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「警告だけのつもりだったのに」

「ジョンが……勝った……!?」

「おいおい、嘘だろ? ナターシャがあんな1年生に負けるなんて……!」

「ナターシャの氷の檻も突破してたよね!? 何者なんだよアイツ……!?」

「え、ちょ、マジでアイツ大物なんじゃないの……?」



 第三演習場の入り口付近にあるホール、いわば観客席にて、ジョンの試合を眺めていた面々は、想像を絶する結果に驚きを隠せないでいた。

それもそのはず、なにせ、敗北確定と思われていたジョン・アークライトが、ナターシャに勝ってしまったのだから。

 称賛や困惑が次々と飛び交う場内で、無限の同好会アンリミテッド・サークルの面々もまた、言葉を失っていた。

呆然とモニターを見つめていた者たちの中で、モニカがポツリと本音を漏らした。


「……勝っちゃいましたね……」

「……ええ、そうね……」メアリーもそれに続く。「勝っちゃったね……」


 メアリーはばつの悪そうな表情を浮かべ、どうにもならないといったていで、とりあえずの愛想笑いを浮かべていた。

試合前にあれだけジョンをこき下ろした手前、ジョンが勝利してしまった今、どういう面を提げてジョンと顔を合わせればいいのか分からなかった。


「な、ナターシャって……、あ、あ、あんなに、よよ弱かったっけ……?」

「さあな」タケシの疑問にゴンゾウは首を振る。「正直、喜んでいいものなのか分からんな」

「……はあー……」


 エリーゼは額を抑えていた。まさか、本当に勝ってしまうとは。

 とりあえずは喜ぶべきなのだと思う。これで同好会の解散は免れたわけだ。

 ……ただ、それが、吉と出るか凶と転ぶかは、未だ未知数といったところだろう。


 そうこうしているうちに、演習場の更衣室から、ナターシャが出てきた。

 デートのための余所行きの服に身を包んだ彼女は、周囲の驚愕の視線を一身に受けても、まるで動じず、なにも喋らず、出口に向かって歩いていった。

 その後ろ姿に声をかける者がひとり。


「どこへ行くの?」


 エリーゼに問われ、足を止めるナターシャ。

 周囲の生徒たちは、固唾を呑んでその様子を見守っていた。

 共に恐るべき人物だったからだ。

 ナターシャは振り返り、エリーゼに答える。


「帰るんだよ」

「貴方……、あれだけの騒動を起こしておいて、私たちには何の釈明もないわけ?」

「あるわけないよ。私は間違ったことなんて言ってないのだから。ただ、勝負に負けたから、あの要求は反故になった。それだけ」

「……確かに、勝負の勝ち負けが主張の優劣に繋がるとは思えないけど」


 エリーゼはそれでも、ナターシャをこのまま帰す気にはなれなかった。

 なんだか、とても歯がゆいものが残っている。


「……だいたい」エリーゼは、ジョンとの勝負で気になっていたことを問う。「貴方、……本気でジョンとぶつかってなんかいなかったでしょ」

「……なんで、そう、思うの?」


 毅然として問い返すナターシャだったが、その心情にわずかなブレが生じていたことを、エリーゼは見逃さなかった。


 ――やはり、思った通りだ。

 ――ナターシャは明らかに、先ほどの勝負、手を抜いていた。


 ジョンは戦う前、ナターシャとの勝負を提案するに至ったことに対し、「手加減してくれると踏んだから」と答えた。

 そして実際、その通りの結果になったということは、あの場でナターシャとの話をしたときに、その点について確信を得ていたということだけだ。

 あとは、その理由を突き止めるだけだ。

 ナターシャの環境を考えたとき、彼女に影響を強く及ぼすものは、リクトという存在だろう。

 その点を踏まえ、ナターシャに鎌をかける。


「この解散を持ち掛けたのは、リクトなんでしょう?」


 その点は、既にジョンが訊ねていたことであった。ナターシャはわずかに眉をひそめるような仕草をしたが、次の瞬間には、また普段のボーっとしたような表情になっていた。


「……半分正解、といったところかな」

「なるほどね、やっぱりリクトが関わってるんだ」

「……そうだね、もうちょっとだけ教えてあげる」


 ナターシャはエリーゼに向き直る。


「ジョンが私を打ち負かしたそのご褒美。ジョンに伝えてほしいんだけど」


 エリーゼは「言いなさい」と仕向ける。ナターシャは、それに対し淀みなく答える。


「私は、ジョンに対して少なからず恩がある。だからこそ、彼のためにも、解散という道を選んでほしかった。最終的には、それが彼のためになると信じたから」

「解散が……ジョンのためになる?」

「……それとね、さっきの勝負で、ジョンに負けたもう一つの理由。私は意識していなかったんだけど、ジョンに言われてはたと気づいたんだ。……やっぱり、私は、この同好会を解散させたくないんだなって」


 ちょっとだけ、だけどね、とナターシャは付け加え、それから。

 エリーゼに、突きつける。

 ある重大な、警告を。


「……このままだと、ジョンは退学することになるよ」


「!……」


 エリーゼは眼を見開いた。

 いきなり何を言っているんだ、この子は、と、その言葉の真意を掴めずにいた。


「それが、私が彼に手紙を送った理由でもあるんだけどね」


 ナターシャは眼を伏せた。エリーゼに聞こえる程度の声量で、ひっそりと呟く。


「……警告だけのつもりだったのに、実力行使をせざるを得ない状況になるなんてね」

「……?」


 ……ナターシャの、先見の明。エリーゼは、いったいナターシャが、この事態をどこまで見通していたのか、判別つかなくなっていた。

 あの手紙は、ジョンとエリーゼが、同好会創設のためにアムスティアへ赴き、ブルーハーロンの火と、モニカの救出を遂げた翌日に渡されたものだった。

 そのときから、ナターシャは、登山大会のことまで視野に入れて、あの手紙を出したのだろうか?


 ――警告だけのつもりだったのに。


 その言葉が、エリーゼの胸に響いていた。

 エリーゼがその言葉の真意を解釈する中、ナターシャは何も言わず、その場から去っていってしまった。

 ナターシャが演習場を後にしたことを察するや、場内の張り詰めるような緊張が解け、全員が一様に安堵の声を漏らした。


「あー……、やっと行ったなあ、ナターシャのやつ」

「マジでドキドキさせんなって話だよな……」

「エリーゼとナターシャが話をするとか死人が出てもおかしくないレベルだもんな……」

「私、まだここにいるんだけど」

「「「サーセンっしたあああ‼」」」


 エリーゼが不満げに振り向いた瞬間、みんな謝りました。弱いね。


「あー肩凝ったあー」


 不意に演習場に入ってきたのは、先ほどナターシャと戦闘していたジョン・アークライト氏であった。

 彼が戻ってきたことを悟るやいなや。


「――うぉっ!?」


 ホールに居た生徒たちが、ジョンを押し潰すくらいの勢いで詰め寄ってきた。


「スゲエじゃん、ジョン! マジでナターシャに勝っちゃうなんて!」

「お、おう、ありがとな!」

「俺なんか出会って4秒で首をちょん切られると思ったのにさあ!」

「なんか卑猥だな、その言い方!」

「ナターシャと戦ってみてどうだった!? パンツとか見れた!?」

「どさくさに紛れてなに訊いてんだテメエは!」

「ナターシャってどんなシャンプー使ってんのかな!? 臭いかげなかった!?」

「嗅げるかバカ! 俺を変態扱いすんな!」

「「「「えっ?」」」」

「ねえ、待って! なんでメアリーとかマオも首かしげんの!?」


 ジョンに称賛とも軽蔑とも似つかない言葉を次々と浴びせる生徒一同。

 まあね、仕方ないね、ジョンだもんね。


 ジョンが周囲の野次馬にもみくちゃにされているところに、一人の少女が声をかける。見ればエリーゼが、ジョンのもとまで迫っていた。

 瞬間的に散らばる、観客の生徒たち。

 エリーゼがこの中に馴染めるのははたしていつになるのだろうか、とジョンは遠い目をした。

 それもまた、無限の同好会アンリミテッド・サークルの目的でもあるからだ。


「よう、エリーゼ、浮かねえ顔してんなあ?」


 飄々とジョンは尋ねる。その理由は言うまでもない。


「……さっき、ナターシャと話していたのだけれど」

「ああ、そうなん? まあ何かわけの分からねえこと言ってただろ?」

「否定はしないけど……」


 しないんだ⁉ と驚愕の視線を向ける観客一同。一応相手は生徒会書記なのだが。


「……なんかね、気になることを言ってたのよ。ナターシャは警告だって言っていたけれど」

「あー……」


 エリーゼはその内容をジョンに話そうとしたが、ジョンは手を挙げて制した。


「また後でゆっくり聞きてえんだけど、いいかな?」

「……私が忘れないうちにね?」

「気が変わる、の間違いじゃないのか?」

「そんな気まぐれで、貴方に尽くしていないわよ」


 ぷいっと顔を背けるエリーゼ。ジョンは「ヒュー」と口笛を吹いた。


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