「俺は、世界を変える」
「おい、見ろよ。エリーゼがやってきたぜ」
「エリーゼって……、あの子? あの子がどうしたの?」
「アイツ……デーベライナーなんだよ」
「デーベライナーって……、『あの』デーベライナー? ベルクの国の……?」
「そう。俺も初めて見るが……、確かにただものじゃない気配を感じるな」
「何も問題を起こさなければいいけど……」
――食堂に足を踏み入れたエリーゼは、すぐさま後悔した。自身の悪評がそこかしこで飛び交っている。
……かといって、後戻りするのもそれはそれで腹が立つ。
必死に怒りを押しとどめ、食堂の中を歩くが、既に我慢の限界が近づきつつあった。
――そもそもの始まりは、入学式が終わった後の、最初のホームルームの時間であった。
☆
「君たちには、これから自己紹介をしてもらう」
エリーゼのクラスの担任教師は、開口一番、そう言った。
エリーゼの周囲の生徒たちは「ふーん(鼻ホジ)」くらいの感じで受け止めていたが、彼女に限って言えば、穏やかではないどころか、このまま教師を殺害するか、腕をクロスして窓ガラスをぶち破ってしまうか、どちらかを迫られていると錯覚するくらいに追い詰められていた。
理由は明白である。
「デーベライナー」という姓。これだけで、周囲の生徒から距離を置かれてしまうことは明白であったからだ。
「まずは俺からだな」
エリーゼのクラスの担任は、最初に実演する形で、自身を指さした。
「俺は、『ザック・ディクソン』。まァ分かると思うが、これから一年間、このクラスを担任する。みっちり鍛えてやるから覚悟しとけよ?」
彼がそうはにかむと、とたんに「えー」とか「マジかよー」とかいった愚痴がドッと沸いてきた。普段のエリーゼならば、(お前らはなんのためにこの学校に入学してきたんだ)と、胸中で悪態を吐くところであったが、今はそんなことすら考える余裕がなかった。
ザックは、筋肉モリモリの、精悍な体つきをした屈強な男性だった。パッと見、巌のような険しい顔立ちをしているが、雰囲気としてはぜんぜんそんなことはなく、むしろ親しみやすい印象すら抱かせた。
なお、頭は禿げている模様。
スキンヘッドよろしくツルッパゲである。
でも今のエリーゼには、そんなことすら眼中に置かれない。
エリーゼの怨恨をまるで気にしないザック(まあ気にするほうが問題があるのだが)は、名簿を見て、姓ではなく名前順に生徒を指した。
「じゃあ次は君たちの番だな。
まず最初、アレックス・エッジワース」
「はい、はいっ」
アレックスと呼ばれた少年は、名前を呼ばれすっくと立ちあがった。
天パ気味な金髪が特徴で、青いジャケットを着ていた。
なんか頼りなさげな、なよなよとした男の子だ。背もちっちゃいし。
アレックスは緊張しているせいか、つっかえ気味に言葉をつむいでいく。
「え、えと、ダイナの国のヨークムントから来ました、アレックス・エッジワースです。
趣味はサッカーで、装備はロングブレードで、得意な属性は『雷』です。い、一年間よろしくお願いします!」
妙に脈絡のない自己紹介が終わると、教室内にまばらな拍手が起こった。
反骨の意を示すために、エリーゼはあえて手を叩かず、むすっとした表情で肘をついていたが、地味すぎる反抗はまるで効果がなく、ザックは次なる生徒を呼んだ。
「次、イクオ」
「はい」
イクオと呼ばれた少年は、気のない返事をしたあと、ゆるやかに立ち上がり、気のない自己紹介を淡々と語っていく。
イクオが座ると、次なる生徒が自己紹介を始めた。
そうして、2人かの生徒が自己紹介を終えていき――。
そして、ついに。
「それでは、次、エリーゼ」
「……」
――ついに、エリーゼの出番がやってきてしまった。
エリーゼの両手は、強くにぎられ、汗でまみれていた。
もう本当にこのままバックレてしまおうかしら――そんなことまでエリーゼは考えたが、そんなことをしても結果は同じだ、と少女は考えた。
「……ん? どうした、エリーゼ。具合がわるいのか?」
「いえ……」
ザックはお決まりの文句でエリーゼに催促する。
具合というか、自己紹介がすでに苦行なのだが。
――ああもう、どうにでもなれ。
やけくそになったエリーゼは、椅子を後ろに押してゆっくり立ち上がる。
――瞬間、教室がざわめき立った。
それまで、半分寝ぼけたようすで自己紹介を聞き流していた生徒も、周囲の喧騒ににわかに目を覚ます。
それくらい、エリーゼの容姿は美しく、綺麗だったからだ。
まるで、西洋の絵画から飛び出してきたような、そんな、神秘性と麗容さの両方を併せ持っていた。
男子は口々に、「なに、あの子かわいい」とか、「やっべ、惚れたわ……」なんて、冗談とも本気ともとれる感想をつぶやきあう。女子ですら、嫉妬を通り越して「え、綺麗……」と見惚れるほどだった。
周囲の羨望がエリーゼに向けられるが、それはエリーゼにとって、鋭い刃と同列にしか感じられなかった。
――なにせ、それらを一瞬にして破壊してしまうほどの事実を、彼女は語るのだから。
覚悟を決め、エリーゼは口を開く。
ある意味で、世界の禁句を。
「エリーゼ・デーベライナーです。ベルクの国のヘルズベルクから来ました」
『……』
――瞬間、教室の空気が固まる。
エリーゼの顔が羞恥で真っ赤に染まる。
――だから、言いたくなかったんだ。
ややあって、教室の空気が弛緩すると、とたんに、先ほどとは別のどよめきが起こった。
「……え、デーベライナーって……あのデーベライナー?」「いや、待てよ、そうと決まったわけじゃない……」「で、でも、あの子、ベルクの国のヘルズベルクって言ったぞ?」「え、やだ……やめてよ」「あー、ダメだわ、終わった、俺ら死んだわ」「ウッソ、え、ちょ、まッ……やばくね?」「なんでこの学校に入学してんの? ふつう弾くだろ」「やべえ……とんでもねえ」「化け物が来ちまった……!」
「こら、静粛に!」
ザック教師は大声で叫ぶ。ついで彼女に言葉を投げかける。
「……エリーゼくん、すまなかった」
「……べつに」
エリーゼは短くそう告げて、そっぽを向いてしまった。
教室がしんと静まりかえる。
先ほどまで、それなりに和気あいあいとした雰囲気を醸しだしていた空間を、エリーゼが一瞬にして極寒へと変えてしまった。
どれだけの屈辱だろう。
それはエリーゼのみぞ知る、というところである。
ザックは、この事態をどうするべきか迷い、慌ててエリーゼをフォローする。
「みんな、確かに彼女の出身については驚いただろう。無理もない。
だが、彼女は素晴らしい逸材だ。なにせこの学校の入学試験を、成績トップで合格したばかりか、なんと歴代11位という好成績を残したのだからな! きっと立派な魔法使いになるぞ……!」
ザックの必死のフォローもむなしく、生徒たちの嫌悪の色は変わらないままだった。
エリーゼは肩が痙攣しそうなほどに体を強張らせた。もはやどんなサポートがあったとしても、今後のエリーゼの学生生活は暗澹たるを避けられないだろう。
――しかし。
(まあ――仕方ない、か)
エリーゼは嘆息した。
もともと分かり切っていたことである。この自己紹介の機会が無くたって、いつかは知られてしまうことだ。自身が「デーベライナー」の一族であると。
殺戮と破壊を繰り返した、陰惨な一族であると。
現在は更生(?)し、社会的にも存在を認められてきつつあるが、地元ですら、いまだそのレッテルをはがし切れていないというのに、ましてや遠方のこの「テラス」の国に、「もう大丈夫なんです、信じてください」と言ったところで、果たしてどれだけの人々が信じるだろう。
……それに。
エリーゼは、「デーベライナー」という血筋を、誇りに思っていた。
だからこそ、よけいに、忌避されるのはまだしも、バカにされるのは我慢ならなかった。隠すなんてもってのほかだ。
これは、自分が望んだ結果である。エリーゼは、そう自分に言い聞かせ、飲み込ませ、偏見を受け止めていくと決意した。
嗚呼、私の学生生活も黒歴史確定だわ。そんな、自嘲にも似た諦観を、エリーゼはいだいた。
――あの男が、腰をあげるまでは。
それは、ある意味では、予想できたことだった。
エリーゼは内心、ドキドキしていた。
彼が自己紹介したとき、教室はどうなるのかと。
気まずい沈黙の中に繰り広げられる、自己紹介という苦行。
その中で、良くも悪くも空気を読まない人間が、一人。
「11番、ジョン」
――彼が、立ち上がった。
ジョンと呼ばれた赤毛の少年が、椅子から立ち上がる。
待ってましたとばかりに、自信満々な表情で。
「ダイナの国、サウスディグノ出身、ジョン・アークライト」
――そう、彼が宣った、その瞬間、教室がにわかに騒がしくなる。
「……え、いまなってった? サウスディグノ?」「サウスディグノって……、すっげー貧乏な地域だよね?」「ビンボーなんてレベルじゃねえよ、よくこの学校に入れたな……」「マジで? サウスディグノ? あの鉱山地域の?」「もしかしてボンボンなのかな……。地主とか」「でも服はそんなおぼっちゃまな感じしないけど」
クラス内が、エリーゼのときと同じくらいざわめいた。それもそのはずである。
彼が出身地であると言い放った「サウスディグノ」は、魔法石の採掘で生計をたてる鉱山地域であるが、ダイナの国では「貧乏の代名詞」のような様相を呈していたからだ。
そんな場所から、魔法使いが生まれたのがまず驚きであるし、国立第四魔法学校というエリート校に進学してきたのは、前代未聞とは言わないまでも、なかなかお目にかかれない珍事であることは違いない。
地元の通りを歩いていたら、テレビでよく見る女優が歩いていたとか、そんなレベルである。
彼がサウスディグノ出身であることに、クラスは驚愕した。……が。
彼はさらに、とんでもないことを言い出した。
――いずれ、この世界に革命をもたらす、決定的な一言を。
「俺は、世界を変える」