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「その引き金になるかもしれない」

「ふっざけんじゃないわよおおおおおおおおおおお‼」


 バッ! と茂みの裏から飛び出してきたのは、まさかのエリーゼだった。

 彼女は、先ほどまでの陰気で暗く沈んだ様子から一転、必死の形相でナターシャに向かって走った。


「あ……バッ――!」


 事態を察したレオンが慌てて茂みから飛び出る。

 モニカもそれに続いた。


「――ッ」


 ナターシャが驚きの表情で以てエリーゼを迎える。

 エリーゼは眉間に深い皺を刻み、まるで親の仇でも見るようにナターシャを睨みつけた。


 ――実際、似たようなものであったのかもしれない。


 不満を垂れ流していやいや入ったサークルではあるが、エリーゼにとって、もはやこのサークルは、無くてはならない重要な存在になっていたのだろう。


 ――あるいは、ジョンへの忠義立てか。


 どちらにせよ、エリーゼがこれだけの憤怒でもってナターシャに詰め寄らんとしたというのは、ただ事ではない。

 エリーゼとナターシャの距離がどんどん縮まっていく。

 エリーゼは今にも殴り掛からんとするほどの勢いでナターシャを追い詰める。


「なにする気⁉」


 レオンが咄嗟に叫んだ。

 このままでは、エリーゼがナターシャに暴行してしまう。

 それでは生徒会からの恰好の因縁となってしまう。それだけは避けたい。

 しかしこの距離からでは、エリーゼを止めることはできない。

 モニカもそれは同じ様だった。

 どうする、とレオンの脳内で思考が瞬間的に加速する。

 一秒が数十秒に感じられるほどの刹那、事態は無慈悲に進行していく。

 ……その、凶行に及ばんとしたエリーゼを止めたのは。


「落ち着け」


 ナターシャの隣で渋面を作っていた男、ジョン・アークライトだった。


「ぐぇっ」


 非常にヒロインらしからぬ声を上げるエリーゼ。

 なんかこう、任侠映画に出てくる下っ端ヤクザがやられたときみたいな声だった。

 原因は単純、ジョンがエリーゼの後ろの襟を掴んだのだ。

 喉を衣服により圧迫されたエリーゼは、一瞬だけだが、息が止まった。


 ジョンはすぐにエリーゼの襟から手を離したが、ジョンの咄嗟の行動は効果覿面だったようだ。

 エリーゼはゲホゲホと噎せ、地面にへたり込んだ。

 エリーゼの凶行がストップしたと判断したレオンとモニカは、走る速度を緩める。

 ジョンはいかにも面倒な事態になったとばかりに口をへの字に曲げた。


「いつから見てたんだ、お前」


 ジョンがエリーゼに問う。どうにも呆れている様子である。

 彼女たちが盗聴をしていたという確証は無いが、あのタイミングでエリーゼが飛び出してきたところから、おおよその経緯を察したのだろう。

 エリーゼはあくまでナターシャを睨みながらも、答える。


「最初っからよ。貴方がナターシャと待ち合わせをする所から」

「ストーキングに盗み見に盗聴ね……。良い趣味してるね」


 ナターシャが冷徹な眼差しでエリーゼを侮蔑した。

 ナターシャの言葉に反論の余地を見出せないエリーゼは、それでも苦し紛れに言葉を放つ。


「ごめんなさいね、過保護なもので」

「そんなにジョンを信頼できないの? 彼、とっても思慮深くて冷静な人だよ。私が『サークルを解散してほしい』って言っただけで激昂しちゃうような直情的な人とは違ってね」

「それの何が悪いの?」エリーゼは決して退かない。「自分たちの夢を叶えるための大切な場所を、貴方は無慈悲に奪おうとしたのよ? これで怒らないなんて、そんなの冷静でもなんでもないわ。血の通わない人間の所業よ」

「……」


 ……エリーゼの反抗を口を挟まずに聞いていたナターシャであったが、ジョンには、エリーゼが口を動かすたびに、心なしか、彼女の表情がより冷徹なものへと変わっていくような感じを受けた。


 ――杞憂だと、いいのだが。


「……だいたい」ジョンはナターシャにたずねる。「なんで今さら、サークルを解散しろ、……なんて言われなきゃいけねえんだ。言っとくが生徒会(おまえら)の都合だなんて言ったらさすがに怒るぞ」

「うーん、半分半分っていうところかな。生徒会(わたしたち)の都合と、無限の同好会(きみたち)の都合と」

「どういう……ことですか?」


 モニカが恐る恐るといった調子で尋ねる。

 心なしか、声が震えているようだ。

 ナターシャは「んー……」と、あくまで表情は動かさずに、どう伝えたらいいものか、とでもいう風に思考した。ややあってから、答える。


「……君たちは、やがてこの学校に混乱を招き入れるから」


「……なんだと」


 ジョンのこめかみに血管が浮かんだ。

 ……それは、今まで、エリーゼも、モニカも、レオンも、およそほとんど見たことが無いような怒りの具合だった。

 ちょうどそれは、モニカが、暗い渓谷の底で、生きることを諦めたときと同じような、憤怒の形相。

 自身の怒りに気付いたジョンは、その怒りを落ち着けるよう努めたが、しかし、腹の煮えるような感情は収まりそうになかった。

 ナターシャは、現在の学校の状況を交えて、ジョンに説明する。


「……そもそも、君たちのサークルの活動、それ自体が、言ってしまえば異常なんだよ。不明瞭、……というには生易しすぎる異形の集団。それが無限の同好会アンリミテッド・サークル

「……このサークルってそんなに有名になってたのか」


 ジョンが間の抜けたコメントをした。

 まだまだ数多の部活・同好会のうちのひとつという程度の認識しか無いと思っていたのだが、いつの間にか名を馳せていた。

 少しでも入会者が増えればいいな、程度に思っていた登山大会がここまでの影響を与えるとは。

 ……だが、彼女、ナターシャによれば、それはあまり好ましくない状態らしい。


「私も、サークルが盛り上がること自体に口出しをしようとは思わないけどね。第一、それは、意義ある部活・同好会だけ残そうとしたリクト会長の思惑に沿っていることだし」

「……このサークルには意義が無い。そう言いたいわけか?」

「有り体に言うとね。まあ、それだけじゃ双方ともに誤解を生むだろうから、もう少し説明するけど」


 ナターシャはそこで、一呼吸置く。

 あまり喋ること自体慣れていないのだろうか。


 ――もしくは、また別の可能性か。


「まず訊くけど、君たちは本当に世界を変える気でいるの?」

「当たり前だろ」ジョンが代表して答える。「世界を変えるって言ったって、様々な側面があるだろ。俺は主に貧困問題や戦争問題、エリーゼは自身の一族の差別、モニカは難民を掬いたいと思っているし、レオンはそんな俺たちの姿に感動して入った」

「その力があると本気で思っているの?」

「ねえよ、あるわけねえだろ。そんなんだったらとっくにやってるわ。俺たちの目的は、そこに至るための力を付けていき、可能な限り実践していくことだ」

「……まったく、馬鹿げてるね……」


 ナターシャは柄にもなくため息を吐いた。エリーゼもそれに同調する。


「私も馬鹿げてるって、何度も思ったわ。そんなこと出来っこないって」


 ナターシャがエリーゼを睨む。エリーゼは毅然としてナターシャに言い放った。


「でもね、考えてもみて。『できるわけない』と現状をただ嘆くのと、『やってみよう』と現実に立ち向かうの、どちらが賢いかしら?」

「……」

「『俺には無理だ』と社会に押しつぶされるのと、『無理でもやろう』と社会に抗うのと、どちらが学生にとってあるべき姿かしら?」

「……結局は、無理空想だよ」ナターシャは唇を噛んだ。「願いが何でも叶う玉を集めるだとか、海賊王になろうだとか、里の長になりたいだとか、……そんな子供じみた夢と変わらないじゃない」


 ナターシャも依然として反論を続けていた。

 どうにもエリーゼとナターシャとでは犬猿の仲となってしまうらしい。

 堪り兼ねたジョンは、「あー」と会話を打ち切った。


「本題はそこじゃ無いんだろ、ナターシャ?」ジョンは尋ねる。「エリーゼとの口論にムキになるなよ。お前はもっと、別の危惧を伝えに俺を呼んだんだろ? わざわざデートであるというカモフラージュをしてまでも」

「……そうだね」


 ナターシャは張りつめていた自身の緊張を解した。


「さっき言った通り、このサークルの存在は、学校にとって無視できないものになっているの。さっきだって、そのアンリミテッド・サークルに、入会希望者がたくさん訪れていたじゃない。それが何を意味するか分かる?」


 ナターシャがジョンに宛てた質問。エリーゼは、口にこそ出さなかったものの、それが「何を意味するか」について、薄らとした懸念を抱いていた。

 ……もっとも、ナターシャがジョンに突きつけた憂慮は、エリーゼの不安とはまた違ったものであったが。


「世直し一揆って、知ってる? もはや遠い過去の出来事だけれど。……そう、終焉戦争で世界が一度終わる前の話。政府が掛けた圧力に対抗するように生まれた暴動だよ。アンリミテッド・サークルの存在が、その引き金になるかもしれない」

「私たちにその気が無くても……、ということですか?」


 モニカの質問に、ナターシャは頷いた。


「アンリミテッド・サークルが『世界を変える』ことを目的としたサークルだってことは、みんな知っているんだよ。そこまではいい。でもね、それに乗じて、自分たちの不満や苦渋を理由に、『世界を変える』という大義名分のもと、無闇に学校に反抗し、延いては暴動を招くかもしれない」


 ナターシャは、足こそ動かさなかったものの、ジョンに詰め寄るような態度で言う。


「この同好会が『世界を変える』ことを目的としていたのに、なぜ、同志が集まらなかった? なぜ、登山大会を機に大勢の人が集まった? このサークルに『力がある』ことを知ったから? むろん、それもあるだろうね。でも一番大きいのは、おそらく、『不満を受け入れてくれる』と皆が誤解し、『お祭り感覚』で参加しているからだよ。君のサークルは、思春期の若者の、……不良の溜まり場にならんとしているんだ。それが分からない?」


 ナターシャはそこまで言うと、自分が柄にもなく熱くなってしまっていたことに気付き、呼吸を戻した。ジョンはナターシャの話を何も言わずに聞いていたが、全てを把握したうえで、彼女に物申した。


「ナターシャ、お前の抱いているそれは、杞憂だ」


 ……今までの、ある意味熱心とも呼べる説得を、たった一言で断ち切るジョン。

 更に、ナターシャの要求を粉砕せんと、己の覚悟を見せつける。


「そんなもんが抑えられなくて、なにが『世界を変える』だ。んなもん、とっくのとうに想定済みだ。……それこそ、俺たちが世界を変えられるかという問題と似たようなもんさ」

「……それで、学校に問題が起こったらどうするつもりなの?」

「そんときこそ、実力行使で止めればいいだろうが。お前らがその罪状と共に『解散』と言うだけで、俺たちは分解するぜ?」

「……」

「……今はまだ、解散させるには理由が足りない。時期尚早過ぎる」


 ――ナターシャの透明な唇が、うっすらと赤みを帯びた。


 ナターシャのやりきれない思いを察したジョンは、「それでも」と前置きした後、言う。


 ――無謀とも言える、一言を。


「……それでも、俺らを解散させたいなら、俺に勝ってみな」


「!……」


 ナターシャの視線がいっそう鋭くなった。理由は明白である。


「馬鹿にしているの?」

「俺は本気だぜ?」


 憮然と言い放つジョン。

 しかしそれは、ナターシャだけではない、ジョン以外の全ての者にとって、驚愕的な発言だった。


「ちょっと、ジョン、あなた本気⁉」

 エリーゼがジョンの右腕を掴む。ジョンは平然とした調子で言う。


「当たり前だろ。俺が冗談でそんな勝負を提案すると思うか?」

「貴方……調子に乗ってんじゃないの? ナターシャに敵うはずないじゃない!」


 エリーゼの言葉に、モニカとレオンも、言葉こそ発しなかったものの、沈黙を以て同意した。

 相手はあのリクト会長の秘書を務めるナターシャだ。

 勝機があるとはとうてい思えない。


「……いえ、そんな問題じゃないわ」


 エリーゼは、もっと重要なことを、ジョンに告げる。


「そもそも、そんな勝負、提案すること自体間違っているのよ。ジョン、貴方は何も悪いことなんかしてない。ナターシャが勝手に因縁を付けてるだけじゃない。彼女の被害妄想に付き合う必要なんてないのよ! 今からでもいい、私は笑わないから、すぐにその戦いを取り下げなさい!」

「……んなこと出来るわけねーだろ」ジョンの姿勢は変わらない。「意地とか立場とか、そういう話じゃねーんだ。これは俺とナターシャの問題だ」

「……私だって、アンリミテッド・サークルの会員よ。サークルの未来を左右する問題に首を突っ込めないなんておかしい」

「まあ、なんだ、うん」


 ジョンはどうエリーゼを説得しようか考えていたが、思慮深い彼もさすがに面倒くさくなったらしく、非常に適当な一言で終わらせた。


「俺を信じろ」

「……」


 エリーゼが、目を見開く。

 その、非常に単純かつ簡潔かつ曖昧な言葉に、彼の全てを感じ取った。


 ……そうだった、と彼女は気付く。


 複雑な理論なんて要らない。難しい言葉なんて要らない。

 その言葉、彼を信じるというそれだけに引っ張られて、自分は、……そう、このサークルは、ここまで来たんだ。

 そこに、何を疑う余地があるだろうか。


「……馬鹿ね」


 ……と、エリーゼは涙を拭った。


「大丈夫だって」ジョンは笑った。「戦闘はぶっちゃけ分が悪いが、これは心と心のぶつかり合いだ。俺が負けるわけがない」

「……信じるからね、その言葉」

「任せとけ」


 ジョンとエリーゼは手を叩き合った。

 サークル内の確執が解れたのを悟ったナターシャは、半ば呆れながらもジョンに告げる。


「……第三演習場で待ってる」


 そう言い残して、ナターシャは去って行った。


「よし、行くか、俺たちも」


 応、と皆が頷いた。


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