「手の付けられない阿呆ね」
「俺は、世界を変える」
――そう、ジョンと名乗った少年は、壮語した。
瞬間、それまでざわついていた教室が、一気に静まった。
それはもう、瞬間冷却をしたかのような閑寂であった。
ふつうならば、――悪くいえば場を白けさせてしまったことに――多少の羞恥を感じるものだが、ことこの少年に至っては、そのような気配は微塵もない。
むしろ、これで声が通りやすくなったとでも思っていそうで。
その自身に、エリーゼは肝が冷える思いだった。
これが、高貴な少年の言い放つことであったならば、……もしくは、見た目からしておちゃらけている者の発言であったならば、もう少しでも、場を和ますこともできただろう。
しかし、現実は違う。
冗談であってほしい、しかし本音としか思えない、……そんな言葉を発した少年は、身なりは綺麗とは言いがたく、髪も、よく言えばワイルド、悪く言えばボサボサで、とても、発言した通りのことを成し遂げられるような人物には見えなかった。
田舎者の戯言であるには間違いないのだが、なにも、こんな場所で宣言しなくてもいいだろうに。
ありていに言えば、滑っている。
馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
そしてエリーゼはというと、あまりにも現実感のない言葉に、我が目を、耳を疑う思いだった。……しかし、どうにも本心からの言葉であることを悟り、言いしれない恥ずかしさを感じた。
そして少年は、なおも語る。
彼が紡ぐ言葉は、一歩ずつ、しかし着実に、それがジョークでないことを分からせていく。
分からしめていく。
「こんな賢い学校に合格してんだ、いま、この世界でなにが起こってるか、知らねえとは言わせねえぜ?
終焉戦争が終結してから80年経った今でも、世界のあちこちでは戦争が起き、飢餓が絶えず、悪龍や空賊は跋扈し、経済は崩壊寸前。せっかく世界がリセットされたのに、またもや人間は、同じ過ちを繰り返し始めてる!」
ジョンは拳を握り、熱弁をふるう。
教室の生徒は一様に(帰りたい……)という顔をしていた。
正直、聞いていられなかった。
あまりにも、痛々しすぎて。
だが、ジョンの舌峰は止まらない。
「こんな世界でいいのか? いいはず無いだろ⁉ もういつ滅亡するのか、時計は見えないが確実に崩壊へと時を刻んでいる!
その世界を変えるのは誰だ?
決まってんだろ、この俺だ‼」
ジョンの演説が最高潮になり、ついにはクライマックスへと到達する。
「だが、今の俺にはそんな力はまるで無い。
力も無ければ同志もいない。
学もカネもコネも何も、てんで全く持っていない。
だから!
だからこそ!
俺はこの国立第四魔法学校、『クロフォード』で、それらを一部でも手に入れる!
世界を変えるだけの力を養う!
そのために! 俺は! この学校へと来た!」
締めくくりに、彼は言う。
「このクラスにだって、熱い野望を持っているヤツは間違いなくいるはずだ!
だったら迷わず俺のところへ来い!
手厚く歓迎してやる!
以上!」
教室の生徒が唖然とする中、ジョンは肩で息をしつつも、非常に満足げな顔をしていた。
それはもう、腹立たしくなるほどに。
ジョンは、叫び終えて満足したのか、腕を組み、自席の椅子へとドカッと座った。
……ややあって。
クラス中が、爆笑の渦に飲み込まれた。
嘲りの嵐である。
「え? は? なに? アイツマジで言ってんの?」
「あー、ヤバいわアイツ、キメちゃってるわ」
「なんでアイツこの学校合格したの? ひょっとして試験官でも脅した?」
「ダイナミック・ドリームを掴みにきたのか? だったら地元でやればいいのに!」
「いやもう絶対ヤバいでしょ! 確実に問題起こすでしょ!」
「あ、まー、うん、いいんじゃない? 個人の意見だし。関わりたくはないけど……」
「世界を変える前にまず自分の服を変えたほうがよくないですかー!(笑)」
「言えてるー!」
ゲラゲラと嘲笑の波に晒されるジョン。
だが彼は、棒につかまるどころか、嫌な顔を一つせず、……いや、それどころむしろ、この事態を楽しんでいる風にすら見て取れた。
――果たして、大物なのか、あるいは馬鹿なのか。
おそらく後者であろう、というのが大方の意見であった。
――と。そこで。
「……あ、あれっ」
「マジか、逆鱗に触れちまったか……」
「終わったな、アイツ」
それまであおっぴろげだった罵倒が、急になりをひそめ、こそこそとした小声に変わった。
理由は一目瞭然である。
エリーゼが、立ったのだ。
客観的に見て、ジョンに非があるようには思われなかったが、それでも、あの妄語ともいうべき豪語に腹が立ったのだろう。
それだけで、周囲の者から見れば畏怖の対象であり、ジョンへの嘲笑が一瞬にして同情に変わってしまうのであった。
――あーあ、しーらね、という思いに。
しかし、当のジョンはというと、まったく怖じる気配を見せず、――むしろ面白そうに、エリーゼと相対した。
エリーゼの、地獄の炎のような真紅の双眸。
並大抵の者ならば、その眼に睨まれただけで、足がすくみ、ひれ伏してしまう。
――そういう意味では、ジョンは大物かもしれない。なにせ。
「俺と一緒に世界を変えたいか?」
――彼女に、そんな声をかけてしまったのだから。
見ていて冷や冷やすることこのうえない、緊張の一瞬だ。
二人の邂逅は、まさに、今にも炸裂しそうな爆弾そのものだった。
エリーゼのこめかみに、血管がビキビキと浮いているのが分かる。
この無学で浅薄な田舎者の戯言に、いよいよ我慢ならなくなった――そんな感じだ。
「あなた」
エリーゼが、そう口をひらく。
「世界を変えるって……そう言ったわよね?」
「ああ、言ったさ。なんならもう一回言ってやろうか?」
「やめてちょうだい。耳が腐るわ」
ふん、と少女は周囲を見渡した。
その視線はまるで光線のようで、たちまち、ジョンを馬鹿にしていた面々が頭を低くした。
そのようすに、エリーゼはさらに不快感を露わにする。
「……まったく、日本きっての英才校と聞いていたから期待していたのだけれど……はなはだ見当違いだったようね。これなら家で剣でも振っていたほうがマシだったわ。
見る人見る人フヌケばかりじゃない。おまけにこんな、――世界の大きさを知らない阿呆までいるときた。親族に顔向けできないわ。なんて低劣な学校に通っているのかって」
普段は口数少ないエリーゼであるが、こと相手を罵倒するときに際しては饒舌になる。
ちょうど、今のように。
「だいたい……」
エリーゼは再度ジョンに向き直る。
「あなたに、そんな力があるの? 世界を変えるだけの力が……?」
「俺に意見するなら、ちゃんと話を聞いてからにしてほしいね」
エリーゼの気迫を前にしても、ジョンの態度は一向にゆるがない。
……いや、むしろ、その勢いは増していく。
「結論からいうと『ノー』さ。
……だが、俺は確信してる。必ず、俺と一緒に世界を変えようって、手を握ってくれる奴が現れるってな。
俺は、お前ほどこの学校に失望してないから」
「……本当に、手の付けられない阿呆ね」
「それのなにが悪い?」
煽るように、ジョンは言う。
――次の瞬間。
雷鳴にも似た轟音と、衝撃。
それと共に、エリーゼは、自身の武器を召喚し、その長い柄を掴み、刃の切っ先をジョンの首に押し当てた。
エリーゼの武器は、知っての通り鎌である。
ジョンの首に当てているのは、あくまで峰の部分であるため、そこからジョンの首を撥ね飛ばすことはできない。
ともすれば、事件にもなりかねないエリーゼの威嚇は、ハッキリと功を奏したようだ。
「……」
ジョンは――その場から身動きをとらなかったものの――口を半開きにし、茫然としていた。
エリーゼの一振りに恐れをなしたのか、頬から汗を滴らせている。
――ふん、他愛ない。
先ほどまで大言壮語していたかの男も、ひとたびエリーゼが実力の片鱗を示すや、たちまちに、ものも言えなくなってしまった。
そのようすが、あまりにも痛快で、まるで、この妄言吐きの心を打ち砕いていたかのようで、エリーゼは内心ほくそ笑んでいた。
――その行為は、同時に、「デーベライナー」の地位を貶めるものであったけれど。
しかしエリーゼは構わなかった。
どうせ、最初から評判は地に堕ちているのだ。
今さらなにをやったところで、地を擦るだけだろう。
そこに、なんの違いもない。
エリーゼは、表面では怒気を見せつつも、内には耐えがたい愉悦のなかに、赤毛の男、ジョンを見上げた。
「……なっ……」
ジョンは目を開き、ただただ、驚愕の色を表していた。
「……な、なんだよ……」
かすれた声で、ジョンはつぶやく。
そして、彼は。
堰を切ったように、感情を爆発させた。
「なんだよその鎌! すげえじゃん! ぜんぜん見切れなかったぜ!」
「……」
……あれ?
なんか、ジョンの目がめっちゃキラキラしている。
ありていに言えば超興奮してる。
ぶっちゃけキモイ、とエリーゼは思った。
かなり引き気味なエリーゼを他所に、ジョンはエリーゼに詰め寄る。
「やっぱさあ! 一緒に戦ったときも思ったけどさァ! お前めちゃくちゃ強えよな! 憧れるぜ!」
「あ……あの……あ……」
根がコミュ障なエリーゼは、先ほどまでの威勢はどこへやら、今度はどもり始めた。
「もうそこまででいいだろう!」
……と、事態を傍観していたザック担任が、大声と共に手を叩いた。
さっきまで馬鹿にしててごめん、とエリーゼは心中で謝罪した。
救いの手を差し伸べられた気分だった。
「この通り、エリーゼは高い戦闘力と魔力を有し、学業にも秀でた天才児だ! 勉強から先頭までなんでも教えてくれるぞ!」
(よけいなマネをおおおおおおおおおおおおお!)
前言撤回、悲鳴をあげた。