Second Impact
私がダイナの国の母の実家、ダイアナおばさんの家にお世話になって、ちょうど一週間が経ちました。
父からの電話によると、私の母の容体は日に日に快方に向かっていっているとのことで、もう間もなく退院できるだろう、とのことでした。とりあえずは一安心です。
母の病気が治ったら、私は自分の国である日本に帰ることになります。
そのときが、ジョンとアシュリーのお別れの日でもあります。
当初は、自分の国の友人とは違う接され方、いわばカルチャーギャップに戸惑いましたが、今ではすっかり仲良くあります。
……だからこそ、その日が来るのが、少し寂しくもありました。
☆
「ジョン、君は本当に、世界を変える気でいるの?」
ダイアナおばさん付き添いのもと、私たち三人は、公園の遊具で遊んでおりました。
他のジョンの友達は、今もキャッチボールやアスレチックなどで遊んでましたが、自分たちはその群れからやや離れておりました。
深い意味はなく、単純に疲れていただけです。
ジョンは鉄棒の上に座り、私に笑いかけました。
「当たり前じゃねえか、リック!」
文字通り当然のように答えますが、私はそのことに関し、疑問ばかり抱いておりました。
「ま、眉唾よねえ」アシュリーは意地悪っぽく笑います。「世界を変えるだなんて、今どきテレビのヒーローだって言わないよ」
「なるほどなあ。じゃあ俺、もしかして、空飛ぶヒーローよりも凄いってこと?」
「本当にできたらね」
私は呆れたように言いました。ジョンは私の皮肉にもまるで動じません。
本当にやってのける覚悟でいるみたいです。
「第一……」私は問います。「世界を変えるって、漠然としすぎているじゃない。いったい世界の何を変えるの?」
「全部」
「それが漠然としてるって言ってるんだよ⁉」
思わず私はツッコみました。アシュリーは大口開けて爆笑してました。
ジョンは「んー」と頭を掻き、それから割と真面目に回答するモードに入りました。
「……正直さ、分かんねーんだよ、俺にも。世界の何を変えれば、もっとこの世の中をよくできるのか」
だからさ、とジョンは私に問います。
「……あのさ、リック。ちょっと意地悪な質問するけどいいか?」
「いいけど……」
ジョンは真っ直ぐな男であり、婉曲な話題や捻くれた考えを嫌います。
口を開けば皮肉ばかり垂れ流すような人とは、きっと仲良くできないでしょう。
それがどれだけかわいい女の子であったとしても。
だからこそ、ジョンのこの事前確認は、彼にとって半ば反則気味の行為であり、珍しく、羞恥の面を見せたのでした。
ジョンの横顔が、夕焼けで赤く染まります。鉄棒を強く握りしめながら、ジョンは私に問いました。
「リック、お前さ、金持ちと貧乏人の差って、どう思う?」
「ん……? まあ、仕方ないんじゃない? お金をいっぱい儲ける人がいれば、あんまり稼げない人だっているよ」
「俺もそれには同意だ。貧富の差はどうしたって生じるモンだと思ってる」
たださ、とジョンは意見を述べます。
「上の奴らが下の奴らをこき使って、ひたすら働かせて、絞れるだけ搾り取って、使えなくなったらポイッと捨てる。……そんな世界、納得できるか?」
「それは……」
……納得なんて、できるわけがありません。
そういった問題が、世界に充満していることは事実ですし、世界の人々はそれを甘んじて受け入れているように思います。
……ですが、それを「仕方ない」と割り切ることはできても、「よし」と肯定することは、私にはできそうにないです。
「他にもさ、あるんだよ。金を持ってるヤツはいっぱい勉強していい学校に入って、いい会社に就職して、さらに金を稼げるけど、金が無いヤツはその機会をとことん奪われる」
――現に俺みたいに。
……そう、ジョンが言ったわけではありませんが、おそらく、彼はそう言いたかったのだと思います。
それを言ったら最後、言い訳となってしまうから、必死に胃に押し込めただけで。
彼の精いっぱいの見栄、強がりでしょう。
「肌の色や種族だけで、人を差別していいのか?」
「よくないね」
「一族の穢れた歴史に引っ張られていいのか?」
「よくないね」
「難民をそのまま死なせといていいのか?」
「よくない、けど……」
「ほっとけないんだよ、そういうの」
「……」
……私は、ジョンの顔をまじまじと眺めました。
彼、ジョンは、普段はふざけたことや間の抜けたことを言って、私とアシュリーを笑わせますが、根っこの部分は真面目でした。
真面目すぎるが故に、……止まれないのかもしれません。
ジョンは言いました。「世界を変える」と。
その言葉の大ざっぱさや曖昧さに、私は最初、嗤いました。
どうせ、戯言だろうと。
世界を知らない少年の戯言だろうと。
でも、本当に世界を知らぬ者なら、逆に、もっと具体的に言葉を述べていた気がします。
世界を知っているからこそ。
……いや、世界を知らずとも、そこに目を向けているからこそ。
「世界を変える」という曖昧な表現にならざるを得なかったのかもしれません。
私が驚きの表情でジョンを見つめていると。
「よせやい、照れるだろ」
そういって、ジョンは私から顔をプイッと背けました。
――思えばこのときに、気づくべきだったのかもしれません。
――後に重大な問題を引き起こす、致命的な違和感に。
まあ、いいや、と私はジョンに微笑みました。
「凄いね、ジョンは」
「当たり前だろ?」ジョンは歯を見せ笑います。「世界を変える男だぜ?」
「……君なら、本当にできそうな気がする」
「……ありがとよ」
……そういって、ジョンは私に手を差し伸べ。
そして。
……ずるっと滑って、鉄棒から落ちました。
ドン、と体を地面に打ち付けるジョン。
ダイアナおばさんは「なーにやってんだか」と呆れておりました。
ちなみにアシュリーは爆笑してました。
おいおい。
「いてて……」
ジョンは背中をさすり、ぽんぽんと衣服に付いた泥を落とします。
アシュリーは口元を抑えつつも、ジョンの腕に手を回し、起き上がるのを助けました。
私は鉄棒から降り、それからジョンに言います。
「……ねえ、ジョン」照れつつも、言います。「私、君の夢にとても興味がある」
「マジか」ジョンは驚きます。「笑わないの?」
「もうさんざん笑ったよ。でも、その気持ちが本気と分かっちゃあ、申し訳ないね」
私は改めて、ジョンに手を差し伸べました。
「……私たち、またいつの日か、再会しよう」
「そんときまでに、俺はもっとビッグな男になってるぜ?」
「多少背伸びしてでも、君の顔を見て話したいな」
「私も忘れてもらっちゃ困るよーう!」
アシュリーが慌てて自己主張。
別に忘れていたわけじゃないですヨ?
私とジョン、そしてアシュリーが、一様に手を伸ばし、重ねます。
「……私たちは、道は違えど、大いなる夢に向かい進む者」
「ま、なんだ、気張っていこうぜ」
「みんなでガンバローね、世界征服♪」
「だいぶ間違ってるような……」
私は呆れました。この子、なにも考えてない……。
「リック」ジョンは両手を腰に当て、伸びをした後、尋ねました。「お前、これからどうするんだ?」
「そうだね……」
私は空を見上げました。赤々とした夕空が広がっています。
風を全身で受けながら、ゆっくりと深呼吸。
落ち着きを取り戻したところで、ジョンに言います。
「私は、自分の国で、君と同じくらい、立派に成長を遂げる」
そして。
「君とは別の舞台で、この世界を変える手伝いがしたい」
☆
「なんでだよッ! どうしてなんだよッ‼」
リクトは泣いていた。雨に濡れ、血を這い、泥まみれになりながらも必死に足掻いていた。
地元の山林。土砂降りの中、それでも必死に守ろうとした。
それなのに。……それなのに……!
守れなかった……!
そもそもの事件が起きたのは、リクトが山の中で武術の訓練をしていたときだった。
日課のランニングを終え、林の中で木刀を振っていた頃。その事件は起きた。
有体に言ってしまえば、難民が追われていたのだ。
それを初めて見たとき、リクトは気が動転した。
なぜ? なぜこんなところに難民が?
そもそも、この国は他の大陸よりも大きく離れた島国であり、外国人が入国することがそもそも珍しかった。
加えてそれが不法入国の民であるなど、前代未聞であった。
少なくとも、リクトにとっては。
木刀を振るリクトの目にまず映ったのは、必死の形相で逃げ惑う8人の男女。
そして、その者たちを追う、ガラの悪い屈強な男たち。
右手に剣を持ったその男たちは、難民と思しき人間たちを捕まえ、あまりにも犯行が過ぎるようであれば、殺していった。
腹にナイフを突き刺され、悶絶して転がる老婆を嘲笑う男たち。
気が狂っていると思った。
正気の沙汰とは思えなかった。
リクトは恐怖し、委縮し、その場から逃げ出そうとした。
実際、その行動自体は正しい。賢明な判断だと言えるだろう。
……だが、そのとき、ふと、リクトの脳裏に、ジョンの勇姿が浮かび上がった。
――ジョンなら、こういうとき、どうするだろう?
――見て見ぬフリができるだろうか? 彼らを見過ごすだろうか?
そのことに思い立ったとき。リクトは。
踵を返し。決死の思いで。
悪党共に立ち向かった。
逃げ惑う老若男女さまざまな難民を、一人でも多く救わんと、自身の持てる力を全て駆使し、奮闘した。
どうやら相手は魔法使いではなかったようで、魔導人形もしようしていなかったが、それでも、リクトにとって劣勢であることは変わらなかった。
悪党どもを退けんと奮闘するリクト。
だが、リクトの奮闘も空しく、一人、また一人と、難民たちは命を落としていった。
そして、悪党どもが撤退した山林に残ったのは。
見るも無残な死体のみだった。
「……あ……あ……」
リクトは、その現状に気づくや、膝をつき肩を落とし、打ちひしがれた。
雨は絶え間なく降り注ぐ。いっそこの身を押し流してくれとも思った。
リクトは、泣いた。ただひたすらに、頬に悲しみを伝わせていた。
救えなかった。
彼らの運命を、変えられなかった。
少年が背負うには、あまりにも重く、残酷な現実。
このままここで息を引き取りたいとすら、リクトは思った。
――そのとき、だった。
「……ん……」
一人残らず殺されたと思われた難民の中で、一人だけ、息を吹き返した少女がいた。
リクトは、驚いて声の聞こえた方向を見る。
……そこには。
土くれで泥だらけになりながらもなお、眩いばかりの銀髪と、蒼い両目が印象的な少女がいた。
彼女は、リクトと同じように、現実に震えながらも、それでも、決して弱音を吐かなった。
まるでぼうっとした態度を見せる少女。
先ほどまでの惨劇が嘘だったかのように、超然と、彼女はそこに在った。
リクトは、震える声で少女に問うた。
「き……、君は……」
……そう、リクトは問うた。
少女はゆっくりと振り返り、リクトの方を向き、小首を傾げる。
「……私?」
リクトはこくりと頷いた。少女は表情を変えずに、リクトに告げる。
「アナスタシア・ヴィクトロヴィチ・フルメヴァーラ」
「……」
……名前からして、おそらく、ルーシアの人間だろう。
それから少女は、自身の憐れな身の上を哂うかのように、困ったような顔をしつつ、リクトに言った。
「もし、私の未来を変えられるのなら、私の手を取り『ナターシャ』と呼んで」
少女は、精いっぱいの気力をもって、微笑んだ。
「そしたら私は、君のものだよ」




