「私を誰だとお思いですか?」
「聞いたよ、ジョン、生徒会に勝負を挑むんだって?」
ジョンと寮で相部屋となっているアレックス・エッジワースが、バーベキューでの騒動から帰ってきた彼に、そう訊ねた。
入学式が終わった後の自己紹介で、ダイナの国、ヨークムントからやってきたと言っていたアレックス。
相部屋になったのに加え、性格もなかなか馬が合うようで、気付けば気が置けない仲になっていた。
称賛するように顔を綻ばすアレックスだが、対するジョンの表情は険しかった。
「挑むっつーか、挑まれたっつーか、……巻き込まれたに近いかなァ」
「えらく弱気だね、ジョン。いつもなら『おうよ!』って拳を握るのに」
「今までとは次元が違いすぎるからなあ……」
そう顔をしかめるジョン。
自分のベッドに腰を下ろし、難しい顔で手帳とにらめっこをしていた。
普段のジョンとは明らかに違う弱気さを、アレックスは訝しんだ。
弱腰、……というわけではないだろうが、抱いた違和感はおそらく見当違いではないだろう。
「僕は凄いと思うけどね。普通の生徒だったら、そもそも勝負なんて挑まれないもの」
「その点については結構頑張ったよ。とにかく『同好会の解散』という宣告を崩そうと必死だった。……そして、それは半分くらい成功したんだが……」
「……その宣告を覆すための条件が、『生徒会との勝負に勝利すること』だった、……というわけだね」
アレックスは苦笑した。もちろんジョンのことは心配であるが、それ以上に、何をどう転がったらそういう結果になるのだろうか、という阿呆らしさがあった。
ジョンの破天荒さは、驚きを通り越して笑いがこみ上げてくるほどの、ある意味で滑稽さを持っていた。
――まったく、「どうしてこうなった」を体現するなんて。
それからアレステッドは、もう一つ、ジョンに訊ねる。
「会員、いっぱい増えたんだよね。そっちはどう?」
「んー……」
ジョンは唸った。果たして、自身の心情を大っぴらに話してもいいものか、と迷ったのだ。
彼、アレックスから無限の同好会に告げ口をするという可能性はそれほど恐れていないが、できるだけ、同好会の会員を不安にさせるような言動は慎みたかった。
逡巡の後、ジョンは曖昧な感想を呟く。
「……まあ、信じるしかないよな」
「信じる?」アレックスが首を傾げる。「彼らを?」
「まあー、良いことばっかじゃねえよ、急に会員が増えるってのも。それを纏めるだけの力がまだあるわけじゃねえしさ」
「でも、無限の同好会の同好会が目指している目標でもあるんでしょ、会員の増加は」
「それ言われたらぐうの音も出ねえや」
ジョンは気弱に笑った。無限の同好会の会員ではないからこそ見せられる表情だった。
ジョンの心情を慮ったアレックスは。
「……本当に、ジョンは凄いと思うよ」
「なんだよ、急に」
ジョンは怪訝な顔をする。しかしそこに嫌悪は無い。
むしろそれは、恥ずかしさのような、むず痒い感情だった。
「無限の同好会なんて荒唐無稽な同好会を立ち上げて、……そのときは僕も「馬鹿な」って思ったけどさ、まるで自分の信念を曲げたりしないんだもんね、ジョンは」
「当たり前だろ。そんな半端な決意だったらさっさと止めろって話だ」
「そう言えるジョンは凄いよ。自分が出来てるからこそ言えるんだろうしね」
「何が言いたいんだよ、さっきから」
ジョンはついに痺れを切らした。
怒っているわけではないが、こういう回りくどい会話は苦手なのだ。
褒められているのであれば、なおさら。
「言いたいのはね、ジョン、君は無限の同好会に、ある種の息苦しさを感じているんじゃないかってことなんだ」
「……」
――その、アレックスの言葉が、思いのほか的を射ていた気がして。
ジョンは声が出せなかった。
終いにアレックスは、その幼い顔立ちを綻ばせて言った。
「僕でよかったら、いつでも力になるからさ」
ジョンは照れくさそうに、いつもの横柄さを誇示した。
「それなら無限の同好会に入ってくれると助かるんだがね」
「それはできないな」アレックスはハッキリと否定する。「僕は僕で打ち込んでいるものがあるからね」
「なんだよ」
ちょっと残念そうなジョン。アレックスはその様子を面白がった。
「僕がなによりも感銘を受けているのは君の生き様だからね。無限の同好会も素晴らしい同好会だと思うけれど、もっと命を燃やしたいものがあるんだ」
「なにそれ」
ジョンは多少の興味をもってアレックスに訊ねたが。
「教えない」
ベーッと、舌を出されてしまった。
☆
「……ここに居たの、モニカ」
メアリーは、女子寮の一角にあるベランダに佇むモニカに、そう声をかけた。
モニカは、ひと気のないベランダで、手すりに両腕を乗せ、ぼんやりと月を眺めていた。
煌々と輝く満月だった。その光は、モニカの顔をうっすらと照らしていた。
ベランダの遠方からは、他の女子たちの談笑がかすかに聞こえてくる。
しかしそれも、二人にとっては虫のざわめき以上に取るに足らないものになっていた。
モニカはその声に気付くと、それまでの無表情を改め、ゆるりと笑顔を取り戻した。
その表情は、普段の能天気な様子とは違った、落ち着いた面持ちだった。
「なんでしょう、メアリーさん」
モニカは両手を前に組み、優しく問いかける。丈の長いスカートが微風に揺らめいていた。
対するメアリーの表情は、複雑で、沈んでいた。
モニカと目を合わせることすら憚られるほどの、自責の念。
メアリーはモニカに返事をすることなく、モニカの隣まで歩み、手すりに腕を置いた。
淡く光る月を眺めていたメアリーは、顔を動かさずに、モニカに言う。
「……ごめんね、モニカ」
不意の謝罪に、モニカは驚いた。
……が、その表情の変化は微細で、わずかに目を開いただけだった。
「どうしたのですか、急に」
モニカの質問に、すぐには答えず、顔をわずかに下げるメアリー。
――答えなかったのではない、答えられなかったのだ。
自分の気持ちは決まっている。伝えたいことも定まっている。
……だが、それを、まるで伝言のように伝えるのは憚られたし、なによりメアリー自身が、うまく言葉を口に出せなかった。
……それでも、メアリーには、謝らなければならないことがあった。
無限の同好会の、会員として。
なにより、一人の人間として。
メアリーは、遠方の、暗く深い山々へ視線を落としつつ、率直な言葉を放った。
「……霧の女王のこと、本当に申し訳なく思ってるの」
「……」
――その言葉に。
モニカは、わずかに口を結んだ。
その問題は、両者にとって、大きな確執となっていた。
……いや、なっていた「はず」だった。
どちらも、その事実から目を背けていただけで。
せっかく出来た無限の輪を、壊したくなかったから。
しかし、今日の騒動のことを思うと、その問題について触れずにはいられなかった。
――結局のところ、この解散宣告の最たる原因は、自分にあるのだから。
「本当は、もっと早くに謝るべきだったんだと思う」
メアリーの声音は、さらに深く、沈んでいく。
モニカを前にすると、今まで傲慢に押しとどめてきた罪悪感が、それまでの利子と共に、ズシリと圧し掛かってくる。
その罪の意識すら、今のメアリーにとっては、ある種の救いとなっていた。
それを感じることで、今までの悪業と向き合えているような、そんな錯覚に陥るから。
「私、調子に乗ってたよ。モニカの気持ちも考えずに、霧の女王の素晴らしさを喧伝したりしてさ。……登山大会が始まる前ならまだしも、それが終わり、無限の同好会に入った後でさえも、そんな馬鹿な真似を続けて」
メアリーは両手をギュッと握った。
その両手が抱える咎は、果たしてどれだけの腐臭を放つのだろうか。
メアリーは、そこまでを話すと、堰を切ったように、途切れ途切れではあるが、自身の謝罪を述べ始めた。
「何から謝っていいか分からない。どうすれば私は、あなたと面と向かって話せるのか、それすら分からない。
分からなくて……! ……結局、そこから逃げてたんだ」
メアリーの悲痛な後悔に、モニカは、かける言葉を見失う。
困惑するモニカを他所に、メアリーの謝辞は続く。
「モニカ、あなた、霧の女王を止めようとするとき、私のパパにお願いしたんだよね。あれを止める手伝いをしてほしいって」
その言葉に、モニカは震えながら問う。
「……誰から、聞いたんですか」
「リクトだよ。登山大会を中止に追い込んだときに、私、学校の学年主任にしこたま怒られたんだけど、そのとき同席してたリクトが話してくれた。
お前はモニカになんて仕打ちをし強いたのだ、……って」
「……余計なことを」
モニカは、そう口を滑らせた。
その言葉が、メアリーには意外だったようで、思わずモニカの方を振り向いた。
モニカは、今まで見せたことがないほどの、鬼気迫る表情をしていた。
眉根を寄せ、視線は、自身の力のこもった指に向けられていた。
メアリーはその表情を、自分に向けられた憤懣であると思い込み、更に暗然となった。
「……ホント、私って馬鹿だよね」メアリーは自虐する。「霧の女王が完成した嬉しさに、……パパの遺した魔術の素晴らしさに舞い上がり、騒動を巻き起こして、色んな人たちに迷惑かけて……。
学校の厚意で同好会解散っていう優しい処分に落ち着いたのに、ぬけぬけと無限の同好会に入会したりして……」
「……それだけ、メアリーさんの魔術に価値があったということなのでしょう」
モニカは、どこか苛々(いらいら)としているような返答をした。
「ジョンさんが、メアリーさんの魔術を素晴らしいと感じた。……だから、メアリーさんの入会を承諾した。それだけのことです」
「あなたは、なぜ、反対しなかったの?」
「私はジョンさんを信頼していますから」
モニカは肩の緊張を解く。
「……ジョンさんが、メアリーさんの入会に賛成したというのであれば、私にはもう、それを拒む権利も理由もありません」
「そんなのって……」
メアリーは何か言いたげに口を開いたが、やがて閉口した。
かける言葉が、見つからなかったから。
メアリーもモニカも、それ以上何かを言うことはできなかった。沈黙を耐えかねたメアリーは、ある決断を下そうか迷った。
「……私、辞めるべきなのかな、この同好会」
「……」
……横目でメアリーを見る、そのモニカの両目は、鋭かった。
「私が同好会を辞めたところで、何が解決するわけでもないけれど、やっぱりジョンに、誠意は示したいし。
それで少しでも、この状況が好転するなら、こんなに嬉しいことはないし。
……そうだよね、私、この同好会に居る意味、ないよね」
「ぐだぐだ言ってんじゃねええええええええ‼」
ガッ! と、モニカは右の拳でメアリーの顔面を殴りつけた。
「!?」
いきなりのモニカの凶変に、メアリーは頭が真っ白になった。
歯を食いしばる、モニカの形相。
我が目を疑う光景。
目を白黒させ、何が何だか分からぬまま、メアリーは地面に倒れる。
悲鳴を上げることすらできぬほどの、突然の衝撃。
「……な……」
メアリーは口をパクパクさせて、突如として起こった異常事態に戸惑った。
1メートルに満たぬ距離ではありながらも、たしかに殴り飛ばされたメアリーに、一歩ずつ歩み寄るモニカ。
メアリーは顔を青くして、言いようのない恐怖に震えていた。
「……甘えてんじゃねえよ」
モニカは、メアリーを叱咤する。
「逃げてんじゃねえよ」
その気迫は。
「本当に! 申し訳ないと思っているなら! その罪責を抱えて! 私と目を合わせろ!」
その情熱は。
「『馬鹿だよね』とか、『辞めようかな』とか、そんな安直な謝罪で、薄っぺらな覚悟で逃げるのが、私は一番気に食わない! 違うだろ! お前のやるべきことは、そんな、……そんな弱気な誠意じゃなくて!
その責任を全力でとっていくことだろッ‼」
――まるで、彼のようだった。
「……」
……呆然と、モニカの表情を眺めるメアリー。
モニカは険しく強張らせた自身の表情を、瞬く間に弛緩させて、苦笑交じりの笑顔でメアリーに笑った。
「……ジョンさんなら、そう言うだろうなと思いまして」
モニカは髪をかき上げ、それから、夜風に汗を乾かしながら、意地悪そうな表情で告げる。
「……ま、本音なんですけどね」
ペロッとモニカは舌を出した。その様子を見たメアリーは、思わず笑ってしまった。
「あなたでも、怒ったり、意地悪したりすること、あるんだね」
「私を誰だとお思いですか?」
「誰にも優しく朗らかに接する和やか癒し系少女?」
「そんな子、居たら怖いですよ」
モニカは口を膨らませた。まるで心外だとでも言いたげに。
「男をたぶらかす魔性の女か、頭のネジが外れたお花畑さんか、幼いころより虐待された故の防衛術か……」
「ちょうどあなたがそんな感じじゃないの?」
「まさか」
モニカは首を振った。とても落ち着いた様子で。
「そんなの、人を堕落させるだけです」
「言うじゃん」
メアリーはニヤリと笑い、それから立ち上がろうと腰を上げた。
「……おっと」
「――あっ」
――よろけた、その刹那。
モニカとメアリーの手が、しっかりと繋がった。
モニカは咄嗟に尋ねる。
「大丈夫ですか?」
「あんた、本当に強く殴ってくれたわよね……。ひょっとして私に鬱憤溜まってる?」
「どうでしょうねえ……」
「わざとらしく目ぇ逸らさないでよ……」
メアリーの顔に青い縦線が下がったようだった。
モニカの助力によりなんとか起き上ったメアリーは、頰の痛みを気にしつつ、来るべき戦いに向けて気合を入れた。
「……そうだね、モニカ。あんたの言う通りだ」メアリーは目を伏せる。「こんなちっぽけで、安い謝罪なんか、誰でもできるってんだ。無責任もいいところだね」
メアリーの言葉に、こくりと頷き肯定するモニカ。
メアリーは月を前に目を見開き、決意をした。
さっきとは違う、前向きな決意を。
「ジョンが認めたほどのこの魔術。この同好会の存続に役立ててみせるよ」
「やってやりましょう」
そう言って、二人は笑った。
月の美しい夜だった。




