「俺はまだ、希望を失くしてない」
ジョンとリクト、互いが互いを睨み合っていた。
ジョンは非常に悔しいような、沈痛な面持ちで。リクトは、そんな彼の気持ちを踏みにじるような、冷徹な表情で。
無限の同好会に新しく入会してきた者たちは、皆、呆然とした様子で、二人の動向を見守っていた。いったいこの同好会はこれからどうなるのかと、不安な気持ちでいっぱいだった。
――向かう先など、一つしかないのに。
――ただ、それを認めたくなくて。
「……決まりだな」
リクトは、まるでつまらないものを見たというような表情で息を吐いた。
「約束は遵守してもらうぞ」
「……」
ジョンはリクトを睨む。それがどうなるということも無かったが、遺憾であるという気持ちも抑えきれなかった。
とはいえ、リクトの言う通り、これは二人が合意して取り決められた契約だ。
そこに不満があろうとも、「試合に負けた」という事実がある限り、よほどの不正を暴いたりでもしなければ、この結論を覆すことはできない。
――分かっている。
――分かっているからこそ、余計に、自身の不甲斐なさに、腹が立つ。
ジョンが未だ歯がゆい思いを振り切れない中、リクトはその解決を待たずして、躊躇なく、ある一枚の書類をジョンに提示した。
ジョンはそれを眺める。書類にはこう書かれていた。
部活動・同好会 解散届
――紛うことなき、無限の同好会への死刑宣告だった。
リクトは迷いを一切見せない冷厳さで告げる。
「この書類の意味は分かるな? これにサインしてもらう。
そうすれば、晴れて貴様の同好会は解散となる」
「……」
ジョンは口を噛む。なにか一言でも物申したい気分に苛まれたが、ここでどのような策を講じたとしても、それは負け犬の遠吠え、敗者の戯れ言に他ならない。
――だって、ジョンは負けたのだから。
――同好会の存続を賭けた試合に。
周囲の生徒が固唾を呑んでそれを見守る。
ジョンは歯を強く噛んだ険しい表情で、しかし、右手をそっと、その用紙へと伸ばしていく。
とても屈辱的であり、後悔の念に堪えない苦行である。
無限の同好会の面々も同様に、その様子を胸が引き裂かれるような思いで見つめていた。
この場から動けないのが、本当にもどかしく、辛い――そんな、表情で。
そして。
ジョンがその用紙に手を触れた瞬間。
「ダメ!」
バッ! とその場に飛び出し、用紙をひったくる少女がいた。
――エリーゼ・デーベライナーだった。
彼女は、はっと出てきてその用紙を奪うや、胸に抱き、非常に悲痛な面持ちで、か細い声を出した。
「……だめ、これは……」
――エリーゼの、変貌ともいえるほどの悲しげな態度。
かつて彼女が、ここまで、誰かのために心を尽くしたことがあっただろうか。
だが、対するリクトも、……ジョンでさえも、現実には厳格であった。
「エリーゼ」
ジョンは、エリーゼの気持ちを察しつつも、決して態度を緩めることはなかった。
「……返してくれ」
「……」
――今にも泣きそうな、エリーゼの表情。
それを見た無限の同好会の会員は、胸が締め付けれる思いであったが、会長であるジョンが「返してくれ」と言った手前、止めることもできない。
エリーゼは顔を俯かせたが、やがて諦念したように、ジョンに向き直った。
「……分かったわ」
そう言って、ジョンに歩み寄り、乱暴に掴んだせいで皺の寄った用紙を手渡した。
それを受け取ったジョンは、リクトに向かって一言、告げる。
「……一回しか書かねえからな」
「無論だ」リクトはつまらなそうに頷く。「二回目など、無いだろうからな」
……そう、リクトは言った。それは、ジョンが今後同好会を創設することがない、ということを意味しているのだろうか。
ジョンは用紙を受け取ると、生徒会が用意してきた簡易型の机の上に用紙を置き、必要事項を記入していった。
やがて、記入が終わり、内容に不備が無いか確認してからリクトに渡した。
リクトも、その内容を確認し、何か魔方陣を書かれてないか、軽く確認した後、フウと息を吐いた。
「……終わりだな」
「……」
リクトは、その場に居る全員に、大声で宣言した。
「今! 現時点をもって! 無限の同好会は解散とする!」
――こうして、無限の同好会は解散となった。
☆
「おい、見ろよ。エリーゼがやってきたぜ」
「エリーゼって……、あの子? あの子がどうしたの?」
「アイツ……無限の同好会の会員だったんだよ」
「無限の同好会って……、『あの』無限の同好会? 最近解散させられた……?」
「そう。生徒会に楯突くなんて、確かにただものじゃない気配を感じるな」
「何も問題を起こさなければいいけど……」
――食堂に足を踏み入れたエリーゼは、すぐさま後悔した。自身の悪評がそこかしこで飛び交う。
……かといって、後戻りするのもそれはそれで腹が立つ。
必死に怒りを押しとどめて食堂の中を歩いて行ったが、既に我慢の限界が近づきつつある。
――そもそもの始まりは、生徒会との勝負に負けたことなのだが……。
☆
ジョンはあの日から、姿を消してしまった。
担任であるザックに事の次第を問い詰めたが、彼からはなんの有益な情報も引き出せなかった。
――いや、むしろザックの方が、その事実に驚いていた。
『同好会を解散させられたのがショックなのは分かるが、なにも学校を辞めるほどでは……』
ザックはそう言い、険しい表情で顎を摘まんでいた。エリーゼもそれについては同意だった。
あの解散を宣告されてからも、エリーゼは毎日、部室に足を運んでいた。
ガラにもなく、気まぐれに掃除なんかをしてみたりもしたが、すぐに飽き、ジョンのお気に入りだったソファに寝転ぶ放課後が続いていた。
――あと、どれだけあの部屋に居られるのだろうか。
エリーゼは緩慢な思考で記憶を手繰った。
あの部室が、手続きを経て正式に空き部屋となるのは、いったいいつだったか。
――まったく、みんな、何をやっているのだ。
エリーゼは不満げに頬を膨らます。天気は曇天で、歩く廊下は薄暗かった。
エリーゼは、無限の同好会の会員――正確には、生徒会との決闘の数日前に入部してきた新入会員たち――に抑えきれないほどの憤懣を抱いていた。
あれだけジョンを熱心に応援していた彼らは、無限の同好会が解散となるや否や、瞬く間に退部し、生徒会の側に着き、口々に無限の同好会を罵った。
有り体に言えば、手のひら返しをされたのだ。
あの生徒たちの態度には本当に腹が立つ。腸が煮えくり返る思いでいっぱいである。
結局は、業績が不良で解散させられた部活・同好会の者たちが、居場所を求めて入会してきただけなのだ。
世界を変える意思なんて、これっぽっちも持ちやしない。
ただ騒ぎ、駄弁れる場所を探していたに過ぎないのだ。
それで、無限の同好会が生徒会を打倒してこの学校を自分たちの住みよいものに変えられたならば御の字だし、負けたら負けたで、他の部にさっさと乗り換えるつもりだったのだ。
エリーゼの悪い予感が、まんまと当たってしまった。
あいつらの無責任な応援を思い出す度に、エリーゼの犬歯が剥き出しになる。
はしたないと思いつつも、悔し涙と、震えるような怒りは止まらない。
――ほら、耳を澄ませば聞こえてくる。
――無限の同好会に対する誹謗中傷が。
「なんつーか、ジョンにはガッカリだよな、呆気なく生徒会に負けちまって、同好会解散とか、マジでねーよな」
「いやまあ、アイツ、世界を変えるとか頭おかしいこと言ってたしさ、仕方ないんじゃない?」
「いやー田舎もんに付いてった俺らホント恥ずかしいわー。末代までの恥ってヤツ?」
「っつーかさ、ちょっとあの同好会に入ってただけで『お前、無限の同好会の会員だったんだろ? 世界を変えんだろ?』って笑われんのおかしくね? 腹立つわー」
「そうだよな、あんなん体験入部だ体験入部。俺とかすぐ止めるつもりだったし」
「俺もなー、ダチに付いていっただけなんだけどなー。もう皆からいじられて勘弁してくれって感じ」
「まあ、仕方ないんじゃない? ジョンだし」
「それな! ほんとそれ!」
――心無い、下品な笑いが聞こえてくる。
エリーゼはそれを、必死の思いで押しとどめ、部室へと足を運ぶ。
――そして。
――エリーゼの目にしたものとは。
「……なによ、これ……」
――無限の同好会の部室の扉が、醜悪なラクガキにより、汚されていた。
それを見たエリーゼは、言葉を失った。
――なんで、こんな、どうして。
堪えがたい屈辱がエリーゼを襲う。
扉の前の空間、壁や窓、至る所に、「バカ」「詐欺師」「死ね」「汚物」……実に様々な悪口が、スプレーやらペンキやら装飾魔法などで塗りたくられていた。
エリーゼの顔が蒼白になる。
そしてそれは、やがて憤激に変わる。
――なんだよ、なんだってんだよ。
――私たちが、なぜ、こんな目に……!
「……あれ、あの扉の前に居る子、誰?」
「ほら、あれだよ、エリーゼ・デーベライナー。無限の同好会の会員だった子」
「うっわ、マジで? まあなんつーか救いが無いっつーか、ご愁傷様っつーか……」
「まだこんな同好会に拘ってんだ、アイツ。何を考えて――」
瞬間。
ドン、とエリーゼの周囲が爆発した。
「――はっ?」
……先ほどまで、無限の同好会に悪態を吐いていた男たちは、いきなりのことを腰を抜かし、動けなくなった。
エリーゼの周囲が漆黒の瘴気に覆われる。
悪鬼の形相と化したエリーゼは、その流麗たる美貌を崩さず、赤い眼を光らせ、男たちを凝視していた。
「……あっ、あ……!」
――抗いがたい、恐怖。
しかしどうすることもできない。立つどころか、体を動かすこともできない。
――体の動かし方さえ忘れてしまうほどの圧倒的圧力を、男たちは一心に受けていた。
――ヤバい、殺される。
男たちは、本能的にそう感じた。
その恐怖感が、さらに男たちの筋肉を緊張させ、凝固させていく。
エリーゼは、一歩ずつ男たちの元に向かいながら、地の鳴るような凄みを聞かせて口を開いた。
「……もう一度言ってみろ」
「……?」
男たちは、もう既に、口すらも動かせなくなっていた。
エリーゼは、その態度に更に腹を立てた。
――半端な覚悟で、無限の同好会を馬鹿にして。
――それで、許されると思うな。
エリーゼは怒りに任せて、叫ぶ。
「もう一度! 無限の同好会の悪口を言ってみろオオオオオオオオオオオ!」
ギュン! と音波が流れたかと思うと、男たちは体が引きちぎられかねないほどの衝撃を受けた。
普段の戦闘では決して見せることのない、怒りに任せた魔法。
エリーゼは、とにかく無限の同好会の悪口を言う輩どもを処刑する復讐者と化していた。
――愛する者、愛する場所のために戦う鬼。
――それが、デーベライナーなのだから。
もう、エリーゼを止めることはできない。
少なくとも、目の前にいる男たちには止められない。
今、この場で、エリーゼを止められる人間は限られている。
リクトやナターシャのような、魔導人形を使用せずともエリーゼと対等に戦える者か。
あるいは。
「いい加減にしろ」
ゴン、とエリーゼの頭をげんこつで殴る男がいた。
エリーゼは不意の攻撃に涙目になり、悲鳴をあげた。
――だけど。
――その拳の感覚は、なんだか懐かしくて。
エリーゼは怒ったまま後ろを振り向いた。
げんこつを食らわせた主を振り向きざまに八つ裂きにしなかったのは、エリーゼの無意識に、ある男の姿が浮かんだからであろう。
エリーゼは、その拳の主を見て、目を見開く。
先ほどまでの暗黒のオーラを霧散させ、頬を赤らめ、呟く。
「……ジョン」
エリーゼが彼の名を呼ぶ。
ジョンは、いつも通りのぶっきらぼうな調子で、――しかし、どこか温かい瞳をたたえて、エリーゼの肩を叩いた。
「心配……かけたな」
エリーゼは感極まって、目を片手で覆い、もう片方の手でジョンの胸を小突いた。
「……馬鹿」
エリーゼはか細い声でそう告げた。
「……約束、まだ切れてないよな?」
「……ええ」
ジョンは大きなバッグを肩に提げていた。その紐をもう一度背負いなおす。
それから後ろの方、無限の同好会の部室の方へ首を振り、告げた。
「俺はまだ、希望を失くしてない」
この作品ではあまり暗いエピソードを書こうとは思ってないのですが、物語の都合上、鬱屈としたシーンも書かざるを得ませんでした。
次回より、反撃開始です。




