「サイン貰うなら今のうちだぜ?」
「状況はどうなっている?」
「今、ようやく船が電車に着いたところ。幸い、死傷者はいなかったみたい」
「……そうか」
――国立第四魔法学校の本校舎にある、生徒会室にて。
国立第四魔法学校生徒会会長、「リクト・スドウ」は、高級なワーキングチェアに腰を据えつつ、魔導ウィンドウを弄っていた。
日本人にしては長身の身に、やや硬めの銀髪。
衣服は白を基調としており、それだけでもかなりの存在感を放っているのだが、とりわけその圧倒的な威圧感を誇示するのが、鋭く切れ長の双眸であった。
現在、リクトは、国立第四魔法学校に向かってくるはずの新幹線が、蒼い龍の襲撃を受けた事件について、リアルタイムで入ってくる情報を整理しつつ、対策を練り、指示を飛ばしていた。
本来ならば、学校長、およびそれに関連した重役の責務であるが、国立第四魔法学校校長の意向から、未だ学生の身であるリクトが指揮していた。
それも全て、リクトの能力と、カリスマ性と、なにより彼の自信がもたらした結果である。
リクトは、「フウ」と息を吐いた。
リクトの、ある種独断ともいえるほどの迅速な判断により、国立第四魔法学校に向かう生徒たちの安全を確保することができた。
この功績により、普段、なにかとリクトのことを邪険にする教育委員会の面々も、少しは口をつぐむことだろう。
――もっとも、教育委員会に、他人の行動を評価するだけの礼節があればの話、だが……。
人というものは、立場が上がるほど、顔の皮が厚くなってくる。
学生でありながら国立第四魔法学校の各所に影響力を持つリクトは、特に最近、それを感じていた。
思わず、表情をこわばらせたリクトであるが、……すぐに、それを弛緩させる。
(……と、いかんいかん)
思わず愚痴を吐きそうになった自身を制し、気を紛らわすかのように、机の向こう、縦長のソファを挟むようにして置かれた高級なソファに身を沈めている少女に問う。
まるで人形のような精緻な顔立ちに、真珠を想起させるほどの、艶やかな、蒼く長い髪を持つ少女。
アナスタシア・ヴィクトロヴィチ・フルメヴァーラ。
透き通るような繊細さを持つ彼女は、その自身の美貌とは裏腹に、ひどく気だるげにリクトに相対している。
――まるで、世界のすべてを見通しているかのような、退屈な眼差し。
生徒会書記である彼女は、リクトと古くからの仲であり、また、戦闘に限らず、多方面で高い能力を有しているため、生徒会長であるリクトの「秘書」としての役割も担っていた。
――もっとも、事情を知らない者からしたら、生徒会室に遊びに来た、暇そうな女子生徒にしか見えないのだが……。
ある意味では、それすらも彼女の計算のうちかもしれないのが、また恐ろしいところであるが。
リクトは、木製の高級机の向こう側にいる少女に、尋ねる。
「……それで、車両を空賊の魔の手から撃退した――と豪語しているのは、誰だ?」
「空賊」とは、空を飛ぶ船、「飛空艇」を拠点とし、各地で悪事を働く悪党どもの総称である。
主な活動場所こそ、先ほどのジョンたちが一戦交えたような「地上」であるが、基本的に飛空艇に乗って活動しているため、そう呼ばれる。
リクトの質問に、ナターシャは脳に染みるような声で答える。
「二人いるんだけれど……」
ナターシャは、魔導ウィンドウをスライドし、新たに入ってきた情報を読み上げる。
「一人は、《《あの》》エリーゼ・デーベライナー」
「……《《あの》》少女か……」
生徒会長であるリクトには、既に、今年度の全入学者の情報が入ってきている。
総勢200名強の合格者のうち、一番リクトの目を引いたのが、かのエリーゼ・デーベライナーだった。
――なにせ、彼女は、あの悪名高き「デーベライナー一家」という鳴り物であるのに加え、今年度の入試を「学年トップ」かつ「歴代11位」という好成績で合格したのだから……。
元々、デーベライナー一家は、高い戦闘力を有しているだけでなく、学問にも秀でていると聞く。
国立第四魔法学校の命運の一端を握るリクトが彼女を注目するのは、必然といってもよかった。
「それで、もう一人は?」
「……聞く?」
ナターシャが、なにやら戸惑った様子で問い返してきた。
――彼女が、こんな顔をするとは珍しい……。
普段、無気力とも、ポーカーフェイスとも取れる無表情を見せるナターシャが、わずかにでも困惑を見せるとは、どれだけの人物であるのだろうか。
あまり他人にこだわらないリクトは、珍しく続きを催促する。
「構わん、続けてくれ」
「……あのね、今から言うこと、全部本当だからね?」
意味深な前置きと共に、ナターシャは情報を読み上げる。
「名前はジョン・アークライト。ダイナの国、サウスディグノ出身の一年生。今年度の入試を123位っていう微妙な出来で合格した人」
「!……」
――リクトに、衝撃が走る。
(ジョン・アークライト……!)
リクトは、その人物の名を知っていた。
なぜなら、それは、彼にとって、深く因縁のある名であったから。
ナターシャは、呆れたように続きを読む。
「そもそも、サウスディグノから魔法使いが出たってだけでも驚きなのに、彼と、一緒に戦ったエリーゼの二人で『空賊』を撃退したなんて……信じられる?」
「……にわかには、信じがたいな」
でしょ? という感じで小首をかしげるナターシャだったが、しかし、リクトは、ナターシャとは別の感情を抱いていた。
「そもそも……、なんで『空賊』を討伐した……って言うんだろうね? そんな嘘、すぐにバレるというのに」
「《《嘘じゃない》》……としたら?」
リクトの、相手を試すような質問に、ナターシャは心底うんざりしたような表情を浮かべる。
「……《《この学校、終わるね》》」
「フン、面白い」
リクトは、ワーキングチェアから立ち上がり、背後の窓ガラスの奥に広がる空を眺めた。
「いい加減、紋切り型の人間には辟易していたところだ。それくらいの人間がいてちょうどいい」
「……もっと辟易する結果になりそうだけどね」
リクトの、いやに気分が高揚している様子を見て、なんだか先行きが不安になるナターシャであった。
☆
「だーかーらァ! 俺の言ってることを信じてくれって!」
『だって……ねえ?』
国立第四魔法学校の私有する飛空艇の船内にて。
敵対勢力――乗組員の話を聞くと、どうやら「空賊」であるらしい――を撃退したジョンたちを待っていたのは、称賛ではなく、疑問の嵐だった。
数々の生徒たちに詰め寄られたジョンは、最初こそいい気になって答えていたものの、だんだんそのフラストレーションを炸裂させていった。
「いや、ホント、マジで! 何回も言ってるだろ! 俺とあそこにいる女が空賊を撃退したんだって!」
「いやいや、ありえないでしょー」「だってあの空賊だし?」「っつーかお前、あの新幹線だって龍が脱線させたって知ってる?」「空賊とか嘘だろー、どうせその辺のチンピラだろ?」「ないわー」
……と、こんな感じで、ジョンの言葉を信じてくれる人はゼロに近かった。
辛うじてジョンの言葉に耳を傾けようとする者もいたが、周りに流されるというか、日本人特有の大衆迎合主義に飲み込まれ、その存在を示すことはなかった。
「だー、もう、うっせえ!」
ジョンは周囲の生徒たちの追及を振りきり、その辺にあった椅子の上に靴を脱いで立ち上がり、そして演説する。
「いいかお前ら! 俺はジョン・アークライト!
近い未来、この世界を変革する男だ!
サイン貰うなら今のうちだぜ?」
「いや……、知らねーし」「いてててて……」「あーうん、すごいね」
「真面目に聞けよお前ら⁉」
「てかさあ」と、ジョンの近くにいた男子生徒が、ジョンとは違う方向を指さす。
その指の先、暗がりに包まれた通路では、エリーゼとエルナが、なにやら小声で相談しあっていた。
「どうせだったらさあ、あの子のサイン欲しいなあ~」
「はあ⁉」
ジョンは大声でもって聞き返す。
呆気にとられるジョンであったが、周囲の男子は異口同音に賛成した。
「そうそう! あの子めっちゃ可愛いよなあ! なんて子だろう?」
「ホント、あの綺麗な黒髪とか、顔とか……!」
「オウフ、二次元が現実に降臨なさいましたゾ……!」
「胸は……、まあ、胸はぺったんこだけど、背もちっちゃいし……」
「いや、でも、まだこれから成長の余地はあるじゃん?」
「っつーか顔だけでもう合格ラインじゃん?←」
「あー、あの子と同じクラスになりたいなあ~」
「おい、お前ちょっと声かけてこいよ」
「いやいや、お前が行けばいーじゃん!」
口々にエリーゼの容姿を褒めたたえる男子諸兄。
しかしそこに、「いやいや、あのメイドさんの方がよくね? 胸とかデカイし」と、反対勢力が生まれる。
かくして、国立第四魔法学校の船内で、「エリーゼとエルナ、どちらが良いか」という不毛な論議が生まれた。
女子も女子で、男子とは一線を置きながらも、エリーゼの美しさ、エルナのカッコよさに惚れていた。
……そして、完全に蚊帳の外へと押し出されてしまったジョンは。
「……ちくしょう、覚えてやがれ」
涙目になって、顔をしかめっ面にしました。
☆
「!……」
「……どうしたのですか、エリーゼ様?」
馬鹿げた喧騒(実際バカげている)から距離を置いたエリーゼは、不意に、耳をひくつかせ、その鋭利な視線を通路の奥にいる小広場の男子生徒へと向けた。
「……いや、その……なんか『ぺったんこ』って単語が聞こえたから……」
「……過敏になりすぎでは?」
エルナはそうフォローするものの、彼女にもはっきり、「胸はぺったんこだけど……」という言葉が聞こえていた。
しかし、エリーゼの心情を慮って、あえて口にはしなかった。
別に、激昂したエリーゼの面倒を見るのが面倒くさかったわけではない。本当である。
エルナは、通路に備えられた窓から、外の様子を眺めた。
「……もうそろそろ、国立第四魔法学校に着きますね。準備はよろしいですか?」
「できることなら帰りたいのだけれど」
「……エリーゼ様?」
「冗談よ」
冗談、と彼女は言うが、実際のところ、「帰っていいですよ」と言ったら「いま帰っていいって言ったわよね? 言ったわよね? 間違いないわね? よし帰る!」……みたいな感じで、喜々として帰国してしまうことは、容易に想像が付いた。
だてに、エリーゼに長年仕えていない。
エルナは、最後に、エリーゼに告げる。
「……お友達、できるといいですね」
「そんなの……いらないわ」
――どうせ、裏切られるから。
エリーゼは、言葉にこそ出さなかったものの、その表情が、圧倒的な隔絶を物語っていた。
その様子を見て、エルナは、一抹の不安に駆られながらも、ある種の諦観と共に、深く、息を吐く。
――まあ、いいでしょう。
――あとは、エリーゼ様のご裁断にお任せしよう。
願わくば、お母さまの意を継がんことを。
☆
「おい、あれ……」
一人の生徒が、飛空艇の窓の外を指さした。
それから、満面の笑みで、告げる。
「国立第四魔法学校だ! もうすぐ国立第四魔法学校に着くぞ!」
「マジかよ!」
言うが早いか、生徒たちはドタドタと艦橋へと走り出した。
ジョンも、「来たか……!(ガタッ)」という感じで、男子たちの後に続き、通路を駆けぬけ、階段を上がり、ドーム状の透明な天蓋に覆われた広場にたどり着く。
魔導装置によって、床にそのまま飛行している地面が投影された場所。
その疑似艦橋の景色の向こうに、巨大な壁に覆われた街が見えた。
国立第四魔法学校を取り囲むようにして繁栄しているその街は、いわば「学園都市」の機能を有していた。
そして、奥の方には、ひときわ目立つ建造物の数々。
国立第四魔法学校の、城のような校舎が、ジョンたちを出迎えた。