「行こうか、一緒に」
「……お、雪が止んだな」
「どうやら近いようですね」
ジョンとレオン、そしてモニカの三人は、タケシを捜索するため、雪の中を歩いていた。
タケシの性格と、逃げた方向の両方を考慮すると、この騒ぎの中心である第4ゲートに逃げたと考えられる。
そのためジョンたちは、第4ゲートに向かって進み、雪が止む地点を探していた。
「おそらく、この辺りにタケシが居るはずだ。どっかに隠れてんじゃ――」
……そのとき、不意に、足にグニュッとした異物を感じた。
――う○こか!?
ジョンは咄嗟にその場から退いたが、どうやらそうではないようだ。
第一、踏んだ影は、う○こよりもだいぶ大きい。いや、デカいう○ことかそういうオチではなくて。
それはまるで不衛生な人間の形をしていた。体は細く、髪は黒く長い。両手を胸に抱き縮こまっており、しかしぶるぶると震えることもなく、死んだように眠っていた。
全身を黒で固めており、コートのように裾の長いジャケットを着ていた。ところどころにシルバーのアクセントを加えている。多少オシャレな風貌で、肩に担ぐ剣もそれなりに上物であると見受けられるが、いかんせんその身はヒョロイため、いささか不釣り合いなギャップを印象付けた。
追ってから逃げているうちに疲れ果て、倒れたところ運悪く追っ手に見つかり、最後の手段で死んだふりをしているような体制で眠っているその男の顔は、まるでタケシのようであった。
タケシと瓜二つであった。
タケシそのものであった。
というかタケシだった。
「おーい、タケシさーん?」
「……」
ジョンが名を呼ぶが、返事がない。ただの屍のようだ。
「おーい、面倒なことしてねえで起きろー」
頬をぺちぺちと叩くが、それでも変化はない。更にジョンは体を揺すってみたが、それでも変化はなかった。
「おーい、起きろー!」
ジョンはそう言い、今度はタケシの腹をガシガシと蹴った。
「……ッ、グフッ」
という声がタケシの口からかすかに漏れたが、依然として起きる気配はなかった。
「……起きてないッスか、こいつ?」
「しゃあねえなあ、あんまり過激な攻撃をして魔導人形ごと壊れちまっても意味ねえし……。
……あ、そうだ、モニカ」
「なんですか?」
「モニカさ、お前、気つけの魔法持ってるだろ? 気絶した対象を覚醒させる魔法。あれタケシに使ってやってくんねえかな?」
「いいですけど……大丈夫ですか?
あの魔法、いわゆる電気ショックみたいなものなので、意識がある対象に対して使うと、心臓に負担がかかって危険なんですよ」
「いいんじゃね?(適当)」
「あ、はい(特に根拠のない納得)」
モニカは言われるがままに、タケシの両胸に自分の手を置いた。それから魔法を使用する。
そして。
パン! という破裂音にも似た衝撃と共に、タケシの身体がビクンと震えた。
タケシはあまりの衝撃に、飛び上がった。
「いっでえええええええええええええええ!!」
タケシはそのまま、ジョンたちから5メートルほど距離を置いて、自身の激しく脈打つ心臓に手を当てた。息を切らし、驚愕の目でジョンたちを見る。
「あ、起きてた」
「お、おおおお起きてたじゃねえよ! お前ら馬鹿じゃねえの!? ななな、なんだよこ、このまま魔法は!」
「すみません、気絶しているものとばかり思っていたので……。あら、ひょっとして狸寝入りだったのですか?」
「そ、そそそそうじゃね、ねねねえけど……」
タケシは尚も息を荒げている。それほどまでにキツい術だったのか。
「うわあー、なんだこれ、まだ心臓バクバクいってるんですけど……。だ、大丈夫だよね、死なないよね?」
「まあ魔導人形だし?」
「楽観的に言うなよお前ェ! こ、こここのまま死んだら、どど、どう責任とってくれるつもりなんだよッ!?」
「やったぜ」
「ガッツポーズ決めてんじゃねえよ!?」
執拗に抗議するタケシであったが、そもそもこれは、登山大会という正式な競技である。その中で相手を打ち取ることに、どんな不正があろうか、いやない(反語)。
「っつーかお前……よくも逃げてくれたなぁ……!」
レオンが表情を曇らせてタケシに詰め寄る。タケシは、過呼吸と恐怖で失神しそうになるのを堪え、苦し紛れに言い放った。
「せ、戦略的ィ、て、撤退だよ……! そうさ、これも、せ、戦略のうち……!」
「だったらここで眉間をブッ飛ばされても文句言えねえよなア!?」
「ヒイイイイイイイイイイ!」
「レオン、やめとけ」
「……けッ」
ジョンに止められたレオンは、そう舌打ちし、タケシから身を引いた。
その鬼気迫るようすを見ていたモニカが、レオンに尋ねた。
「……レオンさんって、マフィアの一味だったりします?」
「さあ?」
レオンはニヤリと笑って答えた。意味深すぎる。タケシは更に顔を青くした。
恐怖に慄くタケシに、ジョンは質問を投げかける。
「――それよか、聞きてえことがあんだけど、いいか?」
「な、なんだよ……」
「あの魔術。……霧の女王がどんなものか、知ってんのか?」
「し、知らないよ……!」
「タケシさん、ウソ発見魔法というものがあってですね、ウソを吐くと心臓に電流が……」
「わあああああ! 分かった! 言います! 言うから近づかないで!!」
タケシはそう言ってモニカを退けた。女性を遠のけるなど、普段のタケシからは考えられない奇行である。
それほどまでに、先ほどの電気ショックが効いたのだろうか。……まあ、女性に近づくこと自体、そうないのであるが。
「……ま、嘘なんですけどね」
モニカはそう言って、舌をペロッと出した。とんだお茶目さんである。
「お、おまッ……! 嘘吐きやがったなあ! いーけないんだーいけないんだー! 生徒会長に言ってやろー!」
「最初に嘘吐いたのは誰だよ」
「分かったから近づかないで!」
ヘコヘコとタケシは土下座した。もはやここまで来ると芸人の域である。本人は大まじめなのがナンセンスであるが。
「……まあ、そうだな、お前らの言う通り知ってたよ」
タケシは仕方なく、メアリーとの会話から知りえた知識をジョンたちに伝えた。モニカの情報通り、霧の女王はアレステッドが創ったものであるそうだ。
そしてタケシは更に、メアリーとアレステッドに血縁関係があることも喋った。それには全員が驚いていた。
「マジかよ……。アイツの姓、『ギブソン』だろ?」
「再婚したってことッスよね、ようは。……アレステッドが家族と別れた、という構図でいいんスかね?」
「……それでも、メアリーさんは、元の父、アレステッドの宿願である『魔術の復興』を守りたかったんでしょうね」
「壮大な父子愛だよ。……僕には、か、関係ねーけど……」
「……にしても」
ジョンは頭を掻く。話を聞くとどうやら、つい先ほど知った衝撃の事実を、タケシは事前から知っていたことになる。
そのことを知って、ジョンは胃がムカムカする思いとなった。
「なんで、止めなかったんだ、お前」
ジョンが問う、その一言。タケシにとってみれば、痛恨の一撃だった。
タケシはしどろもどろになりつつも弁解する。
「……だ、だってさ、ほら、メアリーってば、そそ、その……、すっごい真面目だし……。ほ、ほら、メアリーってば、あの魔術を学校に入学する前から作ってたんだよ? 今回が雪原が舞台だって聞いて、この魔術の効果を一番発揮できる場所だって、よ、喜んでたし……。そそそそんなのみ、見たら……、止めろだなんて言えないよ……! 言っても聞かないだろうし……!」
「ふーん……そうか……」
ジョンはタケシの言葉を聞き、一応は納得したような素振りを見せたが、しかし、腹の中では別の思いが湧いていた。
その思いを、ジョンは、思い切ってぶつけてみることにした。
「――仲間外れにされるのが、怖かったんじゃねえの?」
「!!……」
タケシは、目を見開き、額から汗を垂れ流した。
ジョンのその指摘は、まるで爆弾のように、タケシに直撃した。
なおもジョンは追いつめる。
「その魔術が間違ってるって指摘したら、マジョリカから仲間外れにされる。それが怖くて……、指摘できなかったんじゃないか? この魔術の恐ろしさを」
ジョンは短く簡潔にタケシに尋ねたが、タケシの心を鋭くつらぬく。
「ア……ア……ア……」
タケシの口から、途切れ途切れに嗚咽が漏れる。
それらはやがて、溢れんばかりの洪水となって、炸裂した。
「ああそうだよ! 悪いかよ!」
タケシは泣き喚いた。顔がぐしゃぐしゃに崩れていく。
「僕はメアリーが好きだし、マオが好きだ! とっても可愛いし、気さくだし、なにより僕を頼ってくれる!
そんな居心地のいい空間を手放せだなんて、そんな残酷なことを言う気か、お前は!!」
「……タケシ……」
ジョンは、タケシの本音の濁流を、真正面から受け止めた。悲痛なその叫びを、全身で受け止める。
「そうだよ、知ってるよ! 魔方陣を見たときに気付いたよ! これはヤバい魔術だって! 使っちゃいけない代物だって! だからなんだよ! そんな正義感と引き換えに、かけがえのない幸せな空間を手放せっていうのか! そんなのあんまりじゃないか! 僕がなにをしたって言うんだよ! それが……! その空間が……!
僕の唯一の救いだったんだよッ!! 幸せの在り処だったんだよッ!! それすら否定するのか、お前らはッ!!」
「ああ! 否定するさ! 俺は!!」
「なッ……!」
ジョンは、真っ直ぐに、真剣に、タケシに向かって、その存在を崩壊せしめた。
「そんな空間に居てなんになる! 目を覚ませ! お前の存在は、そんな居心地のいい空間に浸るために留まるものじゃないだろッ! もっとデカくて、すげえ舞台に立つ努力を惜しんで、どうしてそこに逃げんだよ! 人を不幸にするその場所に、どうしてすがり続けるんだよ!!」
「だったら……! だったら! 僕はどうすればいいのさ! 僕を誰が受け止めてくれるのさ!!」
「俺が全部受け止めてやる!!」
「なッ――!?」
ガバッ、とジョンはタケシを抱いた。力いっぱい、抱きしめた。
ジョンも、タケシと同様に、泣いていた。後は多くを語らなかった。ただ、タケシに伝える。
「お前の努力、俺が全部認めてやる。だから心配すんな! あとはお前の目指す道へ進めばいい! 全力で応援してやる!
それが、無限の同好会だッ!!」
「うッ、うぅ……」
――タケシは、ひたすらに、号泣した。
ジョンの暖かな存在に、包まれていった。
☆
「おーい、会長、これ見てみろよ」
タクミがリクトを呼んだ。リクトは駆ける。タクミは赤い、ロープ状のものを持っていた。
「これこれ、見てくれ、どう考えたって、ゲートとゲートを結ぶネットだろう?」
「ああ……。それが、なぜ、落ちている?」
「おおかた、ゲートが移動するときに、ゲートの楔から外れたんだろ。あのゲート、わりかしモロいしなあ。買い替え時じゃねーの?」
「たしかに、検討する必要がありそうだな……」
リクトとタクミは、共にゲート近辺の調査を進めていた。タクミが発見したのは、どうやら境界線の役目を担う魔導ネットの残骸だったようだ。
本来はゲートとゲートを繋ぎ、エリアごとの分かれ目と、ゲートを通過させるための障壁の二つの機能をもって張られるのであるが、まさかゲート本体から取れてしまうとは。
リクトは思考を張り巡らせる。このネットの存在で、大方の疑問は解決できたが、まだ細々とした不透明な事案が残っていた。
そのうちの一つに、「どうやってゲートが移動したか」という問題がある。
「いくら古いとはいえ、ゲートのセキュリティは強固だ。生徒如きに破られるようなものではない。となると……、外部からの侵入者の仕業か……」
「その可能性が高えな。ったく、こんな学生の運動会を邪魔して、何が楽しいんだか」
「……ゲートには大量の魔力が備蓄されてあるからな。それ目当てという線はあるかもしれない」
「他の魔法使いに素性を知られるかもしれねーんだぜ? リスクとリターンが釣り合うかっつーと微妙だと思うがね」
「ふむ……。それと、もう一つ、気になる点があるのだが」
「なんだい、会長?」
リクトは、雪で霞む視界の中、ゲートの方を見据えつつ言った。
「どうやって、このゲートを移動させたのだろう? 車輪の動力部をいじったのか? ……いや、車輪は中枢部で管理制御されている。そんな簡単には――」
そのとき、ふと、リクトのバングルに通信が入った。どうやらナターシャのようだった。
『……もしもし、リクト。ナターシャだよ』
「ああ、お疲れ、何か分かったか?」
『……その、仮説の域を出ない話だけど、いいかな?』
「構わない。その話から、事件解決の糸口が掴めるかもしれない」
『その……』
ナターシャは、自信なさげに仮説を語った。確証がもてないようだ。
『えっと、ゲートが移動している件についてなんだけど』
「……!」
先ほどまでピンポイントで悩んでいた部分だったので、リクトは驚いた。その仮説については、是非とも聞いてみたかった。
『……なんというか、荒唐無稽な話なんだけど……』
「魔法が蔓延る世の中で、荒唐無稽な事実などいくらでもある」
『……うん、そうだね。じゃあ、言うよ?
ゲートを色んな場所に移動させた、その方法なんだけどさ……。
――地面ごと、ゲートを持ち上げた。
……んじゃないかなって』
「!!……」
……。
……ああ、その手があったか。
リクトは、あまりにも簡単かつ強引な解決法に、言葉を失ってしまった。
荒唐無稽すぎる。
荒唐無稽すぎて、あまりに現実味が無いが、しかしそれで、全ての辻褄が合う。
『……どうしたの、リクト?』
「いや、そのナターシャ……。……君は本当にすごいな。ほぼ全ての疑問が解消されてしまったよ……」
『本当!?』
ナターシャは驚いて聞き返した。てっきり一生に付されるとばかり思っていた自身の回答が、まさか本当に、事件解決の糸口となるなんて。
「……確かに、この方法なら、この騒ぎも起こすことができる。……まったく、誰だ、こんな馬鹿げたことを考え――」
ピンポンパンポーン。
……と、間の抜けたチャイムが流れた。次いでアナウンスが流れる。
『あー、あー、聞こえますかー。テステスー』
そう、会場全体に向かって轟音で呼びかける声があった。
変声魔法を使っているためか、声の主はハッキリとは分からない。女性であることはなんとなく分かるのだが。
リクトの隣に居たタクミが、その声に反応した。
「……誰だこれ? あんまり聞いたことねー声だな……」
「そうだな……。ナターシャの方はどうだ?」
『うん、私の方も聞こえるよ。第4ゲートの方から響いてきてるみたい。……耳がガンガンする』
やはり、相当の爆音でもって放送を行っているようだ。
会場全体に響かせる必要がある以上、仕方ないとはいえ、もう少し公衆衛生を弁えてほしいものだ、とリクトは思った。アナウンスは尚も続く。
『えー、えー、まぁー分かってるとは思いますがー、この第4ゲートは、我々―、……あ、そうだ、名前言っちゃいけないじゃん。えーと、とにかく占拠いたしましたー。ざまーみろー!』
「……なんだこのムカつく放送」
「意図は分からんが……あまり賢いとはいえないな……」
『でー、えーっとですね、このままだとアレでしょ? 大会とか続けられないでしょ? 困るよね? そうだよね? しょーがないなー、ってことで、ここは一つ、寛大な私が条件を出してやることに決めましたー』
非常に間の抜けたアナウンスであるが、しかし、それを聞く者たちは真剣そのものである。この事件の張本人から直々にアナウンスがあったのだ。少しでも情報を探ろうと頭を働かせる。
そして、声の主は、当事者でない者たちにとっては、意図のあまり伝わらない、変な条件を提示してきた。
『今から30分! 30分以内に、エリーゼ・デーベライナーを第4ゲートまで連れてきなさい! さもないと……、このフィールド、めちゃくちゃにしちゃうぞー! あっはっはっはっはっはっは!!』
……その言葉を最後に、アナウンスは切れた。
聞いた者たちは皆、ポカーンとしていた。
「……聞いたか、今の?」
「あ、ああ……。聞いたけど……。何が目的なのかサッパリ分からん」
「金目的じゃなく、政治的な思想も見えない……。ただ、エリーゼを呼べと脅した……その意図は?」
「エリーゼは今年の入試成績1位の才女であり、歴代11位の実力者だ。それが関係していると考えるのが妥当であるが……、どう思う?」
『……子供だね、この犯人』
「「だよなあ」」
リクトとタクミが同時に頷いた。
☆
「……聞いたか、今の?」
「き、きき、聞いたよ……、メアリーなのは確定的に明らかだね」
「どうするんスか、兄貴? エリーゼと連絡を取るッスか?」
「それもそうだし……、俺たちも第4ゲートに向かった方がいいだろうな」
「そうですね、こっちにはタケシさんも居ますし」
「ひ、人質みたいに言うなよォ!」
「「「えっ?」」」
「なんでみんな首を捻るの!?」
「今の……メアリーの声よね?」
「うん、そうだね……」
「私を連れてこいだなんて……なにを考えてるのかしら」
「単純だよ、根に持ってるだけなんだ。君が魔術を馬鹿にしたことをね」
「……そう、なの……」
エリーゼは、メアリーの意志がまさかここまでのものだったとは、と、恐怖を感じた。
「……謝らなきゃ、私。メアリーに、魔術を馬鹿にしてごめん、って、そう、謝らなきゃ」
「そうだね。私も言わなくちゃ。もう、こんなの終わりにしようって」
「……どうやら、目的地は一緒だったみたいね」
「うん、そうだね、まったく奇遇だ」
エリーゼとマオは、笑いあって言った。
『行こうか、一緒に』




