? はは、それはそれは悪いことをした。悪気はなかった」
「黙れェッ!」
ニギ様は己の心の赴くままに走り出しました。
「そうでなくちゃ。〝紫鬼〟ならばな」
コノハは笑って、刀を鞘に収め待ち構えました。
「安心しろ、すぐにそいつと同じ場所へ送ってやるさ」
コノハが抜刀。ニギ様は、しかし今度は、勇敢……無謀にも、止まりませんでした。本能を拒否しました。
伸びた刀の刃先を、ナイフで撫でるように、いなしました。刃と刃が擦れて火花が散りました。
ニギ様は両手のナイフを無闇矢鱈に振り回しました。ただただコノハだけを目指して。
それは、ある種の舞でした。観客が居たら魅了していたことでしょう。観客席からは拍手が止まりません。
コノハは、懐に入られぬように後ろへと下がりつつ応戦しました。観客が居たら、ニギ様が押しているように思ったかも知れません。希望を持ってしまったかも知れません。
しかしそれは間違いでした。
ニギ様は限界までナイフを振るい、コノハは五分の力で、それをすべて逸らしていました。
ニギ様は、コノハの懐への距離を遠く遠く感じました。届かない。届かない。それでも必死に前へ前へと進み続けました。
不意に、コノハの体が大きく下がりました。隙が出来たように思いました。思わずとも、ニギ様の体は勝手に反応してしまいました。
それは、確かに作為的な隙でした。ニギ様が懐へ頭から突っ込んで、ナイフをコノハの心臓を目掛け真っ直ぐに伸ばしました。
一閃。
コノハの剣筋がニギ様を襲いました。ニギ様の右腕が、斬り飛ばされました。
刀がまた一閃。驚く暇など与えませんでした。ニギ様の左腕も、ぼとりと落ちました。
コノハの刀はニギ様の頭上に掲げられていました。
しかし、それは打ち下ろされることはありませんでした。本来なら胴と首が離れておりました。
ニギ様は動けずに、ただ、その場にへたり込みました。
コノハは刀を鞘に収め、五歩、下がりました。
「お前は、いったい何のために戦う?」
コノハの顔からは、笑みが消えていました。その瞳は真っ直ぐ真摯にニギ様へ伸びていました。
「生きるために、戦っていたはずだ」
「…………」
ニギ様は虚ろな瞳でコノハを見ました。
「再度聞く。いったい何のために戦う?」
「……それしかなかったから」
ニギ様は諦めたように呟きました。ぼたぼたと、両腕から血の吹き出すままにしております。
「それ以外に、ぼくの生きる道なんてなかった。こうやって、人殺しの道具として機能する以外に、やりようなんてなかった」
沈黙。コノハはじっと言葉を待っています。ニギ様が続けます。
「何度だって逃げだそうとした。でもダメだった。飛び出しても飛び出しても、運命が後から追ってきた。いつも、同じ景色がぼくの前に現れた。同じ目に遭ってきた。だから、こうして《秘宝》の為の機械のようになるしかなかった」
「甘えるな」
ニギ様に叩きつけられたのは、コノハの冷たい言葉でした。心臓が抉られたような心地です。これだったら、あのまま首を掻き斬られた方がマシでした。
「お前は、道具に成り下がったと勝手に思っているかも知れない。自分の意思とは関係なく、自分が流れ着いたと思っているかも知れない。
甘えるなよ。
お前がどれだけ望もうとも、お前は道具になんかなることはできない。ただの銃となることはできない。ただの刀となることはできない。ただの災いとなることはできない。
お前がどれだけ願おうとも、お前に降りかかる厄災のすべてを、誰か他人の所為になどできない。
どれだけ自分の考えを捨てようとも、お前の行動に、お前の意思が介在せぬことは無い。
お前が誰かの首を落とすとき、そこには確かに、ひとりの動物としてのお前がいる」
その時、ニギ様は、初めて、本当の意味での絶望を知りました。
涙が出てきました。
「分かって……いたよ……」
両腕から血を流しながら、ニギ様は泣きました。痛みなど、とうに感じておりませんでした。
「誰かに殺させられたんじゃない。ぼくの意思で殺してきたんだ。分かっていたよ。分かっちゃったんだよ……」
コノハは、じっとその言葉を正面から受け容れておりました。
不意に、ニギ様はベルトから、口でナイフを引き抜きました。
ナイフを咥えてコノハを見据えました。その表情は、少々スッキリしているように見受けられました。
「もう、終わらせる。全部」
ナイフを咥えていたために少々聞き取りづらかったのですが、問題にはなりませんでした。
「……そうか」
コノハは太刀を引き抜きました。
そして、それを左に持ち直しました。右手には改めて脇差しを持ちました。
二刀流で、両腕をだらんと垂らしたコノハは、ひとつの芸術品でした。いつまでだって見ていられたでしょう。
「最期に、あなたに会えて本当によかった」
ニギ様は飛び込みました。崖下へ飛び込むのと意味は同じでした。
コノハの脇差しがニギ様の口にくわえたナイフを叩き切りました。
そして、コノハの太刀がニギ様の体を襲いました。
大量の血が吹き出しました。尋常の者ならば、既に絶命している量であります。
意識の遠のく直前、ニギ様はコノハの声を聞きました。
「そもそも、この世の中に、純粋に生きたいと思って生きている奴がどれ程居ると思う?」
パチン、と刀を仕舞う音がしました。
「さ、いい加減夢を終わらせようか」




