「その実力、見せてもらうよ」
「……」
ナターシャは、高台から周囲の様子を観察していた。
タクミと別れ、単独行動を開始したナターシャ。間もなく強大な吹雪に襲われた。尋常ではない降雪量だった。
氷の魔法を扱う彼女は、こういった雪や氷に関する異常に敏感である。自身の魔力が良くないものを感じ取っている。
今回の大会に使用するフィールドには、タクミとナターシャの生徒会メンバーの他にも、何人かの教員や学生有志、そして有事のためのプロの魔法使い数人が配備されている。
しかし、それらの人間に連絡を取っても、猛烈な吹雪で身動きが取れない状況の様だ。
他の監視員の状況を合わせてみると、どうも吹雪の原因は、フィールドの中心にあるようだ。そのため、そこから離れた場所、第一ゲートとゴールゲートは、吹雪の被害が少ないようであった。
……それでも、もう10メートル先も見えないほどの豪雪が吹きすさんでいるようだが。
登山大会のフィールドは、それなりに起伏のある地形をしている。
毎年、山林や洞窟など、障害物の多い地域で戦っているが、今回のこの雪山という舞台は、逃げ隠れするための遮蔽物が例年よりも非常に少ない。そのため、いつも以上に戦闘力がものをいう環境になっている。
これも、リクトが多くの同好会、および部活動を潰したことが原因の一端としてあるだろう。ナターシャも、この競技場の選定には特に異論は無かった。
特別激しいわけでもないアップダウンを乗り越えていくと、ふと、ナターシャのバングルに連絡が入った。表示された名前を見ると、リクト会長の名があった。
ナターシャは通信に応じる。
「……リクト? 私。ナターシャだよ」
『ああ、ナターシャ、お疲れ。そっちの様子はどうなっている? タクミと別れたようだが』
「問題が起こってるって、そう感じたんだけど、確証は無かったから、タクミは置いてきた。なんにもなかったら戻るつもりだったし。でも、……ねえ、リクト、今回の大会って、狙って豪雪地帯を選んだわけじゃないよね?」
『同好会同士で潰しあってもらわなければ困るのに、なぜ戦いにくい環境にするのだ?』
「そうだよね。……だからこそ、おかしいんだ。なんだかひどく得体の知れない、恐ろしいものが蔓延っているし」
『抽象的表現をされても困る。具体的に答えてくれ』
「……雪が、泣いてる」
『……どういう、ことだ?』
「んーとね、えーっと……」
ナターシャは、この違和感の原因を答えようと頭を回転させたが、そこに邪魔者が乱入した。ナターシャは、自らの魔力を多少なりとも乱してしまう通信を切断し、目の前の脅威に目を向けた。
「――ッ」
ナターシャのすぐ目の前に、飛龍が迫っていた。
吹雪で明確な姿かたちは判別できないが、それでも、そのギラギラとした青白い瞳は、これでもかというくらい、自分の存在を誇示していた。
そして。
その龍の目は、とても悲しげであった。
「……あなたは、何者なの?」
ナターシャは問う。しかし龍は答えない。もとより人語を理解するような生物であるとも思えない。
仕方ない。
ただ行く手を阻むのみであるというのなら、こちらも打つ手は一つしかない。
「ごめんね、あなたが誰だか知らないけれど」
ナターシャは右手を水平に上げ、全身に魔力を漲らせた。
「構っている暇は無いの」
彼女の身体から、青白いオーラが沸き上がっていった。次いで唱える。
氷のように冷静な心
氷のように強靭な体
氷のように鋭利な刃
北方より出でし氷雪の身に
東方の熱き血潮を流し込み
今解き放つ、混合にして金剛の杖
無限の氷河が絡まり織りなす
砂漠が如き鉄鎖の呪縛
『皐月』
抜錨
ドン、という衝撃と共に、ナターシャの背中に魔導の防具が召喚される。
そして次いで、ナターシャの右手に、青く光る魔法石を中心として、鎖をモチーフとした形状の杖が召喚された。
ナターシャはその柄を握り、構え、龍を見据える。
「いつでもいいよ、かかってきて」
ナターシャが口にすると同時に、龍はいったん身を屈め、瞬間。
ナターシャの元まで、弾丸のように飛び込んできた。
雪の地面を抉りこむように飛来したその龍は、地面に潜り込み、大量の雪を巻き上げる。それだけでも、身動きが取れなくなるほどの量だ。
だが、ナターシャは、さすがは氷雪の鎖縛と呼ばれるだけあって、雪を巧みに掻き分け、なにごともなく回避した。
龍は自身のカギヅメを雪の中に引っ掛けるように潜り込ませ、振り返り、ナターシャの姿を再び補足する。
荒い息を吐き、目はいっそうギラギラとした輝きを増していた。
「……まだやるの?」
ナターシャは、ゆっくりと振り返りつつ、そんな台詞を吐いた。未だ完全に龍の方へ身体を向かせていないにも関わらず。相当な自信である。
そしてその自身は、決してハッタリでも、虚栄でもなかった。
「……もうやめなよ」
ナターシャは、相手に同情するような口ぶりで、そう言った。
しかし龍は、まったくその気勢を緩めない。生まれてこのかた、戦うことしか教えてもらっていない――そんな気すら感じた。
「……分かった」ナターシャは言う。「おいで。命尽く、その瞬間を、最期まで見届けてあげるから」
ナターシャが手招きをすると、龍は再び咆哮し、荒い息を吐いた。
そして。体内に魔力を溜めたかと思うと、急にそれを吐き出した。
ギュン、という音ともに龍の口――正確には、龍が口の前で生成した――巨大な氷の礫が、真っ直ぐナターシャ目掛けて飛んだ。
超速度のその弾に、ナターシャは一瞬目を開いたが、特別想定外でもなかったようだ。
ただ、瀕死の人間が、最後の悪あがきに身体をビクつかせたような。
その程度の感情しか、抱かなかった。
「遅いよ」
ナターシャの目の前で氷の飛沫がはじけ飛んだ。ナターシャは、魔法で編み出された氷の鉄鎖で、その氷の礫を弾き飛ばす。周囲が壁のような岩場で囲まれいたのが良かった。
――そうでなくても、避けることなど造作もなかったが――。
ナターシャの両側にある壁に、6、7本ほどの氷の鎖を打ち込み、自身の前方に鎖の壁を作る。
それはネットの様な構造になっており、氷の礫を龍の方へと打ち返した。
『!?』
龍の顔面に、氷の礫が当たる。真正面から直撃したせいで、しばらくの間、前後不覚に陥った。
それでも頭を振り、なんとか体制を立て直そうとするが、その猶予すら、ナターシャは与えなかった。
雪の吹きすさぶ中、ナターシャは的確にその龍の現在地を補足した。雪に覆われた地面を跳躍し、龍の頭へ軽々と到達する。
「ばいばい」
龍の頭に、閃光が炸裂する。ナターシャの氷の魔法が直撃したのだ。
龍の頭が抉られ、中から青白い液体のようなものが噴射した。……かと思うと、龍の身体はボロボロと崩れ、瞬く間に氷塊と化し、雪景色に紛れ、消えてしまった。
その光景を、ナターシャはぼんやりと眺めていた。
――なんだったんだろう、今の。
ナターシャは小首を傾げつつも、進行方向を見やる。
「……」
ナターシャの進んでいた方向から、また、咆哮が聞こえて来た。おそらく龍のものであろう。加えて今度は、さらに大勢の人間の声も聞こえた。
その数、おそらく、4人。
そして、その声は。
ひどく聞き覚えのある声だった。
☆
「ちっくしょうアイツら逃げやがってええええ!!」
「あーもう貧乏くじー!!」
ジョンとエリーゼは、泣き言を喚きながらも龍の猛攻に対処していた。
アンリミテッド・サークル一行は、龍の咆哮が聞こえる先へ急いだ。そこでは、2組の団体、8名が、おそらく戦闘中に割り込んできたであろう龍との戦いに奮闘していた。
ジョンたちはその戦いの渦中に飛び込み、応戦しようとしたのだが――。
『お、お前らは! なんか……あの……あれ、開催前に騒いでたサークル!』
『ちょうどいいや! 俺たちあっちで戦ってくるからアレをアレしといてくれ!』
……という感じで逃げられてしまった。その2団体がその後どうなったかはジョンたちには知る由もない。
「……完全に厄介払いってか逃げられたかんじよね……!」
エリーゼは逃げられたと知るやいなや憤怒を露わにしたが、正直、龍の攻撃が激しすぎてそれどころではなかった。
この龍が一匹だけであるならば、アンリミテッド・サークル総出でなくとも、エリーゼ一人で難なく倒せるであろう。
ブルーハーロンよりはだいぶ格下の相手であるし、2匹でもなんとかなるかもしれない。
だが、現在、龍は6匹という猛勢でジョンたちを襲っていた。さすがに数が多い。戦う役者の絶対数も、単純な戦力としてみても、アンリミテッド・サークルが劣勢なのは一目瞭然だった。
泣き言を言っている暇はない。だがジョンは、慈善などをするつもりはないが、しかし、首を突っ込まなければよかった、なんて後悔もしなかった。
この逆境をどうやったら切り抜けることができるのか、必死に頭を働かせていた。
「ジョンさん、どうします!?」防御魔法で龍の突進を防いだモニカが問う。「このままじゃジリ貧です!」
「ンなこたァ分かってらァ!!」
ジョンの大剣が炎を纏う。ジョンの得意とする「炎」の魔法である。
ジョンは龍に飛び掛かり、そしてその顔面に向けて剣を振るった。
「ッラア!!」
龍の脳天が、ジョンの大剣によって揺さぶられた。龍の頭が地面に打ち付けられる。氷の表皮が割れ、破片が飛び散った。
龍は前後不覚に陥ったが、直に回復するであろう。
更に。
「ジョン!」
エリーゼが叫ぶ。
ジョンがエリーゼの方を振り向くと、眼前には、ジョンをまるまる呑みこまんと大口を開けて突っ込んでくる龍の姿があった。
「なんだとッ!?」
ジョンは剣を横に構え、龍の攻撃を迎え撃つ。本当は回避をしたかったのだが、それができる余裕を見出せなかったゆえの判断だ。
龍の口の両端に剣の刃が差し込まれるが、それでも龍はジョンへの突進を止めない。意地でも呑み込まんと這いずり進む。
龍の口が裂けるのが先か。それとも、ジョンの意地が貫き通されるか。
「ぐぬぬ……!!」
『グオオオオオオオオオオオオオ!!』
龍が咆哮し、その推力をさらに増幅させる。カギヅメを雪に潜り込ませ、前と後ろ、両方の足にありったけの力を込めていた。
さすがに、巨大な龍と腕力だけでやりあうのは無茶があったか。いくらその筋肉を武器にしているジョンであっても、この勝負にはかなり厳しいものがあった。
「ジョン!」
エリーゼが彼を心配し、救助に出向かんと駆けだす。
――いや、駆けだそうとした。
しかし、実際のところは、思いもよらぬ結果となった。
「……?」
ジョンの両腕に掛かる圧力が、不意に和らいだ。
訝しんで眼前を観察すると、不自然な点に気づく。
なんと、龍の口を、まるで馬の轡のような鎖が後ろから引っ張り上げているではないか。
「へっ?」
見たこともない魔法に、ジョンは狼狽する。ジョンの位置からはその全貌が把握できなかったが、どうやら、その氷の鎖は、龍の背中に杭を打ち込むようにして、そこから伸びているようであった。
龍は必死にジョンの身体を呑み込まんと身体を伸ばそうとするが、……そうすればするほど、龍の口に鎖が食い込んでいく。
――そして。とうとう。
龍の口が、裂けた。
一度、亀裂が生じると、崩壊は早かった。まるで龍自身が、自らの身を切り裂いていくような、そんな生々しい光景が眼前で繰り広げられた。
ジョンは呆然とその光景を見ていたが、龍の身体が崩壊したのを確認すると、ポツリと感想を漏らした。
「……え、えげつねえ……」
なんとも気まずい最期だった。ジョン自身は助かったのでそれに苦言を呈することも憚られる、なんとも複雑な心境であった。
ジョンは立ち上がる。奥の方では、まだエリーゼたちが戦闘を繰り広げているが、ひとまずは自信を助けてくれた人物に礼を言おうと思った。
ジョンは、すぐ5メートルほど先に立っていた人物を見た。ジョンはその人物――おそらく少女であろう――に見覚えがあった。
「……ナターシャ。ナターシャじゃねえか」
生徒会室に出向いたとき、1度目も2度目も、リクトの傍に居た少女だ。エリーゼよりも低い身長ながら、2年生であり、現生徒会の書記という実力者だ。
彼女は、ジョンの姿を認めると、軽く会釈し、挨拶した。
「どうも、リクト会長のお世話になってる人」
「あんまりな挨拶じゃねえか。何しに来たんだ」
「助けを求めに……ってところかな。なんだか大変なことになってるみたいだから。……というわけで、今は共闘関係といきたいんだけど、いいかな?」
「ああ、助かるぜ。……だが、今の具体的な状況を教えてもらわねえことには、こっちも動きようがない」
「そう。……じゃあまずは、あのうるさいやつらを黙らせようか」
「いいぜ、やってやろうじゃねえか」
ジョンとナターシャは互いの拳を打ち付けあった。
「生徒会役員のお手並み拝見ってところだな」
「リクトが一目置く、その実力、見せてもらうよ」
そう言って、残り5匹となった龍へと疾駆した。




