「私たちの、最後の希望だよ」
ガアン! と、重い音が響いた。聞いているだけで腕が痺れてくるような轟音である。
ナターシャの大斧が、その重量でリクトを押しつぶさんとするも、リクトはそれをすんでのところでいなし、自分の横の地面へと流した。ほんの一瞬、攻撃手段を封じられるナターシャ。
しかし、そのまま、リクトの反撃をやすやすと食らうようなナターシャではない。先ほどの激昂による興奮はどこへ行ったのか、そう思わせるほどに、彼女の次なる判断は冷静だった。
リクトが、ナターシャの大斧を往なした聖剣を、そのまま彼女に突きだす。目をカッと開いたナターシャは、その軌道を読み、先んじて魔法を詠唱していた。
「玖鎖璃!」
ナターシャの足元から、氷でできた鎖が生える。そしてさらに2本、生徒会室の両側の壁から、反対側の壁へも突き出る。
ナターシャの魔法は、鎖の発生場所を縦横無尽に確保できる「室内」という戦場で、最大限に威力を発揮する魔法だった。ちょうど、リクトが剣を突き出した先に、剣先よりやや小さめの空間を形成し、そこに剣をはめ込むようにして、ナターシャは攻撃を防ぐ。
リクトは、その防御方法、それ自体は想定の範囲内だったが、ここまで見事に防がれてしまうとは思っていなかったようで、わずかながら驚愕の色を示した。
――さすがナターシャ!
リクトは、いまや敵となってしまったかつての同志の手腕に舌を巻く。
――が!
リクトは、ナターシャの玖鎖璃の継ぎ目の、結合が弱い場所を瞬時に見切る。
「ここだ!」
「っ!」
剣をわずかに捩じったリクトは、そのまま剣を下に斬り下ろす。
「――ッ」
ナターシャの表情に焦りが生まれる。リクトの剣は、わずかにもがくように揺れた後、ナターシャの玖鎖璃をバラバラに砕いてしまった。
(無理か……!)
ナターシャは、自分の握っていた大斧の絵を引っ張り、なんとかリクトから距離を取る。しかし、その行動に差し込むかのように、リクトは素早い動作でナターシャに斬りかかる。さすがは、歴代1位の実力。斬り返しの早さも群を抜いていた。
ナターシャは、表情こそ動かさなかったものの、心の中は悲鳴でいっぱいだった。なんとか次の手を考えるも、この状況を打開する策など、そうあるはずも無く。
――敗北を悟る、ナターシャ。
そして。
「オラぁッ!」
ガン、という衝撃が轟いた。ナターシャは驚いて目を開く。見ると、先ほどまで瀕死のていだったジョンが、リクトの剣をナターシャから防いでいた。
「ジョン⁉」
「待たせたなァ!」
そのまま、力任せにリクトの剣を弾き返すジョン。彼は息も絶え絶えな様子だったが、なんとか剣を触れる程度には回復したようだった。
「ジョン、傷は……!」
「焼いた!」
「そんな荒治療⁉」
見れば確かに、先ほどまで青い炎が漏れていた場所に、焼かれたような焦げが見える。どうやら止血はしているらしい。
だが、その傷跡はなおも痛々しく目に映る。ジョンも慣れないことをしたためか、軋む腹をわずかに抑えた。
「……ちィ、慣れねえことはするもんじゃねえなァ。これが生身だったら一生モンの傷だぜ」
「……英雄の証だね」
「そんなカッコいい勲章になればいいがな」
状況は危機的だが、そんな中でも、ジョンは、――いや、二人は、軽口を忘れない。対するリクトの視線は冷ややかで、剣を振り下ろした状態からおもむろに起き上ると、大した感慨も見せずに次なる手を探り出した。
ナターシャはリクトの動きを注視しつつ、横のジョンに小声で尋ねる。
「……これからどうする?」
「作戦は覚えてるよな?」
「リクトを……この部屋から出す、ということ?」
「ああそうだ」ジョンは頷く。「俺たちの唯一にして最大の仕事。それさえできれば後は仲間がなんとかしてくれる」
「すごい他人任せっぽい」
「作戦の勝利だと言ってくれ」
フッ、とナターシャは微笑する。この男、実力は心もとないが、隣に居てくれると、まるで負ける気がしない。
――エリーゼが頼りとするのも、分かる気がする。
わずかな間に行われる熟考。ジョンはリクトとナターシャの特性を脳内に展開し、どうすれば、リクトをこの部屋から押し出すことができるか、必死に算段を立てる。
猶予は無い。リクトは今にも、こちらに襲い掛かってきそうな雰囲気を漂わせている。――ただ、現在は出方を伺っているだけで。
リクトの白刃がチラチラと光を反射させる。彼はジョンとナターシャの二人を相手どってなお、互角以上の実力を見せつけていた。正直なところ、ナターシャがジョンに加勢した現在においても、勝率は心もとない。
――さあーて……。
……どう攻めるか。
ジョンは紅き大剣の柄を握る。どうしたってジリ貧だ。やるなら一発、それも短期でことを決めなければ。
「……とにかく、あいつを打倒する必要は無い。この部屋に居られなくすればいい。なら、どうすればいいか……?」
「簡単だよ、リクトの脳天になにかぶち込んでやればいい」
「ひどい言いようだな……」
一応元仲間でしょ、君たち。
「魔導人形だからね」ナターシャは薄目で笑う。「どんな乱暴しても良いって、かえって楽だよね」
ナターシャの場違いな微笑みは、ジョンの心胆を冷やすのに十分だった。
「だが、アイツを押し出せるだけの技なんてどうやって……」
「あるじゃん」ナターシャはジョンを一瞥する。「私の胴体を真っ二つにした、あの術が」
「……!」
ジョンはその技に思い至る。……が、失念していたわけではない。
「なんだっけ、ライス定食だっけ?」
「別に名前にはこだわってないけどその間違いはあんまりじゃないか」
正確には機械仕掛けの太陽である。
「……前にも言ったけど、あの技、まだぜんぜん不安定で、ぶっちゃけ発動するかも微妙なところなんだ」
「……君、本当にジョンなの?」ナターシャの不満げな口ぶり。「そんなの、気合でどうにでもなる。……私の知ってるジョンなら、そう言うよ」
「……ああ、そうだな」
弱気になりそうな自分を押しのける。
――不安定がなんだってんだ。
――ナターシャの言う通りだ。そんなの気合で抑え込むだけだ。
いよいよ二人は臨戦態勢に入る。もう作戦は決まったようなものだ。
「何秒かかる? 溜めるの」
「30……、いや、20秒くらいかな」
「長いね」
「……まあ、でも、瞬間火力はバカでかいから、それでチャラってことで」
「チャラ? 笑わせないでよ」
ナターシャは不敵に微笑む。
「私たちの、最後の希望だよ」
「……」
ナターシャは立ち上がる。ジョンが、魔法の発動に必要な魔力を溜めている間、リクトとの時間稼ぎの任を負う。
――まったく、分の悪い賭けだ。
ナターシャはそう自嘲した。
対面するリクトは、ジョンがなにやら急速に魔力を溜め込み始めたのを見て、いよいよか、と聖剣を握りしめた。
――チャンスは一回!
リクトが駆ける。
ナターシャは賭ける。
――ジョンの、可能性に。
「来い、リクトォ!」
「恩知らずめがッ!」
「違うよ、ぜんぜん違う!」
ナターシャはリクトに訴えかける。
彼女の心に在るは、作戦遂行のための思惑ではなく、ただただ、リクトへの切実な想いだけだった。
「リクトが……、あなたが大切だからこそ!」
ナターシャは、自分の武器である大斧に魔力を込め、そして叫ぶ。
「目を覚ましてほしいから!」
魔力を放出し、思いっきり振りぬく!
「私は! あなたに! 刃を向けるッ‼」
ナターシャの魔力が発露。と同時に、ナターシャの前方、ちょうどリクトが居る位置にまで、ガガガッ、という音と共に氷柱が生える。2メートル以上はあると思われる、ナターシャ渾身の氷の槍だ。
リクトを串刺しにできなくとも、しばらくは行く手を阻んでくれるものとナターシャは期待した。更にそこへ重ね掛けるように魔法を発動しようとする。
――ところが、リクトの戦闘力は、ナターシャの予測の上を行く。
「それが守りかァ⁉」
「――ッ⁉」
リクトがひとたび剣を振るうと、ナターシャの氷柱がたちまちに折れてしまった。
ナターシャは、その、まさに「魔法のような」の所業に、目を見張る。
――熱だ。
ナターシャは即座にそう判断した。リクトの魔力のうちの「電気」の性質が、そのまま、氷を溶かすだけの熱エネルギーを生み出しているのだ。
「――チィ!」
ナターシャは歯噛みする。ただでさえリクトの戦闘力は強大なのに、自身の得意魔法である氷すらも対策されてしまっているとなると……だいぶ厄介だ。
――仕方ない。
――小細工は抜きだ。
「リクト!」
ナターシャは斧の柄を強く握る。
打倒する必要は無い!
20……いや、15秒! 時間を稼ぐ! たったそれだけ!
(それくらいできなくてどうする!)
ナターシャは、自分に向かって迫ってくるリクトの威容を視界に収めつつ、反撃の瞬間を見極めんと活眼する。少しでも気を抜いたら、瞬間、横を抜かれ、ジョンに攻撃が届いてしまう。
――それだけは、なんとしても防がねば。
ナターシャは、自身を勇み立てるように、吠える。
「一騎打ちだッ!」
「臨むところ!」
――激しい、金属音。
ナターシャの大斧に、リクトの聖剣が襲い掛かる。この細い剣のどこに、こんな、大斧を打ち負かすだけの力が、質量があるというのだろう。ナターシャは泣き言を噛みちぎり、必死で耐える。
「それで防いだつもりか!」リクトはいつになく高揚していた。「今にも抜くぞ!」
「行かせないッ!」
ナターシャの周囲から、まるで生き物のような氷の鎖が生え、リクトを絡め捕らんと突撃した。――が、それすらもリクトには予想の範囲内であったようで。
「フン」
微かに笑う。
――瞬間、リクトの周囲に柱のような電撃が起こる。バチバチと音を立てるそれは、たちまちのうちに、ナターシャの氷の鎖を溶かした。ジョンの爆炎のような範囲魔法だった。
(こんな――魔法までっ……!)
ナターシャは困惑する。
――どうする? 後はどうすれば、どんな手段を講じればリクトを止められる?
視界が止め処なく旋回する。まるで眼前の光景が蜃気楼のように揺れているようだった。ガラにもなく、彼女は焦っていたのだ。
(…………あ、あっ、あっ……!)
――あ、終わった。
声にならない、悲鳴。
ナターシャは眼前の脅威に頭が真っ白になる。
リクトは構わず進んでくる。
ナターシャを斬る……なんて無駄な行動を省いて。
まっすぐ、ジョンの元へ。
――どうしよう。
――計画が全て失敗する。
まだ、あと5秒くらい、溜めの時間がある。
ジョンが機械仕掛けの太陽を発動できないであろうことは明白だった。
瞬間、ナターシャの胸に広がる焦燥感。
焦りすら手遅れになった先にある、かつてない諦念。
もう、どうしようもない。
――ごめん、ジョン。
ナターシャは、走馬灯のような永劫にも感じられる瞬間の中で、静かに、ジョンに謝罪した。
――。
――いや。
――いや、まだ。
まだ、諦めたくない!
ナターシャの瞳孔が開く。
何か能力が覚醒したわけではない。秘められた力を解き放ったのでもない。リクトへの対抗手段は見つからない。
だから、なんだと言うのだろう?
自身が、――ナターシャが、ジョンの味方をするのであれば。彼の志を共にするのであれば。
例え、惨めでも、這いつくばってでも、この場を持たせるべきではないか!
「リクトォおおおおお‼」
気合を込めた怒号。
ナターシャは、あとさき考えない、全身全力で、一秒でもリクトの動きを止めるために、有らん限りの魔力を発散する。
「‼」
ナターシャから弾ける、ただならない魔力。
――ここで総力戦を仕掛けようというわけか!
その行動、それ自体は、対策出来るだけの想定をしていた。……が、本当に、彼女がそれをやってしまうとは。驚かざるを得なかった。
ナターシャが杖を握り、魔法を発動。
瞬間、リクトの周囲の空気が凍てつく。
リクトが電気により空気を温める、――そこに差し込むように、ひたすらに氷を生成する。
リクトの身の回り、四方八方から鎖が伸び、氷柱が襲い掛かる。更にはナターシャの直接攻撃。リクトの実力からすれば、決して捌ききれぬ量ではない――が、かといって、軽視もできない。ナターシャの実力は、リクトが一目置くほど強烈であったからだ。
なにより、リクトが畏怖したのは、ナターシャのその迫力であった。
一秒、……いや、一瞬でもいい。なんとかして、時間を引き延ばす。その目的のためだけに、体中の魔力、体力を駆使し、全力でリクトを足止めする。
執念すら垣間見える、その所業。
リクトの周囲で、氷ができては、溶けて消える。その一つ一つの威力は微細でも、ジョンへの進路は確実に潰されていく。
――マズイ……!
リクトはそう直感する。
――早く突破しなければ……!
リクトの直感は、当たっていた。
ちょうど、ナターシャの魔力が切れそうになった頃。
彼は、動いた。
「機械仕掛けの太陽‼」
ジョンは、叫ぶ。
瞬間。
リクトが背後に感じたのは、とてつもない熱量。
まるで、凝縮された太陽が襲い掛かってくるような、そんな錯覚。
「……な、これは⁉」
背中に焼けるような痛みを伴いながらも、リクトは冷静に状況を分析する。
ジョンは、ありったけの魔力と気合を込め、ひたすらリクトに突撃する。
ゴオッ、という空気の焼ける音。
轟音を響かせながら、リクトを部屋の外へと押し出していく。
「――ぐッ!」
ジョンの両腕が悲鳴を上げる。骨が軋む感覚。しかし、自分は魔導人形を使用しているし、仮にそうでなくても、ここまで来て、根を上げるわけにはいかない。
その痛みすらも、気合で撥ね退ける。
「いっけええええええええええええええええええ‼」
――その思いは、魔力となり、力となる。
「ふっとべええええええええええええええええええええええええッ‼」
ズン、という鳴動と共に、ドアから飛び出る、三人の男女。
生徒会室の外で戦闘を繰り広げていた面々が、一様に驚く。
……が、その中にリクトが居ることを確認するやいなや。
『今だああああああああああアアアアアアアアアアアッ‼』
無限の同好会の面々が、そう叫んだ。かと思えば、今まで温存していた魔力を一気に解放し、ありったけの力で生徒会を抑え込む。
「⁉」「な、なんですか⁉」
無限の同好会の輩共がいきなり全力を出し始めたのを見て、目を見張る生徒会。
ある者はがむしゃらに襲い掛かり、ある者は決死の覚悟で飛びつき、とにかく生徒会を押し込める。
「なッ……!」カナエは目を丸くする。「ラストスパートだとでも⁉」
カナエの絶叫は的を得ていた。この瞬間を待ちわびていた無限の同好会は、この場すら抑えきれれば勝利できると確信していた。
リクトを部屋の外へ押し出したジョンは、生徒会との攻防が一時的に止まり、生徒会室への活路が開いたことを、横目で確認し、確信する。
彼は、バングルを素早く操作し、ショートカットキーで通話画面を開いた後、有らん限りの気力を腹に込め、そして叫ぶ。
「走れ、エリーゼえええええええええええええ‼」
――その号令を聞いたエリーゼは。
――ニヤリと微笑み、次の瞬間、疾駆する。
ジョンは、これ以上ないくらいの興奮を、頬に滲ませた。
「勝利確定だァ‼」
 




