3 出逢い
隣国の王子に嫁ぐために正式にルベウス王家の養女となったロジエ姫をサフィラスに招いて、開かれた歓迎の為の夜会で。
ルベウスの王子シエルにエスコートされて会場に現れたのは、月の光の元で咲く花のような儚げな美しい少女。
淡雪のように触れれば消えてしまいそうな様子はまさに妖精だった。
銀の髪を編みこみ半分結い上げ、ビスチェタイプの胸元とスカートにグリッターレースをあしらった光沢のあるベージュピンクのドレスを纏っている。桃色の宝石の花を模した髪飾りに同種の耳飾り、首元には耳飾りと対の宝石。
ほのかに色香を漂わせた愛くるしい顔に居合わせた男たちは言葉を失い、喉をごくりと鳴らした。
目にした姿にレクスは息を呑んだ。
絹糸のように艶のある銀の長い髪に長い睫
水を含んだ薔薇色の唇
薄紅に染まった頬
人形のような愛らしい容貌に
透き通った白い肌
何よりも、ちらりとこちらを見た聡明そうな美しい銀の双眸に
心臓が大きく跳ねた。
サフィラス王の御前、彼女は義兄の王子の隣で恭しくドレスを摘み頭を下げる。
「シエル王子、そしてロジエ姫。善くぞサフィラスに参られた。歓迎する」
「はい。お招きありがとうございます。お逢いできて光栄です」
顔を上げて欲しい。
そして自分を見つめて欲しい。
一瞬では駄目だ。
もっと克明にその銀の瞳に自分を映し出させたい。
そして、根拠もなく確信した。
彼女だ!
夢の中に現れる女性は彼女だ。
何故。分からない。けれども。
彼女は自分のものだ!
礼節も手順も全てを無視して彼女を腕に捉えたい。
レクスは沸き上がる感情を拳を固く握り耐えた。
国王の挨拶が済むと音楽が鳴りだす。
レクスが立ち上がり真っ直ぐにロジエの元へ歩き出すと、ざわりとサフィラスの貴族達がさざめいた。二人の婚約の前披露目でもあるのだから不思議はない。けれどレクス自身が進んで脚を運んだことに騒然としているのだ。父である王ですら瞬時驚いた表情をした。レクスは成人してからは令嬢からダンスを申し込まれれば丁寧にそれに付き合うが、彼からは申し込んだりしないと有名だった。この場ですら王に促されなければダンスに誘ったりしないだろうと思われていたのだ。それが王の言葉も待たずに、歩みだすとは。
レクスはロジエの前へ立つと真っ直ぐに手を差し出した。
「私と踊って貰えるだろうか」
彼女は義兄を見て彼が頷くと、淑女の礼を優雅にとり華奢な手をレクスの大きな手に重ねた。
「喜んでお受けいたします」
耳に心地よい優しい声。見上げる、礼をする、手を重ねる、言葉を紡ぐ唇、その仕草ひとつひとつをレクスは見逃さないように見つめていた。
「――― レクス殿下?」
名を呼ばれ心が震えるような心地がしたあとで、漸く我に返った。銀の双眸に映る自分の姿をみて笑みすら浮かんだ。
「すまない。あまりに可愛らしいもので見入ってしまった。……行こう」
周囲に居た人々が更にざわざわと呟きだす。王子が、あの絶食系とまで言われた王子が自分から進んで女性をダンスに誘うばかりか、可愛らしいと、見入っていたとまで皆の前で微笑んで言ったのだ。これでは王子が彼女を望んだと公言したようなものだ。
ざわつく会場にロジエが戸惑ったように視線を彷徨わせる。
「気にしなくていい」
レクスは小声でそう伝えるとロジエをホールの中央に連れて行き踊り出す。二人の優雅な踊りに会場が溜息を漏らした。
「改めて挨拶を。私はサフィラス第二王子のレクスだ」
「はい。私はロジエと申します。お逢いできて光栄です」
やんわりと微笑まれそう言われれば、常は無愛想と言われるレクスの相好も崩れる。ふっと笑みを漏らした。
「……ロジエ、と呼んでも?」
「はい。勿論です」
ふふっとロジエは楽しそうに笑う。不思議な娘だ。彼女には敵国の王子を相手にしているという気負いが全く感じられない。
(―― 欲しい)
それは強烈な欲求だった。これほどまでに何かを欲したことは無い。
どんなことをしても…例えば王子としての権力を使っても手に入れたいと思ったのは初めてのことだった。
ロジエが美しいから、というだけではとても説明がつかない。姿形だけではない、何故か存在そのものに惹かれる様な気がする。その華奢な身体も、愛らしい顔も、柔らかな声も、煌めく瞳も全て自分のものにしたい。
それでも強引に、では駄目なのだ。彼女の心こそ手に入れたいのだから。
曲が終わる。けれどレクスはロジエの手を握ったまま離さなかった。
「?……あの、」
「もう一曲、お願いしたい」
ざわり、と会場が三度ざわめく。
夜会は社交の場である。ダンスも出会いを求め、又は情報交換をするために相手を次々に変えていく。レクスにもロジエにも当然のように次の相手をと多くの者が控えていた。同じ相手と続けて踊るという事は本命だと主張しているようなものだ。
二曲目が終わってもレクスは手を離さない。流石にロジエも戸惑ったように声を発した。
「あ、あの……次のお相手が待っていますよ……」
「気にするな」
「え……ですが……」
恥じらい戸惑う姿が可愛らしくてレクスは口角を上げる。自分が女性に対してこのような態度を取ることがあるとは思っていなかった。独占欲ともいえる執着を一瞬で持つことになるとは。
三曲目が終わる。四曲続けて踊るという事はマナー違反になる。さて、どうするかと思案したところで、ロジエが顔を赤くして呟いた。
「すみません。私、少し休憩したいので……」
「わかった。行こう」
レクスはロジエの肩を抱いて月明かりの露台に連れ出し、自らの外套を薄い肩に掛けてやると設えられている椅子に座らせた。
微かに人の気配を感じるが、おそらく警備の者だろう。始まったばかりの夜会なのだから外には人気があるわけもない。
「強引な事をしてすまない。……嫌な思いをさせただろうか?」
「嫌では……恥ずかしくはありましたが……」
微かな風に銀の髪が揺れ、月の光を受けて煌めく。俯き、伏せられた睫が室内の灯りを受けて長い影を落としていた。身体は腕も腰も細く華奢で、ドレスから覗く素肌は抜けるように白い。
「本当に妖精みたいだな……」
口を衝いて出てしまった言葉にロジエが「え?」と視線を上げた。儚い彼女の銀の双眸の輝きは毅く人を惹きつける。
「ああ、いや、なんでもない」
レクスは片手で口元を覆い赤くなりそうな顔を逸らした。
(拙い。勢いで連れ出してしまったがどうしたらいいんだ?)
徐々に冷静になってくると今までの自分がどうかしていたとしか思えない。
初対面の女性にいきなり三曲も続けて踊らすか? 嫌ではないと言ってくれたが、恥ずかしいというのは嫌だということではないのだろうか?
彼は王族として女性への礼儀は弁えているが、それは公式の場での対応だけだ。一個人として好意を寄せる相手への対応など全く分かっていなかった。
視線を下ろせば不思議そうに見上げてくるロジエに心が跳ねる。
好きだ。
と思う。
初めて会った、為人さえ分からない彼女にどうしてこれほど心を寄せてしまうのか自分でも理解できない。
でも、好きだ。
「ロジエ」
思わず名前を呼んでしまい、レクスは一瞬自分でも慌てた。会話をしようと思ったわけではない。ただ口から洩れてしまったのだ。
「はい?」
名を呼ばれたロジエは微笑んで首を傾げた。
ああ、もう。なんでこの目の前の少女はこうも可愛いのだろうか。
「ロジエ」
もう一度名を紡ぐと自分でも驚くほど優しい声が出た。
「えっと、あの……なんでしょう?」
声音の違いに気付いたのかロジエは頬を染めて視線を彷徨わせる。
ああ、可愛い。可愛い。可愛い。
「俺と結婚してくれないか?」
全てをすっ飛ばし出た言葉はそれだった。