「君より強いことは確かだけどね」
「……くッ!」
ジョンは演習場の柱の影を渡る軌道を取りながら、ナターシャの様子を伺いつつ走った。
ナターシャの強さは、普通の生徒とは比べ物にならないほどだった。
依然、アムスティアに向かった際に出会った空賊、アレステッド・ブロウに勝るとも劣らない実力。
ひょっとしたら単機で勝ててしまうかもしれないとすら思わせた。
そんな相手に、ジョンは果たして勝てるだろうか。
結論から言えばノーだ。傷一つ負わせることすら困難を極めるだろう。
では、どうするか。ジョンは今、その対策を練っているところだった。
(キッツイなあ……!)
胸中で愚痴をこぼしつつも、その双眸はしっかりとナターシャを捉えていた。
ナターシャはジョンの姿を補足し、絶えず隙を伺っていた。
このまま走って様子を伺い続けるのはナンセンスだ。
いくら体力面ではジョンに分があるとはいえ、そんなことをしていたらすぐにスタミナが切れてしまう。
そうしたらナターシャに対抗できる手立ては軒並み消えてしまう。
ここで足を止めるのは相応のリスクが伴うが、仕方ない。ジョンはナターシャに意識を向けつつも、柱に体を隠すようにして立ち止まり、ナターシャの隙を伺った。
――その瞬間。
――ナターシャは、動く!
パキン、と、ナターシャに対してジョンの後ろにあった壁に、ナターシャの氷の鎖が撃ち込まれる。
かと思えば。
「――うおッ⁉」
ナターシャは、その鎖をワイヤーのように引っ張り、ジョンに急速に接近した。
ジョンの横を通り過ぎようとしたところで氷のワイヤーを解き、地を蹴る。
「――覚悟」
「やらせない!」
ナターシャの斧とジョンの大剣が衝突した。
ジョンはナターシャの斧を弾きつつ、後退。
そこにナターシャが追い打ちをかけるように疾駆する。
ナターシャがジョンに迫り、再び刃と刃が響き合う。
ジョンは剣を斜めに構え、ナターシャの斧を防いだが――。
そこにナターシャの足が、トドメとばかりに襲い掛かる。
バン! とジョンの身体が吹き飛ばされる。
なんて威力だ、と驚愕したのも束の間、ナターシャは更にジョンへの攻撃を仕掛けた。
ジョンは地を転がりつつも、ナターシャへの注意を逸らさない。
ナターシャが巨大な斧と共に地を蹴り、跳び、ジョンに襲い掛かる。
ナターシャが躊躇なくジョンに斧を振る。
ガン、と鈍い音が鳴った。ジョンはナターシャの攻撃をすんでの所で躱したのだった。
「――!」
「こっちだってェ!」
仰向けの体制のまま、ジョンはナターシャの右足に蹴りを食らわせた。
典型的な足払いだ。
しかしナターシャには効果があったようで、右足を弾かれたナターシャは、もともと攻撃をしたときに左足を上げていたのもあってか、体制を崩した。
斧を支えにしてなんとか体制を立て直そうとするナターシャに、ジョンはすかさず反撃を加える。
倒れた体制のまま、ナターシャの身体に向かって、剣を振り上げた。
ナターシャはそれを足で防ぐ。その反動で、ナターシャの身体が斧を中心に左方向へ回転した。
ジョンは剣を地面に叩きつけ、剣を支えに起き上がる。
ジョンは再び距離を取り、ナターシャの様子を伺った。
かなりの切迫した攻防を展開していた両者であったが、間一髪、といった様相を呈していたジョンとは違い、ナターシャはまだまだ余裕がありそうだった。
あくまで必要最低限度の動き、ということだろうか。
せいぜい、口を開けて呼吸している程度で、バテている様子は見られない。
「……なかなかやるね」
努めて冷静を装うナターシャ。わざわざ注釈を付けずとも、あくまで「学年123位の割にはなかなかやるね」という意味だと分かる。
「テメエこそ……、なかなかやるじゃねえか」
「それほどでもないよ」
髪をかきあげ余裕を見せつけるナターシャ。
それが演技であることをジョンは見抜いていた。
「……まあ、君より強いことは確かだけどね」
「そうだな、それについては同感だ」
「……」
ナターシャが苛立ちの籠った眼差しでジョンに視線を刺した。
ジョンは相変わらず飄々とした態度を崩さない。
それもまた、演技であるが。
……だが、ナターシャに対して、ある種の達観を持っていたのも、また事実であった。
ジョンは、戦う前から、もっというと、ナターシャが「アンリミテッド・サークルの解散」の話を持ち掛けていた頃から、既に疑問を持ち始めていた。
当初、ジョンはその疑問の正体に気付かず、いったい何が引っかかっているのだろうかと思案していたが、彼女、ナターシャと話をしていくうちに、疑問が仮定に変わり、やがては確信に変わっていった。
ナターシャに対する違和感の正体を、ジョンは見破ることができたのだ。
だからこそ、この無謀とも思える戦いを提案するに至った。
言ってしまえば、ジョンにとってこの戦いは、自身の推測が当たっているか外れているかの勝負であったのだ。
当たっていれば、ナターシャは「どうしてもジョンに勝てない」し、外れていれば、ナターシャは「有無を言わさずジョンに勝つ」。
故に、この段階で、ジョンは勝利を確信していた。
「……なにを笑っているの?」
ナターシャが怪訝に尋ねる。
……そう、ジョンは、あくまで劣勢を強いられているはずなのに、不思議にも笑みを零していた。
ナターシャはその態度に、柄にもなく感情的になったようだ。
その大きな理由としては、ナターシャ自身、ジョンに「勝てない理由」に「気付いていない」ことが挙げられるだろう。
――気付いて、いなくとも。
――己の直感が、負けることを強いているのだ。
ジョンは笑う。
ナターシャを過度に刺激しないことを意識しつつも、表面的にはナターシャを挑発していく。
いわばこれが、ジョンの勝負、彼の得意とする権謀術数であった。
「……いやぁ、面白いんだよ」
「面白い?」ジョンを責めるような口調でナターシャは言う。「もう今にも負けそうなのに? 自分の同好会が解散させられそうなのに?」
「ああ、そうさ」ジョンは決して退かない。「お前と戦うのが、めちゃくちゃ楽しいんだよ」
「……」
――ナターシャの表情が、僅かに揺らぐ。
ジョンとナターシャとの距離は、およそ8メートルほど。走れば一瞬で詰められる距離だ。
観客も、いつナターシャがジョンに刃を振り下ろすのかと、瞬きを忘れて見守っている。
ナターシャは武器を持つ手を震わせながらも、問うた。
「なにが……楽しいの?」
ナターシャの声は、震えていた。それが果たして、怒りなのか、それとも悲しみなのか。
ジョンはハッキリとは判別できなかったが、少なくともこの時点で、相手が不意打ちを狙ってくる可能性は無いと言えた。
(さーて……)
ジョンは深く息を吸う。
ここからは小細工抜きだ。
俺も感情的になってやる。
――心と心の、ぶつかり合いだ。
「ナターシャ、俺はテメエに訊きたいことがある」
「聞きたい……こと?」
ナターシャの鋭い目は、いつしか戸惑いの色を浮かべていた。
ジョンの攻撃に対する迎撃態勢は整っていたが、それはあくまで物理の刃だけで、心の刃への耐性は持っていなかったようだ。
ジョンは、ナターシャを指さし、ハッキリと告げる。
「俺さ、お前とデートしてるときからずっと思ってたんだけどさ……。
――本当は、無限の同好会を潰したくないんだろ?」
「!……」
その、言葉を口にしたとき。
――ナターシャの両目が、ハッキリと揺れた。




