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神の子  作者: 柘榴石
2/80

2  妖精の噂

 風が薔薇の花弁を舞い上げる

 長い銀の髪が風に流される

 白い頬を伝う透明な雫


「…………な…くな……」


 宙に手を伸ばしレクスは豪奢な寝台の中で目覚めた。


「また、か……」


 それは幼い頃からしばしば見る夢。

 顔は分からないが、絹糸のような銀の髪の女性がはらはらと涙を零す。

「泣くな」と抱きしめようとしていつも目が覚めるのだ。


「……名前…だめだな、思い出せん…」


 半身を起こしふるふると頭を振る。夢の中では確かに名前を呼んでいる気がするが、目覚めると全く覚えていない。

 夢とは不思議なものだ。レクスには夢に現れる女性の記憶が無い。ただの夢と片付けてしまうには見る頻度が多い。過去に会っていて覚えていないのか、それともこれから出会う女性なのか。

 ………これから出会うとしたら少し拙い気がする。自分は間もなく国の為に敵対していた国(ルベウス)の姫と婚姻を結ぶことになる。その後で出会うことになるとしたら、自分は―――。


  「いや、そういうつもりはなくてだな!」


 自分に言い訳をしてがりがりと蒼髪を掻く。

 過去に会っているとしてもおかしい。これほど夢に出てくるというのに現実で会ったという記憶は全くないのだ。

 ただ、目覚めるといつも焦燥感に襲われる。


「何なんだ。一体……」


 レクスは溜息を吐いて寝台を抜け出し身支度を整えると、焦燥を振り払うべく日課である朝の鍛錬に向かうのだった。


 *****


 冬の朝の澄んだ空気の中で自分を律するように剣を振るい、気持ちを一新して執務に臨んだと言うのに思い切り気勢を削がれた。


「レクス様、歓迎夜会の警備配置図と招待する令嬢のリストです」


 そう言って執務の補佐もする側近の騎士クライヴが差し出したそのリストを一瞥し、レクスは眉間に深い皺を寄せた。唯でさえ机仕事は億劫だと言うのに鬱陶しいことこの上ない。


「そんな顔をせずに目を通して頂きたいのですが」

「警備の配置図はともかく、令嬢のリストは何なんだ」

「ご側室候補です」

「また、馬鹿なことを。婚姻を結ぶ前から何を言っているんだ」


 レクスはリストを受け取らずに執務机に束となった決裁待ちの書類の束へと手を伸ばした。


「はっきり申し上げれば、尊き血に敵国の血が入ることを厭う方がいらっしゃいます」


 ぴくりと僅かに伸ばした手が揺れる。


「お前もか」

「私はどのような方でもレクス様が望む方と添って欲しいと思っておりますので、リストに少しでも気に留まった令嬢が入っているか確認して頂きたいと存じます。後悔しても知りませんよ」


 レクスは元来堅苦しいことを嫌う。人目のないところなら敬語など不要だが、レクスの六つ年上のクライヴはその真面目な性格もあり普段から態度も言葉使いも崩そうとしない。しかし幼い頃から仕えている王子に容赦なく物を言い、揚句は説教までする兄のような存在でもあった。


「望む相手がいればとっくに婚約している」


 レクスが成人してからの夜会は自然花嫁選びの名目も含んでいたが、これまでどのような美しい女性にもレクスは心を動かされることは無く、色恋事に興味を示さない彼は絶食系とまで揶揄されていた。

 そんな彼を家族や彼の友人ともいえる者達は心配していた。

 王という仕事は自己抑制の重なりで、何処までも孤独だ。我慢するだけではいつか破綻を来たす。王という役を降りる一時、夜の間だけでもその心を癒せる拠所が必要なのだ。だからこそ、サフィラス王国では王族の婚姻相手は本人の意思が十分に尊重されるしきたりがあり、彼の妃には彼の望む相手をと願って色々と手を尽くしてきたのだが。

 それは一向に実を結んでいなかった。


「敵国の血などと不毛な事を言うな。過去にもあったことだ。いらん。処分だ」

「過去にルベウスの血が入ったことはございません」


 クライヴの言う事は事実だった。過去、幾度か両国は休戦協定や政略で婚姻を結んだことはある。けれども両者の間に子が生されたという記録がないのだ。

 敵国同士の政略結婚だ。不仲だったのか、または先を慮って作らなかったのか。

 それとも、

 風説ではあるが相反する神の血が反発し合うのか。

 何れにしろ、サフィラスとルベウスは王族の血が混じったという事実はなかった。


「……処分だ」

「はい」

「お前も分かっていて持って来るな」

「仕事ですので」

「全く、俺の幸せを願うのなら、ロジエ姫が妃に相応しい姫であることを願うのだな」

「妃に相応しいのと愛する方というのは違いましょう。ご側室を娶りたくなった際には直ぐにご相談を」

「いらん、と言っている。くどいぞ」

「お兄ちゃん見ないなら、私に見せて!」


 話を切るように言い捨てて改めて書類に目を通し始めると、執務室の中央の長椅子から妹王女のリアンが好奇心一杯の眼を輝かせひょっこりと顔を覗かせた。


「お前が見る必要はない。早く菓子を食って帰れ」

「なによう! せっかく休憩用にお茶菓子持ってきてあげたのに!」

「持って来た菓子の殆どをお前が食べただろうが」

「だって二人ともあんまり食べないんだもん。それよりさ! ロジエ姫の絵姿ってないの!?」

「ありません。レクス様が必要ないと言うので」


 リアンがクライヴを仰げば、彼は困ったものですと言いたげに答えた。


「も~、お兄ちゃんってさ~」

「見たところで、結婚することは決まっているんだぞ。どうというこもないだろうが。それに直に会える」


 二週間後には婚約の顔見せということで当のロジエ姫がサフィラスに来る。正式な婚約式は後日行われるが、休戦の協定なので余程のことが無ければ婚約婚姻は確定されている。ロジエ姫はそのままサフィラスに滞在することは決まっているのだ。その時に顔を見ればいい話だろう。それに絵姿を見たところで、自分は“わかった”で終わるはずだ。


「そんなだから絶食系とか言われちゃうんだよ!」


 王女のリアンはまだ十三歳ではあるが、兄とは違い人懐こい性質でなんにでも首を突っ込みたがる。

 兄が精悍な顔立ちに対して、妹はどあどけなく優しい顔立ちで明るい金の髪と翠瞳の所為か余計に柔らかい印象を与えていた。

 そのおかげか彼女は幼い割に人脈が豊富で、その点で随分と兄の助けとなっていた。王族にしては珍しく兄妹仲も良く、兄は妹を可愛がり、妹は兄を慕っていた。


「ロジエ姫ってさ、噂では月光を掬い込んだような銀の髪に銀の瞳をしたものすごーく綺麗な人なんでしょ。妖精姫とか言われてて! 早く見てみたいよね!」

「……銀の髪?」

「うん。何? どうかした?」

「いや、何でもない」

 

 銀の髪と聞いて夢の女性を思い出したが、あり得ないと胸中で首を振る。

 そうだ、出会ったこともない隣国の姫が夢に出てくるなどあり得ない。


「お前な、見てみたいとか失礼だぞ」


 レクスが呆れたように言えば、リアンは唇を尖らせた。


「御令嬢方に見向きもしないお兄ちゃんに言われたくないよ。お兄ちゃんだって会ったら一目惚れとかしちゃうかも知れないよ!」

「俺は人の容姿の美醜を気にしたことは無いぞ」


 美しいと言われる女性を紹介されても、成程美しいなで片づけられる程度なのだ。美しいから欲しいと思ったことなど一度も無かった。


「そのあたりは少し気にして頂きたいですが」

「ねー。本当だよ!」

「あー、うるさいぞ。仕事にならん。早く出て行け」


 リアンとクライヴが結託し、終わりにした話がもう一度再燃しそうな雰囲気に、レクスは早々に蓋をした。


 リアンが文句を言いながら部屋を出て行くと、レクスは静かになった執務室で書類に署名をし判を押す。

 自分の伴侶となる者に必要なのは、類稀な容姿ではない。王子妃、王妃としての姿勢なのだ。

 今までがどうであったかは知らないが、出来ることならこれからの両国の関係を良好にするためにも子供は必要だとも思う。

 伴侶となるロジエ姫が拒否すれば無理強いするつもりはないが。

 側室はその後の話だろう。

 レクスは瞳を閉じ、溜め息を一つ吐く。

 どんな女性かはわからないが、両国の未来を担う以上表面を取り繕うだけでも努力は必要だ。

 性格の不一致などあるかもしれないが、その辺りはお互いに譲歩していかなければならない。

 いずれ『王』と『王妃』になるのだから。


 それが王族としての務めだろう。


 そう決意していたレクスはしかし、

 初めて目にしたその妖精の姿に息を呑むことになるのだった。

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