「今さら、そんな大切なことに気づくなんて」
「……?」
メアリー・ギブソンは、霧の女王の僅かな変化を感じ取っていた。
何かが、おかしい。その気配を察したが、具体的にどうなっているかまでは、さすがのメアリーも判別がつかなかった。
――なんだか、弱くなってない?
……そう、霧の女王の勢いが、微細ながらも落ちているように感じるのだ。
氷龍の製造効率や、雪の噴出量などが、発動したときと比べて、ほんの少しだが、少なくなっているように感じる。
「……まさか……」
危険を察したメアリーは、ダメ元でタケシに連絡を取る。通信を繋ぐと、タケシはそれに応答した。
『め……、めめメアリー!? なんで、いったい……!』
「あーもう、あんたに頼らなきゃいけない日が来るとはね……!」
『のっけから憎まれ口叩いてなんだよ……!』
タケシは不満げに息を吐いた。メアリーは「あーもう!」と髪を掻く。
「単刀直入に訊くわよ! あんた、霧の女王に変なことしてないでしょうねえ!?」
『へ、へへへ変なこ、ここことってどどどどどういうこと!?』
「なに動揺してんのよ! やっぱり何かやらかしてるんだ! そうなんでしょ!?」
『べ、べべべべつつつつに、そそそそんなことやる……うえッゲホッ』
「……大丈夫?」
あまりの撹拌に、タケシは噎せたようだった。さすがのメアリーも容態を心配した。
『べ、ほ、本当に……なにもやってないって……!』
「ホント? タケシ、嘘つくとあとで酷いわよ?」
『い、いやいやいや! マジだって! マジ! ね!? 僕を信じてホント! なにもやってないって!!』
「っかしーわねー。その割には霧の女王の様子に違和感があるんだけど。タケシがなにかしてないってんなら他にどんな原因が……?
……タケシ! ホントあんた何もやってないの……?」
『だから言ってるだろ! なにもやってないって!!
周囲のゲートの魔法陣を解除する以外は!!』
「ふーん……」
メアリーはタケシの言葉を口を尖らせつつも聞いていたが、わずかなタイムラグの後、
「…………………………………………え?」
……と、タケシの現在行っていることの重大性に気づいた。
「そ……そ……そ……!」
ショック過ぎて、狼狽を隠せないメアリー。メアリーは混乱しているのと違わぬ精神状態でタケシを罵倒した。
「それが一番重要じゃないのよーーーーーーー!!」
――メアリーの言葉は、タケシに届いたが、しかし、返答することはなかった。
☆
「タケシ! やっぱりお前の言った通りだな!」
タクミが意気よくタケシの背中を叩いた。リクトもタケシを称賛する。
「ゲートの魔術を解除するための方法をよく知っていたな、タケシ!」
「ま、まままま、き、聞かされてましたからね、メアリーに……!」
仮にも魔術サークルに入会しているタケシである。メアリーの言った「ゲートの魔術の解除方法」はタケシにも理解できていたようだ。タケシはリクトに告げる。
「こ、これであ、あの霧の女王の勢いは多少はよ、弱まるはず、です……! こ、根本的な解決にはなりませんが……!」
「それで構わん」リクトは冷静に答えた。「今は被害を最小限に食い止めることが最優先だ。その後で霧の女王を止める方法を模索すれば良い話であろう」
「そ、そそそ、そうですね!」
タケシは内心心臓をバクバクと跳ね返らせながらも頷いた。
あとでメアリーになんと言われるか。――いや、そもそも魔術サークル自体が存続できるかどうか、それすら怪しかった。
――それでも。
――それでも、タケシは、この霧の女王をこのままのさばらせておくわけにはいかなかった。
それほどまでに、恐ろしい魔術だったから。
だからこそ、霧の女王に吹き飛ばされた先で遭遇した生徒会に、助力する決意をしたのであった。
それが、あのボンクラ会長、ジョン・アークライトとの約束でもあったから。
この物語の主役にはなれそうにないが、与えられた自分の役割くらいは全うしよう。タケシはそう心に決めていた。
「それに、コイツのおかげで、ゲートが移動したカラクリも解けた!」
タクミは揚々と叫ぶ。リクトもしたり顔で頷いた。
「中央のゲートから、演習場に広がる塔に魔法陣を飛ばし、地面ごとすくい上げ持ち上げる……。
ゲートの位置座標が固定であるのと、ゲート自体が大量の魔力を有しているからこそ可能な術だな」
「これが城とかビルとかだったら分からねえがな! 塔ならギリギリ持ち運べる!」
リクトの予想は当たっていた。塔それ自身が、自身の持つ魔力を使い、メアリーの魔術で浮き上がらせたのだ。
こうなってしまえば、あとは早い。
リクトは威勢をあげる。
「なんとしても、霧の女王を止める!」
「当たり前だろう!」タケシの独り言のような決心に、リクトが答えた。「私を誰だと思っている! 誇り高きクロフォードの生徒会長、リクト・スドウだぞ!!」
「私も忘れないでね」ナターシャがリクトとタケシを見て言う。「氷雪の鎖縛の二つ名を持つ、アナスタシア・ヴィクトロヴィチ・フルメヴァーラ、私も居るんだから」
「おいおい、俺を忘れてもらっちゃ困るぜえ!」タクミもそれに乗っかる。「俺だってこの事件解決に全力を注いでんだ! 生徒会会計、タクミ・エンドウの本領発揮だぜ!」
「みんな……!」
タケシは感涙した。これだけのメンバーが居れば、霧の女王を確実に止めることができる。そう確信した。
☆
「バーーーーカ! お前ら! バカバカバカ! バカばっかり!!」
メアリーは霧の女王内で地団駄を踏んだ。
「なんだよみんなして! そこは褒めるところだろ! こんなにも魔術は凄いのかって感心するとこだろ! だったら俺も魔術を勉強してみようって、そう考えるところだろ!
なんでみんなして、……みんなしてええええええええ!!」
メアリーは激しい怒りのぶつける場所に悩んだ。このやり切れないほどの憤怒の情をどこへ送ればいい? なにに当ればいい? 分からない。
分からない。分からない。分からない。
どうすればいいのか、なんにも分からない。
「チクショウなんだよ! もういいよ!」
メアリーはヤケクソ気味に叫ぶ。本当はここまでするつもりは無かったが、気が変わった。
「全部お前らが悪いんだからな! 私はもう知らないから!」
言うやいなや、メアリーは魔法陣が張り巡らされた倉庫から飛び出した。倉庫に魔術で封のような鍵を閉め、霧の女王の内部を上へと飛んでいく。
魔女の家系に生まれたメアリーは、魔法で空を飛ぶ才能に優れていた。他の人間を運べるほどには出力が安定していないが、自分1人が飛ぶ程度ならお手の物だ。
箒に跨り、霧の女王の頂上を目指す。程なくして、霧の女王の、女王の姿を模した頭頂の往還部分まで辿り着いた。メアリーはそこで箒から降り、フィールド内を一望する。
ホワイトアウトと呼ばれる現象が起きていて、ほとんど遠くは見渡せないが、うっすらと通過地点であるゲートの影は見つけることができた。
あのゲートのうちのどれか一つは、恐らく機能停止に陥ってしまっている。
――せっかく、この霧の女王から魔法陣を飛ばして、巨大な魔法陣へと仕立て上げたのに!
「悪いのはお前らだ……!」
メアリーは犬歯を剥きだしにして吠える。
「人の気も考えず、ただただ見下して! 私のことなんかなんにも――」
……と、ふとそこで、メアリーはバングルに通信が入っていることに気づいた。
――マオから、だった。
途端、メアリーの顔が明るくなった。マオはメアリーの魔術に理解を示してくれる数少ない同志だ。
メアリーは、まだ通信もしていないのに、励まされた気分になった。
すぐさま応答するメアリー。マオからの通信が魔法により直接鼓膜に響く。
『……メアリー?』
マオの声は、いくらか不安げだった。……まあ、タケシが霧の女王に帰って来た段階で、特別吉報は期待していなかった。
マオもアンリミテッド・サークルの奴らに負けてしまったのだろう。
――そんなの、どうだっていい。
――この魔術に理解を示してくれれば。
そして。
その思いは、瞬く間に、崩れ去ることとなる。
『……ねえ、もうやめよう?』
……マオは、そう言った。メアリーの心が固まった。
メアリーは放心状態に陥りそうになったが、気絶するのを堪え、震える声でマオに問う。
「……ねえ、なに言ってんのよ……。やめよう、って……。霧の女王をやめようってこと……?」
『……』
マオは、いくらかの逡巡を見せたが、その後、はっきりと頷き、告げた。
『……そうだよ。霧の女王なんて悪い魔法、もう終わりにしよう』
「!!……」
メアリーは、胸が締め付けれられていくのを感じた。
――なんだよ、みんなして。
なんで、なんで、なんで……!
メアリーの唇が、赤く染まっていく。泣きたい衝動を堪え、必死に噛んでいるからだ。
――そして、更に。
『……聞こえる? メアリー』
――エリーゼの声が、聞こえた。
なんで、とメアリーは気が動転する。どうして彼女がマオと一緒に居るのか。
ひょっとして、マオはエリーゼに脅されて、霧の女王を止めようなどと言い出したのか。
だとしたら、許せない。あるまじき暴虐だ。
しかしエリーゼの声は、どこか申し訳なさを含んだものだった。
そして、彼女の口から、予想だにしなかった言葉が飛び出す。
『……ごめんなさい』
……そう、エリーゼは謝った。
メアリーは、思わず、「へっ?」と拍子の抜けた声を出した。エリーゼはメアリーへ謝罪の言葉を述べた。
『……ごめんね、メアリー。覚えてるわよね、貴方、私があの魔法学の授業で、魔術をさんざん馬鹿にしたこと……』
「……そん、な……」
――覚えてるも、なにも。
あのことがあったから、メアリーは、いっそう、霧の女王の開発に勤しんだのだ。
忘れるわけがない。
忘れることなんてできない。
『……あのときの私は、変なことにムキになって……。貴方の気持ちを考えず、屁理屈を並べ立て、魔術をこき下ろした……。……でもね、後になって、それが間違いであることに気づいたの。本当に馬鹿よね、こんなの。今さら、そんな大切なことに気づくなんて……』
「……」
……メアリーは、うまく言葉が出せなかった。
――なんだよ、なんで今さら、そんなことを言うんだよ。
『メアリー、貴方の魔術を大切にし、復興を願う気持ちは分かったわ。だからこそ、霧の女王を発動した。それも分かる』
――でも。
『これは、間違ってるわ。霧の女王なんて、こんな……発動しちゃいけない代物なのよ。
だから、お願い。あのときのことは精一杯謝罪する。だから、ね、メアリー。もうやめましょう。
お願い。霧の女王を止めて。
もう……終わりにしましょう』
「……」
メアリーは、どうすることもできなかった。
――なんだよ。
――みんなみんな、揃いも揃って、都合のいいことばっか言ってんじゃねえよ。
「そんなこと……言ったって……!」
メアリーは途方に暮れる。私にどうしろというのだ、と、深い悲嘆に陥った。
メアリーは何も言わずに、マオとの通信を打ち切った。それから、空を見上げる。
「……ホント、何なんだよ……」
……そう、口にした、その瞬間。
メアリーの両目に、予想外のモノが映った。
「……あれは……。
……龍?」




