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一色高は意識が高い

作者: 八房 冥

『意識高い系』という言葉をここ最近よく耳にする。


 自分はこんなにすごいんだよ? 頑張っているんだよ? っていう事をやたらと周りにアピールしたがる人達がそう呼ばれ、馬鹿にされる傾向が強い。特にネットではそれが顕著だ。むしろネットで馬鹿にされてないものが存在するの? という疑問はあるけどそれはそれ。


 まあ、やたらとやる気があって張り切っていて、それを人に押しつけるような人はリアルでも煙たがれる事は多い。そういう人は意識高い『系』ではなく本当に意識が高いんだろうけど。


 例えば、私の隣でパチパチとパソコンのキーボードを叩きながらうんうんと唸っている一色高いっしきたかしくんは周囲から意識が高いと言われている。クラスでは学級委員を務め、授業の予習復習は決して欠かさず、たとえ相手が複数の不良生徒だろうと拘束を破る人には注意をする。そんなこともあって、周囲からは疎まれている。


「何故だぁぁぁ!」

「うわぁ!」


 一色くんは突然声を張り上げる。私はついつい悲鳴を漏らしてしまう。そんな私の反応を気に止めず、一色くんは愚痴り出す。


「何故だ、何故俺の小説は全然評価されない!?」

「評価されるに値しない小説だからでしょ」


 私は冷たく言った。あ、言い忘れてたけど私たちはとある高校の文芸部の活動をしている。部員は部長の一色くんと副部長の私という二人だけ。ちょっと前までは十人以上いたんだけど、いつの間にかここまで減っていた。


 私たちの現在の活動は自作小説の執筆で、書いた小説をインターネットの大手小説投稿サイトで公開している。一色くんは投稿した小説の閲覧数があまりにも少ないと嘆いているのだ。


「俺の小説のどこが悪いんだ!? 精密に作り込んだ世界観! 重厚な文章! 丁寧な心理描写! それが何だ……このランキングに載ってるのは適当に書かれたような軽い小説ばかりじゃないか!」

「うるさい」


 一色くんのやや低めの声が狭い部室に響く。うるさい。私は自分の小説に集中する。しかし私の言葉に気分を害したのか、一色くんは食って掛かる。


「君はおかしいとは思わないのか? これらの作品と俺の作品、どっちの方が小説として上なのか一目瞭然だろう?」

「人の好みは色々だからどっちが上とかは一概には言えないけど、少なくともこのサイトの利用者の中ではこれらの作品が上だと判断されている」


 無視しても面倒っぽいので私は答えた。私たちが利用しているサイトは数ある小説投稿サイトの中でも使い勝手が良く、故に投稿作品数も登録ユーザ数もかなり多い。しかしこのサイトは好まれるジャンルというものが偏っている事で知られており、作者の好みが多くの読者の好みと合致しなければ、なかなか読まれない。


「それはおかしい!」

「何が?」

「じゃあ逆に君が教えてくれ! なぜ俺の小説よりもこれらの方が上だと判断されるのかを」


 一色くんは私に詰め寄ってくる。近い。せっかく私の中の妄想が良い感じに仕上がってきそうなところなのに、集中力がかき乱される。


「簡単に言えば、一色くんがこのサイトの大多数の事を考えていないから」


 私なりの答えを言ってみると、一色くんは顔を真っ赤にして怒りだした。


「そんな事は無いぞ! 俺はみんなが求めるような小説を書いている!」

「例えばどんな風に?」

「やはりレベルが高い小説こそが、みんなに求められているものなんだと思う。だから、ひたすら辞書を読んで語彙力をつけて、読んでいる人が物語の状況を完全に把握出来る様な描写を心がけている」


 駄目だコイツ……早く何とかしないと。……いや、気持ちは分かる。分かるけれども一色くんはものすごく勘違いをしている。


「あのね一色くん。このサイトの大多数の人はそんなレベルの高い小説なんて求めてないの。気軽に読めるストレスフリーな小説が人気なの」

「俺だってそんなに複雑なものは書いてないぞ」

「そりゃあ一色くんの頭の中に入ってる物語なんだから、一色くんが物語を苦も無く理解できるのは当然。でもね、普通の人はそうじゃないの」

「そういうものなのか……?」

「そういうものなの」


 一色くんは腑に落ちないようで、まだまだ食い下がる。


「しかし、俺に問題があるのなら感想欄に文句の一つや二つ来てもおかしくないんじゃないか?」


 パソコンを操作した一色くんは自分の小説の感想ページを開いて私に見せる。感想は一つも来ていなかった。


「でも、褒める内容の感想も無い。それ以前にほとんど読まれていないんだから仕方ないんだろうけど……。アクセス解析見せて」


 私に言われて一色くんはアクセス解析――小説のページにどれだけアクセスが来たかが分かるページを開こうとする。その前に小説情報が載っているページに画面が切り替わった。このページを読んでみると、およそ5か月前に投稿された一色くんの作品は文字数が10万字くらい、ブックマーク数が3、総合評価が6点だった。色々言いたい事はあるが、今は無視してアクセス解析を見る。


「はぁ……これは散々だね」


 今朝最新話が投稿されたこの小説のアクセス数は、更新した直後に20、次の一時間のアクセス数は6、その後は1か0が続いていた。これまでの累計アクセス数は1000くらい。お世辞にも多いとは言えない。


「それなら、君のはどうなんだ?」


 一色くんはそんなことを言ってくる。確かに私もこのサイトに小説は投稿している。その内容は私の妄想をこれでもかと言うほどに詰め込んだもので、リアルの知り合いに読ませるのはちょっと恥ずかしい。いや、かなり恥ずかしい。


「いやーそれはー、あははははは……」

「俺だけが見せるのは不公平だろう。……別に君の作品についてどうこう言うつもりは無い」


 そう言われると、見せないのも申し訳ない気持ちになる。以前一色くんは部員の小説を読んでは、文法のミスやら展開の矛盾やら誤字脱字やらを事細かに指摘していたことが有る。本人としては良かれと思ってやった事なのだが、気楽に創作を楽しみたいと思っていた部員たちはそれをうっとうしく思い、当時の部員のほぼ半分が退部していった。それ以降、一色くんが人の作品に何か言及することは無くなった。


「あぁ……そうだね、じゃあ」


 私は自分の使っているパソコンを操作する。そして私の作品『異世界で悪役令嬢になった私が百合ハーレム作ってみた』の小説情報ページを開く。ブックマーク4ケタ、感想は100越え、10か月前に投稿して文字数は80万くらいと、全ての項目において一色くんの作品を大きく上回っていた。一色くんは腰を抜かす。


「なっ、何だこれは……!」


 一色くんは興奮したように顔を画面に近付ける。そして近付きすぎて逆に見えないことに気付き、顔を離す。そしてまじまじと凝視する。


「うむ……。うぅーむ。なぁ、本文を読ませて貰っても良いか?」

「えっ、あっ、いや……」


 ちょっと、ちょっと待って欲しい。一色くんは私の妄想と願望の集合体に手を伸ばそうとしている。それは本気で恥ずかしい。ちなみに、この部活を止めた部員のもう半分は私の小説を読んでドン引きした女子たちである。ああ、言い忘れてたけど私は女ね。女子高生である私に向けられた、あの汚物か痴漢のおじさんを見るような目は忘れない。……あれ? 目から汗が。


「ん? ああ、どうせなら俺の小説を読んでくれないか? 出来れば率直な感想とか、君なりに挙げられる改善点とかを、辛辣でも良いから正直に教えて欲しい。というか、自分のパソコンで読むか」


 目の汗を拭う私にそんなことを言ってくる一色くんは私のパソコンのマウスから手を放して、自分のポジションに戻る。そして私の小説のタイトルを読むべく検索する。


「えっと……異世界で悪役令嬢になった私が百合ハーレム作ってみた……と」


 うん。改めて他人に声を出して読まれるとめちゃくちゃ恥ずかしい。っていうか、あの短時間でよく完璧にタイトルを覚えたのかと感心してしまう。ともあれ私も一色くんの小説『翔龍帝国戦役』を検索する。目次のページに辿り着いた。早速1話目へのリンクをクリックする。


 すごく……ぎっしりです……。いきなり目の前に飛び込んできたのは圧倒的な量の文字の塊だ。ネット小説特有の空白の多い書き方に慣れている私の脳は拒否反応を示す。縦書きだったらぎっしりしてても読めるけど、横書きは私にとってきつい。まあ、感想を言って欲しいって言われてる以上、きちんと読まなければ。感想を言う事の承諾をした覚えは無いけど、まあいいか。


 とりあえずそのまま読み進める。やけに難しい慣用句が使われており、思わずネットで検索するググる。その意味を知ってなるほどと思いながら読んでいくと、今度は見た事が無いような漢字が目に入った。ググる。今度は初めて見る慣用句。ググる。難しい漢字。ググる。慣用句。ググる。漢字。ググる。慣用句。ググる。漢字。ググる。…………ちょっと待て。


「ねぇ、一色くん」


 早速指摘しようと声を掛けてみたが、無視される。食い入るように異世界で(以下略)を読む一色くんには私の声が届かない。……何も考えずに気軽に読めるバカ話のつもりなんだけどなぁ。取りつく島もない私は一色くんの小説を読むのを続行する。


 ……うーん、読み辛い。私の作品と同じく異世界を舞台とした話なのだが、その世界の歴史やら地理についてつらつらと書きつづられている。それにやたらと固有名詞が多い。カタカナの7文字だか8文字だかの単語がいくつも出てきて、それが人名なのか地名なのか混乱する。要約すると、昔、神の子供である兄弟がどっちが世界を治めるかを争っていたが、そこに現れた第三者が兄弟を倒して世界の支配者になった。それが神話としてこの世界に伝わっている……っていう感じだ。きつくなって途中読み飛ばしたが大体あってるはず。


 その後、7人くらいの登場人物が今の神話を全部把握しているという前提で固有名詞をいくつも交えて話している。意味を忘れた単語があればスクロールバーを上に移動させて意味を再確認する。しかし、膨大な文字の塊の中から該当の場所を見つけるのは困難で、やっと見つけたと思っても今度はどこまで読み進めていたのかが分からない。本ならしおりとか指を挟めたのだが、これはパソコンの画面である上に1話の中なのだからそうもいかない。せめて空行は入れて欲しい。


 投降されている話数が10話で、全体の文字数が約10万字なのだから、1話は1万字くらいなのだろう。その1万字を読み終える前に部活動の時間が終わった事を告げるチャイムが鳴る。学生は直ちに帰らねばならない。私はふぅと息をついて背もたれに背中を預ける。とてつもなく疲れた。すると一色くんも同じように息をつき、伸びをするなり言う。


「君の小説を10話程読んだ。展開の強引さ、誤字脱字の多さ、慣用句の誤用、表現の薄さ、描写不足、それに……」

「さっき、私の小説にどうこう言うつもりは無いって言ってたよね?」

「俺が言おうとしているのは小説として体をなす為の最低限のものだ。大したものでは無い。そもそもにして、君の文章は――」

「ああああああああああああああああああ!」


 くどくどと説教を始めようとした一色くんに、私は思わず叫ぶ。一色くんは面食らったような顔になる。キレたよ。とにかく私はキレたよ。


「ど、どうしたんだ……?」

「あのね、こっちも言わせてもらうけど、一色くんの小説は読んでて苦痛なんだよね。何というか、読者の事を全然考えてない感じ! まあ、一色くんがただ自分の好きに書きたいっていうなら文句は言わないよ。でもあなたは、自分の小説が読まれない事を嘆いてた。読んで欲しいなら読んで欲しいなりの書き方ってのをするべきなの! 分かる?」

「あ、ああ……」


 若干引き気味に一色くんは頷く。構うものか。この際だから言いたいことを全部言ってやる。


「まず、難しい漢字とか言い回しとか使いすぎ! あのね、一般的にネット小説なんていうのは素人が書いてるんだから、読む方もそれほど高尚な小説なんて求めてないの。気軽に読める事が一番なの。深みのある小説が読みたければプロが書いたものを読むの。まあ、プロだってこの小説みたいに難しい表現ばっかり使わないけどね」

「難しい表現……? それほど難しい表現は使っていないぞ? 普通だ、普通」

「君の中ではそうなんだろうね、君の中では。偏差値65の高校のトップの普通は、世間的には全然普通じゃないから」

「それは――」


 一色くんは反論しようとする。私はそれを遮る。


「それに、1話辺りの情報量が多すぎ。これを全部把握するのにはかなり頭を使う。もっと各話の内容を薄くして、情報も少しずつ小出しにしていった方が良いと思う。何でもそうだけど、1話の取っつきやすさは重要。多くの人に読んで欲しいと思うならね」

「だからと言って!」


 一色くんは声を荒げる。そして言葉を続ける。


「だからと言って、君が書いたようなものを書けと? こう言っては何だが、君の作品は小説としての体を成していない! そもそもあの主人公の思考回路は何だ? 行動があまりにも突飛すぎるし、何より胸くそが悪い。主人公は絶対に悪であってはならない。文章だって稚拙だ。それに酷いのは導入部だ。俺もこのサイトの作品をそこそこ読んでいるが、それらの作品と導入部の展開がほとんど同じだ。あんなものをネットという公の場に見せているという度胸だけは褒められるかもしれないな」

「でも、結果として私の小説は評価されてる。そして君のはブックマークが3。少なくともこのサイトにおける基準では、私の方が上っていう事になる」

「ありえない……! こんなレベルの低い小説が評価されるなんて、このサイトは狂っている! 小説というのはもっと高尚で、もっと頭を使う事が書く方にも読む方にも求められるべきだ! それに」


 一色くんは熱く語る。前々から思っていたけど、自分の価値観が絶対だと信じ切っちゃってるんだよね。


「それは、君の中の小説に対するスタンスだよね。全ての小説は高いレベルを目指して書かれるべきだ、っていう。私のスタンスは違うの。私の場合は単に『こんな事があったらいいな』っていう妄想を形にしたいっていう感じ。あわよくば、読んでくれた人に褒めて貰えれば最高ってね。そして気に入らない感想が有れば迷わず消すし、その人からは二度と感想を貰えないように設定する。私は小説のレベルよりも、いかに私が良い気持ちになれるかっていうのを目指して書いてるの」

「しかしだ、その内容が他の作品とほぼ同じだというのは問題じゃないのか!? オリジナリティの欠片も無い」

「これを言うのも恥ずかしいんだけど、私が書きたいのは主人公が可愛い女の子達にモテるっていう話なの。それ以外の部分には特にこだわりは無いの。設定とかを考えるのも骨が折れるしね。だからどうせなら、いわゆる『テンプレ』って言われてるような要素を借りて、多くの人に読まれるように書いたの。私は同じ嗜好の人に読んでもらいたいと思ってる。だから、何十万もの作品が投稿されているこのサイトで少しでも人の目に触れる為にどうすれば良いのかを考えて実行した結果がこれ。オリジナリティが無いとか言われても、私に言わせてみれば『だから何?』としか返せないの」


 私の言葉を受けて、一色くんは意味の分からないようなものを見る目を向けてくる。だが、私にとってそんな視線は慣れっこだ。とにかく、私と一色くんの価値観は平行線で、分かり合えない事は分かった。既に下校時間である以上、これ以上ここにいる事は望ましくない。今日は金曜日。家に帰ってゆっくり休みたいと思った私は告げる。


「まあ、今日はもう帰ろう。下校時間だし」

「……ああ、そうだな」


 一色くんは学校の規則を絶対に破らない模範的な高校生だ。色々と言いたいことはあるんだろうけど素直に頷いてパソコンをシャットダウンして自分は立ち上がった。私もパソコンの電源を消し、鞄を持って退室しようとする。その前に、私は振り返る。


「ああ、そう言えば最後に言っておきたい事があるんだけど」

「何かな?」


 一色くんはやや不機嫌そうに答える。だが私は気にせず続ける。


「感想をユーザ以外からも付けられる設定にすれば、感想をくれる人も出てくるんじゃないかな?」


 このサイトでは小説を投稿する時、サイトに登録しているユーザからしか感想を送れないというのがデフォルトの設定となっている。私は匿名の人から感想で叩かれてブロックできないのは嫌だからそのままにしているけど、厳しい意見でも良いから反応が欲しいと思っているなら、誰でも感想を書ける方が良いだろう。それでも誰にも読まれなければ感想など書かれないが、やれることはやるべきだろうとは思う。一色くんの返事を聞く前に、私は部室を出て家への帰路に就く。



 ○



 月曜日の朝。欠伸が出そうになるのを抑えながら、私は教室に入る。すると、一色くんが私の顔を見るなり飛んできた。


「な、何!?」

「おはよう!」

「お、おはよう……」


 やけに爽やかな笑顔で、一色くんは私に挨拶してくる。


「聞いてくれ! 朝スマホで確認したら感想を貰ってたんだ! サイトに登録してない人からなんだけどな。君のアドバイスのお蔭だ! ありがとう!」

「そ、それは良かった……。それで、どんな事が書いてあったの?」


 一色くんの高いテンションは、クラス中の注目を集める。それに居心地の悪さを感じながらも私は聞いてみた。すると一色くんは嬉々として答えてくれる。


「ああ。先に悪い点から言うが、金曜に君に指摘された通り、全体的に読みにくいと言われた。もう少し読者の事を考えて欲しいと。あの時は冷静になれず君に当たってしまったが、よくよく考えてみれば的を射た意見だった。本当にすまない」

「い、いいよ。それで……先に悪い点からっていう事は良い点も書かれてたの?」


 周りなど気にせず深々と頭を下げる一色くんに動揺しつつ、私はさらに聞いてみる。すると一色くんはパッと表情をキラキラと明るくした。


「そうだ! その人は俺が考えに考え抜いた設定を褒めてくれた。そして感情描写も上手く書けているとも。その上しっかりと読んでくれていたらしく、かなり突っ込んだ内容の質問なんかもしてくれていた」

「へぇ、良かったね」


 私は相槌を打つ。一色くんは更にテンションを上げて話す。


「それにな、こうも言ってくれた『このサイトでは恐らく評価されにくいでしょうが、よく考えられていて、今後の展開について考察するのも楽しいです。小説の書き方はともかく内容に関しては、他の人からどう思われるかをそれほど気にせずに、ひたすらあなたが書きたいように書いて欲しいです』とな! あぁ、本当に……本当にこの小説を……書いていて良かったと思ったあああああああ!」

「ちょ!」


 一色くんは感極まったのか、突然号泣し始めた。えっと……どうすればいいのこれ。周りの視線が痛いんだけど。とりあえずハンカチを差し出す。


「ほ、本当に良かったね」

「す、すまない。泣くつもりは無かったんだが……」


 一色くんは私のハンカチで、あふれ出る涙を拭う。しかし拭いきれないまま、笑顔に戻って言う。


「それとだ。君の『異世界で悪役令嬢になった私が百合ハーレム作ってみた』を改めて読んでみたんだが……素晴らしい! それほど気を張らずに読んでみたんだが、なんというか、読んでいて楽しかったぞ。確かに主人公のやっている事は褒められたものでは無いのだが、表面上だけ見ると爽快感があるし、何より事ある毎に報いを受けるのだが、それがコミカルに書かれているのも好印象だ。ただ難解な言葉わずとも面白い小説は書けるのだな。……ああ、百合とはあそこまで素晴らしいものだったのだな。何故今まで知らなかったのか、俺は猛烈に後悔している! 少女と少女による禁断の愛! 俺は君のお蔭で新たな扉を開いた! 俺に百合を教えてくれて、本当にありがとう!」


 再び深々と頭を下げる一色くん。さっきの涙がまだ残っているのもあって、傍目には泣きながら百合を崇めているようにしか見えない。しかも、恥ずかしいタイトルの小説を私が書いたという事を周囲にも聞こえる様に大声で言ってしまったものだから、オタク知識に通じているクラスメイトの何とも言えない視線が注がれる。そして、この状況を見ていたのはクラスメイトだけではなく騒ぎを聞き付けた他のクラスの野次馬達もいて、何やらヒソヒソと話している。……もう学校から帰りたい!


 やがて担任が教室に入ってきて野次馬達は退散し、みんなは各の席に着き、朝のホームルームが始まる。出席番号一番の一色くんから順に出席の確認が行われる。それを聞きながら、私は眠さゆえに顔を机に伏せる。


 実のところ、一色くんの小説に匿名で感想を書いたのは私である。あの金曜日に家に帰って小説の執筆を再開しようとしたが筆が進まなかった私は、改めて『翔龍帝国戦役』を読んでみた。やはり文章は読み辛い。そこで私はメモ用紙とシャーペンを用意し、適宜情報を整理しながら読み進めた。それでも混乱する部分があれば前へと戻り、ひたすら内容の理解に努めたところで気付く。この小説は面白い、と。


 真っ黒になったメモ用紙に書かれている事を別の紙に書き写して更に整理し、登場人物の相関図などを作り、それでも疑問に思えた点、伏線になりそうな点などをまとめ、金曜の夜、土曜、日曜の夜遅くまで、この10万字の小説を何回も読み返した。その過程で、くどいとさえ思った心理描写に魅力を感じていた。物語はまったくと言って良いほど進んでいない。しかしそれでも、重厚すぎるこの世界で繰り広げられる主人公達の戦いの様子は絶対に面白い。その確信が私には有った。


 日曜の深夜――というか数時間前、この小説の感想欄ページを見た。相変わらずそこに感想は書かれていない。私は一旦ログアウトし、自分だと分からないように感想を書いた。その文面を考えるのに1時間ほどかかった。私が今寝不足なのはそれが原因である。ウトウトと眠りに落ちそうになったところで、担任に名前を呼ばれた。ビクリと顔を上げて返事をする。そのついでに、何となく一色くんの方に視線を向けてみると、未だ嬉しそうな顔をしていた。


 一色くんは金曜日、小説がまったく評価されないと嘆いていた。私が彼にしたアドバイスはあくまで「このサイトで評価されたいならしておいた方が良い事」だ。私は「読んでもらう事」を目的として、受ける様な小説を書くことを心がけている。でも一色くんの中には「自分が書きたいもの」というものがしっかりとある。個人的にはもう少し読みやすい文体で書いて欲しいが、あの誰にも真似できない物語に関しては、ブレずに自分を貫いて書いて欲しいと思う。


「がんばってね」


 思わずそんな声が漏れてしまった。隣の席の男子が怪訝な表情を向けてくるのに気付き、恥ずかしくなった私は顔を再び伏せる。ともかく、私の言葉は本心だ。一色くんの書いたお話をもっと読みたい。


 私が初めて好きになった男の子のお話をね。








 数日後、私が百合小説を書いてネットに公開しているという話が学校中を駆け巡り、私を見た女子生徒が軒並み汚物を見るような視線を向けてくるようになったのだが、それはまた別のお話。

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